参考リンク:Wikipedia「手塚治虫」
これはどういう記事かというと、ほとんど自分用のメモで。「手塚治虫のマンガの描き方」(原著・1977, 手塚治虫漫画全集 MT399)に出ている手塚先生のギャグ論を、ちょっとまとめておこうというもの。
いや、なんでそんなことを思いついたかというと。もともと興味深いものではありながら、そしてさらに、ここにうわさの≪不条理ギャグ≫という用語が出ているからだ。
吾妻ひでお「不条理日記」が1978年なので、こっちの方が早い。しかし史上初かというと、たぶんそんなこともなさそうな感触が、筆者にはあり。
なぜそう思うのか。…超しっけいだが、手塚先生はあまりネーミングセンスがないようなので、そんな気の利いたことばを言い出しそうにないのでは、と。
そう言うと『何を失礼な!』と思われるだろうけど、しかし、ここで先生が使われている『日常ギャグ』とか『思考ギャグ』とかいう用語の不調法さから、それを思うのだった。ご一緒に見ていくと、あるいは同感なされるのでは…?
(ちなみに『ブラックユーモア』ということばが世に出たのは、1939年のアンドレ・ブルトン編「黒いユーモア選集」がお初、が定説らしい)
とまあ、筆者のおしゃべりはそれくらいにして。以下、「手塚治虫のマンガの描き方」の第2章の2から、該当する個所を要約&抜き書きすると…(p.129-137)。
『「おかしさ」をつくる六つの要素』
まず前置き。『マンガは本来、(略)ジョークとユーモアを売りものにするものだ。(略)これのともなわないマンガは、マンガではなく、なにかべつの分野のものだ。たとえ一見深刻そうに見えたり、暗澹たるムードをもっていても、大きな意味でなにかしらおかしければ、やっぱりマンガなのだ』。
そこでその、おかしさの演出の技法を考えてみると…。
【A 奇想天外】 人間そっくりな宇宙人が、あなたにほれてしまったとしよう。その宇宙人はいきなりズボンをおろし、おしりをあなたの口に押しつける。この種族は肛門が性感帯で、彼らにはそれが『あたりまえのキスの仕方』なのだ。このように、日常からかけ離れすぎたことが生ずるおかしさを、『奇想天外ギャグ』と呼ぶ。
『赤塚不二夫さんのギャグマンガには、この手の登場人物が多い』。また、手塚作品の≪ヒョウタンツギ≫の唐突な出没もこれ。
(引用者より。その『あたりまえのキスの仕方』とやらが、お尻同士をくっつける、となっていないのは、ややおかしいのではなかろうか? むしろそれがおかしい)
【B 不条理ギャグ】 『不条理というのは、常識の理屈では思いもよらないなりゆきになることだ。奇想天外にはどこか間の抜けたオトボケがあるが、こっちのほうは理屈もヘチマもない常識はずれのおかしさだから、いささか毒を含んでいる』。その好例はつげ義春「ねじ式」、秋竜山の1コマ作品など。
『総じて、不条理ギャグは、時間と空間を無視したものが多いので、あまりにも常識的な頭をもつ人には、よくわからないというきらいがある』。
(引用者より。『奇想天外』と『不条理』の区別が、あまりできている感じがしない。『理由づけ』や説明の有無、というポイントか?)
【C 日常ギャグ】 言い換えて、『風俗マンガ、生活マンガ』。「フクちゃん」、「サザエさん」、「フジ三太郎」など。『少しジャンルが違うけれど、セックス・ギャグ、ピンク・ギャグなんかもこの手のものである』。
…ところが手塚先生の分類によると、『日常性のおかしさに、ちょっと毒が入ったものが、ブラック・ユーモアマンガ』であり、『たとえば殺人、自殺、天災、恐怖、怪奇現象なんかをとりあつかったもの』、それらもまた『日常ギャグ』のうちに入るものだそう(!)。
【D 思考ギャグ】 いわゆる『考えオチ』、ニューヨーカーやパンチの1コママンガ、新聞の政治マンガらが、これに入る。『これらは、どちらかというと、「わかる人にはわかるが、事情のわからない人にはおもしろくない」、つまり一部の読者層におもしろがられる種類のマンガ』。
【E スラップスティック】 『すべてアクションをともなった、絵だけによるおかしさで、いうなればドタバタ』。『絵によるドタバタのおもしろさを徹底させているのが「がきデカ」で、あのスジ立てのなかのなぐる、ける、あばれるアクションのリズムが、ちゃんと心地よいおかしさをつくりだしているから成功したのであろう』。
【F だじゃれ】 『おかしさとしては、マンガのなかではいちばんつまらないものである。というのは、だじゃれはべつにマンガでなくたってつくれるからである』。
『これら(だじゃれや語呂あわせ)は、ほかのいろいろなギャグのあいだにはさみこんでこそ、おかしさとして生きるのだ』。
『(もろもろの格言や名言をもじっていく手法、こんにち言われる『パロディ』は、)しょせんは借りものだから、あまりしばしば使っては効果のある方法ではない』。
ご紹介、終わり。以上の記述、ちょっとこの分類の仕方がいいのか悪いのか…。まあともかく、1977年に手塚先生の言われた『まんがのギャグ論』は、このようなものなのだった。
ちなみに、これを追って1981年に出た米沢嘉博「戦後ギャグマンガ史」は、こうした『ギャグの分類』などを熱心に行ってはいない。その行き方に、筆者はけっこう共感しているところがある
で、それこれの先人らの偉業を21世紀に発展させるのがわれわれのつとめだとまで確認し、いまはいったん終わる。
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