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2010/10/26

おおひなたごう「おやつ」 - 楽しいの? 楽しくないの?

おおひなたごう「おやつ」第1巻 
関連記事:ラベル“おおひなたごう”

関連記事の「新・河原崎超一郎」について調べていたら、著者のおおひなたごう先生のブログにたどりついた。そしてしばらく見ていたら、そこに出ていた「おやつ」第1回のとびら絵の画像に、筆者はすごいインパクトを受けたのだった。
(画像への直リンクはいかんかと思うので、そちらのブログのこのページを開き、次に1996年12月の「おやつ」のところをクリック)

ご覧の通りなものを説明してしまって申しわけないけれど、ご覧の通りに全50ヶ所のまちがいを探せというお題で。楽しいパーティらしき絵図の50ヶ所が、下の画面では、ドロドロした無意識の世界のあれこれを示していそうな≪シニフィアン≫に化けてしまっている(シニフィアンとは、みょうに意味ありげな記号)。
50個もあってはいちいち指摘もしきれないが、『花びんの花→お線香』とか、『リボンのかかったプレゼントの箱→丸めたティッシュの山』とかの例を代表に、それらの『まちがい』のほとんどが、性や死につながっている≪外傷≫的なシニフィアンの現出とは言えそう。ようするにその場面が、夜に見てうなされそうな夢の世界に変貌してしまっている。

まあ筆者としては、その中でいちばんショッキングだったのは、床の上に落ちている少年チャンピオン・コミックスの「ドカベン」が、同「べにまろ」(1980)に変わっている、というたいへんな『まちがい』だった。木村和昭「べにまろ」もいい作品ではあったと思うのだが、しかし「ドカベン」のあった場所にそれをすげ替えたら、これはチャンピオンにとっての悪夢なのではないかと? 
見るとそのすぐ近く、壁から耳が生えているのが描かれているが、これは耳がおかしいのではなくて、存在する場所がおかしい。それと同様に、「ドカベン」を「べにまろ」に置き換えてはおかしい、ショッキングだと考えられるのだ。

さて、これを見てぶったまげ、『こんなの単行本に出てたっけ?』と思って調べてみたら、ちゃんと同じものが載っていた。
けれどもサイズの違いのせいで、インパクトにたいへんな差がついているのだった。いやあ、これを掲載誌でご覧になった方々がうらやまし~い!

さてこういうわけで、「おやつ」単行本の第1巻を引っぱり出してしまったので、久々に読み返してみて、そこから1つのネタを見ておくと。

もくじもなければノンブルないこの本の、さいしょから1/4くらいの右側のページに、『耳たぶ』という1ページのお話あり。いや、こんどの耳たぶはちゃんとふつうの位置についているものなので、そこはご安心なされたし。
どんなお話かというと、天涯孤独そうな兄妹ふたり、そのハートフルなふれあいの情景を描く。さいしょは特に設定がないのだが、追ってだいぶ後で、この兄キは職業が刑事と分かる。で、小さな妹をおんぶして、兄が公園らしきところを歩いている。

――― 「おやつ」第1巻, 『耳たぶ』の巻より ―――
【兄】 ノッコ ごめんな お兄ちゃん あんまり 遊んでやれなくて…
【ノッコ】 ううん いいの
【兄】 よし! 今日は 特別に なんでもいうこと 聞いてやらん こともないぞ!
【ノッコ】 (やらん ことも ない…?)
でも お兄ちゃん お金あんまり ないんでしょう?
【兄】 バカ言え! お金なら 無きにしも あらずだ!
【ノッコ】 (え…? 無いの? あるの?)
【兄】 そうだ! ディズニーランド 連れてって やろうか?
【ノッコ】 楽しいの?
【兄】 そりゃあもう 楽しいの 楽しくないのって !
【ノッコ】 (不安の表情で、)楽しいの? 楽しく ないの?

ここで兄キが乱用しているような『二重否定』の言い方は、用いている側はいい気分なんだけど、聞かされる側は、何となく気分がよくない。部分的・修辞的にも否定がなされていることを、聞き手の耳はちゃんと聞きとっている。単に『ある』と言うことと『なくはない』と言うことは、イコールではない。
とはいえ、距離があるべき人間関係もあるわけで、また、やたらな断言が軽く聞こえる場合もあるわけで。そこらでは、『嫌いじゃない』とか『そうも言えなくはない』だとか、そんな言い方も生きる場合があるが。
けれどもノッコの場合は、たったひとりの兄しかこの世に頼るものがない立場で、その兄から、おかしな修辞をとくいげに聞かされているのだ。そして、≪不安≫が高まるのだ。

そういえば『二重否定』について、ニホン語の場合は『否定の否定=肯定』だけど、英語については『否定の強調』になる場合がある。“I don't hear nothing”とはつまり、『まったく何も聞いていない』。
そんな言い方を授業で教わったとき、わりに多くの人が『え?』と感じたのでは? いろいろ調べていると、二重否定の言い方は、どうにも人を戸惑わせるようにためにあるような感じがしてくるのだった。そしてそのまどいを、愉しめる人もそうでない人もいる、というわけだ。

それから続いてパラパラと、このまんがの本を見ていると。ややさかのぼったページに、同じ兄妹の初登場らしきエピソードがある。こちらもほとんど同じようなイントロで、兄キがノッコをおんぶしながらの会話。

――― 「おやつ」第1巻, 『黒シャツ』の巻より ―――
【兄】 何でも いうこと聞いてやるぞ
【ノッコ】 ホント?
【兄】 ああ ホント だとも
【ノッコ】 じゃあ ねえ…(中略)
ノッコが 今までに 犯してきた 罪をすべて つぐなって…
【兄】 なんだ そんな こと…… ……………………………

これはこういうこと…なんておしゃべりを、したくはなくなってきた。

前に「おやつ」を見た記事の結論に同じで、われらのごう先生はよき時代の児童まんがのスタイルを借りながら、人々があると思い込んでいる『童心』などというものをへいきで撥無なさる。その蛮行のめざましさ、それの指し示す≪外傷≫のするどい痛みが、またここにもあるのだった。

【補足】 両作例の、サブタイトルについて。どちらも劇中にさりげなく描かれているものが出ているのだが、『耳たぶ』は『言う-聞く』という内容に対応し、『黒シャツ』は(びみょうにも)不穏な感じという内容に対応している、と読めなくもない。
何かを感じようと感じまいと自由なのだが、それはまちがい探しの中の≪シニフィアン≫らにしても同じだ。『特に意味はなかろう』と流すのも自由でありつつ、しかしその態度は、『二重否定=肯定』でまったく何の違いもない、という鈍感さに等しい。

おおひなたごう「新・河原崎超一郎」 - ≪花嫁≫は、彼女の独身者によって!

おおひなたごう「新・河原崎超一郎」第1巻 
関連記事:ラベル“おおひなたごう”

前シリーズの大好評にこたえて、あの太眉ヒーローが帰ってきた! スケールアップで再登場、無印「河原崎超一郎」の続編、「新・河原崎超一郎」!
…な~んて面白くもないウソをタレ流してはよくなくて、いままで「河原崎超一郎」には、『新』しかないはずだ。『ケンちゃんラーメン“新”発売!』かのごとく、『新』しかない。

では無印版で初代の「超一郎」は、いったいどうしたのか? どこでお目にかかれるのか?
おおひなたごう先生のいままでのやり方から推測すると、たぶんそれは遡及的に、いつか未来に描かれるんじゃないかと思う。いつになるのか、その日を待って、われわれはこの堕文を終わろう。

と、終わった方が明らかによさそうなのに、うっかりと続けてしまう。今作こと「新・河原崎超一郎」は、月刊少年チャンピオン掲載のショートギャグまんが。1994~2000年あたりに出ていたもので、単行本は少年チャンピオン・コミックス全2巻。

そのヒーローの≪超一郎≫が、太眉もりりしい1970's劇画タッチのヒーロー。まず彼が、多種多様なスポーツで活躍するようなお話で始まり、それからいきなり小学生に若返って、夏休みの工作やママのおつかいをがんばるお話になったり。
かと思うと木こりになったり協会理事長になったり、はてはアウトローに転じて銀行強盗をしでかしたり。『横恋慕が苦手』(第1巻, カバーそで)という以外は万能(?)のヒーローが、ありとあらゆる局面で不条理を巻き起こすのだ。

で、具体的に機能はしないのだが、今シリーズ中でへんに目立っているのが、≪花嫁≫という単語。
まず第2話で、超一郎をエースとする野球チームの名が『花嫁』と、スコアボードに書かれてあり。追って第3話ではプロサッカーの『花嫁ウェディングス』に所属、第4話では強盗として『はなよめ銀行』に押し入り、第5話では『県立花嫁中学校』の生徒としてクラスでイジメられ(?)…等々々。

では、どうして強迫的に≪花嫁≫の頻出なのかって、別にはっきりした答も存ぜぬけれど。しかし何となくばくぜんとそれが、まったくお色気要素などありはしない今シリーズの背後に、動因としての性的なモヤモヤが存在することを匂わせている。

――― 「新・河原崎超一郎」, 第18話『駅伝 その2』 ―――
【実況アナ】 トップは 花嫁中の 河原崎
【監督】 さすが 河原崎 よのう(…超一郎の姿をよ~く見て、)
ムッ 河原崎の タスキが ねじれている! “メビウスの タスキ”だ!
【関係者】 (中略)それは駅伝と 関係あるのですか?
【監督】 ない! ない…が!
(メビウスだけに、)河原崎は表裏のない ナイスガイだってことよ

これがどういう『意味』かって、筆者も知りはしないが! 『んだそりゃ!』と言って、笑ってしまえばすむだけのギャグだが!(第1巻, p.95)
だがしかし、ことさらに誇示されたメビウスの輪には、まったくふつうに≪ファルス≫(勃起したペニスを表す記号)っぽいニュアンスがある。そしてそれが、超一郎の着けたユニフォームの『花嫁』というロゴに、からみあいたわむれかけているのだ。
そしてラカンの理論だと『メビウスの輪』は、≪主体≫の構造を表すメタファーでもある。むずかしいけど人間の心とは、その内面を探っていると外面に出てしまう、といったこと。

さらに、よく見ると今作中での『花嫁』の語はいずれも、社会の側のもの、いわゆる『体制』、形のある組織の名前、として用いられている。それこれを考えあわせれば≪花嫁≫という語は、社会の許容する≪享楽≫をさし示している。『横恋慕』が苦手なので、彼はそれを追い求める。
しかし超一郎は、決してその≪花嫁(ら)≫とひとつにはなれずに、≪享楽≫へとかすりながら出遭い(そこね)続け、そしてさまざまなシーンとさまざまな役割を遍歴し続けるのだ。そして何ら不可能はなさげな超一郎は、逆に言えば≪何≫でもない器用貧乏な人物でもあるわけだ。

と、この物語のあらましを、いちおう説明できたような気分になったところで。次の機会には、またちょっと別なところを見ていきたい! ではまた。

2010/10/17

おおひなたごう「空飛べ!プッチ」 - “母の欲望”、その対象とは何か?

おおひなたごう「空飛べ!プッチ」 
関連記事:おおひなたごう「おやつ」 - 彼女がムダ毛を処理したら

おおひなたごう先生がプリンセスに掲載された、その初の少女向け作品「空飛べ!プッチ」(2005-06)。単行本は秋田書店より、全1巻。
これが近くエンターブレインから『完全版』として再刊されるそうなので(10/25発)、この機会に秋田版を読みなおしてみた。

それがどういうお話かって、アマゾンに出ていた秋田版の宣伝文によると。

奇才が描く初の少女まんが!!
雲の上の国・ネザーランドのプッチは飛べないウサギ。生き別れた母を探すために今日も飛ぶ訓練をしていますが…。

次に同じく、近日発売のエンターブレイン『完全版』の宣伝文。

安野モヨコ絶賛!! おおひなたごう唯一の少女漫画!!
「ママに会いたい! 空を飛びたい!」
雲の上にある、空飛ぶウサギの国・ネザーランド。飛べないウサギのプッチは行方不明のママを探すため、健気に練習に励むけどなかなか飛ぶことができません。かわいそうなプッチは今日もひとり、つらい現実から目を背けるため、エアクッションをプチプチプチプチプチプチプチ……。
ギャグ漫画家おおひなたごうが初めて少女漫画誌に連載した隠れた名作が、大量の未収録作品と感動のフィナーレを収録した完全版として、ここに待望の新生!

と、これでどういうお話か、よくわかったとして(?)。こんど読み返して、ひとつ筆者の印象に残ったことを書いておきたい。

「空飛べ!プッチ」・第3話、『ママの呼ぶ声』の巻(秋田書店版, p.23)。冒頭、その行方不明の母が、プッチの夢の中で、彼女の子どもを探している。
『どこだい? プッチ!』と呼びかけ、彼女は闇の中で、遠くに視線を送る。そこでプッチは、『ぼくは ここだよ!』と呼びかけ返すのだが、その声は母には届かない。
やがて彼女は、『プッチ?』と呼びながら、自分の服のポッケの中や、マッチ箱の中などをチェキし始める(!)。プッチはショックをこうむりながら、『そんなところに いないよ!』とツッコむ。が、その声は母には聞こえていない。

それからだんだん背景が具体的になってきて、彼女は壁の額ぶちの裏側を調べたり、さらにはテレビ台の上のほこりをぬぐったりしながら、『プッチ?』と呼びかける。その次には、本を開いてその中に『プッチ?』と呼びかけたかと思ったら、そのまま本を読みふけってしまう(!)。
さらに彼女は、出かけ先のレストランで『ご注文は?』と聞かれて、『プッチ』と答える。その次に、怪しい館の玄関口で『合言葉を 言え』と命じられ、『プッチ』と答える。ここまでいちいちショックを受けてきた本人は、そこで『やりたい放題!?』、と叫ぶ。
するとふたたび背景が暗転し、闇の中で母は、『プッチ! プッチ!』と、彼女の子どもを呼びつづける。そしてプッチは『ママー!』と現実で叫び、目ざめて『わ~ん』と泣き出す。そしてその激しい泣き声が、彼の寄宿先の家族らを起こしてしまう。

それに続いてのシーンでは、プッチの両親が生き別れになったてんまつが紹介される。これがイカにもごう先生のお作らしい人を喰ったもので、そこは実作でご覧になりたい。
で、そうしてプッチは、

『毎晩毎晩… (彼の母が)夢でボクを呼ぶんだ…
だからいつか 飛べるようになって… 探しに行って あげるんだ!』

とまで言って、また『うびゃ~ん』と泣き出してしまう。

それからすぐ続いて、結びの1ページ。またもプッチの夢の中で、母がわが子を探している。『プッチ? プッチ?』と呼びながら、歯科医としてドリルを手にして人の口の中を覗き込んだり、また万華鏡らしきものを『クルクル』と、廻しながら覗き込んだり。
しまいに彼女は、スーツ姿にドレッドヘアという、カッコいいウサギの青年をつかまえて、『プッチ?』と呼びかける。それから2人は彼の車でどこかへと走り出し、そしてミラーボールの廻るディスコでいっしょに踊る。
これにショックを受けて、『(自分の母が、)ナンパ されちゃっ たよ!』と、プッチは叫ぶ。そして『どひゃ~ん』とけたたましく泣き出すので、またまた彼の同居人たちはたまらない(第3話・終わり)。

…さて、このお話は、いったい≪何≫なのだろうか? 『これはこうなのだ!』と、はっきり分かっている気はしないけれど、ひとつ申し上げれば。

まず、プッチの母親が、『あくまでもプッチ自身の夢の中で』、自分の息子を探している。そして母が、見当違いを通り越した探し方をしていることが≪ギャグ≫になっているけれど…。
その描かれたことを、逆に考えると。『ママはプッチを探している』が裏返って、『“ママが探しているもの”は、(そのつどに)プッチである』となっている。

さらに。さいしょからチラチラと出ている『覗き込み』という探し方に加えて、さいごの段では『回転』や『突き出たもの』というモチーフらがググッと浮上する。これらが何となくも性的なニュアンスをかもし出しているところで、しまいにプッチの母は『ナンパされ』てしまう。
そしてディスコの場面で、初めて彼女はほほえんでいる表情を示して、それを青年に向ける。それまでは、ずっと憂い顔だったものが。
そうすると、その2ショットで、プッチの母親の強調された乳房の大きさが、『母性』の表現とは、また別のものにも見えてくる。そしてその先の展開を見ることに耐ええずして、プッチは泣きながら目ざめてしまう。

彼の夢の中で、母は必死に≪プッチ≫を探している。そのことは確かだ。だがしかし、彼女が求めてやまない『プッチと呼ばれる何か』が、はたして『自分』そのものであるのかどうか?
…という疑問があまりにも≪外傷≫的すぎるので、プッチは泣く。激しく泣いて、泣いてやまないのだ。

『“母の欲望”、その対象とは何か?』

考えたくもないような話になってきて申しわけないが、だが例によって、『それは≪ファルス≫である』、という見方がある(…ファルスとは、勃起したペニスを象徴する記号)。
で、まったく言いたくもないことだが、超はしょって述べると。まず女性らは幼くして、自分が現実的に≪去勢≫をこうむっていると知って傷つく(去勢コンプレックスの発生)。そして長じては、性交という行為によって、ファルスの再所有(取り込み)をはかる。さらに続いては、出産によって生まれたものを、彼女のファルスと見なす。

『子どもは、母の≪ファルス≫である』(特に、男児について)

そして、ファルスとはあくまでも記号なので(根源的で特権的な記号ではあるが)、記号であるものの性質として、いくらでも代理の代理の代理が可能。そういうところからすると≪プッチ≫とは、母が自分用の≪ファルス≫に対して与えた名前、とも考えうる。

これらのことがあまりにも≪外傷≫的な認識なので、プッチは泣くのだ。ところでわれわれの知る正しいテーゼとして、『夢は願望充足で(も)ある』。だからこそ、そうとは言っても彼の母は、がんばって≪プッチ≫を探しているには変わりがない…という夢の内容になっているのであり。

というわけで、申しわけなくも、まったくウツっぽい話になってしまったが。にしてもわれらのおおひなたごう先生が、『根も葉もないこと』として、彼のおもしろギャグを飛ばしておられるのではない、とまでは立証できた感じ。
それらが人間らの≪外傷≫にかすっているからこそ、それらは≪ギャグ≫なのだ。そうしてプッチらの運命も気になるところだが、それはいつかまた別の記事で見よう。

2010/03/05

おおひなたごう「おやつ」 - 彼女がムダ毛を処理したら

 
参考リンク:Wikipedia「おおひなたごう」

Late 1990'sの、少年チャンピオン掲載のショートギャグ。たぶんこの作家サマが『インディからメジャーへ』、ブレイクを果たした的な作品(少年チャンピオン・コミックス, 全5巻)。
おおひなた先生のご本はずいぶんたくさん拝見しているようなのだが、週刊と月刊のチャンピオンに載ったやつが面白いと感じる。てゆうか筆者は(ふつうに)そこから入ったので、それ以前にこの作家さまが、むしろサブカルっぽいまんが家でいらしたとは知らなかった。
で、そっちの方もまた、何らかの意味ある創作なのだろうけど…。しかし筆者には、あまりうけてない。

そして今作「おやつ」の作者たるごう先生の特記すべき特徴として、≪形式≫に対してひじょうにコンシャスな作家、でおられる。多種多様なる意味での≪形式≫に対する配慮、それが≪ギャグ≫へと方向づけられているのは、≪エセ形式主義者≫を名のる筆者にはひじょうにうれしくも共感できるところだ。

で、特に。そのチャンピオン掲載作として主要な「おやつ」と「フェイスガード虜」について見れば、それぞれが、よかった時代の児童マンガの悪質なパスティーシュになっている。そして後者があまりにも藤子不二雄チックなので、相対的に「おやつ」は赤塚不二夫的か…などとも見たくなるところで。
そして筆者がこの2作に対してひじょうにひかれるところはというと、『児童まんがのパスティーシュ』という形式のベールの向こう側に、ドロドロとした≪欲動≫のうごめき…それがかいま見られるという点なような気がする(=筆者の申す“悪質さ”)。この2作とも、どこを斬っても面白い傑作だと言えば言えるのだが、しかしテンポよく読んでいる間に≪切断≫を感じるのは、≪欲動≫のうごめきが観察される場面だ。

作例を1つ見ておくと、今作の第3巻のわりと最初の方に載ってる「山脈」というお話(…よく見たらこの本、もくじもなければ、基本的にノンブルもない!)。おやつ君がヒロインのビスコちゃんと気球に乗って、空中デートとしゃれ込んでいる。
そしてその気球は、彼から彼女への『恋の熱』で浮いてるのだという。しかしおやつ君は、フとビスコちゃんの、未処理のワキ毛を見てしまい、やや恋の熱がさめ…。
そして気球もまた、スーッと高度を下げてしまう(ヒロインは小学生のはずなのに、あまりにもワキ毛が黒すぎではッ?)。しかし追って、彼が彼女の胸チラやら何やらを見たりするうちに高度は回復する。そしてムードが高まって、彼女がキスオッケー的な態勢になったのを見て、おやつ君は顔に顔を寄せていく。

が、そこで彼がビスコちゃんの目もとに『目クソ』を見つけてしまったとたん、恋の気球はスットーンと急降下! パニクる2人、そしてビスコちゃんのはいてたクツがいきおいで脱げてしまい、その片方が内側向きで、おやつ君の顔面をヒットする。
そこでおやつ君がモノローグで『くせえ!』と叫んだとたん、恋の気球は逆に、『ビャビャーン』…と急上昇! 異様~に高く高く、成層圏までも(!)浮かび上がるのだった。

…そんなもので大コーフンできるくらいなら、いっそワキ毛もアリじゃね?…などというツッコミを、いたすべき場面なのかどうなのか? そしてご覧の変態ギャグを、≪欲動≫などという自分でもよく分からないよう高尚な用語でどうするッてのか? もはや、何にも言いたくなくなってきたが。
でもま、むりにでもケツ論を言えば。C.M.シュルツ「ピーナツ・コミック」じゃないけれど、今作もまた、実は≪童心≫などというものを描いてはいない…というところに筆者はひかれるようなのだった。今作については、また語ることがあるだろう(←そればかり申しているけど!)。