2010/01/18

伊藤潤二「ギョ」 - 彼氏と彼女の、事情と情事?

 
参考リンク:Wikipedia「伊藤潤二」

ホラーまんがの巨匠による一編。どういうお話かといえば、もうとにかく『こわい』! 読後感というにも、『こわい、こわい!』とだけ言ってすましたい気が満々だが。
けれど読んでから数日後に、『ひょっとしたらこういうお話なのかなぁ』…という1個の思いつきが生じたので、備忘がてらにここへ書いておこうかと。

このお話はヒーローの≪忠クン≫とヒロイン≪華織≫のカップルが、沖縄の別荘(忠クンのおじの所有物)に遊びに来ているところから始まる。忠クンはごくふつうの青年だけど、華織はひじょうに美人で、そして過度ぎみな潔癖症だ。
その潔癖症というところから痴話げんかになった2人、もめているところへひじょうに怪しい生物が現れる。魚の体に節足動物の脚(ただし4本)が生えたようなその生き物は、やたら素早く走り回りながら、その脚の先の鋭いツメで人を襲う。しかもその体の開口部からは常に、耐えがたい腐臭のガスを吐き出している。

これが1匹出たくらいならまだよかったが、やがてその大群が沖縄に上陸し、さらには東京にも出現して大暴れ。しかもその≪歩行魚≫ら(の一部)は、忠クンと華織を意図的に追い廻しているような感じも(!)。
そして忠クンは捕獲した歩行魚の1匹を、かれのおじである科学者≪小柳≫に見てもらう。ふんいきがいきなりマッド・サイエンティスト風な小柳は、美貌の女性助手≪芳山≫と2人で彼の研究所を営んでいる。
いろいろと調べたあげく小柳は歩行魚の正体は、太平洋戦争中に小柳の父が開発した生物兵器なのでは…と言い出す。その仕組みはどうかというと、まずは謎の細菌が生物を侵してやがては死なせ、死体から腐敗ガスを発生させる。それを運んで走り廻る脚は生物にくっついた機械であり、死体の発する腐敗ガスを動力に動いているらしい、というのだ。
(そして脚部の『機械』は、その運んでいる死体が腐り果てて崩壊してしまうと、新しい死体に取りついて再び行進を始める。このふしぎな『機械』というものがあまりにもふしぎだが、『それは実は人工物ではないのかも?』…という推測が、作品の結末近くで提示される)

で、何と、ヒロインの華織がその細菌に侵されてしまう。やがてその体はぶくぶくとみにくくふくれ上がり、皮膚がくずれボコボコのできものが生じ、そして息をするたびに腐臭を吐き出す。
これを悲観して首吊り自殺をはかった華織を背負い、忠クンは歩行魚らの襲撃をかわしながら小柳研究所に運び込んで、彼女の後を託す。そして歩行魚の猛威によって廃墟と化した東京、そのどこかで意識を失ってしまった忠クンが、次に目醒めると…!?(このあたりで、全2巻の第1巻が終わり)

といったような、独断的かつ強力でグロテスクがものすごいホラーまんがであると、今作「ギョ」を形容できる。まったくもって、こわいにもほどがある。
だが、これを読んでから数日後、筆者はおかしいことを思いついたのだった。『意外とこのストーリーは、ひそやかにも“愛と欲望の物語”になっているのではなかろうか?』…と。

さいしょ沖縄の別荘の場面で忠クンは、捕まえた1匹の歩行魚を、ビニールのゴミ袋に入れて保存しようとする(…科学的な大発見かも、と考えて)。しかし華織はそれが放っている悪臭にたまりかね、『遠くへ捨ててきて!』と叫ぶ。と、そこで、何とビニール袋に入ったままの歩行魚がぷかぷかと空中を浮遊しながら、2人に襲いかかるのだ。
それを何とか追い払って、ともかくも東京に戻った2人。するとビックリなことに袋入りの歩行魚は、東京にまで2人を追ってきて(!)、またも彼らに襲いかかるのだ。そうしてやっと力つきたその歩行魚の死体を持って、2人は小柳研究所に向かうのだが…。

さてこの、『ぷかぷかと浮いている袋入りの“もの”が、若い2人を追っかけてくる』…ということは、いったい≪何≫かというと。この『袋入りの“もの”は、≪子宮とその中の胎児≫ということを表しているのでは?』と、筆者は考えたのだ。

どこの誰がどう見ても思うだろうこととして、「ギョ」という題名のついたこの作品は、まさしく『“悪夢”的』だ。そしてそこから一歩進んで(試みに)、これを1つの『悪夢』として眺めても?…ということを、いま筆者は提案している。
その『悪夢』を見ている≪主体≫をヒーローの忠クンに等しいものと考えると、このお話は、彼の恋人であり同棲の相手である華織の『妊娠の可能性』という≪不安≫を、まず表しているのでは…と感じられるのだった。

そして。お話の途中であっさりとみにくい死体になってしまった(!)華織だが、ふしぎにその後のストーリーもまた、忠クンが彼女を追い求める、というモチーフを中心に展開するのだ。
以下はネタバレになってしまうが、あえて書いておけば。瀕死の華織を預かった小柳は彼女を病院に搬送したりはせず、やがて息絶えた彼女を何と(非常識にも?)、彼が独自に作った『機械』の動力源とする。そのふざけた所業を忠クンは怒り、彼女を『機械』から解放しようとする。すると『それ』は暴れ出し、研究所から逃げ出してしまう。そのはずみで、小柳も致命的な重傷を負う。
華織の死体を乗せた『それ』を追いかけて忠クンは、きてれつきわまるサーカス小屋にたどりつく。やがて見世物として華織がステージ上に引き出されるが、しかし『それ』は再び暴れ出し、汚物を噴き出して人々を威嚇しながら、サーカス小屋からも逃げ出してしまう。

やっとのことで華織をつかまえてその『機械』のスイッチを切った忠クンは、『それ』を再び研究所まで運んでくる。芳山1人が彼らを迎えて、華織を機械から降ろそうとする。ところがそこへ、死んだ小柳が飛行船つきの自作の『機械』に乗って、空中から彼らに襲いかかる。
一方の華織もまた、死んでいるはずなのにふしぎだが、自分の手で『機械』のスイッチをONにして暴れ出す。…という、この小柳と華織の行動はまるで、忠クンと芳山との過剰な接近を怪しみ、それに対して怒っているようにも思える。
この騒ぎのどさくさに、小柳は芳山をつかまえて、そのまま地平線の向こうへ飛んでいってしまう。追って華織は『機械』の群れに襲われて、どこかへと連れ去られてしまう。その別れ際、死んでいるはずの華織の手が、自分を求めてさしのべられるのを見たように、忠クンは考える。

やがて華織を探し求める忠クンは河岸にたどりつき、土手の上から河原の方に、グロテスクというにもほどがある『機械』たちの大行進を眺める。するといつのまにか若者たちが並んでそれを眺めており、ちょっと説明っぽいせりふを吐いた後、『僕たちは大学で、この災厄の解決のための研究を進めている』のようなことを言う。
忠クンもそれへの協力を求められ、そして仲間に入る。そうして彼らが土手の上を歩いていると、道すがら華織の焼死体らしきものが見つかる。そこで忠クンは仲間たちを先に行かせ、その死体の横に座って彼女に語りかけながら、土手の上からしばし、荒れはてた都市の景色を眺める。
というさいごの場面で忠クンが黒焦げの華織の死体に言うのは、『やっと…臭いから解放されたね…』というせりふだ(第2巻, p.165)。潔癖症で人一倍臭いに敏感だった華織が、自らものすごい悪臭ガスを放つ死体になってしまったことを、忠クンは哀れに思って気にしていたのだった。

ここまでを見て…あまりスッキリしたことも言えないが。まずさいしょの沖縄での場面ではっきりと描かれた、華織の過度ぎみな潔癖症、それを忠クンは少々ならずうとましく感じている…ということがある。
ということが『逆に』、汚辱にまみれきったこの物語のモチーフを、決定づけているように思えるのだ。つまりこのお話の中で華織が悪臭を放つ不潔でみにくい化け物になり下がり、しかもその姿を見世物としてさらされるということは、何と彼女の恋人が≪願望≫していることの一部分なのだ。

ただしふしぎだが、華織が化け物と化してから『逆に』、いっそう忠クンは彼女の忠実な恋人になるのだ。見ていて彼の献身ぶりにはひじょうに感動的なものがあると感じたが、しかしその態度は、彼女が美しく健康だったころには『逆に』、彼にはできなかったことなのだ。
そしておかしいことを申すようだが、筆者にはそのような忠クンのあまのじゃく心理(?)が、ちょっと分かるような気がするのだった。退廃芸術の方面に『最良の恋人は、死んだ恋人である』のような美学があるかと思うが、まあそんな感じで…?
かつ、生きていた時にさんざん忠クンを振り廻した華織は、死んでからもまったく大人しくしていない。同じように、いやむしろいっそう忠クンに世話を焼かせる。とはどういうことかと考えると、つまりびっくりだが、華織の2つの状態(生/死)は、主体の想念の中で等価なのだ。生きている状態の華織に対応する≪無意識≫のイメージが、あの奇怪な化け物の華織だということだ。

そして芳山の登場というところにまた何らかの意味があり、華織は生前から、彼女と忠クンとの間を疑っている。その一方のわれらのヒーローの側には『自覚的には』、芳山に対してそのような感情はないらしいが…。
けれども第2のヒロインとして芳山は、落ち着きある大人のレディとして、まあ子どもっぽいとも形容可能な華織への対立軸をなしていることは明らかだ。しかし忠クンがどうともせぬ間に、死せる小柳が、彼女をかっさらってしまう(…はっきりしないが以前から、小柳と芳山との間はまんざらでもなかったもよう)。
という物語の展開は、≪主体≫から芳山(…および、そのような女性、華織でない女性)への、へんな野心は禁じられている、という、どこからかのメッセージを表しているように思えるのだった。
かつ強引ぎみな読みをあえて行えば、小柳と芳山のペアは、忠クンの両親の『代理』として、この物語に出ているような気もする。その代わりにと言うのも何だが、忠クンの両親はどこかに健在なようなのに、物語の中にはまったく登場しない。彼の両親についてその消息を心配しているのは、小柳ただ1人だけだ。

以上、あまりすっきりとした分析にはなっていないようだが、トータル今作の内容を『忠クンが見ている悪夢』として見ると。この主体は、わりと(かなり?)扱いにくい恋人である華織と自分との関係を、夢の中で再考しているのかな…という気がするのだった。
で、どういう結論が出ているかということは、いちおうご紹介した通りだ。いかなる状態にあっても、華織はいつも彼を求めており、そして忠クンは彼女を思いやっている、ということを、彼の≪無意識≫の認識は示したのだ(…とは異なることもまた述べられそうだが、いまは前向きな見方を示しておく)。
だから筆者は、やがて忠クンが目醒めるとそこはまだ沖縄の別荘で。そして彼を追って目醒めた華織に、忠クンはやさしく何かを語りかける…といったハッピーエンドを今作に、頭の中でかってに付け加えておこうかと思う。

1 件のコメント:

  1. 最後の解釈とても好きです!私にはそんな解釈でてきませんでした。最高です‼

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