ラベル [動物] の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル [動物] の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010/04/25

ハグキ「ハトのおよめさん」 - 有閑マダムの気まぐれな暴挙たち

ハグキ「ハトのおよめさん」第1巻 
参考リンク:Wikipedia「ハトのおよめさん」

1999年よりアフタヌーン掲載中のショートギャグ、単行本はアフタヌーンKCとして刊行中。略称「ハトよめ」という今作は何かというと、メルヘンもどきなどうぶつの世界で、ごうまんとも変質的ともエゴイストとも形容しかねる珍キャラクター≪ハトよめ≫が家事の合い間に(?)、ボケたりツッコんだりビームを発射したり…と、大忙しィ~! といったまんが作品、なのでは?
われらのハトよめは格闘家でもスーパーヒロインでもないただの主婦、であるはずだが、どういうわけか、ビームを筆頭に多くの必殺技を身につけており。そしてわりと理不尽かつ気まぐれに、それらを繰り出して大暴れするのだった。

だいたいハトよめのいかしてるところとして、奥さまなのに口ぐせは『うるせえ』、『殺すぞ』、『いいから』。さいごのやつが、特にいい。筆者のごとき小物だと一生言えないような暴言らを、相手かまわず特に身分もないのに吐きまくっているハトよめ様、そこへの尊敬とあこがれが止まらない。
『うるせえ』といえば、「ハトよめ」単行本の第1巻の表紙がいきなり、『うるせえ』と言って彼女がいきなり夫にキックを入れている絵柄。すわっ、こいつはDV礼賛かッ!?

なお、『ダンナ』とか『あなた』とか呼ばれているハトよめの夫はベンチャー企業の社長なので、基本的にはおカネがある。そこらからこのファミリーらに関する描写には、バルザック「人間喜劇」チックな19世紀の≪仏自然主義≫、ブルジョワジーどもの醜行を赤裸々に描く、といったふんいきがなくもない。どこかちがうところでも、そんなことを申し上げたけど。
よって、われらがハトよめのあれこれとむやみな活躍らを、『有閑マダムの気まぐれ』とも見うる。と、そのように言ってみると、これがいっそうすてきな作品のような感じが…?

さてこのすばらしい創作について、いつかくわしく語れる機会があればいいのだが。いまとり急ぎ手短に、その世界でさんぜんと輝く≪狂気≫の兆候はというと…。
と言ってパラパラと今作を見ていたら、わりと最初の方に、こんな1コマが(第1巻, p.93, 『ハトビームの10』より)。

まずナレーション、『ハト一家はスキー場をめざしていました』。そして画面には野原の中の1本道を、オープンカーで走っているハト一家3羽の姿。
そうしてよめは、大きく翼を拡げてきもちよく、『わたしのスキーは誰にも 止められな~い♪ ついでに恋も 止められな~い♪』と、歌っている。と同時に運転中のダンナは、『雪のォ~ 谷間にィ~ ワカメ酒ぇ~♪』と、まったくちがう唄を歌っている。

と、書きながら自分が爆笑したのだが、字で読むといまいちウケないかな? にしてもコレは今作の、えせメルヘンでありつつブルジョワ臭をキツぅく発し、さらには『そうとしても奇妙』であるふんいきを、一瞬で伝えている1コマではないかと。かつまたこのハト夫婦の関係の、すれちがっているのかみごとにシンクロしているのか、よく分からないところが出ている部位でもありつつ。

あと1つ、異なるところを見ておくと。ハトよめがムスコの≪ブッコちゃん≫に、おうちでTVゲームばかりしてないで『初めての おつかいに 行ってきなさい』、と言って≪1600円札≫を渡す。追って、いさいは略すがブッコちゃんがそのお札を出してミネラルウォーター『ビビッテル』を買うと、店主がおつりに≪1450円札≫をくれる(第2巻, p.133, 『ハトビームの30』)。
筆者はコレを初めて見たとき、≪1600円札≫や≪1450円札≫などというものの死に物狂いなありえなさに、息が止まるかとばかり爆笑したのだった。たぶんこの≪ギャグ≫は、われわれの貨幣制度のくだらなさを告発し、そしてぞんぶんにそれを蹂躙している快挙だと想うのだが…ッ!?

2010/02/22

おおつぼマキ「ケンネル所沢」 - 犬狼伝説・色情編

筆者特有の想い込みなのだろうか、『ヤングサンデー誌掲載のギャグまんがには、≪ギャグ≫としてもストレンジなヤツが多い』、と思っているのだが?
という臆見は、阿部潤「the 山田家」、長尾謙一郎「おしゃれ手帖」、ロドリゲス井之助「踊るスポーツマン ヤス」…等々々を見たあげくに生じたようだけど。しかしもとはといえば、歴史的にこの媒体を代表してきたギャグ作家…喜国雅彦センセの作風もまあ、ストレンジかと言えるものではあり。

そして筆者が今作「ケンネル所沢」(1889, ヤングサンデーコミックス, 全3巻)を知ったのは、ほんの2ヶ月ほど前なのだが(注。この堕文は2009年夏にかかれたもの)。しかも、第1巻は未見なのだが。
にしても! …読んでその中身のあんまりなストレンジさには、思わず口があんぐりと大びっくりする以外になかった。

かの喜国先生にしてさえ、今作ほどにきもち悪い、胸くそ悪いことを描いてらした…という憶えがそんなにない。かつ、わりと小ぎれいな絵で描かれた今作からヂヮア~とにじみ出てくる気色わるさは、「おしゃれ手帖」の露骨な汚物っぽさとも異なる。
またこの本のカバーデザインが(パッと見では)、けっこうポップで見ばえがよい。ということが逆にまた、その中身のキモさをいっそうひき立てておるかなあ…などとも愚考しつつ。

そもそもだ、今作が≪ギャグまんが≫であるのか否か?というポイントで、筆者にはあんまし確信がないのだ(…同じ作者の「Mr.シネマ」とかいう作品は、明らかにギャグではなさげ。ちら見しただけだが)。
すなわち今作はひょっとしたら、ラブコメのつもりで描かれてるのではなかろうか?…という気がせぬでもない。よく青年誌に載っている、一線を越えそうでなかなか越えないカップルのモヤモヤを、延々と描くようなラブコメとして。ただし今作に描かれたカップルは、その一方がイヌだ。…と聞いて、びっくりされました? いまいち?

ご紹介していてため息の出そうな異常さだが、今作は≪リンチンチン≫というパクリっぽい名前で呼ばれるオス犬が、飼い主の少女≪チカ≫の貞操をねらってあれこれと、何かをはげむ…とゆう、実にたいへんなるしろものなのだった。
それがどうにもあんまりなキモさなので、おそらくはシャレのきつすぎる≪ギャグまんが≫であろう…とでも考えなければ、こっちの神経がやらレてしまうま。ふつうに考えて今作は、≪イヌのペニス≫とゆう物体を描写しすぎでおま!

かつ今作のキモさは、『イヌ畜生が人間の少女と交尾したがっている』…というポイントにのみあるのではない。単にそれだけだったら、かって大名作「がきデカ」に登場してた≪栃の嵐クン≫もやりたがってたことだし!
…1つ言うと、リンチンチン君のモノローグのニホン語がびみょうにおかしくて、

 『チチカちゃんは 相手にして くれないし、
 ややっぱオレが イヌだから わるいのは オレかこれが。』(第2巻, p.111)

のようなその不自由さが、みょうになまなましすぎていやだ。読んでてついつい引き込まれたとすると、自分までもがこのオス犬のように、不自由な単細胞エロバカ思考に陥ってしまうのでは…という怖さをひしひしと覚ゆる。
しかもプラス、ねらわれている少女チカもまたおつむがかなり残念だという設定が、またよくない。何かこう全般に、演出されたものでないナチュラルな頭の悪さがそこに描かれてあり、そしてそれがこっちへ伝染しそうな恐ろしさが感じられてならないのだった。

あわせて今作には、まともな常識ある大人がほとんど出てこないという特徴もある。チカの家族にしろその学校の先生にしろ、まったくまともな人間とは言いがたい。それがまた読んでいるものに『よるべなさ』という感覚を味あわせ、そして≪日常≫の感覚を見失わせてくれるのだ。

…等々と言っていたら逆に今作「ケンネル所沢」が、少なくともざらにはない創作ではあろう、という気はしてきた。いやじっさい、それはそうだろうが…!
(なお。書いていたら、≪イヌ×少女≫といえば「南総里見八犬伝」か、ということは思い出した。だが、そこで話をふくらまそうという気力はなかった)

2010/02/16

噌西けんじ「動物のカメちゃん」 - それもこれも、何せカメだけに!

 
参考リンク:Wikipedia「動物のカメちゃん」

街に新しく開店しようとしているペットショップ、≪万華堂≫。ところがその経営がとんでもなくインチキで、その辺にいるどうぶつを拾ったりヨソんちのペットをさらったりして、何とか店のカッコをつけようとしている(!)。
そしてそのとばっちりで、さらわれてしまったマルチーズのラッシー君。彼がその万華堂の店内で出遭(いそこな)ったのが、≪カメちゃん≫と呼ばれるふしぎなふしぎなどうぶつなのだった…!

という感じで始まる今作(少年サンデーコミックス, 全5巻)、人呼んで『新感覚・動物パニックギャグ』(第1巻, カバー表4)という作品。これについて、むかし初読のころには、全般にややインパクトが不足か、なんて思ってた。
しかしこんどの機会に再読してみたら、その内容に『抑制』のきいてるところがよいなあ…と、まるっきり逆のことを感じたのだった。エロなし、スカトロなし、だじゃれもなし、そして過剰なグロ・残虐・暴力表現らもなし…と。

てのも。正直申してここ数日の筆者は神経が弱りぎみで、あまり刺激のあるものにはふれたくないのだった。そういった読者に対して、ちょいといい感じに機能する…というのもまた、りっぱなホメことばになっていると思うのだが…!? かつ、そこまでも抑えた内容で、ちゃんと現代的な≪ギャグまんが≫になってるのは、りっぱだと思うのだが!
(注・この堕文は、2009年の夏に書いたものを加筆修正して再利用している)

さてそのヒーローであるカメちゃんが、実にふしぎな動物で。まず、どうぶつ語と人語がペラペラのバイリンガーだし。そして寸法がみょうに小さくて『ゼニガメ』という感じで、2足で自由に歩行し、しかも甲らを着替えできる!(凡俗なカメは、甲らをはがすとオダブツらしい)
かつ、ふつうのカメとは異なりカメちゃんは、頭の中に体のぜんぶを引っ込める(!)、というスゴい芸をもつ。しかも彼は、誰に対しても常に保護者きどりの態度と『上から目線』で接し、そして『自分は“何”でも分かってる事情通』、みたいなでかい口を利いてくれる。
というわれらのカメちゃんについて、何せ『カメ』だけに≪ファルスのシニフィアン≫である、と指摘するのもバカっぽいが、しかしそうなのでしょうがない(…精神分析用語で≪ファルス=陽物≫とは、『象徴化されたペニス』。≪シニフィアン≫は、『意味ありげだが意味不明な記号』)。

とは言っても、カメちゃんの場合には性的な意味作用はそんなになくて。しかし、みょうに『その世界』の中の『カゲの支配者』を気どっていそうなところが、≪ファルス≫チックなうっとうしさかと見ゆる。
なぜならわれわれは≪ファルス≫というものの性格として、『意味作用のあるところに遍在する』ということを見ており。そしてカメちゃんが、みょうに『どこにでも』顔を出す、そのあつかましさとイヤらしさが、ちょっとそれ的なのだ。

で、そのようなカメちゃんが目の前の相手らに対し、おかしいことを振ってショックをしかけるという挙動があって、それが今作の主なる『内容』だ。そしてその『被害者』が、ラッシー君を第1号に、ゴールデンレトリーバーのジョン君、高校生の雄三くん、並行してその先パイの烏丸くん、最終的で決定的なパートナーとして小学生のはじめ君、合い間にちょこっと女子高生の篤子…等々々と、全5巻を重ねる間に変遷している。

ここらでお話を1コ、ご紹介しとこう。『今夏は水不足』というTVのニュースを聞いているカメちゃんは、『そりゃたいへん』と言いながらジョバジョバと水をたれ流しながら行水していて(!)、そして、何か一計を案じたもよう(第3巻, p.37-44, 『水不足のカメちゃん』)。
追って次のシーン、はじめ君が友だちに誘われて『デザートワールド』というテーマパークへ行くと、それはむしょうに広大な砂漠であるだけのシロモノで、甘い方の『デザート』じゃないので彼らはガッカリ! そして、そのゲートふきんで『とうぜんかのように』はじめ君らを出迎えたカメちゃんは、水不足に備えてサバイバルを学ぼう、『世界で最も過酷なテーマパークへようこそ!』…などとぬかすのだった。
で、東京ドーム46個分の敷地にサハラ・ゴビ・タクラマカン…と多種多様なる砂漠を完ぺきに再現したというパークの中に、カレらはペットボトル1本の水と地図だけをもって踏み込むのだった。

するとその過酷さがほんとにすごくって、まずは備えつけの機材らがほとんど砂に埋もれているので、使うには掘り出さねばならない。観覧車やコースターもあるが、それらも半ば埋まってるので、眺望は砂だけだ。フードコーナーには『サバクドナルド』とか『砂っく』とかいう店らが出ているが、食べ物はぜんぶ砂まみれ。もううんざりしてさっさと出口に向かったら、あったと思われた出口が蜃気楼(!)。
そうしてはじめ君たちがひからびながら、この砂の迷宮を脱したのは、約6時間も後! で、独りだけぞんぶんに砂の世界をたんのうしたカメちゃんによる、シメのセリフがまたよい。

『次は隣にできた ウォーターワールドに みんなで行こう! 地球温暖化現象による 海面の上昇を再現した 水中のテーマパークなんだ!』

そういえば英国のJ.G.バラードという小説家(スピルバーグ「太陽の帝国」の原作者)がいて、その人の初期のシリーズ作に「燃える世界」、「沈んだ世界」、といった一連の『破滅ものSF』があったが。これらは、それか。かわいい顔してカメちゃんは、われら人類の末路をあらかじめ見せてくれるというのだろうか。
またそういえば、カメというどうぶつの特徴としてふつうに、『サバイバルに強い』。筆者は小学生の時、学校の体育館ウラの地中からカメを掘り出したことがある。死んでいるのかと思われたそれだったが、ためしに水槽の中に放り込んでみたら、手足と頭を出してスイスイと泳ぎ出したのだった。

ところで巻が進むごとにはっきりするのだが、このようなカメちゃんのゆかいな挙動らは、『ツッコミを求めてボケている』のであるらしい。カメちゃんがその『相方』をしばしば変えるのも、彼の理想のツッコミを求めてのことらしい。
しかしながら! ノリまくっていた時期のカメちゃんは、そんな議論とかヌキで、ようしゃなくマシンガンのようにボケたおしていたわけで!

それがそうじゃなく、ツッコミが浅いとか甘いとかいう談義が出てきているのは、逆にカメちゃんのボケにキレが乏しくなっているからではなかろうか? ついでにカメちゃんは、先にボケをかまされるとリアクションが弱い、ということも指摘しておこうか。
それこれを反省したのかどうかは知らないが、第4巻の半ばで彼は、ヒッチハイクで修行の旅に出る。そしてその旅の空の下で、コソコソと独りでボケをかますたび心の中に、はじめ君のやさしいツッコミを感じるのだった。そこがみょうに感動的なような気がして、思わずジワリと、心の弱り気味な筆者を泣かしてくれるのだった…!