2010/02/02

魚戸おさむ+東周斎雅楽「イリヤッド 入矢堂見聞録」 - 童貞が古代にはせる夢

 
参考リンク:Wikipedia「イリヤッド 入矢堂見聞録」

これはどういう方向性のまんが作品かというと、『超古代史-考古学-国際サスペンス-人情ロマン』。本郷かいわいの骨董屋のおやじ(挫折した考古学者)が全世界を飛び廻りながら、かの超古代アトランティスの謎に挑んでいく。しかもその間に、敵対する闇の国際組織とのバトルをもこなしつつ(ヒーロー本人はケンカしないけど)。
そのように言ってまとめてみると今作は、ごくごく身近な一般人の生活あたりからスタートして、しまいには人類文明の起源に迫ろうという『スケールの自在さ』に、そのきわだった特徴があるように思える。
それに関連して今作の表面上のテーマらしきことを書いておくと、それは『誰しも夢を見、夢をいだく権利はある』。つまり、かのシュリーマンが古代史発掘にかけた“夢”、それを見習って一般人らもそれぞれの“夢”をもちそれにトライしてみては、くらいなことかと。よって今作は、超古代のダンジョンの危険な探検と、東京のすみっこのさびれ気味な街角の人情ロマンとを、“夢”ということばでつないでみせているものか…とも思える。

ところで『超古代史』という一方の特徴から、この21世紀の「イリヤッド」に通じるようなまんが作品といえば、まずは1970'sの大傑作に、手塚治虫「三つ目が通る」および、諸星大二郎の諸シリーズ(「妖怪ハンター」・「暗黒神話」等)らがある。そして『その間にはないのか?』…と思って調べてみたが、しかしそんなに突出したものは出なかったもよう。
1つ申しておくと、星野之宣の作品を筆者はあまり読んでいないのだが、その代表作の1編らしき「ヤマタイカ」(1986)くらいの水準だと、手塚・諸星に対する今作「イリヤッド」との間に置く気はしない。
すなわち筆者の見るところ、超古代史を扱ったまんがで、『時空にわたるスケールの大きさ・考証の緻密さ・そしてフィクション部分の大胆さ』などをあわせてそなえた作品というと、いまだにもっともすごいのは、手塚・諸星らの大古典らだとして。そしてそれらを追うような形を見せている後代の作品らの中では、今作「イリヤッド」は出色だと考える。

どこが出色かというと、まず今作には、『超自然的な要素が一切ない』。そこに筆者は今作の、チャレンジと独自性を感じる。つまりこの現代に、『超古代』にあわせての『超自然』という方向性のまんがでは、むしろ意外と『ふつう』になってしまいがち。そこをきっぱりさけている、というところに光るものを見たい。
それに沿ってうまいと思うのは、かのマルコ・ポーロが世に伝えた暗殺集団≪山の老人≫がいまだに暗躍していて、アトランティスの秘密に迫ったものらを消しにかかる…という、この仮構部分だ。もしもこの要素がなかったとしたら、今作は『国際サスペンス』という性格を失ってしまう。つまり在野の考古学者のたんたんとした研究活動を描く…というものになってしまい、そのトーンの地味さがいっそうきわまってしまう。
その≪山の老人≫という要素の今作における機能性は、知られた例だと、UFO物語における≪M.I.B.≫に対応する。と申せばお分かりのように、それはお話を面白くしつつ、しかも、『なぜ、“それ(アトランティス, UFO)”に関する決定的な情報がないのか?』…という人々の疑問や不満に対しての、いちおうの答になっているのだ(=いわゆる『陰謀論』)。

さて、さっき今作に関して『地味』ということばが出たが。じっさいこの「イリヤッド」という作品のトーンはひじょうに地味だと、筆者は読んだ。
何せアトランティスについての情報は、もともとひじょうに少ない。そして今作は、その仮構部分において『さえ』も、そのものずばりを示す画期的な手がかりなどは示さないのだ。ゆえに、展開が地味であり地道。
がしかし。それでもぼつぼつと出てくるキーらしきものらを追って、われらがヒーローたちの探索はきわめて精力的になされる。その捜索範囲は、もちろん地中海地方を中心にしつつも、しかしひじょうに広く広く、西はメキシコのユカタン半島から、東は出雲の古代王国にまで及ぶ(!)。そうしてそれらの探索の中でも、『アトランティスに関係ありげ』と言いながら、いまだ公式には発掘されていない秦の始皇帝の陵墓に踏み込む(!)…という大冒険がすごい。
何せまず、ふつう一般の発想では、アトランティスと始皇帝陵が結びつかないわけだし。さりげないけど(?)、これはまたほんとうにむちゃで乱暴なお話だ、と感心してしまった。もちろん『さすがは“まんが”だ!』という、いい意味の乱暴さとして受けとめたのだ。

それこれで今作は、『やってることはある意味で(かなり)すごいが、受ける感じが妙に地味』…というふしぎな作品ではある。その印象を作っている要素として、登場人物たちから受ける感じがまた、ひじょうに地味だ。とはいえわれらのヒーローは、『凡人たちにも夢をいだく権利はある』というテーマ性をかかえながら、言わば『アンチ天才、アンチ・シャーロック・ホームズ』をスローガンに活動しているので(?)、そうした地味さも『予定通り』ではあるのかも。
ホームズという人名が出たので思い出したが、今作の序盤でわれらのヒーローは、彼の店に入ってきた人間をひとめ見てその素性を当てるとか、わりにホームズ的なひらめきと即座の洞察力を見せている。そこらをはじめに全編を通し、頭がきれるところをかなり見せているのだが。にもかかわらず読了してみれば、『ガッツのすごい凡人』といった印象になっているのはひじょうにふしぎだ。

そして、ここで、1つの結論…というか読後の素朴な感じを述べておくと。
今作は『アトランティスに関連ありげな手がかり』を、事実も仮構もあわせてひじょうに大量に出してきて、そしてそれらを作中で吟味してみせた末に、結末で『こうでは!?』…という1つの答を提出している。それは勇気あるしわざだと思いつつ、そしてそこにいたるまでの過程(の描写)はかなりすごいと、筆者はすなおに感じながら。
けれども。その提出された答が、『ひじょうに説得力ある』かというと? かつそれが、そこまでに提出された手がかりらの多くに対して、『ひじょうに整合的』かというと? …たいへん申し訳ないが、そこらが筆者にはよく分からなかった。
恥を忍んで申すなら、『え? そうなの、かなぁ?』というまぬけな合いの手が出たところで、筆者は今作を読み終えたのだった。もういちど頭から再読すれば、いろいろと分かることもあるのだろうけれど…。

もうちょっと補足して申すと。≪山の老人≫らの代表は、彼らが暗殺を重ねてまでもアトランティスの秘密を守ろうとする理由について、『それを知ったら全人類が、大いなる失望や絶望に見まわれるので』、くらいなことを言う。と聞けば、それはまたどういう秘密なのか…と、大いなる興味がわいてくるところだが。
しかし今作を一読した後の現在の筆者には、『どういう秘密だったのか?』…正直、よくは分かっていない。『偽典エノク書』とか『ネアンデルタール人』とかいうキーワードの存在には気づくのだが、しかしそれらのつながりが、もうひとつ分からない。
筆者はアホなのかもしれないし、まんがを読むのが下手なのかも知れない。だが、そうとはしたって大衆娯楽としてのまんが作品であれば、もうちょっとかんでふくめるように描いてくれてもなぁ…という気がしなくはない。

そうして以下には、まともな読者さま方ならばつゆにも考えなさそうな、筆者独特の読みを提出しておく。読了してから布団に入って、そして寝て起きた後に思いついたことなのだが、今作のヒーローについて…。
その男≪入矢修造≫は、年齢は不詳だがおそらくは30代後半ぐらい。わりにがっしりした体型で顔が四角く目鼻や口が大きく、頭髪は天然パーマ(推定)、ささやかにあごひげなども生やしており、見た目はけっこうたくましげ。言うなれば、ちょっと『九州男児』風であるかも。
…しかし筆者の寝起きの頭には、このなかなかに男くさい青年が、『実は≪童貞クン≫なのでは?』などと、らちもない考えがふと浮かんだのだった。

とは唐突きわまることを申したかのようだが、しかしその傍証は、いろいろと存在する。ここまでに今作の読者ならばさんざんに見てきた『アトランティス何とか説』らに匹敵するくらいの根拠なら、ゆうにある(!)。ゆえに筆者も勇気と自信をもって(?)、『入矢修造・童貞説』をここに提示してみるならば。

まずは見ればおのずと明らかなように、このヒーローには、現に恋人も配偶者もいないし、過去においても浮いた話がいっこうにない。あまりにもひじょうに、彼の周囲には女性の気配がなさすぎる。
ちなみに今作のカバー絵には、修造のクライアントである少女≪ユリ≫と修造の2ショット、というのがけっこうある(…かと思ったら全15巻中の2つだけだが、しかし修造以外でカバーに出ているキャラクターは彼女だけ)。そしてそれを見ればすなおに、『ユリ×修造』のカップリングを想定したくなるわけだが。…ところが実は、そのような展開などはみじんもない(!)。

それともう1つ、お話の中盤で、店の常連客の離婚した妻である小児科の女医が、彼に対して好意をちらつかせる。けれどもそれを彼が大スルーしたことの理由、そこにはいろいろと思いあたるところがあり、けっしてあまりにも不自然ではない…けれども?
そうしてこの青年は、実質的には母と2人暮らしであり、そしてその母とは別にベタベタしないけど、けっこう仲がいい。すなわち、もしも『修造をとりまく女性たち』などという絵図を描いたとすると、その第1の筆頭には、この母が登場してしまうのだ。

かつ、筆者がもっともふしぎに感じるところを述べておこう。まず客観的に見て今作は、その内容の半分が『古代史冒険ロマン』でありつつ、残りのもう半分は、その掲載誌ビッグコミックオリジナルでよく見るような『人情話(ヒューマンストーリー)』だ。そしてその後者の要素の大部分は、『父と子のきずな』、とでもお題がつくようなお話だとする。
にもかかわらずわれわれは、今作のヒーローの父である人物について、まったくほとんど知りえない! 申せば筆者が疑われそうなのだが、『すでに故人なのかなぁ?』…というところ『さえも』、あまりはっきりと描かれてはいない。
つまり今作「イリヤッド」は、父子のきずなの大切さをめんめんと語っていそうな作品でもありながら、そのヒーロー自身の父には、まったくもって存在感がゼロ以下! …というところに今作の構成上の、ふかしぎな≪大穴≫がないとは考えられない。
そうして筆者は『父親との関係のあまりな希薄さ』をもって、『入矢修造・童貞説』の傍証の1つとしたいのだ。『なぜにそうなる?』…という説明は、この場では控えておくけれども。

ということで、筆者による『入矢修造・童貞説』が、みごとにいちおう立証された…かのようなものとして。『だったらどうなの?』という話の前にわれわれは、さいしょに名が出た今作の先行作2つのヒーロー像を検討しておこう。
まずは、手塚治虫「三つ目が通る」のヒーロー≪写楽保介クン≫。性的なことには大いに興味を示す彼だけれど、しかし童貞だ。いや少なくとも、衆目はそう見ているはずだ。これは彼がまだ中学生だからでもあり、そして少年まんがのヒーローだから、でもあるだろう。
次に、諸星大二郎「妖怪ハンター」シリーズのヒーロー≪稗田礼二郎≫。修三と同じく挫折した考古学者である彼は、重ねて『同じく』女性の気配がまったくないような生活を送っている。よって、彼が童貞だったとしても別におかしくはない。

とすれば今作「イリヤッド」のヒーローは、稗田タイプを継承している童貞ヒーローなのか(!?)…というと、いや、またそれとも少々異なるかなと、筆者は考えるのだ。何しろ修造は稗田ほどのりっぱなド変人ではないし、そして稗田のように家族もなく社会を捨てて生きている、というわけでもない。
むしろ彼は、意外と写楽クンに近い…。というよりも、少年まんがのヒーローたちがふつうに童貞であることに近い、という感じなのでは?
すなわちだ。かのシュリーマンは、トロイの発見によって『“少年時代の”夢を実現した』、と評されているわけで。そしてその偉業にあやかろうとしているわれらのヒーローもまた、あれこれの部分に『少年らしさ』を残しているのでは?

そうすると今作の奇妙さは、そのように童貞くささのきわめて濃厚な人物が、まったくふつうかのように『大人』を演じながら生きてみせていること。さらにまた、折りにふれては、若者たちにはぜったいに分からないような『人生の機微』を語ってさえもみせること(=人生論のご披露)、というあたりなのでは?
ここでついでの考察を申しておくと、1つの例だが「あしたのジョー」のヒーローは、お話のさいごの時点で童貞だったのだろうか? …それはどうとも考えられるがどうであれ、そんなことが強く気になるような物語にはなっていない、とは言えるだろう。
しかし、その一方の今作については、『そんなところ』に筆者が引っかかっていることが、とくべつにおかしいような気はしないのだった。いかがだろう?

そうしてさいごに、筆者が述べたいことが1つ。そのように童貞くさいヒーローであるところの修造が、アトランティス追及の手がかりとして注目するイメージらの中に、筆者は1つのアクセントを感じたのだった。
何がアクセントかと申せば、それは≪アマゾネス≫的なイメージだ。今作の中ではふしぎと『アトランティスはアマゾネスの国』かのようなふんいきになっており、そしてそのアマゾネス的イメージには、アテナ・アルテミス・メドゥーサ・イシス…等々の女神たちが、次々と重なり連なってゆく。
あえて断言すればそうしたものを、われらのヒーローは『見たいので』見ているのだ。そうしてそれらのアマゾネス的イメージとは≪何≫なのかと申せば、それは精神分析が≪ファリック・マザー≫(両性具有の母)と呼ぶものだ。
で、そのような≪ファリック・マザー≫イメージの追求という営みが、またしても『童貞くさい』と言いうるものなのだ。ただし、『全世界をまたにかけて“それ”を捜しまくる童貞』などという人はめったにいないので、やはりわれらのヒーローには非凡なところがある…大いに!

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