2010/08/25

高橋てつや「ペンギン娘」 - 『虹=二次』のグラデーション

高橋てつや「ペンギン娘」第3巻 
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人が『無意味、無意味!』と言い張っているところには、必ずや抑圧された≪意味≫がある、ありすぎる。そしてその意味を掘り出すことが、誰も聞きたくないような露悪的なへりくつになるんだけど、しかし。
すなわち関連記事において、この「ペンギン娘」について、『無意味である、無内容である』などと自分が言い張ってみたが。しかしパンチラレベルのライトなものであるにしたって、この「ペンギン娘」が性的な何かをアピールしまくっている作品であるのはまちがいない。その表現の仕方のところに、何かある。

その何かとは何かって、この作品は一方で明らかにエロをあおってもおりつつ、その一方、筆者がサイバー(笑)と言ってみたようなドライな表現と、そしてほとんど女の子しか出てこないというところで、読者側の興奮にブレーキをかけてもいる。その押し引きのバランス感覚が、一定の成功を収めているのかな、と、
で、自分としては今作のユニークさとして、『サイバー(笑)』の部分に注目したわけだ。『女子しか出てこない』は、こんにちだとありきたりだし。そして、女子のお尻ばっかりを追いかけている今作のヒロインが、内面的には男子、というかあっぱれなキモオタに他ならない…これもありがち。
(逆に言うと、現世に生きているキモオタの方々が、無意識において『自分は美少女である』、『自分は萌えキャラである』、と考えておられる。そして今作ら、女子らばっかしがじゃれあっているような作品らは、その事実を『反映』し、そこに迎合している)

そういえば今作で、お金持ちのヒロインのおつきで≪執事のセバスチャン≫という、たくましくたのもしい大男が登場するのだが。その彼の趣味が、なんと女装コスプレなのだった(第1巻・vol.08より)。
『執事』ってそんなものかも知れないが、彼は≪男性≫の枠から除外されている。彼の女装癖は、それを補助する演出だ。追って第3巻の巻末(vol.73)、そのセバスチャンは女湯に堂々と着衣で入り込んできて、全裸の少女たちといっしょに、まったくふつうにお芝居を進行させている(!)。それがあまりにさりげない描き方なので、さいしょおかしいとは思わなかったのが不覚。

『美少女だらけの女湯に、男性がチン入』ということがふつうはエロチックな事件なのに、われわれが見ている「ペンギン娘」の独特の表現は、そこからエロ味を脱臭しているのだ。ただし脱臭しきれてもいないわけで、残っているものが何か『ある』。また今作に限らず、『女装 - ふたなり - 百合』というグラデーションが虹(=二次)をなし、受け手の男子らの想像(=オレは女の子である、オレはカワイイ)がエスカレーション、という例のポイントはとうぜんあるけれど、まあ今回はこのくらいで。

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