2010/06/05
野中英次「魁!! クロマティ高校」 - 私も秋葉原人である以上…!
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がたがたさんのアニメレビューブログで、「ロケットガール」なるアニメがけしからぬ、のような趣旨の記事(*)を拝読した。ツイッターでのフォローもあわせて、そのディスがけっこう激しかったことから、『よっぽどすごいものなのか?』と、逆にちょっと興味がわいてしまったことは、たぶん『人情』のはんちゅう内のできごととして。
で、そのアニメ「ロケットガール」の第1話だけは見てみたのだが、すべてにおいて乱暴きわまるお話だとは感じつつも、しかしとくべつに心が動くところはなかった。しいて申せば、ヒロインの父親が、母親と新婚旅行の最中になぞの失踪をとげたのはなぜか?…というところにだけ、じゃっかんの興味を覚えたけれど。
さらに笠 希々さん(*)からも情報をたまわったり、Wikipedia(*)を見てみたりすると、アニメ版にも原作のラノベ(ライトノベル)にも、その父親の失踪の理由は明らかになっていないらしい。父親本人は、追って物語に登場するって話なのに。
そのように大きなふしぎが、むしろふしぎでない『かのように』作中で放置されていることは、逆に面白…と言いかけた。この作品はおそらく、びみょうにリアルな宇宙開発ストーリーを表面のモチーフとして『ハードSF』を言い張りながら、『萌え』っぽいところでビジネスを展開しつつ、さらにその原因不明な父親の家出というところでやっと≪何か≫を描いているものかと思えるけれど、しかし。
(…次のようなことを何度もしつこく言いすぎなので自分でもイヤだが、その世界においての『父の不在』は『規範の崩壊』に並行する現象であり、その原因か結果のどちらかではありそうな感じ。『“萌え”=父の権威の撥無、その横取り』、という前提は確かでありつつ)
ところでなんだが、ご存じの名作ギャグまんが「魁!! クロマティ高校」に、『ネット番長』こと≪藤本くん≫という人物が登場する。一般的にはネット上でだけ勇ましいヤツをネット番長と言うが、藤本くんはその正反対。オフラインではりっぱな番長としてリスペクトされている彼が、よせばいいのにネットの惰弱どもに交わろうとして、そこで自分も超惰弱を演じてしまうのだ。ふだんド不良のくせして、ネットでは『ネチケットをわきまえぬヤツが多くて』…などと彼は、つまらぬ常識をズレたところでふりかざすのだった。
これはようするに、≪漢(おとこ)≫たるものパソコンごときをいじっててもしょうがない、という正しい認識を返しているわけだが。で、そのような藤本くんが、『アキバチャットルーム』なる場所で『萌え系』なるものの存在を知る。そこで彼は、
『私も秋葉原人{あきはばらじん}で ある以上 秋葉原に根づいた
この“萌え”という文化を 探っていきたい所存です』
と、無意味なくそまじめさをもって宣言する(「魁!! クロマティ高校」第15巻, p.45。{}内はルビ)。
そして彼は、アキバで萌えグッズ一式なるものを購入してきて、とりあえず萌えっぽいラノベに目を通す。何かてきとうな未来世界の女子校を舞台に、美少女らがやたらバトルをするようなやつを。
すると彼は、そのお話のあまりな荒唐無稽さにつまづきかけるが、チャットの常連たちは『そういうふうに読むものじゃない』と、彼をたしなめる。で、そこを乗り切って藤本くんが、
『大変興味深く 読ませていただきました(中略)
続きが気になって 仕方ありません‥‥』
という心境にいたったところ、やはり『そういうふうに読むものじゃない』と、チャットの常連たちは彼をたしなめる。そこで彼は、カフカ「城」のヒーローばりの苦しみと焦燥感を味わうのだった。
じっさいのところ藤本くんは、チャットの常連らが言うように、『萌えの読み方ってヤツが わかってない』のではあろう。という筆者にも『萌え』がいまいちわからないので、そこを断言はしないが。
で、『萌えの読み方がわからない』ということが問題なのではなく、『そんなことをわかる必要がない、ということがわからない』、ということが、藤本くんにおいての問題なのだろうか? その一方で、学校の不良どもが、『近ごろあのTV番組がマンネリでつまらねえ』などとくだらなすぎる話をしていると、藤本くんは問答無用でボコン!と鉄拳をふるった上で、
『つまんねえ なら 見なきゃ いいだろ』
と、あまりにも正しいことをあっさりと言いきって、ワルたちを感服させるのだが!(同書, p.52)
そして筆者も対抗して正しいことをここで述べると、『つまんねえ、つまんねえ!』とつまらないことを言い張っている人々にしても、その言表行為を大いに愉しんでいる、という事実はある。意識における苦痛が、無意識の享楽であるに他ならない。『つまんねえなら 見なきゃいい』ということはその通りなのだが、逆に言ったら、『見てるからには、実はつまんなくない』。
と、ここまでを考えてくると、ディスとリスペクトは、けっきょくは同じものである、という感じにもなってくる。ヒップホップ創世記の伝説的かつ壮絶なディス合戦、ブロンクス(ブギダウン・プロ)vsクイーンズ(ジュース・クルー)の『ブリッジ・バトル』という故事があるが、そのいずれかをほんとうにまったく無価値だと思っている人は、めったにいないだろう。口をきわめてけなしあったことが、結果的にはお互いを持ち上げているのだ。それが、たいへんレベルの高いシーンでのレアな成功例であるにしても。
『サッカーMC、ケアレス・ワン!(KRS-ONEは、クソラッパー!)』というあおりが流通することは、何がどうであれKRSワンを有名にしている。その言表内容よりも、言表行為こそが≪意味≫をなす。何せまず自分らの名前を連呼することがMC-ingの超基本であるわけなので、そこで逆に他人の名前を連呼したりすることは、大いなるサービスだと考えざるをえない。
だからサービス精神に欠ける自分は、ディスなんてサービス行為をやらない、つか、無償ではやりたくない。『地球の未来に、ご奉仕!』…なんてフレーズは旧世紀の遺物なのに(えっと確か「東京ミュウミュウ」という、なかよし掲載作に出ていたせりふ)、われわれは要らざるご奉仕をいまだにやりすぎなのではなかろうか?
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