2010/06/17

山上たつひこ「喜劇新思想大系」 - トランスセクシュアル論へ向け

 
関連記事:山上たつひこ「喜劇新思想大系」 - こんな≪女≫で、よかったら?

どうして思いつかなかったのかな、こんなかんたんなことを…と、自分であきれたが、関連記事の文末の付記について追記。そこで書いている、筆者が『お見合い大百科』のさいごのオチに対して感じた違和感は、≪トランスセクシュアル≫にかかわる複雑な問題から、というわけではないような気がしてきたのだった。
つまり。そのお話の中で春助くん(の演じているめぐみ)は、『私は 女として 生まれながら 体は男』、と言っているのだ。これを作中のお兄さんがまっすぐ受けとめたとすれば、それに対応するものは、『肉体だけが女性である男性』なのではなかろうか。…そうだとして。
ところがラストシーンでお兄さんが、女性の和服を着て女言葉を操る人工女性になっているのは、行きすぎている感じ。これが筆者の、『ちとふに落ちねえ』という読後感のもとになったのかと。

ただし、それがみごとな大失敗であることをもって、このエピソードのオチが構成されているわけで。何せこれは、『ギャグ』まんがなわけで。
それに対して『すじが通らない!』と反応するのは無粋でしかない。いやむしろ、人間どもの性的な行為や行動らが、『けっしてすじが通りえない』ということを描破しているにより、今作こと山上たつひこ「喜劇新思想大系」がギャグまんが史上に有数の大傑作である、と申しあげる。

けれども当時の筆者の頭の中で、もやもやとしていたものに対して(無意識に構成されつつあった考察について)、このエピソードが、へんに引っかかったようなのだった。そしてそのもやもやが、多少晴れてきたことにより、前記の違和感の正体もちょっとわかった気がしてきたのだ。でまあ、その『トランスセクシュアル論』みたいなことは、別の作品についての記事で述べたい予定。

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