三上骨丸 「罪花罰」第4巻 |
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ジャンプスクエア掲載のきわめて異色あるシリーズ、『お耽美変態フラワーギャグ』こと「罪花罰」。それがこの10月に第4巻が出ていて、しかもそれで完結と知ったのが3日前くらいのこと(!)。
その最終巻のオビに『完尻(かんけつ)』と、また背徳的なおギャグがモロ出ているのが、あっぱれな有終の美学の提示か。そして『残念だな!』とは思いつつ、われらが三上骨丸先生のお次のシリーズ作を待ちながら、ざっとこの「罪花罰」最終巻からの印象を記しておくと。
まずさいしょ、この第4巻で、筆者ことアイスマンがいちばんうけたところをご紹介。
巻頭の第26話『コスプレコンテストの巻』(仮称)で、『学ランとメガネ』というお題が出る。すると、おなじみの過激なパンク少年≪蘭クン≫が超まじめっ子の優等生をよそおい、華麗なる前ホックの白ランを着込んでいわく(p.21)。
【蘭】 (はしゃいでいるライバルをキリッとたしなめて、)キミ! 待ちたまえ
今のキミの発言 刑法三万六条に ふれますよ?
なにしろ私の頭の中 には六法全書が 百冊入ってるん ですからね
【審査員】 百冊って… この人 優等生じゃ ないでしょ!?
やたらお尻ばかりが出ているような(?)今作で、ふだん出ないタイプのギャグの炸裂がよかった。そしてこの『六法全書百冊』というネタだが、それは≪記号≫というものを実体視しがちなわれわれ、そのおろかさをえぐっているギャグか…と、いまは見ておいて。
しかしなのだが、この第4巻、全般的にはちょっと重さが目立つな…とは感じた。前の堕文でも指摘したかと思うけど、ヒーローの≪桔梗クン≫はじめ登場人物らが実はいちようにネクラ気味で、そこをムリにはしゃいでいるようなふんいきが、ちょっとあり。
そしてそういう印象が前に出すぎてくると、ギャグまんがとしては、ちょっと機能的でない。
そこでわれわれが、さかのぼってこの物語の、出だしのふんいきがどうだったかを、思い出してみると?
その記念すべき第1話『綺麗な薔薇にはアレがある』の巻(第1巻, p.5)で、変態フラワーショップの変態店長≪薔薇紋≫の暴走を止めるために、バイト少年の桔梗クンががんばる。その日、近所の奥さまやお嬢さんたちを集めてフラワーアレンジメント教室を開催というので、店の評判を守るべく、薔薇紋の露出行為(=ポロリ)を止めようとする。
ところがあえなく薔薇紋の策略に引っかかり、逆に桔梗クンが変態露出少年として、ご近所の評判に!…というお話だったわけだが。
この大成功例を再見して思うのは、やはりギャグまんがには『逆に』、世間の目だとか≪常識≫だとか、そういったものの導入が必要なのかな…ということ。そこでギャップの成立がなければ、お話も始まらず笑いも生じない。
だから、さいしょから不健全で耽美すぎる薔薇紋という悪のヒーローを活かすには、逆に多少でも健全で常識的な人間たちを並置しなければならない。そしてさいしょは桔梗クンが、そのようなものであろうとして大いにがんばっていた。
かつ、その他大勢の一般人らに対して変態どもをショウアップする、という構図の組み方が、また大いに効果的だった。前に筆者が悦んでみせた『幼稚園でハロウィンの巻』にしても、その図式だったわけで。
ところがだんだんにこの物語から、対比を出すための材料としても、『健全』や『常識』がなくなりすぎている、ということは言えそうなのでは? まずは、パワフルに変態どもへとツッコミを敢行し続けるべき桔梗クンから、そのエネルギーが失せていってしまうことを代表として。そしてお話が、ただ単におかしい人たちがじゃれあっているようなふんいきになってしまっては…?
ギャグだけの話では、ない感じ。この作品の、もう一方の大フィーチャーである『耽美』。その耽美というアチチュードにしても、『引きこもって先鋭化する』と、『出ていって俗世間を挑撥する』と、両方のベクトルがなければよくない、いずれもたないように思われる。耽美なんて本来は引きこもりたいものではあるのだが、しかしお耽美な人しかいない世界では、逆にそれが成立しないわけだ。
で、ギャグ面にしても耽美面にしても、この「罪花罰」という作品、その終盤は少々バランスを失い気味だったような気が、やや筆者はしているのだった。…なんてさみしい結論にもなってしまいそうだが、にしてもお耽美ギャグという方向性をだんこ支持する折から、今作「罪花罰」をあらためて賛美し、そして骨丸先生のさらなるご健筆を希望しながら!
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