2010/11/16

たまちく.「殺し屋さん」 - 死刑か去勢か、または『死刑も去勢も』!

たまちく.「殺し屋さん」第1巻
たまちく.
「殺し屋さん」第1巻
 
参考リンク:Wikipedia「殺し屋さん」, Web漫画アクション:日替わり4コマ「殺し屋さん」

「殺し屋さん」は2004年から漫画アクション掲載中の、ブラックで不条理でエッチっぽい4コマシリーズ。単行本はアクション・コミックスとして、第4巻まで既刊。
作者名のたまちく.とは、かの「B.B.Joker」の原作者でもある一條マサヒデと、作画担当の春輝の合作ペンネーム。『にざかな』名義の一條作品「BBJ」や「4ジゲン」でおなじみの強引なだじゃれに加え、少女向け作品のあちらではまだしも控えめだった下ネタが、こちらではとめどもなく爆発しているのが盛観。

1. タケノコで、ぎりぎり殺れるかも

さてこの「殺し屋さん」は、まず何を描く作品かというと、日本一の殺し屋と呼ばれるヒーロー≪佐々木竜一≫、そのバラエティ豊かすぎな殺しの手法と、そしてその常人には理解しがたきプロフェッショナリズムだ。

――― たまちく.「殺し屋さん」, 第1巻より(p.5)―――
【竜一】 (…竹林の中、被害者を冷たく見下ろし、無言でタケノコを構える)
【被害者のおっさん】 た…頼む!! もっと カッコいいので 殺ってくれ…!!

これが第1巻の巻頭の、とびら絵のネタ。そしてさっきまで考えてもみなかったが、『他に手段もあろうに、なぜタケノコで殺すのか?』という問いに、まともな答のありそうな感じがしない。そうだからこその≪不条理ギャグ≫だ、と言えばそれまでだが。

にしても、いちおう考えると。記号としてのタケノコは、『成長するもの』という感じもしつつ、しかしそれがちょん切られ刈り取られて、兇器に使われようとしている。
また試みに、『タケノコ』とあるものを『アスパラガス』にでも置き換えてみたら、このギャグは成り立つか…と考えてみる。すると、いくら何でもアスパラでは柔らかすぎて、兇器に使えそうな気がしない。むりがある。ダイコンでもきびしいところで、タケノコでぎりぎり殺れるかも?…といった感じか。

すると『タケノコ』は、生物なのか死物なのかがあいまいで、柔らかいのか硬いのかもあいまいなしろものだ。かつあれは、食材としてもひじょうにあいまいなもの、と考えるのは筆者だけだろうか? 別に野菜でも穀物でもないものを、ずいぶんむりして食材にしている感じだが。
そのような『タケノコ』のきわだったあいまいさを突きつけられて、しょうがなくわれわれは笑いを返すのだ。完全なるナンセンスには行ききっていない、というところに味わいがある。かつそれが≪ファルスのシニフィアン≫(勃起したペニスをさし示す記号)でもありつつ、≪去勢≫という意味作用をちらつかせ…ということは確かなのだが、しかしあまり言い張りたくはない。

さて。タケノコで殺されようとしていた人がどうなったのかは分からないが、ともかくも冷酷非情な殺し屋であるヒーロー。あるお話で、いまにも殺されそうな人が、『あんたには…憐れみという 気持ちは ないのか』と、彼に問う。

――― たまちく.「殺し屋さん」, 第1巻より(p.118)―――
【竜一】 憐れみ…? あるさ… 例えば「亀」だ…
亀は ただただ ゆっくりと 穏やかに おとなしく 暮らしているだけなのに…
なのに何だ!?(…中略、急に激高して、)
形が似てるからって 頭を生殖器に例えられる 気持ちがお前に分かるか!?
【被害者の青年】 …なんか… 可哀想な人だな…

こんど読み返してみて初めて気づいたが、そうすると竜一は、彼自身の頭がペニス的形状とみなされている、と考えている。そのようにしか、読めない。言われてみれば、その真ん中分けの頭が、そう見えないことはない。

2. “誰も”が、象徴的に去勢されなければならない

しかもそうかといって、竜一が精力絶倫ということが、まったくないらしいのだった。かのゴルゴ13あたりとは、ぜんぜん異なって。
むしろ彼は女性にはほとんど縁のない方で、ひょっとしたら童貞かも知れない(!)。しかも彼の持ち物が、そんなには立派でないらしい。竜一のライバルに『日本一の医者』という男がいて、どこかのトイレで彼らが並んで小用しながらの会話、というお話があり。

――― たまちく.「殺し屋さん」, 第1巻より(p.109)―――
【竜一】 …また俺の成功を 妨げに来たのか…
【医者】 いや…今日は 非番だ…
(隣を覗き込んで、)…それ 保険利くな…
【竜一】 (泣きながら、だっと走り出し、)何の話だよ…!! ほっといてくれよ…!!
【医者】 (追いかけて、)性交の妨げに なるぞ!!

というエピソードから遡及的に見ると、さっき話題になった“皮つき”のタケノコとは、竜一の彼自身を示す記号に他ならない、ということにもなってくる。
このように、『タケノコ』という記号の示しているあいまいさに負けず劣らず、竜一という存在自体があいまいで、型にはまったイメージを結ばない。彼は精力絶倫の『リア充』さんでもなければ、性への関心など超越したクールガイでもない。カッコいいけど、ひじょうにダサい。かの≪ファルスのシニフィアン≫というしろものは、一方では燃えさかる性欲のたけりを表し、また一方ではしょんぼり≪去勢≫を表すというふゆかいなまでに両義的な記号だが、彼自身がまたそれだ。

――― たまちく.「殺し屋さん」, 第2巻より(p.37)―――
【竜一】 (長い帽子のシェフと武士に向けて刀を振り、)うらあぁぁ!!
…急所は 外した… 命だけは 助けてやる…
(ところが振り向くと2人は、切られた帽子とちょんまげから血を流して死んでいる)
【同居人の少年】 (場面変わって寝室、)な…何か悪い夢でも 見たんですか…!?

と、あからさまに出ました≪去勢≫のモチーフ、ゴチであります。人を殺すことをどうとも感じないらしい竜一だが、しかし殺さないつもりで殺してしまうことは、やはりショッキングであるようなのだった。
たまちく.「殺し屋さん」第2巻
たまちく.
「殺し屋さん」第2巻
ところで去勢ということは本来、殺すことの代替行為に他ならない。「史記」の著者の司馬遷が、『死刑か去勢か』と迫られて後者を選んだ、その故事にならって(?)、夢の中の竜一もまた、『殺さない代わりに“象徴的去勢”を執行』、という意図で行動している。
ところが『去勢した上で殺す』、という理不尽なイベントが夢の中で発生してしまったので、竜一は『ギャー!』とでも叫びながら目ざめたらしい。どういうことだろうか?

ノーマルな社会を成り立たせている規範とは、『殺し合わないために“誰も”が、象徴的に去勢されなければならない』。ところが殺しを稼業にしている竜一は、誰がどう見てもその規範を侵しすぎている。『死刑か去勢か』とは残酷きわまる仕打ちだが、にしてもそれは“法”の側からのみ言いうるメッセージであり、それを彼は言える立場ではない。
たまにかっこうをつけても、ぜんぜんかっこうがついていない。彼を保護する“法”が、まったく存在しはしない。その無意識の認識を、竜一の悪夢は返しているのだ。

だから『その認識』が、もっとストレートに表現されたら、それは竜一自身が去勢の上で殺される、という自業自得の理不尽をこうむるお話にもなるだろう。ところがそれを裏返して、彼が『去勢の上で殺す』というお話になっているのは、『夢は必ず願望充足である』のテーゼを満たすための操作かと受けとっておく。悪夢にしたって、人はほんとうに最悪の悪夢は見ない仕組みになっているのだ。

という風に見てきて、あまり今作「殺し屋さん」の概要を、うまく伝えられている気がしないが。追っていろいろ補足することにして、今回の堕文のさいごに、筆者の感じをひとつ申し上げておくと。
ほとんど感情を動かさず、しかもぜったい自分の意思によらず、ほぼ一方的に殺しまくる今作のヒーローが、『死神といえども神の一種』という意味で、神かのように見えることもある。ところが、そのように見うるのでは?…などと考えてしまうと、逆にぜんぜん神っぽくない気がしてくる。

『依頼を受ければ何でも殺す、依頼がなければ何も殺さない』。これが彼の、自らに課しているルールだ。前に筆者は、『いかなる無法な悪人も、その精神が完全に破綻していない限り、何らかの独りがってな“オキテ”を守っている』のように書いたが、竜一にとってはこれがそれだ。
だから彼は、蚊に刺されそうでも叩いたりできないし、地べたを歩くにもアリをふまないように注意を払う。大したストイックさのようにも思えるが、しかしそんなには貫徹できていない。必要なときには『依頼を依頼』して、彼は害虫を退治したり野菜を料理したりするのだった。

そうした竜一のもろもろの煮え切らなさが、大していいこともしていないのに善人を気取っているわれわれの煮え切らなさを、裏返しながら照らし出すものになっているのだろうか? …と、そこらまでを見て、今回の話はこれくらいで!

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