2010/05/09

石川雅之「もやしもん」 - 断章。菌類の変態性 と 人間らの変態性

石川雅之「もやしもん」第1巻 
参考リンク:Wikipedia「もやしもん」

以下の堕文は当初、がたがたさんのブログ記事(*)へのコメントとして書かれようとしたもの。でもびみょうに長くなっちゃったので、自分ちに掲載。そして話題の石川雅之「もやしもん」は2004年からイブニング掲載中の、『菌類萌え(?)』まんが。ではどうぞ。



この「もやしもん」は、まず原作の構成がありえない軽わざかと感じています。菌萌え、理系大学生ライフ、グルメ、ボンデージ、ゴスロリ、男の娘、まったく存在感のないエスパー主人公、そしてラブコメ要素…って。これらのふつうはまとまらないモチーフらを、ともかくもまとめているのが、まずすごいな、と、考えていました。ことばで言ったら散乱しきっているものが、「もやしもん」というタイトルのもとでは、なぜかまとまっているのですね。

だからこれについて、ことばにしようとすると、やっぱり散乱してしまう。にしても大きく2つに切り分けて、『菌萌え、発酵、開発、グルメ』といったモチーフ群と、『ボンデージ、ゴス、男の娘』といったモチーフ群がある、としましょう。
で、いったいこの両者には、何の関係があるのでしょうか。それらはまったくの無関係ではない、単なる並置並存ではないはずですが、しかし『こういう関係である』と、うまく言えた例があるのでしょうか?(無知にして存じません)

そうして、こちらのレビュー(*)を拝見しまして。わたしの見ていないアニメ版についてのお話ですが、『人間ドラマとしてすばらしい』と言っても何か足りないし、また『男の娘、萌え~』と言ったとしても何か足りない感じ。作品の過剰さに対してことばで応戦すれば、異様に足りないものになってしまう。そのような「もやしもん」という物語の、罠である性格というものを、大いに感じたしだいではあります。

と書きながら1つ思い浮かんだのですが。あえて言うなら今作について、『菌類の変態性』と『人間の変態性』ということが二重写しに描かれている、というのがポイントでしょうか。何のことかというと、『菌類の代謝と生殖のシステムは、ひじょうに変態的』ということが、「もやしもん」の物語の根源にあるようなのです。
つまりアルコール発酵という現象があったとして、生成したアルコールは、言ってみれば老廃物でしょう。それをわれわれは、おいしくいただいているのです。これを一種の、『プレイ』として考えてみる必要があります(!)。
かつ生殖のシステムにおいても菌類は、無性であり、分裂し、気まぐれに異種間でも遺伝子を交換し、そして単体になったり群体になったり、菌糸を出したり胞子を出したり…というトータルなアナーキーさ。この変態性が、『ノーマルな性とはマンツーマンのヘテロセクシュアルである』という想念が崩壊しつつある現在の人間らの変態性、それへと対応させられているのでは。

だから「もやしもん」において、『菌類はグレートである』という主張が通ってしまえば、『人間らの変態性欲はオッケーである』という主張もまた、言われずして通る。そのようなひきょうなしくみ(笑)が、こっそりとできているのかなあ…ということを、御レビュー記事を参考に、たったいま考えついたのでした。



…という堕文を読み返してみると自分は、ふつうの読者なら感じるかもしれない、「もやしもん」作中の『人間ドラマ』などというまともっぽい成分を、完全にスルーしきっている。やるなッ。

1 件のコメント:

  1. 拙ブログの記事をとりあげていただき
    ありがとうございますー。

    排泄物の変態性と無性生殖ワロタwwwww

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