2010/05/03
氏家ト全「アイドルのあかほん」 - She's So Cold!
参考リンク:Wikipedia「アイドルのあかほん」
筆者がかってに考えた『下ネタギャグまんが家の御三家』の一角として、竹内元紀・古賀亮一らとともに高みに並び立つ、われらが氏家ト全センセイ。そのさんぜんたる作品系列の中で、唯一の失敗作かのようにも見られそうなのが、以下で見る「アイドルのあかほん」(2006)。
で、だ。筆者はさっきまで、ト全センセの現在進行中の作品「生徒会役員共」(2007)について書いていて、まず「アイドルのあかほん」への言及の必要を感じたのだった。そこで「役員共」の話へのイントロとして、以下に「あかほん」についての当時の旧稿を、ちょっと直して掲示させていただきたい。
『She's So Cold - 「アイドルのあかほん」と呼ばれる本』(2007/01/17)
道を歩いていたら急に発売日だと思い出したので、われらが氏家ト全センセの最新刊「アイドルのあかほん」第1巻(2007, KC少年マガジン)を買った。
そしてまた痛いめに遭ったのは、実態としてはそれが『全1巻』なのに、『第1巻』かのようなていさいで出ていることだ。いずれは続刊があるものかと思ってたら、だまされたッ。ふつう『全1巻』の本の表紙に【1】とは刷り込まないだろうに、どうなってんだか。
つまりこんなことになってそうな気はしていたのだが、ようするに打ち切りに近いかたちで、その少年マガジンへの連載は終わっちゃってたらしい(2006年28号~48号, 全20話)。ということの間にも、同じト全センセがヤンマガに連載中の「妹は思春期」第8巻(12/6発)は、大洋社コミック総合チャートのTOP10入りを果たす…と、ずいぶん両作の明暗が分かれている。
しかも自分がなお困るのは、この「アイドルのあかほん」第1巻を通読した上で、あんましほめるところがない(!)。これを掲載誌で見ていた頃から思ってたんだが、まずアイドルという題材が面白いように思えないし(!)、それとヒーローっぽい男子が23歳のイケメンマネージャーという点も、よくない。もしこれが少女まんがなら、そんなヒーロー像もありだったかもだが…(ト全センセのお作には常にどこか、少女まんがを意識しているような感じはある。あるのだが…)。
そうじゃなく、メインキャラクターのやたら年齢差がある少女3人(16歳、13歳、そして 10歳)は活かしつつも、≪少年≫と呼べるようなヒーローを配して違う世界でのコメディにしていたら、もう少し何とかなっていたのでは?
…というようなことも言えるが、けれども筆者が見る最大のポイントは、≪真理≫…それも≪外傷的な真理≫に乏しいギャグまんがはよろしくない、ということだ。
というのもこの作品の中では、13歳のヒロイン≪シホ≫による『かみぐせ』(“言いまちがい”の頻発)が、われらが大フロイト博士の名著「日常生活の精神病理」(1901)が描き出したような回路で、≪真理≫っぽいものを回帰させている。またもやここにも≪フロイト-ラカンの理論≫に対する挑撥が、ある。
つまり、えっと、この場でご紹介できそうな例は…。ちょっとしたステージの上で、人前に出たら『てれちゃいます』、と言おうとしたところでシホは、『ぬれちゃいます』と発語した(氏家「アイドルのあかほん」第1巻, p.71)、など。そこらに最大のフィーチャーがある(!?)わけだが。
しかし問題なのは、その言語活動の表している≪真理≫と状況との距離が、離れすぎ。すなわちシホの≪パロール≫(人に向けて語り、かつ騙る実践)の失敗が明らかにする『人間は“必ず”性的な存在である』という≪真理≫が、このような状況で飛び出したのでは、個々の人間に対してあんまり痛くない。つてもぜんぜん笑えないとまでは言えないのだが、しかしパロールの受け手らに対しての≪外傷的な真理の現前=ギャグ≫という境地にまではいっていない。
つまりさきの例で言えば、じっさいには(おそらく)シホはその場で発情なんかしていないのだから、そこではパロールの過激さばかりが宙に浮いている。…という印象を与えるようでは、マズいかと。だのに、それの連続があるのだ。
しかしあたりまえのことだが≪下ネタギャグ≫を飛ばせば人は笑う…というほどかんたんではないし、かつそれを言うのがいたいけな少女だったとしても、そのこと自体の≪外傷性≫はそうそう持続しない。よってそこでは、ヒロイン独りがかってに『痛い子』へとなり下がってしまっている(…涙)。
そうして「アイドルのあかほん」という作品の失敗ぶりを見る時われわれは、先行した氏家ト全センセの2作品の偉大さを、遡及して逆にかみ締めるようなことになっているのだ。少なくとも1人の『発情している誰か』がいるからこそ、 ≪下ネタギャグ≫は活きる…という事実を知るに至りながら。
で、その『発情している誰か』が、見ている“われわれ”であったとしても、別に悪くはない。ところが『アイドルの世界の舞台ウラを見せちゃう』という今作の趣旨は、“われわれ”を発情させはしないようにできている。もちろん舞台裏を見せないがゆえの、≪アイドル≫という存在なので。
だいたい今作の冒頭でシホは、『私も この身体 売るぞ――!!』というたいへんなことばで芸能活動への意気込みを語るが、ほんとにじっさいのところ作中でなされていることは、≪ビジネス≫以外の何でもない。よって“われわれ”がそこへ幻想を投影する余地があるようには、描かれていない。
しかしそのようには言いながらも、読了する頃には、3人組ユニット≪トリプルブッキング≫をなすヒロインらへの愛着が少しは湧いてきている…という自分の中途はんぱな人情が、この中途はんぱなところで終わっている作品の中に『自分の一部分』を残してしまっているようで(=ラカン用語で言う≪対象a≫の敷設)、何とも中途はんぱかつ歯がゆくも切ない読後感があったのだった。
ところですぐに分からねばならないことだが、この「アイドルのあかほん」最終話の中でおしゃべりしているなぞの少女たちは、同じ作者の前の連載「女子大生家庭教師 濱中アイ」のわき役の3人娘。つまり意外だが(!?)、お話がつながっていたらしい。
そうしてまたこれの続きか何かとして、いつか少年マガジン誌上にわれらが氏家ト全センセの新連載はあるのだろうか? ぜひあって慾しいのだが…ッ!!
と、そんなことを、2007年初頭に書いていた。見ていて自分で、いまならこのようには書かない、と感じる点が多いが、それはともかく。
そして続いた「生徒会役員共」は、仕切りなおして関連誌のマガジンSPECIALからスタートしつつ、たぶん好評によって週刊のマガジンへと昇格して現在に至る。かつ「役員共」の単行本・第3巻の巻末作品では、「濱中アイ」と「役員共」の作品世界らがリンクされている。
つまりこの件に関しては、とんでもなく珍しいこととして、筆者の希望がかなったのだった。そのことをまず喜びと申し上げつつ、この話は「生徒会役員共」の記事へと続く。そこではもっと、かみくだいたことばで、ト全センセのお作を語る予定。
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