安彦良和「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」第1巻 |
参考リンク:Wikipedia「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」
この「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」は、1979年の名作TVアニメ「機動戦士ガンダム」の物語を、そのメインのアニメーターだった安彦良和先生が、まんが作品として描いているもの。2001年からガンダムエース掲載中、単行本は第21巻まで既刊(角川コミックスA)。
で、ガンダムという商標のついたまんがの本が、いままでにずいぶん世に出ているようなのだが。しかしその中で『作品』とまでも呼べそうなものを、筆者は今作しか存じ上げない。
――― 「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」第1巻, カバー見返しより ―――
【安彦良和】 『ガンダム』というのは、こういう物語です。
さらに今作の連載開始時のあおりが、『誰もが待っていた。これが本当のガンダムだ』、とあったそうで。そうすると『あまりにもフェイクが多すぎる』とは、かなり“誰も”の感じ方だったようだ。
1. 自分自身の『若さ故』の、あやまちとエトセトラ
この作品、その存在のありようについて、ひとつの印象。オリジナルであるTVアニメーションの「機動戦士ガンダム」は、わずか1年足らずの放映期間のものであり、たぶん着想から数えても、せいぜい2年くらいでできたものかと考えつつ。
…ところが、それのまんが版としての決定版を創りだそうとして安彦先生が、がんばってすでに足かけ10年(!)。見込みとすれば、TVアニメ版と同じところで終わるとして、たぶん全23~24巻くらいにはなりそう。すると、早くとも完結は2012年くらいになりそうかと。
これと似たような性格のまんが作品として、貞本義行「新世紀エヴァンゲリオン」などは、もっとすごいことになっている。TVアニメ本編に先行して1994年からスタートしている作品なのに、いまだ第12巻までしか出ていない。貞本先生は専業のまんが家ではないとしても、ずいぶんなことだ。
さらに補足すれば、安彦「ガンダム THE ORIGIN」が、原作アニメで未言及の部分を大いにボリュームアップしている作品であるに対して。その一方の貞本「エヴァ」は、もう少しは割り切った姿勢の創作であるらしいのに…!
(余談を重ねてしまえば、貞本「エヴァ」が次の13巻で終わるとすると、TV版の全26話に対して数字的にきりがいい。ちょうどバランス的にそんなものかと感じられるけれど、しかしその執筆にかかっている時間があまりにもだ)
…というものを見て、近ごろ年寄りぎみな筆者は思うのだが。人の生涯というものについて、『若いときについうっかりと勢いでなしてしまったことを、後半生でずっとフォローしなくてはならない』ということが、そこにはある気がする。
ここでやや関係のなさそうなことを言い出すが、「フランケンシュタイン」という物語について。それは後世のイメージだと、ファウストばりの老人であるフランケンシュタイン“博士”が、怪物を作り出すお話のような感じだが。しかしメアリ・シェリーの原作小説(1818)のフランケンシュタインは、博士どころか学部学生の若輩にすぎない。
その若きフランケン君が、若気のいたりでついうっかりと勢いで、結果的に怪物であるものを生み出してしまう。そして彼はそれ以後の人生を、ずっとその怪物のフォローに費やすのだ。
そうしてガンダムにしろエヴァにしろ、ある意味でエンターテインメントの世界の『怪物』かのようになってしまった存在であり。そしてそれらを、若さの勢いにまかせて生み出してしまった人々は、フランケン君よろしく、それぞれのフォローに後半生の、ほとんどを捧げているように見えなくもない。そのことは、安彦・貞本という両先生だけの話ではなく。
しかも、決定的であり反復しえない最初の創造は、何か『霊感』的なものの作用としか思えぬ超早わざでなされたのに。しかしその後のフォローは、かっての勢いがほとんどない状態で、かつ『霊感』の介在の余地もない作業として、そして終わりも見えぬままに遂行され続けている。
現在いちおうの決定版かと見なされている「劇場版アニメ・ガンダム3部作」にしたって、1980's初頭の勢いあまっている時点だったからこそ、わりにさくっと完成したが。しかしそれ的なものをいまごろになって作ろうとしたら、その作業は、これまた軽く10年かかりそうな気もするのだった。
ここらで押井守作品からのエコーとして、『“始まったものは必ず終わる”って、大まちがいだ!』といったせりふも聞こえてきそうかも。ガンダムにしろエヴァにしろ、その反復しえぬ最初の誕生時には少々早く終わりすぎ、そしてそれらが怪物にまで育ちあがって以後、逆に『終わらなすぎるもの』としてある。
――― 「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」第1巻より(p.157) ―――
【シャア】 認めたくないものだな 自分自身の 若さ故の あやまちと いうものを……
そうだがしかし、その逆のこともまた大いに言えよう。『人はいつか』、かっての自分の『若さ故の』勢いやら何やらが失われていることを、認めたくないが痛感するはめになると。
いやもちろん、ガンダムやエヴァが怪物的なものと言ったって、それらはエンターテインメントなので、それでいいのだが。『終わらなすぎるもの』として悠久に存在し続けて、悪いということは別にないが。
けれどもそれだけの大きな創作は、かかわった人々に大きな『業』を背負わせてしまうものでもあるなあ…と、見ていて筆者が感じたしだい。
2. 確実に裏切られている善意
次に、今作の内容にふれて筆者が感じたこと。もともとアニメ版にも存在していた要素である、『大人たちのダメさ、いい加減さ』。それをこの「THE ORIGIN」は、さらに強調して描いているなと。それはもう、『1年戦争』などという惨事が起こってしまったこと自体が、あからさまなその表れだが。
さらにそのことは、ヒーローのアムロ君らに対し、上層部の無責任と場当たり主義として、また直接に表れる。いかなる職場にもあるようなことだが、アムロ君らに対し、押しつけられるタスクばかりがやたらに多くて大きく、そしてフォローはひじょうに少ないのだった。
――― 「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」第3巻, セクションIより ―――
(…状況、地球へ降りたホワイトベースの着地点は、敵勢力圏のど真ん中!)
【アムロ】 (居室でふて寝しつつ、)連邦軍は 戦争に 勝ちさえ すればいいんだ
僕らなんか どうなっても かまわない んだ たぶん…
【フラウ・ボゥ】 それって考えすぎよ アムロ
(…場面変わって艦橋、ジャブローの連邦軍司令部から、指令の入電あり)
【艦長ブライト】 (電文を見て、)ホワイトベースは…… 敵の戦線を 突破し
ジャブローに向かわれたし これだけか?!
【セイラ】 はい 他には 何も
【リード大尉】 ああ~っ なんの支援も ないというのか ジャブローからはっ!!
(中略)もう連邦も おしまいだよ!
リード大尉の嘆きようももっともで、また共感できるところはある。けれども、この愚劣な戦争の惨禍に巻き込まれて、よっぽどかわいそうな少女と少年たちに先んじて、彼がそのように泣きを見せるのは、大人としてひじょうにカッコ悪いのだった。そこでブライトとセイラは、リードを横目で眺めて鼻白む(第3巻, p.24)。
というものを見たら、もはや何も言いたくはなくなってくる。実のところ筆者は年よりをこじらせつつある折から、いまやロボット同士のチャンバラに、それほど興味がない。そのような自分からの、今作の見え方を記しておくと。
せめて何の責任もなさそうな若者たちを守ろうとして、まともな大人たちは自己犠牲をとげ…ガンダム用語の≪特攻≫ということをしたりして、どんどん死んでいく。その後に生き残るのは、地位も名誉もあるひきょう者ばかり、とさえ言えよう。さっき見たフラウ・ボゥによる善意の受けとめ方は、確実に裏切られているのだ。
リードもみっともないおくびょう者ではあるが、しかし人間らしさがかいま見える分だけ、まだしもましな方かもしれない。アムロ君による『あなたみたいな ひとが いるから…!!』というせりふ(第16巻, p.228)で有名な、オデッサ作戦ふきんに登場する、内通者のエルランとジュダックあたり、あまりにもひどすぎる。
そしてその2人が外道すぎるのは、言うをまたないこととしても。また一方、問題のエルラン作戦部長の指令のあやしげさを、ベテランのスレッガーがするどく指摘する場面で、われらが艦長のブライトには、こんなことしか言いようがない(第16巻, p.157)。
【ブライト】 作戦に異議を 唱えて いては 任務を遂行 できない! 軍は機能 しないっ!
しかし断固としてそれを言明するブライトの顔に、明らかにおかしな汗が浮かんでいるのはなぜだろうか? 彼が考えてもスレッガーの指摘に理があるが、しかし立場上そうとは言えないのだ。
3. この21世紀に語り直されるガンダム物語として
こんなでは、われらのブライト艦長にしてもだ。リードよりましなのはオタオタしないところだけ、エルランらよりましなのは裏切り者でないだけ、くらいに見えてきてしまうのではなかろうか?
また、それに先だった場面で。かの黒い三連星に襲われそうなセイラを大急ぎで救出しようと、アムロ君とガンダムは訓練もなくいきなり、スレッガーの操る戦闘機の背中に乗って出撃する。そこでブライトが、その超緊急の新戦法について、『これが うまくいけば これからも たびたび活用 できるな』と、脳天気なことを言いやがるのを、ミライは聞き逃さない。
【ミライ】 うまくいけば?
これがうまく いかないというケースを どう お考えなの かしら?
そこでブライトは、いちおう恥を知る男だけに絶句するが(第16巻, p.104)。しかしそれを言うミライにしても、もっとましな考えがあるでもなく、アムロ君らの行動の成功を、ただ真しに願うことしかできないのだった。
こうしたことを筆頭に、この作品「ガンダム THE ORIGIN」は、きわめて痛い認識を自分につきつけて来るもの、と見えているのだった。まあじっさいに、アニメのガンダムに比べて今作は、いっそう『地に足の着いたもの』となっている気がする。この世間のいやなことの数々が、よりあからさまに描かれてしまっている。
それは組織というものの不ゆかいさに加え、フラウ・ボゥやモスク・ハンなど『相手を見た上で』へんにからんでいくアムロ君のずるさや、シャアの数々の陰謀のあんまりな悪らつさなどをも含め。さらにはアニメに描かれなかった、かの理想家ジオン・ダイクンの平板なる実像をも含め。
メディアの違いも機能しているが、勢いやふんいきで流しているところがないだけにこのまんが版の描写は、言うところの人間ドラマに比重が移っている感じなのだった。かつ、例のニュータイプというSF発想に対して、安彦先生の扱い方は、きわめてニュートラルでもあり。で、そうこうとすると、見えてくるものは…?
これらのことにより。こんなまんがの本をつらつらと読んでいる自分が、エルランらほどの悪人でもないとは考えたいが、しかしよくてリードくらいのみっともないおくびょう者なのでは…と感じられてならず、筆者はため息を重ねるばかりなのだった。
あたりまえかもだが、自分が高校生くらいで今作のアニメを眺めていたころに、そうした感じ方はなかった。それから追って、自分はもとより、物語としてのガンダム自体も年をとった。「THE ORIGIN」という作品の登場は、よく言ってその『成熟』の徴候だ。そしてその『成熟』とやらの味わいが、自分にはやたらとほろ苦い。
そして、この21世紀に語り直されるガンダム物語として、こういうものしかありえないと断言もできないが。しかし明らかに最良のものとして、われわれの目の前に安彦良和「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」という作品が存在しているのだった。『反復しえないことの反復』というそのタスクの重さが、この物語にいっそうの重厚さを付け加えながら。
【追記】 2010/11/28。文中で、今作こと「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の完結を、けっこう先に見込んだけれど。しかし掲載誌の最新号では、ギレンがすでに死んでいるとか。するとおそらく来年には終わるだろうし、単行本も次巻までやも知れぬ。まあ、オレのこの手の予想があたったことはないので、いつも通りだが…!
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