2010/11/03

竹内元紀「Dr.リアンが診てあげる」 - 選ぶべき≪鉛の娘≫, フロイト「小箱選びのモティーフ」

竹内元紀「Dr.リアンが診てあげる」第1巻
竹内元紀「Dr.リアンが
診てあげる」第1巻
 
参考リンク:Wikipedia「Dr.リアンが診てあげる」

筆者がかってに考えた『下ネタギャグまんが御三家』の一角として、氏家ト全・古賀亮一とともに高みに並び立つ、われらの竹内元紀先生。そして「Dr.リアンが診てあげる」は、竹内先生の2001年のデビュー作にして代表作となっている、下ネタ超満載のギャグまんが。2001年から2004年まで少年エースに掲載、単行本は実質的に全5巻(角川コミックスA)。

1. ゴスロリ幼女が、みとってあげる!

で。実を申せばアイスマンこと筆者は、別に生まれてから現在まで、ずっと熱心にギャグまんがをウォッチしてきた…というわけではない。ま、めったにそんな人もおられないとは思うが、いたら超リスペクトせざるをえず!
自分においての転機は、2005年だった。当時の少年マガジンに掲載、氏家ト全「女子大生家庭教師 濱中アイ」の内容のわけ分からなさ(*)にブチ当たってから、何かあるような気がしてきたのだった。何かとは、≪ギャグまんが≫として、「おそ松くん」から「伝染るんです。」あたりまでのクラシックらとは、また異なった新しいもの、という意味。

それから、ずっと探求しているけれど。その収穫らの中でも、氏家・竹内・古賀の『下ネタ御三家』のお作品らは、慣れたつもりでいまだに、たいへんショッキングであり続けているのだ。そしてそのキラ星のごとき傑作らから、この記事では「Dr.リアン」を見ていきたい。

――― 竹内元紀「Dr.リアンが診てあげる」第1巻, 版元の宣伝文より ―――
これぞ下ネタ&脱力ギャグの決定版!!
用法・用量を守り電車内等周りの目がある場での服用には充分注意して下さい。笑いが止まらなくなった場合は医師またはリアンにご相談しやがれです。

「Dr.リアン」がどういうお作品でありやがるのか、これでぞんぶんにお分かりのはずだ。でもぜんぜん分からないかと思うので(読んでおられぬ限り)、ちょこっと筆者からご説明。

題名にも出ているヒロイン≪リアン≫は、見た感じ10歳くらいの女の子。これがゴスロリ服の上にナースキャップと白衣と聴診器をそうびし、女医であると言いはって、でたらめかつ殺人的な治療・投薬・人体実験らをなさりたがる。
で、ヒーローである一介の高校生≪ナオト君≫が、その犠牲になったのだが。しかし彼がひじょうに寛大な人格者で『ドンマイ』とか言うので(!)、それに心を撃たれたリアンは彼にひかれ、そのアパートに住みついてしまう。ちょうど、他に行くあてもなかったので。そして、リアンにくっついている奇妙な生物≪師匠≫も一緒に。
それからこのお話には、ナオト君に惚れ込んでいるクラスメイトの≪美果≫、追ってくのいちの≪もみじ≫などの人物らが登場し、やたらとにぎやかになる。むしろ、にぎやかすぎるというか。しかも彼女と彼たちのほとんどがドスケベ色ボケ気味なので、今作が『下ネタ&脱力ギャグの決定版』になっているわけだ。

――― 「Dr.リアンが診てあげる」第1巻 第1話より(p.16) ―――
【美果】 (『どどん』と語気強く、)あんた 本物の医者じゃないでしょ
【リアン】 おまえ 失礼です リアンの 熱意と心は 本物の医者にも 負けないですっ!!
【美果】 やっぱ ニセモノ じゃん
【リアン】 (大いにあせって、)あやや ナゼかバレた です

この場面で、たぶんかぜで発熱しているらしいナオト君に対し、リアンはヤバそうなシリツを執行しようとし、美果は漢方の応用で(?)ミミズをナマで喰わせようとして、それで争っているのだ。美少女っぽい人たちに囲まれているヒーローといっても、あまりうらやましくはないのだった。

というエピソードにも出ている特徴だが、この物語では全員が徹底してボケまくり(!)、定まったツッコミ役というのがいない。ほとんど変質者しか出てこないような作品で、全員が入れ替わりに入り乱れてボケツッコミを演じる。
字で書くと何でもないようだが、しかし竹内元紀センセ以外で、そんな作品は見たことがない。このあからさまに安定のなさそうなカーニバル的様相を、ちゃんと読めるものとして描ききっているのが、「Dr.リアン」のまたすごいところだ。追って出た竹内作品らでは、ちょっとそれが不安定な感じに傾いてしまっている。

2. ≪リアン≫とは、≪師匠≫とは、何もの?

そしてだ。10歳くらいの女の子が住所不定で放浪中とか、その頭からへんな生物が生えているとか、そういうところでこのお話には明らかに、ギャグまんがにしたって『リアリズム』がない。そのリアン&師匠のコンビは、全編で終始、なぞ的な存在でありすぎ続ける。

…にしても、ちょっとは素性をたずねてみると。まずリアンについて、本人によれば、彼女はある医院の孫娘なのだそうで。そして祖父のドクターがボケ始めたのを見て、自分が跡継ぎにならねばと決意し、それで医術の武者修業(?)をしているのだとか。
また一方の師匠というのが、のべつスケベで下劣でオヤジっぽいことを言いまくっている玉っころなのだが、実にふしぎな生き物だ。そもそも、何の『師匠』なのか分からないし…たぶん、お医者さんごっこの師匠だろうけど!
そして第1話の描写を見ると、それはあたかも髪飾りのように、リアンの後頭部にくっついているのが定位置らしい(p.7)。だから師匠が手足のように使っている蝶ちょ結びのリボンは、髪飾りとしての付属物だったもよう。
で、必要なとき、ガンダムシリーズの≪ビット≫のように、有線でニューッと出てきて活躍する…という初期設定だった感じだが。しかし追って第2話以降、師匠がその定位置にいるのを見た気がしない。

ところでリアンの家の医院について、『お父さんは 継がないの?』と美果が聞くと、リアンはこんなことを言う(p.17)。

【リアン】 ヤツは ろくでなし です
夜な夜な母に プロレスごっことか言って 悲鳴をあげさす とんでもないヤツです
「いやん」とか「死んじゃうー」とか
(ぎゅっとこぶしを作って、)いつか乱入して 母と共にヤって やるです
【美果】 (悦んで赤面しながら、)それは よした方が いいわよ

といううわさに聞く、ろくでなし兼ドスケベであるらしい父親と、現にいるドスケベで役立たずな師匠。この2者の間に性格の重なりを感じない、と言ってはうそになるだろう。ちなみに師匠はとんでもないセクハラ常習犯でありつつ、しかしリアンに対しては、まったく性的興味がないようだ。
だから師匠とリアンとの関係に≪父-娘≫を見つつ、彼らはお互いがお互いを≪ファルス≫にしている、とは言えそう(ファルスとは、勃起したペニスをさし示す記号)。しかしこの記事では、そこはとくべつには掘り下げず。

3. フロイト「小箱選びのモティーフ」 と、「Dr.リアン」

さてなんだが、この作品「Dr.リアン」について。リアンと師匠の存在がなぞすぎるし奇妙すぎる、それは誰がどう見てもだ。
それにあわせて筆者は、ヒーローのナオト君についてさえも、そのパーソナリティが、興味深くも読みきれない、ということを感じるのだった。

彼はまず、おっとりしてるけれど大したむっつりスケベ君として登場。物語の冒頭から、自室のベッドの下にエロマンガを大量に収蔵していなさる。ところがナオト君は、追って彼へとHOTに迫ってくる美果やもみじを、スルーしてまったく眼中に置かない。彼の言う『恋愛感情はないけど 仲がいい』友だちとしての関係を、だんこキープし続ける。
彼は女教師エロマンガが特に好きらしいので、わりと年上ごのみということもありそうだが、しかしそれだけでもない感じ。そして彼が本気でケアしている女の子は、明らかにリアンただひとりだけだ。
第13話の結末、ふざけすぎたリアンがゴリラっぽい男の怒りを買い、そして(敵にぬれぎぬを着せ、)貞操の危機を訴える。するとナオト君は、ひじょうに珍しく血相を変えてブチ切れ、そして『ロリゴリ粉砕パンチッ!!』と叫んですごいのをお見舞いし、その強そうなゴリ男をKOしてしまう(第2巻, p.76)。

そうかといって、彼自身がロリコンだからリアンにご執心、というのでもなさそうなのだ。むしろナオト君は『女教師もの』が好きなわけでもあり、ロリコンらしさを匂わせているところは、作中にまったくない。
かつまた、美果やもみじが裸っぽいものを見せるとナオト君ははなぢを噴くので、彼女らに対して性的な魅力を感じない、というのでもないようだ。

このやっかいな様相を、何とかまとめると。ドスケベのくせしてナオト君は、じゅうぶんな性的魅力をもって彼を誘う美果やもみじを相手にせず、そしてロリコンでもないのに、役たたずな殺人的ちびっ子のリアンを、惜しみなくケアしている。
なぜそうなるのか? 『それは彼が、少年まんがのヒーローであり続けるため』、さもなければ、しんが正義漢であり道徳の人だから…と言えばそれもそうかもだが、しかしもう少しましな説明がありそうな感じ。

その描かれたことがなっとくいかない、というのではない。分かる気もするが、しかしその分かり方がことばにならない、という点がなっとくいかない。
で、ず~っとそれを考えていた筆者だったが、追ってフロイト「小箱選びのモティーフ」(「改訂版フロイド選集 7 藝術論」訳・高橋等, 1970, 日本教文社)という文献を見て、ちょっと何かが分かった気がしたのだった。『ひとりの男が3人の娘からひとりを選ぶ』という場合、もっとも幼くて地味な3人めを選ぶのが『正解』なのだ。

――― フロイト「小箱選びのモティーフ」(1913)より, その概要 ―――
シェイクスピア「ヴェニスの商人」で、3人の求婚者がヒロインを争って『小箱選び』の試練を受ける、という場面がある。そして金・銀・鉛の3つの小箱のうち、鉛を選んだものが当たりを引く。
金・銀・鉛の3者の選択で、鉛が当たりであるというお話は、シェイクスピア以前のずっと古くからある説話パターンだが、しかし何となくふしぎだ。そして『なぜ鉛を選ぶか?』というところで、シェイクスピアの描いたヒーローの口上は貧弱すぎる。こういうおしゃべりの不自然さの背後には、必ず何かある。

そこでいろいろな説話を比較し、さらに『小箱はしばしば女性の象徴である』という分析的知見をもあわせ考えると。…実のところこの種の説話では、『ひとりの男が三人の女たちのうちから誰かを選ぶということが問題になっている』(p.144)。
そうするとこれは、同じシェイクスピアの「リア王」のヒーローが、3人の娘らの中から、鉛のように地味な末娘のコーディーリアを『選ばない』ことで大失敗する、ということを思い出させる。また、メルヒェンで王子さまから選ばれるシンデレラにしても、同じく地味で鉛っぽい3人めの娘であり。
そしてこの3人めの特徴として、『沈黙(・無口・存在感のなさ)』ということが言える。オッフェンバッハの喜歌劇「美しきヘレナ」における『パリスの審判』で、そのヒーローが3人めの女神アプロディーテを選んだ理由は、ただ単に『黙っていたから』だそうで。

そしてこの鉛的な3人めの娘、その意味するところは≪死≫である。分析的に、沈黙は死のメタファーなので。

運命の三姉妹モイラ。中央がアトロポス
運命の三姉妹モイラ。中央がアトロポス
『もし姉妹のうち三人目の女が死の女神であるとすると、われわれはこの三人姉妹が何者であるかすぐにわかる。これら三人は運命の女神たち、つまり運命の姉妹たちなのである(中略、すなわちギリシャ神話のモイラ)。その三人目がアトロポス、すなわち苛責なき者(遁れがたき者)とよばれている』(p.151)。かつ、アプロディーテにも本来は『死の女神』という性格があったらしい。
『コーディーリアは死である。(中略)すなわちそれはドイツ神話の「ワルキューレ」のように死せる英雄を戦場から運び去る死の女神なのである』(p.159)。

よってもって、結論。『ここに描かれている三人の女たちは、産む女(註・母親)、性的対象としての女、破壊者としての女であって、これはつまり男にとって不可避的な、女に対する三通りの関係なのだ』(p.160)。

そして死すべき人間(man, 男)らにとって、3人めの鉛っぽい女を選ぶことは、いわば『究極の正解』なのだ。

そうしたわけで、われらのヒロインであるリアンもまた、りっぱに『運命の三姉妹』の3人めであり、そして『死の女神』の1ピキなのだ。わざとらしく彼女は、白衣の下に黒ずくめのゴス衣装を隠し、そして全身のいたるところに十字架マークを飾っており。
そして彼女が医療のまねごと等をすると、必ず死者が出そうな惨事に! また物語が進むにつれ、美果やもみじらに対し、ヒロインなのにリアンの存在感が薄れていくことも、この説話の性格として必然的なわけだ。

(…あと、よく知らない作品の話で申しわけないが。近ごろよく話題になる「涼宮ハルヒの憂鬱」というシリーズ作でも、3人の娘らがヒーローをめぐって活躍し、そしてその3人めは無口で幼めで鉛っぽいらしい)

4. ワルキューレの『奇行』、ヴァルハラまで…!

ゆえにわれらのナオト君は、若くして究極の正解たる選択をなしたようなのだった。フロイト様のお話を追っていると、いきなり究極へ行っちゃダメなのでは?…という気が、びみょうにはするのだが。ともかくも3人めの貧弱なおチビさんを選択することは、『説話的な必然性』というものを満たすのだ。
そして、『自らの死』であるところのリアンをかかえ込んで生きるナオト君。リアンは彼のことを『好きだもん』とは言いながら、しかし『貴重な実験サンプル』とも呼び(第2話, p.27)、そしてほんとうに人体実験の材料にしており(第5話, p.88)、しかもそれらをぜんぜん隠していないにもかかわらず!

そのように自分用の≪ワルキューレ≫を自ら養っているところから、逆に彼が文字通りヒーロー(英雄)的にも思えるのかな…というところまでを見て。そして今作「Dr.リアン」を研究することは、またの機会にぜひ続く!

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