2010/11/02

押切蓮介「おばけのおやつ」 - または、≪ホラーギャグ≫論・序説第1章

押切蓮介「おばけのおやつ」 
参考リンク:Wikipedia“押切蓮介”

ただでさえマイナーなギャグまんがの世界ではあるけれど、その中でまたささやかに≪ホラーギャグ≫というジャンルが、ちょっとはやっている感じはある。その現在の第一人者が、言わずと知れたこちらの押切蓮介先生。あと今回は見ないが、松本ひで吉「ほんとにあった!霊媒先生」(2008)の存在をも指摘。
そして参考リンク先の記述だと、こちらの押切蓮介先生その人が、このジャンルの開拓者であるようなお話。へえぇー、そうなのかな?、と思って調べてみると…。

1. ≪ホラーギャグ≫の源流をたずねて

まずは押切先生のデビューが、1997年のヤングマガジン誌上「マサシ!! うしろだ!!」であるそう。そしてそれ以前のホラーギャグっぽい作品はというと、確かにいまいち見つからない。
古典の部類、楳図かずお先生の「アゲイン」(1971)や「まことちゃん」(1976)は、タッチは確かにホラーっぽいけれど、内容にホラー要素があるのではないわけで。またもっと古く、水木しげる先生の諸作のこっけい味ということも思い出されるが、それはわれわれの言う≪ギャグ≫ではない。

まんが本来の風刺やこっけいと、「おそ松くん」以降のショッキングな≪ギャグ≫とを、できれば一緒にしたくはない…というわれわれの立場があるのだ。よって諸星大二郎先生のユーモア系の諸作品も、ここでは除外にしたい。
かつまた、1970-80'sのB級ホラーまんがには、ストレンジすぎてむしろ笑えるようなものも多い、のような説を聞く(その話は、この後にまたふれる)。それもそれで留意すべきだが、しかしわれわれは意図的でないものを≪ギャグまんが≫とは呼ばない。
さらにまた、海外の映画やカートゥーンの分野では、ホラーギャグというテイストはずいぶん前からあったような感じだ。けれどもそっちのお話は、また管轄外として。

なお、ホラーを看板にかかげた作品ではないが、りぼんの大ロングラン4コマ作品の津山ちなみ「HIGH SCORE」(1995)による、このジャンルへの貢献が見逃せない。ヒロインの父親が霊媒体質、同クラスメイトは地下室で化け物を飼っているオカルト少女、イトコの少年は虫をいじめるの大好きなグロ野郎…と、かなりそっち系の要素で押している(*)。

山咲トオル「戦慄!! タコ少女」第1巻かつまた。あまり筆者は知らなかった作家だが、1994年デビューの山咲トオル先生もまた、ホラーギャグというジャンルに先鞭をつけた1人ではあった感じ。インタビュー記事を拝見すると、その作家歴の初期、『“怖いのと面白いのを足したのを描こうかな”と、「まことちゃん」と「おろち」を足したのを描いてみようと』…などと、かなり迫ったことを述べておられる(*)。
ただ筆者のおぼろな印象だと、山咲先生のお作らは、視覚的なグロをフィーチャーしすぎている感じで、『「まことちゃん」と「おろち」を足した』ような…というふんいきではなかったような? そこらはいずれ、機会があれば検討することとして。

2. 包丁をブッ刺し、血がドピュー

それこれ見てくると、分かったのは。『明らかに可能なジャンル』だと、すでにLate 1970'sくらいには認識されていた感じの≪ホラーギャグまんが≫。だが、それが意識的に追求され始めたのは意外と遅く、Mid 1990'sくらいになりそうということ。
しかも。ここまでに名が出た3先生の特徴として、それぞれかなり意図的・意識的に、このジャンルやテイストに進まれている、そのことをわれわれは意識したい。

まず、山咲トオル先生については見たとおり。その初期、画面が楳図先生に似すぎと言われて、『何か個性を!』と考えた末に山咲先生は、その路線を目ざされたのだ。ただし「まことちゃん」+「おろち」では、ぜんぜん『脱・楳図』になっていない感じだが!
また津山ちなみ先生については、以前りぼん誌上で見た談話によると、『すべてネタ出しは計算ずくの作業。ひらめきに頼るようなことはしません』、とか。その計算の上で出てきた、ギャグ+ホラーの路線なのだ。

そして、ここで見ていく押切蓮介先生。この方は、わりとマニアックなまんがファンが高じて、創作に進まれたそうで。その事情が、押切先生のご著書の解説文に書かれている。

――― 押切蓮介「でろでろ」第4巻, 解説文より(p.158) ―――
【押切蓮介】 (ひばり書房の1980's B級ホラーへの傾倒を明かし、)ひばり系って、作者本人たちはマジメに描いたのかもしれませんけど、おかしいじゃないですか。そういう「笑えるホラー」な感じが現代に活かせるんじゃないかと思って。

押切蓮介「でろでろ」第4巻なるほど…と、こっちの側にかってななっとくが生じ気味。『ギャグとホラーの親近性』はひじょうに古くから言われていることだけれど、しかしホラーのふんいきを前提にしながらギャグとして機能させる、そのような創作は、めちゃくちゃに意識的な作業の結果でしかありえないようなのだった。
そしてわれらの押切先生は、B級ホラーの意図されざるおかしさを、意図的なギャグへと鍛えあげようとしておられる、そういう作家だということも、また見えた。

あと、あたりまえのことも記しておくと。かの赤塚不二夫「天才バカボン」(1967)で、マッドサイエンティストがグロい人体改造手術をするようなお話がある。また谷岡ヤスジ「メッタメタガキ道講座」(1970)では、ささいなことでブチ切れたキャラクターがデバ包丁を人にブッ刺し、血がドピューと出る。よく考えたらどちらも怖い内容だが、しかし≪ホラーギャグ≫と呼べるもの、とは感じられない。
つまり≪ホラーギャグ≫を言うには、ふんいきとしてのホラーっぽさが前提らしいのだった。すると「HIGH SCORE」の場合には、わりとのんきな学園生活の中にホラー要素が侵入してくるわけで、ひじょうに巧みな構成ではあるけれど、やはりこっちのコアな作風ではない感じ。

かつ、山咲トオル先生がまんが家業をセミリタイア(?)状態であることから、ホラーギャグの初期からの最重要作家は、やはり定説通り押切蓮介先生なのであろう…と、どうやら確認できたようなところで。

3. 見ることは、見られることでもある

ここでやっとわれわれは、押切蓮介先生の実作を見てみる準備ができたのだが(!)。ところが申しわけないことに、筆者の準備不足により、その代表作っぽいものを語っていくことができない。
そこでいまは、まにあわせ的に(!)、先生の初期作品集から、わずか3ページの小品をひとつ見てみよう。

――― 押切蓮介「おばけのおやつ」p.61, 『遠隔』(2003) ―――
何かのタワーの展望台から、少年が設備の望遠鏡(両眼用)を覗いていると、下方の民家の一室に、首吊り死体を発見してしまう。白一色のワンピースを着た、ぞろりと髪の長い女性の。
それで少年が『あっ…』と言ったきり、とりつかれたように見続けていると、やがてその女はゆっくりと顔を上げる(!)。そして何とも言えぬ不気味な表情で、眼球がないように見える目で、見ている少年を見つめ返してくる。少年は戦慄しながら、しかしそこから目を離せず、向こうを見つめ続ける。
そこへ少年の連れが、ニヤニヤしながら『おい… 何見てんだよ』と、声をかけ少年の肩にふれる。すると少年は、眼窩から血を流しながら、『ズシャッ』とその場に倒れてしまう。その目からは、眼球が失われているように見える。
そして少年の連れが、ぞっとしながら望遠鏡の方を見やると。その接眼レンズのあるところから、ざんばらの長い髪の毛が大量に、こちら側へと垂れている(完)。

おっと、この作品はギャグ味のぜんぜんない純ホラーだったが。けれどもこの短編集「おばけのおやつ」(2007, 太田出版)で、いちばん筆者の印象に残った作品が、この『遠隔』なのだった。

英ブラック・ラット・プロダクション「オイディプス」そしてこの超ショートホラーのスタイルが、われわれの前に研究した中山昌亮「不安の種」シリーズ(*)によく似ていることは、まず言うまでもないとして。そしてその記事で言及された作例らの、『ほのかにも性的ニュアンスがある』、というところも通じている。
『遠隔』の少年が、スケベ心から民家を望遠鏡で覗き込んだのかどうか、ということは分からない。けれども彼の連れは、彼が何かスケベ的なものを見ているに違いない、と思っているわけだ。

で、ともかくも。あれこれの“もの”を『見たい』という少年の欲望が、『見ることは見られることでもある』という≪真理≫の回帰をともなって、さいご罰せられている気配。かつまた≪近親相姦≫のふんいきを匂わせているところも、「不安の種」に見た作例らに同じ。
この物語について筆者は、少年が自分の母や姉の浴室や寝室を覗く、というお話のバリエーションのような気がしたのだった。そして『目をえぐられる』という結末は、かの≪オイディプス王≫が、お話のさいごに自らを罰して自分の目をつぶした、ということを想起させるのだった(=≪去勢≫を示唆する要素)。

よってこれは、単なるグロい怪奇談ではない。見ることと見られること、見る手段としてのフェティッシュであるレンズ類、女性と男性、そして≪欲望≫。…こうした≪外傷≫的な要素らがたくみに織り込まれていてこその、鮮烈な超ショートホラー作品『遠隔』なのだった。

かつまた。このようにホラー作品というものが、何らかの性的な認識を匂わせていることが、かなり多くありそう…と筆者は思うのだが、しかしそんなには聞かない説だ。
『ホラーとエロス』、という問題意識! これにつき、はっきりそのようなお題が出ているのではないが、スラヴォイ・ジジェク様がヒッチコックやスティーブン・キング等を語っているご文らは、かなり迫りえているものと考えつつ。
そして押切作品の場合だとエロスの要素は、その描くふしぎなふんいきの少女たちに出ているものかと思われる。実作をしさいに見ていけば、何かきっと明らかになることがあろう。

…と。まずはわれらが押切蓮介先生の創作のキレ、その一端を見た上で、この話の続きはまた遠からず!

【追加の余談】 『遠隔』という作品について、もうひとこと。それはさきに述べたような作品とみて、いちおうまちがいないとも思うのだが…。
けれど言わんでいいことを指摘しておくと、さいごの1コマの、双眼鏡式の望遠鏡から、髪の毛がこっちに伸びてきている描写。ちょっと見方を変えると、その凄惨で不気味なものが、『ものすごい鼻毛』という風にも見える(!)。
押切先生として、たぶん珍しくシリアス一辺倒なホラー作品である『遠隔』。それが意外に(?)、≪ひばり系≫ばりの『笑えるホラー』になっているようなところが、びみょうにはあるのだった。まさか仕込みでもないと思うけど、どうなのか…?

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