2010/06/17

山上たつひこ「喜劇新思想大系」 - トランスセクシュアル論へ向け

 
関連記事:山上たつひこ「喜劇新思想大系」 - こんな≪女≫で、よかったら?

どうして思いつかなかったのかな、こんなかんたんなことを…と、自分であきれたが、関連記事の文末の付記について追記。そこで書いている、筆者が『お見合い大百科』のさいごのオチに対して感じた違和感は、≪トランスセクシュアル≫にかかわる複雑な問題から、というわけではないような気がしてきたのだった。
つまり。そのお話の中で春助くん(の演じているめぐみ)は、『私は 女として 生まれながら 体は男』、と言っているのだ。これを作中のお兄さんがまっすぐ受けとめたとすれば、それに対応するものは、『肉体だけが女性である男性』なのではなかろうか。…そうだとして。
ところがラストシーンでお兄さんが、女性の和服を着て女言葉を操る人工女性になっているのは、行きすぎている感じ。これが筆者の、『ちとふに落ちねえ』という読後感のもとになったのかと。

ただし、それがみごとな大失敗であることをもって、このエピソードのオチが構成されているわけで。何せこれは、『ギャグ』まんがなわけで。
それに対して『すじが通らない!』と反応するのは無粋でしかない。いやむしろ、人間どもの性的な行為や行動らが、『けっしてすじが通りえない』ということを描破しているにより、今作こと山上たつひこ「喜劇新思想大系」がギャグまんが史上に有数の大傑作である、と申しあげる。

けれども当時の筆者の頭の中で、もやもやとしていたものに対して(無意識に構成されつつあった考察について)、このエピソードが、へんに引っかかったようなのだった。そしてそのもやもやが、多少晴れてきたことにより、前記の違和感の正体もちょっとわかった気がしてきたのだ。でまあ、その『トランスセクシュアル論』みたいなことは、別の作品についての記事で述べたい予定。

2010/06/05

野中英次「魁!! クロマティ高校」 - 私も秋葉原人である以上…!

野中英次「魁!! クロマティ高校」第15巻 
関連記事:ラベル“野中英次”

がたがたさんのアニメレビューブログで、「ロケットガール」なるアニメがけしからぬ、のような趣旨の記事(*)を拝読した。ツイッターでのフォローもあわせて、そのディスがけっこう激しかったことから、『よっぽどすごいものなのか?』と、逆にちょっと興味がわいてしまったことは、たぶん『人情』のはんちゅう内のできごととして。
で、そのアニメ「ロケットガール」の第1話だけは見てみたのだが、すべてにおいて乱暴きわまるお話だとは感じつつも、しかしとくべつに心が動くところはなかった。しいて申せば、ヒロインの父親が、母親と新婚旅行の最中になぞの失踪をとげたのはなぜか?…というところにだけ、じゃっかんの興味を覚えたけれど。

さらに笠 希々さん(*)からも情報をたまわったり、Wikipedia(*)を見てみたりすると、アニメ版にも原作のラノベ(ライトノベル)にも、その父親の失踪の理由は明らかになっていないらしい。父親本人は、追って物語に登場するって話なのに。
そのように大きなふしぎが、むしろふしぎでない『かのように』作中で放置されていることは、逆に面白…と言いかけた。この作品はおそらく、びみょうにリアルな宇宙開発ストーリーを表面のモチーフとして『ハードSF』を言い張りながら、『萌え』っぽいところでビジネスを展開しつつ、さらにその原因不明な父親の家出というところでやっと≪何か≫を描いているものかと思えるけれど、しかし。
(…次のようなことを何度もしつこく言いすぎなので自分でもイヤだが、その世界においての『父の不在』は『規範の崩壊』に並行する現象であり、その原因か結果のどちらかではありそうな感じ。『“萌え”=父の権威の撥無、その横取り』、という前提は確かでありつつ)

ところでなんだが、ご存じの名作ギャグまんが「魁!! クロマティ高校」に、『ネット番長』こと≪藤本くん≫という人物が登場する。一般的にはネット上でだけ勇ましいヤツをネット番長と言うが、藤本くんはその正反対。オフラインではりっぱな番長としてリスペクトされている彼が、よせばいいのにネットの惰弱どもに交わろうとして、そこで自分も超惰弱を演じてしまうのだ。ふだんド不良のくせして、ネットでは『ネチケットをわきまえぬヤツが多くて』…などと彼は、つまらぬ常識をズレたところでふりかざすのだった。

これはようするに、≪漢(おとこ)≫たるものパソコンごときをいじっててもしょうがない、という正しい認識を返しているわけだが。で、そのような藤本くんが、『アキバチャットルーム』なる場所で『萌え系』なるものの存在を知る。そこで彼は、

 『私も秋葉原人{あきはばらじん}で ある以上 秋葉原に根づいた
 この“萌え”という文化を 探っていきたい所存です』

と、無意味なくそまじめさをもって宣言する(「魁!! クロマティ高校」第15巻, p.45。{}内はルビ)。

そして彼は、アキバで萌えグッズ一式なるものを購入してきて、とりあえず萌えっぽいラノベに目を通す。何かてきとうな未来世界の女子校を舞台に、美少女らがやたらバトルをするようなやつを。
すると彼は、そのお話のあまりな荒唐無稽さにつまづきかけるが、チャットの常連たちは『そういうふうに読むものじゃない』と、彼をたしなめる。で、そこを乗り切って藤本くんが、

 『大変興味深く 読ませていただきました(中略)
 続きが気になって 仕方ありません‥‥』

という心境にいたったところ、やはり『そういうふうに読むものじゃない』と、チャットの常連たちは彼をたしなめる。そこで彼は、カフカ「城」のヒーローばりの苦しみと焦燥感を味わうのだった。
じっさいのところ藤本くんは、チャットの常連らが言うように、『萌えの読み方ってヤツが わかってない』のではあろう。という筆者にも『萌え』がいまいちわからないので、そこを断言はしないが。

で、『萌えの読み方がわからない』ということが問題なのではなく、『そんなことをわかる必要がない、ということがわからない』、ということが、藤本くんにおいての問題なのだろうか? その一方で、学校の不良どもが、『近ごろあのTV番組がマンネリでつまらねえ』などとくだらなすぎる話をしていると、藤本くんは問答無用でボコン!と鉄拳をふるった上で、

 『つまんねえ なら 見なきゃ いいだろ』

と、あまりにも正しいことをあっさりと言いきって、ワルたちを感服させるのだが!(同書, p.52)

そして筆者も対抗して正しいことをここで述べると、『つまんねえ、つまんねえ!』とつまらないことを言い張っている人々にしても、その言表行為を大いに愉しんでいる、という事実はある。意識における苦痛が、無意識の享楽であるに他ならない。『つまんねえなら 見なきゃいい』ということはその通りなのだが、逆に言ったら、『見てるからには、実はつまんなくない』。

と、ここまでを考えてくると、ディスとリスペクトは、けっきょくは同じものである、という感じにもなってくる。ヒップホップ創世記の伝説的かつ壮絶なディス合戦、ブロンクス(ブギダウン・プロ)vsクイーンズ(ジュース・クルー)の『ブリッジ・バトル』という故事があるが、そのいずれかをほんとうにまったく無価値だと思っている人は、めったにいないだろう。口をきわめてけなしあったことが、結果的にはお互いを持ち上げているのだ。それが、たいへんレベルの高いシーンでのレアな成功例であるにしても。
『サッカーMC、ケアレス・ワン!(KRS-ONEは、クソラッパー!)』というあおりが流通することは、何がどうであれKRSワンを有名にしている。その言表内容よりも、言表行為こそが≪意味≫をなす。何せまず自分らの名前を連呼することがMC-ingの超基本であるわけなので、そこで逆に他人の名前を連呼したりすることは、大いなるサービスだと考えざるをえない。

だからサービス精神に欠ける自分は、ディスなんてサービス行為をやらない、つか、無償ではやりたくない。『地球の未来に、ご奉仕!』…なんてフレーズは旧世紀の遺物なのに(えっと確か「東京ミュウミュウ」という、なかよし掲載作に出ていたせりふ)、われわれは要らざるご奉仕をいまだにやりすぎなのではなかろうか?

2010/05/12

「課長バカ一代」と「主将!! 地院家若美」 - または『山崎ハコ と ギャグまんが』

野中英次「課長バカ一代 子供用」 
参考リンク:Wikipedia「課長バカ一代」, 「主将!! 地院家若美」

筆者はあんまりよく知らない対象なのだが、このご時世に浅川マキとか山崎ハコとかって、どうなのだろうか? うそでもいいから、フランソワーズ・アルディとかブリジット・フォンテーヌとかに置き換えてはダメなのだろうか? まずは以下しばし、約4年前に書いていた堕文の焼き直しから。



一条ゆかり先生のまぼろしの傑作「5愛のルール」(りぼん1975年5~12月号、未完)に、先日初めて文庫版で目を通した。するとその冒頭、ヒーロー初登場の場面にて。あれこれと失意が重なり、スナックでやけ酒中のヒロインの姉が、ジュークボックスに向かったヒーローに、

 「ねぇハンサムさん 浅川マキかけてよ」

と、言う。
…いやはや、浅川マキも古ければ、それを呼び出す装置の≪ジュークボックス≫も古い。ぐん、とくるほど、じゅん、となるほど、古い。まあそれは、むかしの作品だからだが。

いや、作劇としたらむろん、この場面にその名前の登場は『ふさわしい』かも。われらが一条センセのなさるコトに、まちがいのあるはずはない。だがしかし、そうきなさるのか、そのふんいきイヤだなあ…と、自分が軽く思ったことも事実だ。

それから、わりと最近。ちょっと古書店で、野中英次「課長バカ一代 子供用」(2001, KC少年マガジン, 全1巻)を買って読んだ。これは「魁!! クロマティ高校」でおなじみの作者の1990'sのシリーズ作(ミスターマガジン掲載)を、少年マガジンの読者に向けて編集し直した1冊。

そしてその巻末近く、ヒーローのバカ課長が部下の3人を呼んで『バンドを結成しよう』と、とうとつに言い出す。その理由は『音楽への情熱』とかいうのではなく、社内のサークル活動として公認されれば予算が出るかもと、あて込んで。
けれども方向性がちっともまとまらないので、『しょーがない、じゃあ、いきなりだが解散しちゃおう』(!)という相談になってしまう。だが、解散するにも多少はカッコつけが必要ということで、部下の1人の発案により、『音楽性の相違』という理由が設定される。
それに続く会話として、われらのバカ課長が『ちなみに俺は 山崎ハコが 好きだけど オマエらは何が 好きだ?』と、一同にたずねてみたら…。

 『え……! 課長も山崎ハコ 好きなんですか!?』
 『実は僕も 山崎ハコ 好きなんですよ…… あんまり人に言わないようにしてるんですけど……』
 『まさか…… 前田くんも……』
 『山崎ハコのオールナイトニッポン…… 毎週聴いてました……』

やだもう…何なの、この会社? そうして彼ら4人は、ほんわかと意気投合し直すのだが。しかしその直後、『しまった、コレじゃ解散の理由がない!』と気がついて、再び頭を抱えるのだった。

ちなみに筆者は、浅川マキと山崎ハコとの区別がほとんどついていない。というか、しっけいだがおそらく、『区別しよう』という意志がない。
ゆえにこれら2つのまんが作品が、≪同じもの≫をさしているかのように、ついさっき確認するまでかん違いしていた。こういうことを、悪しき『同一性の思考』と呼ぶのだろうか?(2006/04/03)



と、ちょうど筆者がそんなことを書いていたころ、「魁!! クロマティ高校」に続くようなギャグまんがの新しい動きとして、マガジン系の媒体でひそやかに、やきうどん「主将!! 地院家若美」(2004)の掲載が始まっていた。はっきり申してほんとうに大好きな作品だが、それの第2巻をいま見ると、こんなことが描かれている。

最強の暗殺武術の達人にして、最悪の美少年ハンターであるBL系ヒーロー≪若美≫。その親友で幼なじみの≪三平白人(みひら・はくと)≫は『超 忍者マニア』で、独断的な忍者修行にはげみすぎ、学内ですっごく迷惑をかけまくり。よって若美と並んで、柔道部の2大問題児、との風評あり。
まったく困ったもんだ…という相談をしているところへ若美が道場に現れ、たまには練習を休んで遊びに行こう、と言い出す。一同は悦んで、若美がご招待のカラオケ屋に向かう。追って白人が道場におもむくと、誰もいない。何せ忍者だけに、ふだんから存在感を消しているせいで(?)、忘れられたのだ。

やきうどん「主将!! 地院家若美」第2巻そこで白人は忍者の情報網か何かを使って、柔道部員らの行き先をつきとめ、ボーイに化けて彼らの個室に潜入する。実のところ白人クンは、のけものにされたこと、そして忘れられていることが、せつなくてたまらないのだ。さびしんぼうなのだ。
やがて部員らは、白人がいないことをやっと気づく。ところがそれからその場所は、白人へのしんらつな悪口とかげ口でもちきりに(!)。その口撃の急先鋒は、若美や白人が起こす問題の処理に追われまくりの、いつもは温厚な副将だ。部員らの中で、ちょっとでも白人をフォローしたのは、心のやさしいヒロイン≪美柑(みかん)≫だけ。
あまりのことに、ボーイ姿の白人がぼうぜんとしていると、何かわけの分からないリリックがその場に流れる。そこで白人は、

 『誰だ! 山崎ハコなんか 歌ってんのは…!!』

と内心で叫び、そして人知れずダラダラと涙を流すのだった(KC少年マガジン版, 第2巻, p.74)。

それからお話の後半は、美柑以外の部員らに白人が、血も凍るようなおそろしいふくしゅうをッ!…と続く。ゆえにこのエピソードのサブタイトルは、『忍(しのび)の戦(いくさ)は無情 の巻』。

とまあ、そうなんだけど。そのストーリーはともかく、われわれの観点からは、≪山崎ハコ≫というふかしぎな記号が、こういう場面にて、その意味不明きわまる意味作用をなすものらしい、と分かったのだった。いや、『分かった』なんてことは言えないが、しかし何かを知った感じがなくもない、という。
「課長バカ一代」にしろ「主将!! 地院家若美」にしろ、≪山崎ハコ≫とはこういう意味の記号である、なんてことを描いてはいない。ただその使われ方を見ると、その記号は、あえて言うなら『共感なき共感』、さもなくば『コミュニケーションなきコミュニケーション』とでもいった、何かきわめて両義的で、受けとり方のむずかし~い心の状態を示すようなのだった。

そしてそのような、意味ありげにして意味不明なる記号(シニフィアン)の現出、それの引きおこす強烈なとまどいを、われわれは≪ギャグ≫と解釈する。その記号に何らかの意味があることは確かそうなのだが、しかしそれが思い浮かばないのは、その意味が≪抑圧≫の対象になっているからだ。そこで発生するエネルギーの詰まりが、笑いという運動によって発散されるのだ。
だからこれらがギャグとして成り立つには受け手において、『その意味が抑圧の対象』という前提が必要になる。山崎ハコという女性歌手について、『偉大きわまるディーヴァ』だとか『くだらなさのきわみ』だとか、別にどっちでもいいのだが、にしても受け手の側にはっきりした『意味』しかないとしたら、ここで笑いの発生はない。
そうじゃなくて、その存在感(プレゼンス)はずいぶんとありつつ、しかしその受けとめ方にはたいへん困る。そのような記号としての≪山崎ハコ≫であり、その現前によっての≪ギャグ≫なのだ。

対極的な例をも、1つ出しておくと。まんがに限らずギャグの世界には、エルヴィス・プレスリーの仮装をした人がよく登場する。それが決まって、かの映画にもなったラスベガスでのカムバック・ステージの、純白のジャンプスーツ(ソデにピラピラつき)&もみあげがものすごい、というかっこうで。『何かさいきんあったなあ』と思ったらそれは、若杉公徳「デトロイト・メタル・シティ」第2巻の冒頭のお話にも出ているのだった。
だが、それがどうして≪ギャグ≫になるのだろうか? エルヴィスは文句なくカッコいいが、しかしその猿まねはカッコ悪いのでこっけいだ、というばかり? それともそうじゃなく、ネタとなっているエルヴィス自体に、過剰すぎてカッコよさを通りこしちゃってる部分のあることが、そこにて示されているのだろうか?

むろん筆者には、それをどっちであるとも言えない。むしろ、ほとんどの人には『それをどっちであるとも言えない』。そしてそうしたどっちつかずな感覚に対して、われわれは笑いという反応を返しているのだ。ここでまた、≪エルヴィス≫という記号がりっぱなシニフィアンだということが確認されながら。
で、何が『対極的』かというと、同じく意味不明なシニフィアンでありつつ一般社会に対し、エルヴィスは出っぱりすぎている例、山崎ハコは引っ込みすぎていて『逆に』気になるかもしれない例、という意味で。そしてこのような≪シニフィアン≫というしろものを、われわれは、いっそのこと『不条理の記号』と呼んでもよいように錯覚しつつ。

…などと、山崎ハコという記号を介してギャグまんがを見る、というふかしぎな行為のあったところで。そうして「課長バカ一代」にしろ「地院家若美」にしろ、ひじょうに大好きなすばらしい作品なので、こんなんでは語りきれない…と筆者は申し上げながらッ。

2010/05/09

石川雅之「もやしもん」 - 断章。菌類の変態性 と 人間らの変態性

石川雅之「もやしもん」第1巻 
参考リンク:Wikipedia「もやしもん」

以下の堕文は当初、がたがたさんのブログ記事(*)へのコメントとして書かれようとしたもの。でもびみょうに長くなっちゃったので、自分ちに掲載。そして話題の石川雅之「もやしもん」は2004年からイブニング掲載中の、『菌類萌え(?)』まんが。ではどうぞ。



この「もやしもん」は、まず原作の構成がありえない軽わざかと感じています。菌萌え、理系大学生ライフ、グルメ、ボンデージ、ゴスロリ、男の娘、まったく存在感のないエスパー主人公、そしてラブコメ要素…って。これらのふつうはまとまらないモチーフらを、ともかくもまとめているのが、まずすごいな、と、考えていました。ことばで言ったら散乱しきっているものが、「もやしもん」というタイトルのもとでは、なぜかまとまっているのですね。

だからこれについて、ことばにしようとすると、やっぱり散乱してしまう。にしても大きく2つに切り分けて、『菌萌え、発酵、開発、グルメ』といったモチーフ群と、『ボンデージ、ゴス、男の娘』といったモチーフ群がある、としましょう。
で、いったいこの両者には、何の関係があるのでしょうか。それらはまったくの無関係ではない、単なる並置並存ではないはずですが、しかし『こういう関係である』と、うまく言えた例があるのでしょうか?(無知にして存じません)

そうして、こちらのレビュー(*)を拝見しまして。わたしの見ていないアニメ版についてのお話ですが、『人間ドラマとしてすばらしい』と言っても何か足りないし、また『男の娘、萌え~』と言ったとしても何か足りない感じ。作品の過剰さに対してことばで応戦すれば、異様に足りないものになってしまう。そのような「もやしもん」という物語の、罠である性格というものを、大いに感じたしだいではあります。

と書きながら1つ思い浮かんだのですが。あえて言うなら今作について、『菌類の変態性』と『人間の変態性』ということが二重写しに描かれている、というのがポイントでしょうか。何のことかというと、『菌類の代謝と生殖のシステムは、ひじょうに変態的』ということが、「もやしもん」の物語の根源にあるようなのです。
つまりアルコール発酵という現象があったとして、生成したアルコールは、言ってみれば老廃物でしょう。それをわれわれは、おいしくいただいているのです。これを一種の、『プレイ』として考えてみる必要があります(!)。
かつ生殖のシステムにおいても菌類は、無性であり、分裂し、気まぐれに異種間でも遺伝子を交換し、そして単体になったり群体になったり、菌糸を出したり胞子を出したり…というトータルなアナーキーさ。この変態性が、『ノーマルな性とはマンツーマンのヘテロセクシュアルである』という想念が崩壊しつつある現在の人間らの変態性、それへと対応させられているのでは。

だから「もやしもん」において、『菌類はグレートである』という主張が通ってしまえば、『人間らの変態性欲はオッケーである』という主張もまた、言われずして通る。そのようなひきょうなしくみ(笑)が、こっそりとできているのかなあ…ということを、御レビュー記事を参考に、たったいま考えついたのでした。



…という堕文を読み返してみると自分は、ふつうの読者なら感じるかもしれない、「もやしもん」作中の『人間ドラマ』などというまともっぽい成分を、完全にスルーしきっている。やるなッ。

2010/05/07

杉本ペロ「俺様は?(なぞ)」 - ぱわふるみらくるガマン大会!

杉本ペロ「俺様は?(なぞ)」第1巻 
参考リンク:作品データベース「俺様は?(なぞ)」
関連記事:杉本ペロ「ダイナマ伊藤!」 - 心はマジだが、立場的には冗談

人気のないブログで人気のない作品を話題にするなんて、まったくもってのガマン大会の挙行みたいなものだ。とはいえ当家の事情として、ゆうべこの杉本ペロ「俺様は?(なぞ)」全4巻(少年サンデーコミックス)をうっかり読み返してしまったので、そのタイミングで記事にしておきたいのだった。
さてこれが、2003年から2年間ばかり、週刊少年サンデーに載っていたショート形式のギャグまんが作品なのだが。そして参考リンク先のユーザーによる評価を見ると、まず今作の存在は、その時期のサンデー読者たちにとってのガマン大会であったらしく。しかも筆者が見た感じだと、作品の全般的ふんいき自体が、その第2巻あたりから苦しまぎれのガマン大会チックになっているとは痛い!

で、どう言ったら何かが伝わるのか、と苦しみながら。さいしょに筆者の全般的な感想でも書いておくと、少なくとも今作は『たまには読み返したくなる作品』だ、とは言える。そしてそのたびに『これはいったい“何”であろうか?』という疑問で、その『読み』が終りなきものとして終わるのだ。
よって「俺様は?(なぞ)」という今作の題名には、まったくいつわりがなさすぎだ。そしてその性格が、さいしょから答の用意された問いを好む方々の反発を誘っている。

だいたいペロ先生の創作態度として、なぞを提示しておいて答は出さないというところは、これの前作「ダイナマ伊藤」からして見うけられる。で、それはいいと、筆者は考える。こんなところでカフカの名前を出すのも何だが、そっちの超メイ作らにしたって永遠のなぞまみれであり、公式の答などはどこにもないのだから。
ただし『なぞ』というにも、人の喰いつくようななぞと、そうでないものがあろう。まず、『何かのひと押しでとけそうななぞ』には、人を誘う要素がある。またその一方、とけそうになくとも、あまりに重大で差し迫ったなぞであれば、いやおうなく人はそれに向き合う。
そういうところから、事後的・遡及的に申すと、今作のなぞ構成に難がないとは、とても言えない。『とけそうもないなぞ、しかも“俺様には関係ない!”』のように見られては読者の関心を失ってしまうわけだが、惜しくもそっちへ傾いちゃっている感じがぜんぜんなくはない。

ともかくもまあ、この「俺様は?」がどういったお話なのか、その第1話『レッスル馬鹿』あたりを見ておくと。

物語の語り手≪笠井くん≫は、超ネガティブ思考の小学生。ある日、彼のクラスの3年D組に『大物でわがままな』転校生がくるといううわさを聞いて、『きっと 僕は いじめられるん だろうな……』と、朝っぱらからさっそくブルーなことを思考中。
そこへ担任のよし子先生に先導されて教室へ入ってきた転校生は、デストロイヤーのような白マスクをかぶった、身長2mのマッチョマン(!)。あまりに大きすぎて入るさい、戸口にガツンとおでこをぶつけてしまう。そしてそのおでこには、『?』の文字。
みんなあっけにとられ、笠井くんが『小学生なの?』と問いかけると、大男は『俺様はどう 見ても小学生だ コノヤロウ!』と、ひじょうに無理なことを言い張る。まあよく見ると、その着ているTシャツに、大きな字で『小三』と書いてはある。ただしさらによく見ると、『小一』と書かれていたものを、後から修正した気配がある(!)。

で、ともかくもよし子先生が、『みんなに自己紹介を』…と持ちかけるも、大男はものすごい顔をして、『俺様には関係ない!』、『なんだコノヤロウ!』と、そんなことばっかしを言ってやがり、まったく会話が成立しない。しまいに怒った先生が、『関係ないなら出ていきなさい!』と命じるが、そこでまた『俺様には関係ない!』の一点張り。
これらを見ていた≪国鉄くん≫と呼ばれる七三メガネのオタク少年が、『彼はプロレスのマスクマンであるに違いない、覆面レスラーに素性をたずねるのはヤボの骨頂です』的なことを言い出す。しかし大男は自分をレスラーであるとも認めず、あくまでも一介の小学生を言い張る(!)。

と、そんなことでもめているうちに、大男のマスクの内側から、たら~りと血が流れ出してくる。さっき戸口にはげしくぶつかったところから、血が出てきたのだ。それを見た大男は、『壁コノヤロウ~』と怒りに燃え、そしてブチきれて、逆襲の頭突きで戸口の壁を『ドゴッ バゴッ』とこなごなに粉砕!
するとあちこちのものが倒れたり崩れてきたりするので、『ドア コノヤロウ!』、『柱 コノヤロウ!』と叫びながら、大男は超もうぜんと暴れまくり! しばし一同あぜんとしていたが、やがてよし子先生が、『教室ぶっ壊す気ィ!? 馬鹿っ!!』と叫んで、大男にビンタ一閃! ところが大男は『女教師コノヤロウ!』と叫んで、ふらちにもよし子先生にまで頭突きをかましてノックアウトしてしまう…ッ!

ちなみに今作で『女教師』には、『にょきょうし』とルビ。筆者は『じょきょうし』と読むように思っていたが、『にょ』の方が何となくいやらしい感じ。ところがその語感のいやらしさが今作では、まったく宙に浮いているのだ。

と言ったところで今作の『ヒロイン』と言えなくもない人物、われらがよし子先生をご紹介。この方は大分出身、年齢はヒミツだが『婚期を逸しかけ』というあたり、すなわち独身、どうでもいいけど広島カープのファン、そしてブサイクでも美人でもなくて、全般的にはひたすらに地味。
ところがこの地味すぎる『にょきょうし』が、のちに≪俺様君≫と呼ばれる大男の出現をきっかけに、みょうに輝き出すのだ。ただしその輝きが、ひじょうにあやし~い色調ではありつつも。

すなわち。どうしてそんなにタフなのか、俺様君からいいのを喰らっても、よし子先生はぜったい退かずにやり返す(!)。そうすることで教育者としての意地を見せまくるのだが、しかしその反面、ふつうの授業をまったくやらなくなってしまう(!)。
さらに俺様君に関係ないところでも先生は、すだれハゲの教頭からプロポーズされて『セクハラ!』とテンパッたり、急にアイドルを気取ってはでに着飾り『よっしー』を名のったりと、いたるところで大暴走。…かって俺様君の出現以前はまともだった(らしい)D組が、お話の進行とともにどんどんメチャクチャになっていく、プロレスチックな大暴れと下ネタの巣くつになってしまう、その先陣として、われらのよっしーは突っ走るのだ。

さらに先生の暴走は、相手が常人なら10人くらいを一撃で吹っ飛ばす猛者になったり(!)、そうして刑務所とシャバとを平気で往復していたり(!)、というところにまでエスカレート。ルックス的にも、こっけいな有為転変の描写あり。というよっしー先生が、一般的にはあまり好感を持たれなさそうな感じだが…。
しかし筆者はふしぎと、このキャラクターにひかれるところが大いにある。だから『教頭先生からのプロポーズ』というイベント(第1巻, p.42)は、ショッキングではありながら『あることかも』という感じで受けとめられる。
なぜなのかって、『何の説明もなくて異常にパワフル』だという、そこがいいのだろうか? ちょっとそこは、自分でもよく分からない点だ。ただし『何の説明もなく』というポイントはきっぱりと重要で、あさはかな設定がついていないところがよい。逆に申して設定過剰なきょうびのまんがらについて、筆者はいい印象がない。

なんてまあ、わずかを語っただけなのに夜もふけて、そしてこの堕文がすでにじゅうぶん長い(!)。で、それから俺様君の大暴走が相次いだり、その正体等のなぞをつきとめようという動きがあったり、として今作は展開する。…と言ってすませたいのだが…。
けれど今作「俺様は?」について、『その主筋はこう』、ということはひじょうに言いにくい。というか、誰にも言えない。むしろこれについては、『どういう人がどういう期待をもって読み始めても、その期待は必ず裏切られる』、とも言えそうな気がする。

たとえばの話、『俺様君の正体さがし』というモチーフが、第1巻の巻末あたりで盛り上がる。そこがある意味、今作でいちばんトーンの上がっているところなのだが、しかしその上がったふんいきは宙に浮いたまま、どこかへ帰するということがない。
そうして俺様君の正体が分からないばかりか、そのライバルとして出現したような≪うんこマスク≫や≪なぞのボス≫らの正体も分からない。さらには比較的素性の明らかな人物ら、笠井くんや国鉄くんやよし子先生についてさえ、『こういう人』ということがよくは分からないままに、この物語は終わっている。

で、このたび読み返してみたら、さいごの方で『仮想現実』として展開しているところ、そしてなぞのボスによるサイキックな仕掛けが「ジョジョの奇妙な冒険」の『スタンド攻撃』を思わせる、なんてところに、筆者は新たな印象を受けた。けれどもそこらをキーにしたところで、今作に対するすじの通った読み方ってものは、できなさそうに感じられる。
そして、このように拡散しきっているところがいいのだ…とは、さすがの筆者にも強弁できない。ちなみにここらで申すと、今作の15から20%ほどの部分は人物らのプロ野球談義からできており、そこが筆者にはまったく面白くない(ヤキュー知らないし)。

かくて今作については、『ひとにすすめられる作品ではぜんぜんない』、ということばかりが確かだが。オレさまにしたって『俺様には関係ない!』、と言いたい気もするのだが。
けれども筆者は「俺様は?」を駄作とも愚作とも言いきれず、むしろ何かの『挑むべき1つの秘境』かのように見ることがやめられないのだった。そこに何らかのひかれるものがある、それは何かという『?』の究明、すなわちたった1人でのガマン大会を、ふしぎとギブアップしきれないのだった。…とまで申して、さらに続くかも(?)。