参考リンク:Wikipedia「中山昌亮」
中山昌亮「不安の種」は、超ショート形式のオムニバスホラーまんが。推定2004年からチャンピオンREDに掲載、追って「不安の種+」に改題されて週刊少年チャンピオンに移転。単行本は、無印が全3巻(ACWチャンピオン)、「+」が全4巻(少年チャンピオン・コミックス)。この堕文では、ひとまず無印版の方を見ていくことに。
1. 窓の外、ドアの外にひそむ“もの”
何しろこのシリーズは、最短2ページできりがつくという、そのスピード感がすばらしい! 最低限の導入部に続いてドカンとイベントが発生し、それでスパッと終わってしまう。長々しいプロローグもなければ、因果話としてのくどい説明もない。
どういう作品なのか、まずその第1巻から、いくつかお話を紹介してみると。
――― 中山昌亮「不安の種」第1巻, #12『訪問』 ―――
たぶんビジネスホテルで深夜3時、急ぎの仕事でパソコンを叩いている青年。
…ふと何かを感じ、窓を開けて外を見渡す。するとその建物の3階か4階、同じ階層の窓に張りついて、ガタガタッと何かをしている女性らしい姿あり。
『 な…… なんだ… ありゃ?』
彼が見ていることに気づくと、その女性は垂直の壁をペタペタペタと四肢で這い歩き、すごい勢いでこっちへ! しかも、その顔はのっぺらぼう!
青年はびっくりして『バンッ』と窓を閉めるも、相手は彼の部屋の窓に張りついたまま、じっとこちらをうかがっている。
――― 中山昌亮「不安の種」第1巻, #15『ピンポンダッシュ』 ―――
みょうに毎度のピンポンダッシュに悩まされている青年。ちょうど玄関にいたところ、ドアの向こうに何か気配を感じ、とっちめてやろうと、ドアスコープを覗く。
ところが見えたものは、いたずら小僧ではなく、やたら髪が長い女性らしき姿。奇妙な薄暗さに包まれて、その髪が前に垂れて顔を隠しているのか、それとも後ろを向いているのか、よく分からない。
そしてその女は、何か人間としてありえないポーズで腕を伸ばし、そして『ピンポーン…』とチャイムを鳴らす。
――― 中山昌亮「不安の種」第1巻, #9『届けもの』 ―――
安アパートに住む青年、その玄関のドアノブに、毎日のようにふかしぎな届けものが吊るされて…と、友人に打ち明ける。
『クシャクシャのコンビニ袋にさ…… ヨーカン1本とか ドーナツ屋のオマケのタオルとかさ ひどい時には 生の牛肉が新聞紙にくるまれて……』
友人は警察へ行けと言うが、しかし青年は『でも ここしばらく 無いんだよ』と言う。そして『いっそ くたばってて 欲しいぜ』などと吐き捨てるので、そこで逆に友人は引く。
やがて2人が部屋にたどりつくと、久々のそれが! そこで青年が怒って袋をたたき落とすと、その中身が転がり出る。『小鹿サブレ』という菓子の箱、そこに描かれたかわいい小鹿の絵、その目の部分に、アイスピックか目打ちがグッサリと突き刺さっている。
『不安の種』とはよく言ったもので、人間誰しも≪不安≫はある。見た作例らでは、窓の外、ドアの外への不安らが描かれている。もともと不安が存在しているところに、それを形象化した“もの”らが現れている。
晩年のフロイト様は、『何か理由があって不安がある、というものではない。むしろ人間らには、どうしようもなくさいしょから不安がありすぎる』とまで述べられた(…確か、「終わりある分析と終わりなき分析」に出ていたかと)。よって、閉所が不安なら広場も不安、深夜も不安なら白昼も不安、というわけだ。
――― 中山昌亮「不安の種」第1巻, 表4のあおり ―――
落下する夢のような
生温かい血液が背中を這うような
最後の一瞬だけを繰り返し体験するような
そんな気分はお好きですか…。
新感覚オムニバスホラー。
この物語は8割がフィクションです。
『8割がフィクション』とはよく言ったもので、今シリーズの特徴として、さいしょかさいごに時間と場所のデータが書き込まれている例が多し。作例#12だと、冒頭に『平成14年 2月 九州 福岡市』、とある。
だが、まんが表現の面白いところで、そのデータが、『この事件がその時そこで起こった』という意味かどうか、別にはっきりはしていない。ただ単に、絵図と文字とが画面上で出遭(いそこな)っているだけ、とも受けとれる。
にしても何らかの仕方でエピソードらが、具体的な日時と場所につながれている。その日時と場所が実在したことまでは確かそうなので、それが2割のノンフィクション部分なのやも知れぬ。そしてその部分の存在が、このお話らのやたらなリアリティに寄与していそう。
(さらに、単行本だけの特徴かも知れないが、エピソードの合い間のページに挿入された白黒写真。何でもないが、しかし何かありそうな都会の一隅を、高感度フィルムの粗い粒子で描写したもの。
何とこれらのほとんどが、エピソードの舞台らをそのまま写したものに見える! これがまた、このお話らのやたらなリアリティに寄与しつつ)
2. 欠如であるべきポイントを、かってに占拠する“もの”
ところでなんだが、さっき見た作例3つ、いずれにも性的なニュアンスを見ることができる。「不安の種」シリーズ全般に、かなりそれはある。#12『訪問』のさいごの1コマ、窓に張りついたのっぺらぼうの女性が、くねっとしたポーズで首をかしげながら、ミニスカートから出た脚を誇示しているのが印象的だ。
そして≪不安≫の高まりということについて、性的なアンバランスをその理由にする見方がある。さきの作例3つについて、まず何らかの性的な強迫を見た上で、さらに筆者が独断的に解釈すれば、これらはいずれも≪近親相姦≫の強迫、その存在を語っている。
もっとはっきり言えば、その目撃者である主体の、母や叔母や姉あたりが、近親相姦を迫ってくるというイメージ。それが変形されて、それぞれのエピソードになっている。
ただし近親相姦の欲望は主体の側にあるもので、それがくるくると反転されながら外化されて、それぞれの化け物的な女性(?)の出現、となっているのだ。…ま、それはひとつの可能な解釈として。
ところでこのシリーズのスタイルが、われわれの見てきた≪不条理ギャグ≫と似すぎていることは、大方の諸賢にはお分かりのことだろう。以前、当家のこの記事(*)で定義された≪不条理ギャグ≫とは、次のようなものだった。
『欲望の原因となる対象の占める場所、欠如であるべきポイントが、“何でもよい何か”によって、かってに占拠されること』。それによる≪不安≫の発生を戯画として描き、(半ば)客観視させるエンターテインメントが、≪不条理ギャグまんが≫である。
今作に即して言い直せば、もともと≪不安≫のあるような場所、薄暗いところや境界、何か人の情念がこもっていそうな場所。その欠如であるべきポイントを、かってに占拠する“もの”が突発的に現れる。
そこで主体の不安は≪恐怖≫に転じ、そしてお話はスパッと終わってしまう。そしてこの、『不安→恐怖』の転換が一種のカタルシスとなるので、よって今作はエンターテインメントとして成り立つ。
また、次のような作例はあからさまにギャグっぽい。今作について、『通り越して笑える部分もけっこうある』とは、わりに多くの人が感じるところらしい。
――― 中山昌亮「不安の種」第1巻, #14『訪問 II』 ―――
夜、ガタイのいい青年がテレビを見ていると、ベランダに人影。撃退してやろうと、身構えながら窓を開けたら…。
そこには、兇悪そうな鎌をもった、がい骨っぽい化け物の姿が! しかしその人物は、『ああ… 間違えた』とつぶやき(!)、そしてベランダ間の仕切りを透過して、隣の部屋へと向かうのだった。
――― 中山昌亮「不安の種」第2巻, b12『エックスデイ』 ―――
ちょっとスカしたかっこうの青年がクリスマスの街を、『オレんちにはサンタなんか来ねえし、さみしいなあ』、などと嘆きながら歩いている。
そして彼がアパートの前まで戻ってくると、自室のベランダの柵の上に、ふら~りと立っている、サンタの服を着た人影が…。
やがてそのサンタ風の人物は、窓ガラスに手を当て、そしてありえぬような大きな口と兇悪な歯並びをむき出して(!)、何かブツブツつぶやいたかと思ったら、『ずず…』と窓ガラスを通りぬけ、『ずるん』と青年の部屋に侵入してしまう。
これらを見ていた青年は頭を抱え、『前言撤回!! さみしくないっす! お願い! 出てって!!』と、心で叫ぶ。
b12『エックスデイ』では、『クリスマス→Xマス→Xデイ』ということばの転換が秀逸だが、そのことば遊びの要素も、ほのかにギャグっぽい。
また次の例など、『もろにギャグっぽい』というのではないが、しかし吉田戦車「伝染るんです。」の中に、そのまま出てきそうなお話なのでは?
――― 中山昌亮「不安の種」第2巻, b1『スウィング』 ―――
会社にケータイを忘れたサラリーマン。取りに戻ったら、ひと気のない真っ暗なオフィスから、『ブンブン、ブゥンブゥン!』と、異様な音がしている。
覗き込んだら、なぞの野球少年がバットを素振りしている。リーマンに気づくと少年はスウィングをやめ、『ガランガラン』と金属バットを床に引きずりながら、オフィスを出て行く。すれ違いざまに彼らが視線を合わせると、その少年の顔は、暗闇の中にみょうに真っ白で、そして目と口がきわめて小さい、異様なありさま。
かくて。言いわけや説明などの部分をいさぎよく切り捨てた、“超”ショートホラーである今作「不安の種」。その表現は明らかに、≪不条理ギャグ≫の先端部位に接して、同じかたちを描いているものなのだった。
3. 繰り返し…繰り返し…繰り返し………
そしてここまでを見てくると、さいしょにご紹介した3つの作例。そこに登場する女性らしき“もの”たちが、ギャグの世界で近年はやり気味な、『不条理のヒロイン』たち、それらと等価なものだということも分かってくるだろう。
どこに出てきた『不条理のヒロイン』かって、いままでいろいろご紹介してきたが、「妹は思春期」、「メグミックス」、「ロボこみ」、「侵略!イカ娘」、「波打際のむろみさん」…あの系列の。
とまでを明らかにできたところで、この堕文をいったん終わりたい。そしてさいごに、無印「不安の種」シリーズで、筆者がいちばん心に残った作例をご紹介。
――― 中山昌亮「不安の種」第2巻, b18『飛ぶ人』 ―――
青年2人が夜の道を、何かお金の勘定の問題で、びみょうに言い争いながら歩いている。そして一方がふと、近くのビルの屋上、そのフェンスの外側に、女性らしき人影を見つける。
『あれ 飛び降り自殺…… じゃねえか?』
『あ――… 大丈夫』
『大丈夫って お前ね…』
『あれ 毎晩飛び降り てるから』
…などと不可解なせりふが出たところで、屋上の人影はダイブを決行し、『ドサッ』といやな音が、そこに響く。しかし何かを知っている方の青年は、まったく表情も変えず、『繰り返し …なんだよ』、とつぶやく。
2人が見上げるビルの屋上、さっきと同じ場所に、再びその女性らしき人影が現れる。
繰り返し、繰り返し、繰り返し! かくて『不安の種』はけっしてつきることなく、そしてここにまた現れた不条理のヒロイン、そのまがまがしい媚態もまた、飽かずいつまでも反復されるのだ。
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