2010/08/30

藤澤勇希「BM ネクタール」 - それをやたらと反復することが

藤澤勇希「BM ネクタール」第1巻 
参考リンク:Wikipedia「BM ネクタール」

以下の堕文は、筆者がツイッターに投稿したものの再利用(*)。記事としてのていさいを作っただけで、字句はほとんど変えていない。



ななめ読み漫画レビュー、藤澤勇希「BMネクタール」。近未来SFパニックアクション、ものすごい力作で、読んでる時はけっこう引き込まれた。しかし見終わってみると、そんなには心に残ったものがない。人間ドラマの方面に、もうひとつの『押し』が、あちこちで足りないせいなのだろうか?

藤澤勇希「BMネクタール」(少年チャンピオン・コミックス全12 巻)、続き。その主人公が大阪弁のおもろい『イチビリ』少年という設定は、最初のエピソードでは大いに生きている。そこはいい。けれども続いたエピソードで、彼がわりと重くまじめな青年になってしまうので、なにわ要素が浮く。

藤澤勇希「BMネクタール」(2000-02)、続き。一貫して展開されるサイドストーリーで、BMと呼ばれる『資源=化け物』の開発者とその息子との葛藤、という要素があり。けれども、ほとんどクレイジーな父親に対し、つかず離れずの態度をとり続ける息子の心情、そこにあまり共感できなかった。

藤澤勇希「BMネクタール」、もう少し。父親像の弱さ、『父子の葛藤』の描写がシャープでない、ということは、主人公の側にも言えそうな感じ。主人公の母が、ごく短い出番でかなり強い印象を残しているに対し、父の方はどういう人物なのか、自分の読みではよく分からなかった。

藤澤勇希「BMネクタール」、結論。かの≪オイディプス神話≫をやたらに反復し続けることは、別に『いい/悪い』という問題ではなさげ。が、そうとしても今作の場合、その反復がことさら回避されているように読めることが、お話の印象を弱くしている感じあり。

藤澤勇希「BMネクタール」、余談。第1巻のカバーそでに、『愛犬 故・栃の嵐』というキャプションのついたわんこの写真あり。『無論「がきデカ」の名犬栃の嵐から、お名前をいただきました』 by 作者。ここがもっとも感動的だった、と言っては、皮肉っぽくも聞こえそうだが。



あと1つだけ、付け加えておくと。化け物≪BM(バイオ・ミート)≫のどん欲さと、われわれ人類のどん欲さ、ということが、2重写しで表現されていそうな今作。そういうものとして、りっぱに成り立っていそうな気がしないことはないのだが…。
けれどもこれが、手塚治虫先生が『まんがのなすべきタスクとは“風刺”!』と宣言なされたような風刺作品として、機能しそうな感じがない。それは何でかと考えたら、まず1つ、≪悪≫の描き方が弱い。
悪っぽく登場した人物らが、わりとかんたんに善っぽい方にころぶような展開が多い。悪の張本人かのような人物が、むしろ気の毒な病者のようにも見える。そこらに関して、『逃げている』などと断じたくもないのだが…その描いている『希望的観測』を、頭から否定したくはないのだが。しかしそこらが、今作のインパクトを弱くしている、とは言えそうなのだった。

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