2010/08/03

マツリセイシロウ「マイティ・ハート」 - 『護憲派』ヒロイン、爆誕っ!?

マツリセイシロウ「マイティ・ハート」第1巻 
参考リンク:Wikipedia「マイティハート」

以下で話題の「マイティ・ハート」(正しい表記は「マイティ♥ハート」)は、2007年から2009年まで週刊少年チャンピオンに掲載されていた、『SF特撮のパロディ+ラブコメ』くらいに形容できそうな作品。作者・マツリセイシロウ先生の最初のまとまった創作であり、単行本は少年チャンピオン・コミックス、全7巻。
で、これに対して、まるでプリズムのように…もしくは、しんきろうのように…なんて表現はきれいすぎだが。そうとしてもこれは、見る人によってずいぶん印象が異なる作品なのでは…という気がしている。『こういうものだ』と、かんたんには言えない感じ。

まず。第1巻のカバー画を見ればそっこうで知れるように今作は、むやみと巨乳な異装のヒロインが、やたらパンツをチラ見せしながら活躍する、『ちょっとエッチなドキドキ禁断ラブコメディ(表4のアオリ)』、ではありそう。それは、いちおうまちがいない。
だがしかし、『Hなラブコメ』というジャンルへの一般的な興味に対して、これがまともに応じ(きれ)ているものなのか…ということが、筆者にはよく分からない。もっとふつうに言うと、『Hなラブコメ』として成功しているものである、という気がしない。
それこれいろいろと考え廻し、『今作はこうである』ということがあまりにも言いにくいように思ったので、むしろ先にお話の概要を述べた方が、まだしも分かりやすいかもしれない。

ではその第1話、『怪人ミーツ少女』というお話から見ていけば。今作のヒーローたる≪怪人ヴァルケン≫は、たぶん地球征服をもくろんでいそうな悪の組織の幹部。何かちまちまと大小の悪事を働きつつ、しかしふだんは一介の地味な高校生≪天河くん≫として、現代日本の社会に潜伏している。
で、ある日。その彼のクラスに『すげえ美少女』が転校してきたので、男子らはキーキーと大騒ぎ。ところがその少女≪舞島心≫は、きゃしゃな姿に似合わぬ大音声で『やかましい!!!』と、軟派な男子どもを一喝! りりしいところを、出し抜けに見せてくれる。
内心で硬派をきどっている天河くんは、そこで『逆に』、心へと興味をいだく。…が、心は、彼をバカ男子らとまったく同様にあしらい、そして『お前 うるさいぞ』とたしなめてくるのだった(!)。

というできごとに小さからぬショックと怒りと屈辱感を覚えつつも、同じ日にヴァルケンは部下たちを連れて、『悪事中の悪事 幼稚園バスジャック』という作戦行動へと向かう。だがそこに、彼たちの悪事をじゃますべく、『断罪天使マイティハート』を名のる正義のヒロインが登場!
それがただ単に登場したのではなく、まず巨乳とパンチラという『部分対象』から出現している…とも書いておかなければ、やや偽善的な紹介になってしまいそうでありつつ。そして≪ヴァルケン=天河くん≫は、遠目にマイティハートの姿を見て一瞬で、『あれは… 舞島…心!!』と、その正体を超あっさりと見ぬいてしまう(!)。
しかもそれは、別にヴァルケンが目ざとかったわけではない。むしろ以後ずっと、マイティハートがその正体を、隠すことに成功した例はない(!)。よって舞島心がマイティハートとして、わざわざ恥ずかしいコスチューム姿で人前に出ていることには、『何の意味もない』…とも言えないのが、今作のひとつ面白いところ。それがなぜかは、いずれ述べよう。

で、この初登場時。とうぜんのように『高いところ(=倫理的な高みを含意)』から現れたマイティハートの口上を、ちょっとご紹介しておくと。

 『貴様らの狙いは わかっている!
 徒党を組み 混乱を招き
 憲法9条を 改憲する つもり だな!!(ビシッ)』

それを聞いたヴァルケンは、内心で『護憲派――!?』と言い返しながら、『ゴゴーン』とショックをこうむる(第1巻, p.12)。と、ここに、まんが史上でおそらく初めての…。初めてじゃなくともたいへん珍しそうな『護憲派』のスーパーヒロインが、超カッコよく(?)爆誕したのだった。

という場面を見て筆者が、たいへん強い印象を受けた、ひじょうにうけた、とは明記いたしたい。この作品が筆者に対し、序盤のここで大きなポイントを稼いでくれた、ということを書いておきたい。
てのも。『悪 vs.正義の闘い』的なお話たちが、ほんっっとうにくさるほどある中でも、悪と正義との間に≪憲法≫を置いてくれた作品というものが、たぶん今作以外にない(…ポリティカル・フィクションのようなものは除外し)。
だから、ここでヴァルケンが『ゴゴーン』とショックを受けた理由をも、ちょっとは考えてみるべきで。それは相手が正義の味方にしても、≪憲法≫を持ち出して自分らを責めてこようとは、あまりにも予想外だったから、では?
ヴァルケンらに限らず、自覚的に悪事をなしている者たちは、自分らが『刑法』に触れていて警察にケンカを売っている、とまではおそらく自覚していよう。だがしかし、自分ら(の所業)が≪憲法≫に対してどうなのか、なんてことは考えていないように思われる。…とわれわれが考えるのでなければ、ここでヴァルケンが『ゴゴーン』とショックをこうむる、という今作の記述がすべってしまう。

いくら正義の味方にしたって、≪憲法≫を背負って闘うヒロイン(&ヒーロー)なんて存在は、これまで『むしろ』なかったのだ。しかも、そこらから逆に考えてみると、むやみやたらに自己判断で実力を行使する『正義の味方』のようなしろものが、はたして合法的な存在なのか?…という疑問も生じてくる(!)。
そうと見れば、このマイティハートの口上は、特に誰の信託をも受けてもいないのに『正義の 刃で罪を 断つ』、と宣言している彼女(たち)の存在、それ自体をあやしく、あやうく、そして戯画っぽくしてしまっている。ゆえに、いままで≪憲法≫ということを語った『正義の味方』などはいなかったのでは?
だいたい、話題の『憲法9条』の記述がどうかというと、

『第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』

…とあるわけだが。これの前半の、『正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求』とあるところには、かなり多くの人々が共感できそうだとしても。しかしその『正義と秩序(中略)国際平和』を、いかにして実現しようか…というところに、あまりいい考えが誰からも出ていない。めんどうな話になりすぎるので、ここらはそんなに掘り下げないけれど。

そこで、あえて議論の飛躍をよくすれば。…正義とは何であろうかという問いかけ、そしていかに正義を実現しようか、さもなくば最低限、いかにして悪でない側に廻ろうか、という課題の存在。それらは、こんにちまでのいわゆる『戦後日本』の体制、その誕生の時点に生じて存在し続けている≪外傷≫に他ならない。
そしてよくある『正義の味方』たちの活躍を描くお話らは、その外傷の≪抑圧≫に貢献している。われわれがその外傷を(無意識へと)抑圧したいので、『正義とはどういうものか?』という問いを避けた『勧善懲悪』の明快そうなお話たちを、われわれは歓迎してきたのだ。

ところがマイティハートの過剰なる口上は、そのわれわれの≪外傷≫を、むじゃきかつ無慈悲で無意味にえぐり返しているのだ。かつその所業は、直前のエピソードで心が天河くんの『硬派きどり』という心理的な構えを、超あっさりと崩壊させた、その『頭から一刀両断!』のやり口の≪反復≫でもあり。
ゆえにそれは、≪ギャグ≫として機能する。そしてここでも確認しておくと、筆者が≪ギャグ≫と呼ぶものは『外傷的ギャグ』だけでありつつ。

ここでぜんぜん関係ないようなことも述べておくと、マイティハートとは異なるスーパーヒロインを描いた作品として、われわれは種村有菜「神風怪盗ジャンヌ」(1998)を知っている。そしてネタバレにならないよう慎重に申すのだが、その作品の描く≪ジャンヌ=まろん≫は、『闘う正義のスーパーヒロイン』なんて存在を、自ら撥無している。
彼女は『正義を守る』というタスクを(ふつうの安易な仕方では)実践しないばかりか、まず自分自身さえ『をも』守らない。『剣はいらない 平和主義者 だもん』というその決定的なセリフくらいは、ぜひとも引用させていただきたいところだ(「神風怪盗ジャンヌ」, 最終話より)
そしてはっきり申せば、『闘う正義のスーパーヒロイン』などという物語系列で、これに何かをつけ加えたものは、いまだない。以後はパロディ、それも、特に笑えるところもないようなパロディにすぎない、くらいに言ってよさげ。

で、そのようなジャンヌがあった上でマイティハートは、言わば『正義主義者』として、かつ何のためらいもなく悪に対して剣をつきつけるスーパーヒロインとして登場しつつ、しかも『護憲』的なことを言いたてる、というわけのわからなさ。
この状況下で『護憲』を主張することが何か消極的、もしくは微妙にもぬるま湯的で現状維持的な感じ、かといって『改憲』の側にもまったく空疎な勇ましさしかない。どうしたものか…というわれわれ多くの認識(らしきもの)とはまったく関係なく、われらのマイティハートは、『正義』の実力行使と『護憲』とを、ぜんぜん平気で直結してくれる。それがまったくの矛盾であることは、まったく別のやり方で、『“闘う正義のスーパーヒロイン”などという存在を自ら撥無』、というジャンヌのしわざを反復している。
もちろんそれは、『2度目は喜劇として』、というやり方で反復されているのだ。すなわち、そこでやっと笑えるパロディの誕生があったのだ…とまで言っては、ちょっとほめすぎなようだが。

話の先取りになってしまうけど、われわれは単に『正義』を話題にしているのではなく(そんなことに大して興味がないし)、『女性として』正義っぽいことにかかわって活躍している…そのようなヒロインたちを見ているのだ。そして、まず先行したお話のヒロインたるジャンヌ(=まろん)は、『女性である』という自覚をきわめたときにこそ、ひとつの葛藤を乗り越えることができた、と描かれている。
で、その約10年後に出たマイティハートは、それの安易でないパロディ作品になっているように思える。すなわち、非-ジェンダー的に『正義』を執行しようと意図しているヒロインが、なぜか見た目にはあからさまに『女性である』、と言うよりもそれでありすぎる、という性的な記号の現前でしかない(!)。
これはスーパーヒロインたちの通例が踏襲されているのでもあり、ジャンヌもそうだが≪セーラームーン≫とその亜流たちが、なぜかことさらに挑撥的なかっこうで登場していることには、りっぱな理由が『ある』。そしてわれらのマイティハートという存在は、そうした無意味そうな≪挑撥≫を、超ことさらにきわめているのだ。そうして彼女が、どうなってしまうのか…等々のことは、追って述べられよう。とまでを申して、続く。



続く、という文字列を打ってから、超・蛇足的な言いわけ&ごあいさつを。
このようにわれわれは、マツリセイシロウ「マイティ・ハート」なる創作の出だしのところに、たいへんシャープな≪ギャグ≫のさくれつを見た。これに限らず、そのようなものたちがあればこそ、筆者が今作について、この堕文を書いているのだ。
ところがこの作品が、トータルで≪ギャグまんが≫と呼べるものだと筆者には思えないし、かつそれは、悪と正義の闘いを『改憲 vs.護憲』として描いているものでもない。憲法がどうこうなんて話題は、冒頭のここに出ているだけだし。
そして、じゃあこの作品は何なの…ということは、おそらく“誰”も言えていないと思う。ま、ようするに今作は『ちょっとHなラブコメ』…その言い方で十分だと思う人にとって、それはまったくそうなのやも知れず。
が、単なるそれではないような、と感じているわれわれが、その有する『また別の』過剰さに注意しようとしているのだ。が、そうとはしたってこの堕文は、まだその第1話の前半までをしか見れていない(!)。…というていたらくを心そこからおわびしつつ、次回にご期待あれ…っ!

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