2010/08/07

三ツ森あきら「Let'sぬぷぬぷっスーパーアダルト」 - やっぱ男の子は…どうなのかといえば

三ツ森あきら「Let'sぬぷぬぷっスーパーアダルト」第2巻, 竹書房 
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かって1990'sの大名作だった「LET'Sぬぷぬぷっ」と、今21世紀の関連シリーズ「Let'sぬぷぬぷっスーパーアダルト」。この記事では後者(略称・「SA」)について、ちょっと小さいところを見ていこうかと。

その「SA」第2巻のカバーを見ると、われわれには超おなじみのキャラクター、かって「大文字のLET'S」のシンボルだった≪スシ猫くん≫の姿が! …と思ったらそれは、『22世紀の未来からやってきた猫型ロボット』、≪エロえ悶≫という別名&別の設定で、この「SA」にご出演なされているのだった。
で、そのエロえ悶くんは、のび太君ならぬ≪ネバ子ちゃん≫という女子大生の家に住み着いてて、何かしらお手伝いをしようとしている感じなのだが。
(≪ネバ子≫といえばギャグまん通のオレとしたら、土田よしこ大先生のりぼん掲載作「ねばねばネバ子」ってお作を想い出すけど。でも、別に何の関係もなさげ!)

ひとつのお話を、ご紹介。ある日、みょうにメガネの似合ってるネバ子ちゃんが自室で、意中の男子への誕生プレゼントを何にしようか…と、悩んでいる。お寿司を食しながらその相談を聞いたエロえ悶は、何のためらいもなく、

 『やっぱ 男の子は 女の体が 一番喜ぶと 思うよ』

と、あっさり言いきりやがる(「Let'sぬぷぬぷっスーパーアダルト」第2巻, p.96)。

…まずは関係ないところに目をつけておくと、エロえ悶の前世がスシ猫くんなだけに、彼がお寿司を食べている場面がよくあるのだが。
だがしかし、いつもそれでは、ずいぶんコストがかかってる感じだ。≪オバQ≫以来の居そうろうキャラクターとして、もっともぜいたくなのでは? …とま、それはいちおう見ておいて。

と、そのように、無意味に正しいエロえ悶の意見を聞いたネバ子は、『体じゃないよっ 心だよっ!』等々と、反論してけつかる。そして、相手の気持ちになって、ほんとうに喜ぶものをプレゼントしたい、的なことを言う。
そこでエロえ悶は、ご本家ドラえもんのまねをして、あれと似たような手つきで、未来のべんりアイテムらしきものを出してくるのだ。

 『オナリタ イーン!
 男の子の気持ちが わかるようになる 薬だよ』

で、そのタブレットを呑んだところ。たちどころにネバ子の股間から、男子の持つようなそれが、『ニョキ ニョキ』と生えてきてしまう。彼女のはいているスカートを持ち上げて、やたらとたくましいその姿を顕現させる。
すると、さいしょは『キャ―― 何コレ――』と叫んでびっくりしていたネバ子だが、やがて『あ――っ』と叫びながら、その“もの”を『シコ シコ シコ』と、自分でどうにかし始める。そして彼女は、この崇高にして高尚なる場所(笑)には書けないようなことを次々と口走ったあげく、

 『やっぱり プレゼントは 女の体が 良いかも――』

という結論を得るのだった。そしてそのありさまを眺め、『だろ』とだけ言い捨てるエロえ悶くんの、冷たい目つきとその機体のテカり具合いが、オチのところでみょうに印象的でありつつ。

…われらがフロイト様の尊きご理論によると、幼児の発想として『ペニスは付け外し自在のもの』であるという。さもなければ、ペニスをもたない者たちの存在が説明つかないからだ。
そしてご理論の大基本として『幼児の発想』あれこれを、人間たちは心の奥底で死ぬまでキープし続ける。そこらをへいきで否定できる者たちを、偽善的とか愚劣とか自己欺瞞のきわみとか、言ってみるも時間のむだでしかないが。

いや、まあそんな、≪理論≫がどうたらの話はやめて。男子の外性器というものが、一種の寄生虫みたいな“もの”、自分に対して外部的な“もの”なのではなかろうか…それの存在によって、自分が不自由になっているのではなかろうか…ということは、自分も思うことがある。
じっさいに男子の外性器を失ってしまった男性たちは、少なくとも『男子的な性欲』からは、自由になられているご様子だ。物理的“去勢”まではいかずとも、渡部伸「中年童貞」(扶桑社新書, 2007)という本をパラ見したら、『性欲から自由になるため、自分に女性ホルモンを投与してみた』(!)というお話が紹介されていて、それには意表をつかれてびっくりした。で、体験者はその≪自由≫の境地を、わりに快適だったように言われるのだった。

そして、われわれが見たエロえ悶くんの、エピソードの末尾の冷静きわまる態度。それがおそらく『男子的な性欲からの自由、という境地』からのものでありそうとは、彼の股間に性器的なものの描写が『ない』ことから知れる。
お話のたびにエロえ悶はいちいちエロいアイテムを出すけれど、しかし彼本人はまったくエロくない。これはどういうことかって、むしろ彼が自分から取り外してしまった“もの”が、(ひじょうにしばしばペニスを模した)彼のエロアイテムになって、そしてネバ子にくっついたりネバ子の中に挿入されたりしているのでは、と思える。そしてその使用されるありさまを、われらのエロえ悶くんは、きわめて冷静に眺めるのだ。



追記。上までで、いちおう話はまとまっている気がしているが(錯覚)、補足的なことを少し。
そして以下しばし、ひじょうにお品のないことを書いちゃうかもよ、とお断りさせていただいた上で。『かもよ』じゃなくてほんとにお下劣なフレーズを書いちゃうけど、いや別に見なくてもいいようなことだが、しかし以下を述べとかないと自分がお偽善的になっちゃう気がするので…と、そういうことで。

で、それも一種の≪ギャグまんが≫かもしれない、みさくらなんこつ大先生が≪ふたなり美少女≫を描くようなお話と、さっきご紹介したお話の共通性ということが、ないとも思えない。そっちのお作品たちで、おペニスをそなえちゃってる女の子(たち)が、『あひぃいぃ、お、おセンズリっ! マスコキっ! おチンポでっ、おセンズリ、かきたいれしゅうぅぅうう~!』等々と吠えまくってのたうちまわる、あれ的な。
筆者には『ふたなり』というネタを見ての性的興奮ということがぜんぜんないが、だけどそのような、みさくらキャラクター(たち)の痴態・嬌態・狂態に、ショックを受けつつの共感、ということはある。ようするにそれ(ら)は、お男子である“われわれ”のこと以外でない。

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