2010/09/05

kashmir「百合星人ナオコサン」 - 増殖を命じる声 と、不毛でありたい私

kashmir「百合星人ナオコサン」第1巻 
参考リンク:Wikipedia「百合星人ナオコサン」

今作「百合星人ナオコサン」は、2005年から月刊コミック電撃大王に連載中の、SF系(?)ショートギャグ。毎回がたったの6ページぽっちだけに、すでに5年間も連載していて、いまだ単行本は第2巻まで(電撃コミックスEX)。そこまでの刊行ペースからすると、この2010年暮れあたり第3巻が出そうな感じも。
どういうお話かと言えば、『百合星からやってきた宇宙人』を名のるなぞの女性≪ナオコサン≫が、現代日本のどこかの少女≪みすず≫の家に居そうろうしつつ、異星のテクノロジーらしきものを乱用し、大きなお世話をいたしまくる。

 ――― 第1話『粘膜保護同盟』より(第1巻, p.7)―――
 【みすず】 ナオコさんは 宇宙人なんだそうです
 太古の昔より 地球の生命の進化を
 調整してきた種族なのだそうですが ホントかどうかわかりません

そのヒロインの初登場の仕方が、大いに人を喰っておりつつ≪不安≫をかきたてるものでもある。どこかに離れて暮らしていた姉の≪奈緒子≫が帰っていると聞いて、みすずは急いで中学校から帰る。そして姉の部屋のドアを開けると、『やあ おかえり みすず』と彼女をふつうに迎えたのは、見も知らぬへんな人。
そのへんな人、耳のとがったスペイシーなかっこうの女性が、すなわちナオコサンだった(第1巻, 第4話)。喫煙の代わりなのかレトロなガジェットの『ふしぎな指ケムリ』というものを右手でもてあそび、そして「淫獣教育」とかいう官能小説を読んでおりつつ。

 【みすず】 あなたは誰? 奈緒子お姉ちゃんと どういう関係ですか
 【ナオコサン】 だからその お姉ちゃんだってば 信じてないなー?

似ても似つかないのに、平気でナオコサンはそれを言い張る。ところがみすずの家族、母と弟は、『奈緒子→ナオコサン』の入れ替わりを、別におかしいとは思っていないらしい。いや、その2人にしても『奈緒子=ナオコサン』とイコールで見てるのでもない感じだが、しかしナオコサンの存在に違和感を覚えないらしい。そうして、なぜかいつもみょうにきげんよさげにナオコサンは、みすずの家に居すわり始める。
なお、この家には、大してまともな説明もないままに父親のプレゼンスがない。と申せば『またか』という感じだが、『父の不在』という徴候は、その作品世界における『規範の不在』にパラレルな現象ではありつつ。

で、そもそもナオコサンが、みすずの姉の奈緒子でもあり、百合星からやってきた宇宙人でもある、という主張がめちゃくちゃかのようだが。
それについて筆者は、目の前の人物がAさんでもBさんでもある、1つの場所がA地点でもB地点でもある、という『夢表現』のしくみを感じるのだった。かつ、『家族の入れ替わり』というモチーフは、人の子ども時代の夢にはよく出てくるものでもある。

よけいなことかも知れないが、自分が憶えている子ども時代の夢を書いておく。ある日、自分が帰宅すると、茶の間に母と弟がいる。別に何にもおかしくないようだが、しかし何かがおかしい…と感じる。目の前の2人が、本物の母と弟とは違うような気がして仕方がない。そして、不安が高まる。
そうして今作中でも、ナオコサンには及ばないにしろ、みすずの母と弟が、これまたおかしい人物らなのだった。美人の母は、町中のごみ集積場からエロ本を拾い集めることを主婦のメインの仕事かのように遂行し続ける。また外ではおとなしい弟は、姉のみすずに対してだけはエロい好奇心を燃やしまくって、いろいろな挑撥に及ぶ。それらに対してまたみすずは、違和感や不安を覚えるのだった。

そういうふうに見てくると、今作「百合星人ナオコサン」は、Wヒロインの一方で語り手のみすずが、四方八方からセクハラをこうむるお話だとも言える。その第3話(第1巻, p.17)の内容、ナオコサンが路上にばらまいたエロ本を母が拾い集め、『ハイ』とみすずに渡して、『だめでしょ 散らかしちゃ』と言う。
さらにその母から、家に父が不在でみすずはさびしいらしいと聞いて、ナオコサンは目に無償の同情の涙を浮かべながら、そしてみすずの両肩を『ガシッ』と手でつかんで言う。

 【ナオコサン】 これからは ナオコサンのことを 本当のお父さん だと思って
 股間を まさぐるなどして いい…
 【みすず】 許可されてもなあ(汗)

…いちおう生きているらしい実の父をさしおいて、そんな宇宙人が『本当のお父さん』を僭称しようとしているだけでも何だし。まして中学生の娘が、父の股間をどうするとか。ナオコサンのイメージの中で、父娘の関係はそういうものらしい(?)のだった。
そうしてこれらを見ていた、みすずの親友の女の子≪柊≫までもが、『みすずちゃんに だったら ま まさぐられても…』と、何かかん違いして、ありがた迷惑な提案をしてきやがる。さらにそのころ、弟の≪涼太くん≫はどうしているかというと、ナオコサンの指図により、パワードスーツで身長を底上げし年齢を偽装して、新宿あたりにエロ本を買出しに行っているのだった(…はっきりしないが、今作の舞台は武蔵野っぽい土地らしい)。

 『享楽せよ(Jouis!)、という命令がある。
 それに対して主体は、私は聞いている(J'ouis)、とだけ答える』

ラカン様によれば、このことが、人間らの≪不安≫のみなもとなのだそうだ。夢の中で象徴的に表現されたエロシーンを眺めるとき、われわれはうすうすながらもその≪意味≫を察し、不安に襲われる。あえて独断的に言い換えると、その不安は、自分の起源をかいま見ることの不安、性交の結果として存在している自分についての不安だ。
そしてナオコサンをはじめとする人物らがみすずに告げていることは、要してしまえば『汝もまた、りっぱなエロ生物である。よって、“享楽せよ”』。そしてそのメッセージのもたらす不安とショックを、われわれは笑いという反応によって受け流すので、ここに今作が≪ギャグまんが≫としてある。

と、ここまでを見てみると、一見ふつうの少女らしきみすずの愛好物が≪廃墟≫であることも、奇妙だが何らかの意味をなしてきそう。それはもちろん『望ましき自分(理想自我)』のイメージであり、その意味するところは『不毛でありたい』、(当面は)性交や出産をしたくない。これは、ふつうの意味での≪少女趣味≫の、1つのバリエーションでもありつつ。

追って、第8話の『触手エクスプレス』というのがまたひどいお話で、まずは冒頭、近所にちかんが出るということが家庭の話題になる(第1巻,p.56)。そこで母は『心配ねえ…』とつぶやいたかと思うと、おかしいことを言い出す。

 【母】 みすずちゃんも エロ本とかで 我慢しとかないと ダメよ?
 【ナオコサン】 がまんだ みすず!
 【みすず】 …される方の 心配してよ!

それからナオコサンはちかん対策をねって、啓発用のポスターを作成する。すると何と、その絵図でちかんを演じているのがみすずの姿(!)。

 【みすず】 どうして私が モデルなんですか!?
 【ナオコサン】 (とくいそうに、)敵を知るには まず己からと 言うじゃないか!!

ところで今作のおかしいところは、そこに明らかな享楽への扇動があるにしても、いわゆるノーマルっぽいヘテロセクシュアルのそれが、言わば度外視されている。いまのお話でみすずが(ゆえなく?)ちかん扱いされて気の毒なわけだが、しかし『痴女』ではない。なぜなのかふしぎにも、彼女が女性を襲うのでは…ということが懸念されている。
そもそも今作には、涼太くん以外には男性の『人物』などいないに等しいし。何せ作中の『享楽への扇動』のリーダーが、『百合星人』なので…と言えばそれまでだが。

Can“Future Days”1973と、この堕文がもはやずいぶん長くなってきたので、その『百合』とはどういうことか…を宿題にしながら、いったんここらでひと区切り。さいごに1つ余談でも書いておくと。
筆者が今作「百合星人ナオコサン」を『どうであれオレ的に、だんこ注目すべき作品!』と思ったのは、何の意味もなく涼太くんが、クラウトロック(ドイツ製ロック)のカンの1973年の名盤「フューチャー・デイズ」(*)のTシャツを着ていたからだった(第1巻, p.147)。

『レトロ・フューチャー』とは実にうまいことばがあったもので、21世紀の現在に(自称)宇宙人の活躍を描く今作は、俗悪きわまるギャグまんがでもありつつ、われわれがうかつにも忘れそうなものたちを、“ここ”に呼び戻している作品でもある。そしてその呼び戻された“もの”が、カンの名盤はともかく、街角のアースやオロナミンCのホーロー看板のような、これまた俗悪なイメージでもありつつ。
筆者は『広告の図像学』なんてことに興味はないが、殺虫剤にしろ健康ドリンクにしろ、へんに誇示されたそれらが≪ファルス=勃起したペニス≫をさしているイメージということは、ぜんぜんまちがいない。それらのイメージは、びみょうにもわれわれの≪外傷≫をつついて機能する。あんまりな拡大解釈のようだが、それらもまた『享楽せよ!』というメッセージを放つものにまちがいない。
しかもそれらの看板はどちらかというと、われわれがそれらを見ているというより、崑ちゃんや水原弘がわれわれを見ている、として機能しているのがいやなところ。こんなものらは、1986年にみうらじゅん先生が「見ぐるしいほど愛されたい」でネタにした時点でもじゅうぶんレトロだったのに、まさか21世紀の話題になるとは思っていなかった…!

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