2010/09/18

kashmir「百合星人ナオコサン」 - 幼女は、『プロ』に限ります!

kashmir「百合星人ナオコサン」第1巻 
関連記事:kashmir「百合星人ナオコサン」 - 増殖を命じる声 と、不毛でありたい私

関連記事の続きだが、本題の「百合星人ナオコサン」を見る前にちょっと。実作を読んでおられる方々には、おのずと関連性が見えそうな余談から。
この堕文を書き始めた9月8日、日本は台風9号に襲われていた。そこでヤフーの天気予報をチェキしていたら、ついついヘッドラインに目が行って、しまいにはおかしなページにたどりついた(*)。

この『MSN産経ニュース:トピックス 性犯罪』というページが、まったくどうしようもなく、言うも情けないような事件の報道で埋まっているのだった。軽めのところではのぞき(盗撮)や露出行為から、ちかん・幼女にいたずら、そしてしまいには言いたくもないような蛮行らにまで。

その産経ニュースのページ内容が、いずれは変わっちゃうと思うので、ちょっと見出しらだけ引用しておくと。

 『あと絶たぬ“センセイ”たちのわいせつ事件』
 ・学校行事中に眠る女児の下着ずらしパチリ…小学教諭逮捕、静岡県警(9月4日)
 ・わいせつ容疑で鹿児島の元中学校長逮捕 小学生女児の体触る(8月30日)
 ・少年にわいせつ行為、少年院の教官を減給(8月27日)
 ・教え子へのわいせつ容疑で佐賀の高校教諭を再逮捕(8月17日)

 『ハレンチ教員のあきれた性犯罪』
 ・カラオケ店で教え子にキス、胸触る 県立高教諭免職 埼玉県教委(8月26日)
 ・教え子に淫行、容疑の町立中学教諭逮捕 北海道(8月23日)
 ・「猫の霊を除霊」と教え子に強制わいせつ容疑、塾経営の男を逮捕(2月25日)

…何かもう言語道断すぎて、掘り下げたくもないような気分だ。いろいろと考えるべきことらはありそうだが、それらは他の方々におまかせしつつ。

で、イヤなんだが、もう少し見出しをご紹介。

 ・女児は精神不安定に…わいせつ「見守り隊」72歳に有罪判決(7月22日)
 ・強制わいせつ容疑、どこが「さわやか先生」(9月8日、これは読売Onlineより)

『見守り隊』および『さわやか先生』らとは、本来は善意のボランティアで、こんにちの児童(教育)についてのリスクが勘案された上で存在しているものらしい。ところがその方々までがわいせつ行為などに及ぶのでは、児童らはまったく立つ瀬がない。
いったい児童らが、何をしたというのだろうか? あるいは人間らが『子ども』として生まれてくること、それ自体が何らかの罪なのだろうか? かつまた、幼さや弱さの顕在を≪挑撥≫と受けとるような精神構造が、なぜにここへと生じているのだろうか? それらが問題だ、とはしておいて。

でだ、これらを見てきてオレ的に思うのは。われらが21世紀の≪ギャグまんが≫で、田丸浩史「ラブやん」や松林悟「ロリコンフェニックス」らを筆頭に、もろペドフィリアという≪症候≫をテーマにしたものがあるが。
あれらの作品たちについて筆者は、わりと『ないこと』を、面白おかしく描いたもの、と受けとってきた。いやじっさいのところ、それらの作品を見て『笑い』という反応を返している限りで、読者においてそれらの描写は『ないこと=あってはならないこと=ありえないこと』だ。前の「ウミショー」についての記事で書いたが(*)、オーガズムをめざして必死な人間らはくそまじめというモードに入っているわけで。

ところがさきに見たヘッドラインたちは、『ありえないこと』らが現にある、ありすぎるという外傷的な事実を示している。で、そのような報道を『ネタニュース』やら『痛いニュース』やらとして面白そうに(?)取り上げるようなネット上のリアクションもまた、『“ありえないこと”に対しては、笑いをもって反応すべき』という心的機構の発動ではあろう。

けれども、そんな事実が遍在しすぎれば、『ありえないこと』がやがて、ありえなくはなくなる(!)。筆者がちょっと興味を感じた産経ニュースの見出しを、もう1つご紹介いたせば。

 ・「性的に興奮するため」強姦事件の裁判記録コピー600枚 元旭川地裁職員(8月5日)

ニュース本文をよく読むと、この地裁職員は、すでに連続強姦事件の犯人として起訴されているのだそうだ。たぶんそこから、この所業が明らかになっている。時系列化すれば、2008年から今2010年1月までにその裁判記録の窃盗がなされ、追って2月と4月に、強姦事件が実行されているもよう。
この事例が示すように、わいせつ関係の事件などに過剰に興味をいだいているような方々は、口先で何を言っていようと、彼たち自体がりっぱなリスクである、という事実もありげ。これは認識しておきたい。

田丸浩史「ラブやん」第2巻よって、消防士による放火事件がわりと毎年発生しているように、ことさらな『見守り隊』とやらのメンバーがわいせつ事件を起こすのも、ひじょうにに不ゆかいだが一種の必然(!)…と言えなくはない。その一方、「ラブやん」や「ロリフェ」のヒーローたるロリコン君らが劇中で、独りでかってに『少女たちの味方』を気どり始めることは、こうした現象を逆方向からわかりやすく戯画化している。
しかしなんだが世間がこんなでは、『ありえないこと』を描いているはずのギャグまんが、「ラブやん」や「ロリフェ」らの表現に対し、『ねえよ!』という笑いを返しにくくなってしまう。『それはあるな』、みたいな冷静な感想が真っ先に出てしまっては、ギャグが成り立たない。
正直なところ、オレは見通しが甘かった気がした。自分の生きているこの社会を、もう少しくらいは『正気』のあるところかと思っていた。

そういえば。うろ憶えだが、竹内元紀の崇高なる大名作「Dr.リアンが診てあげる」の作中、確かセクハラの王者的な人物が、『ちかん・露出・のぞき等々の性犯罪はよくないぞ!』のような、みょうにあたりまえのことを言う。それは、どの口から…という感じも大いにありながら。
そうすると、物語のヒーローたるさわやかボーイのナオト君は、

 『そうだよ! ボクだって、必死にガマンしてるんだよ!』

などと言い、またき同感の意を示す。で、それを聞いたナオト君にホの字の女の子は、『必死にガマンしてるの!?』と、オウム返しで彼女のこうむったショックを表現する。
これを見たら、「Dr.リアン」はほんとうにさえまくった大傑作だと痛感せざるをえない! つまり、そうしたことらへの≪欲望≫を『必死にガマンしてる自分』という外傷的な認識を抑圧することが、ろくな結果を意外に招かない。無意識の欲望は、意識化されねばならない。

かつ、そうは言っても『ガマンをしない』ということでもない(…とうぜん!)。それは今作こと「百合星人ナオコサン」を扱った関連記事(*)で、『近所にちかんが出没』ということが話題になって…という個所に、ちゃんと引用しておいたとおり。

 【母】 みすずちゃんも エロ本とかで 我慢しとかないと ダメよ?
 【ナオコサン】 がまんだ みすず!

で、やっとここらから本題、「百合星人ナオコサン」の話になるのだが…。

その題名になっている≪百合星人≫とやらが、まともに女の子たちを追いかけまわすような、そんなストレートなおまんがで、これはない。そもそも、そんな作品が面白くなるとは思えないし。
だいたい筆者には≪百合≫ということが、バカな男らの性的妄想の1つの趣向、すなわち『ふたなり』や『触手』に並ぶもの、としか考ええない。そうして今作の内容が、そのような筆者の思いを大いに肯定してくれつつ。

で、このナオコサンはどこらへんが≪百合≫星人なのか…ということがいまいち明らかにならないまま、しばしお話が続いた後で。その第6話の冒頭にて、きわめてとうとつに前ぶれもなく大々的に、今作の決定的なキーワードが登場してしまう。
それがどうやら夏の掲載誌に出たお話だったらしく、われらのナオコサンは食べかけの焼きトウモロコシを中空へとさし上げ、ついでにつぶつぶを空中に散乱させながら、声も高らかに大宣言なさるのだ(第1巻, p.41)。

 【ナオコサン】 日本の 夏と言えば まず海!!! そして 水遊びする 幼女!!!
 あと 山!!! 山で 水遊びする 幼女!!!
 花火大会!!! にも かかわらず 幼女 水遊び!!!
 甲子園!!! には 脇目もふらず 幼女水遊び!!!

ここで画面は、幼女水遊びのイメージカットから、そんな宣言を聞いて引いているみすずへ。そしてその背後の遠景でナオコサンは、通りすがりのオッサンに、『リピート アフター ミー! YO U JO!』と、超かんじんきわまるキーワードを教え込んでいる。
それに続いて、またまた前景にナオコサンが割り込んできて、カメラ目線でシリアスにいわく(ビシッ)。

 【ナオコサン】 だって新聞だって 普段堅いこと書いといて
 幼女が半裸になった 途端一面トップ じゃないか―
 君らの正体は わかっている わかっているとも

と言ってナオコサンは、『あと絶たぬ“センセイ”たちのわいせつ事件』とかいった見出しをぬけぬけと書いている偽善者ども(!?)、その正体をズバリあばいてしまうのだった。で、この第6話から、今作を特徴づける決定的なキーワードは『幼女』、さもなくば『ようじょ』か『YOUJO』、それにきっぱりと決まってしまうのだった。
ところで重要な余談だが、大宣言の画面のナオコサンがいろいろと食いかけで汚いはずなのに、見た感じは汚くない。内容がダーティきわまっても画面の印象が常にきれいなのは、今作のすばらしく欺まん的なところではある。こんな方向性でなくとも、絵づらの汚いギャグまんがは、だんだんとうけにくくなっている。

で、そこから続いての展開で、ナオコサンがこっそり計画していた『水遊び幼女祭り』という夏の風流な企画が、ある理由で中止になってしまう。と聞いてからみすずが見ると、すでにその場へ、ブッキングされた幼女らが大挙して待機している(!)。
そしてナオコサンは幼女らに『スミマセン』と言いながら、キャンセル料を渡す。すると幼女らはきわめてビジネスライクな態度で、次の現場へぞろぞろと移動していくのだった。そのありさまを眺めたみすずは、びっくりしながら『…プロ?』とつぶやく(p.45)。

夏の新聞の紙面を活気づけるため等々のお仕事で、ひそやかに『プロ幼女』である方々が活躍されている、というお話なのだった。もちろんそれはナンセンス、だがしかし!
がしかしだ。ロリコンの人々からそのお小遣いを巻き上げるためのモエモエ諸商品、そこに描かれたイメージであり商品であるところの幼女らを、『プロ幼女』と呼んでみるのも1つの言い方なのでは? そういう意味で、『プロ幼女』はりっぱに実在するのだ。
とすればモエモエ関係のクリエーターやプロデューサーの各位は、『幼女を売っている』、『幼女に稼がせている』、という言い方もできよう。…というのがおかしげな人たちの脳内的な真実(しかし真実!)なのに、その言い方を過剰に真に受ける方々もおかしいが。

そうしてここから今作で、『幼女』なる語が出ていないエピソードがめったにない。さもなくば、ほとんどない。その中で…といっても『ほとんど』の中からだが、筆者の好きなお話を、1つご紹介させていただけば(第2巻, 第32話)。
中学校の学園祭の演劇で、みすずと柊がヒーローとヒロインを演じることに。…と聞いたナオコサンは『なるほど!!』と叫び、そして言う。

kashmir「百合星人ナオコサン」第2巻 【ナオコサン】 最新の 学説によると 一般尿と 幼女尿では
 厳密には 差はないそうだ みすず!

で、さらに2コばかり連発でナオコサンが、幼女ギャグをさくれつさせた後に。みすずが『私に主役なんて 無理だよ…』と弱音を吐くので、ナオコサンは『いくじなしっ』と叫び、≪泌尿器界の権威≫こと増田権蔵博士のもようのクッションを、『ポム』と彼女に投げつける。
そこで≪メガネ≫と呼ばれているメガネ少女の柊がナオコサンをとりなすと、ナオコサンは『ちっちっ 甘いな メガネ』と言い、そして自らのスパルタ教育(?)を正当化すべく、例によってカメラ目線で、次のように力強く訴えるのだった(第2巻, p.94)。

 【ナオコサン】 百獣の王ライオンは 自らの子供を 千尋の谷に 突き落とし
 代わりに幼女を 育てるという
 【柊】 (思わず感涙にくれて、)愛情なん ですね
 【みすず】 子供は?

とは、もうばかばかしすぎて何も言いたくないが。だがしかし、今作が連発しまくっているこのての幼女ネタを、“われわれ”が笑えるのはなぜなのだろうか…と考えたら?
まいどまいど申し上げちゃうわけだが、それは『無意識における肯定が、意識において否定される』、そのさいに生じる≪ギャグ≫の作用なのだ。さようなのだ。

そうして、さきに見たターニングポイントの第6話から、今作のふんいきは、プロ(っぽい)幼女らとロリコンどものなれあいを、ナオコサンがなまあたたか~く見守る、という感じになっているのだった。その第6話から1年後に出たお話だろうか(第1巻, 第17話)、夏のレジャーに出かけた一同は海の家に入り、ナオコサンはかき氷を食して、そして『はっ』と何かに気づく。

 【ナオコサン】 この氷は もしや…
 幼女の 自然な甘みを 利用して作られた 伝説のかき氷だ! 間違いない!!
 【みすず】 自然な甘みって…

という問答を横で聞いていた海の家のしぶいオヤジは、『…… わかるかい 若けーの』と言って、ナオコサンの妄言を平然と肯定するのだった。その伝説の≪幼女氷≫とは、氷塊に接して幼女らがたわむれる→幼女の熱で氷が溶ける→再凍結、というプロセスを繰り返して作るものだそうで。

 【オヤジ】 手間ひまを惜しんでは 納得のいく味には ならないんだ
 近頃は小学校入るのも いろいろ面倒だしな

いやそんなことをしても、びみょうにしょっぱい氷になるだけなのでは…等々と反論しても、ここではまったくしょうがない。どこの誰が何を言おうとも、仮にわれらの増田権蔵大先生がそれを否定なされたとしても、その方々のおつむの中で、幼女らの汗には『自然な甘み』がどうやらあるらしいのだった。
で、そんなことを言ってナオコサンと意気投合した店主が、やがて警察にしょっぴかれてしまうけれど、しかしナオコサンはいっこうに気にしない。内容はともかく≪百合≫と呼ばれた趣向を広めることだけに熱心で、その後のことを彼女はかまいもしない。

追ってそれから、お話のひどさがどんどん増していって(?)。第2巻の第25話、太り気味なのを気にしている柊のために、ナオコサンは『百合星式 高機能体脂肪 その他測定器』なるマシーンを持ち出す。そしてためしに通りがかりの健康で健全そうなスポーツマンを測定してみると、ディスプレイにはあっぱれ『健康』という文字が出る。
だがしかし『健康』だけとは測定結果が大ざっぱすぎかと、ナオコサンがマシーンのマニュアルをひもといてみたら。

 【ナオコサン】 えー 赤字で健康と 出るのは…と
 健康で かつ ペドフィリアの 場合だそうだ (親指を立てて、)Yeah!
 【スポーツマン】 (ギクリ!的に青ざめ、)ええっ

それから彼女たちが測定を続けると、オッサン・子ども・警官・覆面のあやしい人・等々…ことごとく、健康(かつペドフィリア)な人ばかり! それでそこへとパトカーが大挙出動してきて、人々は次々しょっぴかれてしまう(第2巻, p.38)。
これではまるで、さいしょにご紹介の腐った現実の世相が、ここへと『すなお』に描かれているがごとし。つね日ごろ『ペドフィリアはけしからん』ようなことを言っている方々もまた、ひと皮むいたらほとんどペドである、と…! しかも、『健康 かつ ペドフィリア』という言い方の皮肉が超ありえな~い!

で、せっかくなのでもう少しご紹介を続ければ、やがてそのマシーンは測定してないのに『健康』という文字を示しながら、そして『ハァハァ』とへんな音声を発しつつ、通りがかりの幼女らにからみつき始める。それは、『幼女分』と呼ばれる≪何か≫を吸収しようとしているらしいのだった。

 【ナオコサン】 しまった!! 機械自体が ペドフィリア だった!!!

そこで柊に促されてナオコサンは機械を止めようと…する前に、カッコいいらしきポーズをきめながら、またもカメラ目線で、そしてやたら大きな文字でこのように宣言するのだった。

 【ナオコサン】 ペドフィリアとの戦いは 始まったばかりだ!!!!!

先にこれを宣言しておけば、仮にこの後、ページ数の都合やらで何かがあったとしても『大丈夫』、であるらしい。ところがナオコサンが何かする前に、マシーンはかってに爆発してしまう。そしてそのさいごを見て、われらのナオコサンは言うのだった。

 【ナオコサン】 愚かな…
 自分の幼女器{うつわ}を超えて 幼女分を 得ようとしたんだ…
 (涙ぐみながら彼女は、高橋名人が『幼女は 一日一時間!』と訴えているパネルを示す)
 己の力量を 見極められなかった者の 悲劇さ…
 【みすず】 悲劇かなあ(…引用者註、{}内はルビ)

で、ともかくも何かが落着した感じなので、ナオコサンは今度は高いところを見上げ、『ペドフィリアとの戦いは 終わったばかりだ!!』と、誇らしげに宣言。が、そもそもほんとうにペドフィリアと戦う気があったのかどうか?…というところに大きな疑問を残しつつ。
そうしてみすずがふと横を見ると、いつの間にやらマシーンに代わり、柊がその場の幼女らにタッチして、幼女分をズイズイズイと吸収している(!)。そして彼女の顔や体が、みるみるうちに『ブクブク』…とふくれ上がっていくのだった。

…知りもしないが、近ごろ筆者の腹部に『やや』たまり気味な≪何か≫もまた、その幼女分とやらなのだろうか? さもなくば、その一方に『熟女分』というものも存在しているのだろうか?
どっちにしろ、そんなものらを吸収している気がしないのだが。にしても『己の力量』というものだけは、しっかりと見極めておきたいところだ!
と、ここで『熟女分』という文字を書いて思い出したが、今作には中学生よりも上の年代の女性らが、『なぜか?』と問うのも愚かないきおいで、ほとんど登場しない。ナオコサン(&行方不明の奈緒子)とみすずの母くらいしか出ておらず、それがわれわれの用語でいう≪排除≫をこうむっている。

で、こんなお話らを延々とご紹介しつつ、筆者は何を申し上げようとしているのだろうか? …見てきて筆者は、だんだんにナオコサンが女性、という感じがしなくなってくるのだった。
口では≪百合≫を言いながら『幼女中心主義』のアジプロに余念がなく、よってペドフィリアたる諸氏らと(薄っぺらにも)共感しあい、そしてここまで説明しなかったが、みょうに喰い意地が張っていて常にジャンクっぽいスナック菓子を手放さない、ナオコサンと呼ばれるキャラクター。筆者にはそれの内面が、一種の『通り過ぎた』ロリコンデブヲタの男子なのではなかろうか、という気がしてくるのだった。

そして、その『通り過ぎた』というところを実現しようとしてか、また別の大モチーフとして今作には、(例によって)≪去勢≫というテーマが頻出しているのだ。けれども、そのポイントは次の機会に見ることとして…。
そうしてこの「百合星人ナオコサン」という作品は、じっさいシャレにならぬほどペドフィリアがウヨウヨしているらしいこの社会に対し、≪何≫として機能しているのだろうか? 『幼女は、プロに限る!』、とでもいうメッセージ性?
その機能するるところが、おかしい意味での≪挑撥≫ではなくて、ちゃんとした社会風刺であるのだ、と断言できるならわれわれは幸せだが…っ!

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