2010/04/02

松山せいじ「奥サマは小学生」 - われらの師いわく、マンガは反逆のメッセージ!

松山せいじ「奥サマは小学生」
 
参考リンク:≪*1≫, ≪*2≫

さきまで筆者は、松林悟「ロリコンフェニックス」についての記事を書いている最中だった。そこへおかしなニュースを聞いたので、読んでない作品を語ることになり恐縮だが、ほんのひとことだけの『雑記』として。

話題の作品「奥サマは小学生」は、近未来の日本政府の政策により、少子化対策か何かのため、小学生の結婚が可能となった世界でのドタバタを描くギャグまんがだという。細かく言うなら、大人が子どもを相手に、前戯の見立て的なことを行うソフトHまんがであるらしい。チャンピオンREDコミックス、全1巻(2008)。
そして猪瀬直樹という有名らしき人が、それをBSフジ『プライムニュース』なるテレビ番組で取り上げて、『このような過激な表現物を誰でも入手可能な場所に置くべきではない』、『文学と違いただエロばっか続くような漫画は低レベルだから表現物とは言えない』、と言ったかのような話だ。これが、2010年3月の29日かそこらの話らしい。

ソースが貧弱で、番組中での猪瀬某氏の発言の内容がよく分からないのだが。しかしご本人のブログに、その作品に言及したところがある。ぜんぜん関係ないポテチの話から一行おいて、なぜかいきなり始まる。

 ――― 猪瀬直樹Blog, 3月23日付 (*) ―――
『「奥サマは小学生」」という漫画があり、奥サマは12歳なのである。セックスシーンが繰り返し出てくる。これはふつうの書店で、ビニールでもなく、誰でも買えるふつうの棚に置いている。18歳未満でも買うことができる。現状の自主規制の対象ではない。
ひどい本があるねえ、と見ていたら、帰国する直前のニルスが覗いて、「子ども! こんなもの、表現の自由と関係ないよ。フランスだったら、ふつうの本屋にはあり得ない」と驚いている。』
(引用者より。「奥サマは小学生」」、と、なぜか閉じカッコが1つ多いのは原文のまま)

どうして『いきなり』そんな話題になるのかって、電波な人の頭の中身は分からない。そもそもいろいろ調べていると、「奥サマは小学生」という作品は、性器をもろに描いていないのはもちろん、その作中では性交がなされていないという。少女の顔にホイップクリームが飛び散ったり、女の子が小さな口でバナナをくわえてモゴモゴしたり、という見立て表現を愉しむような、ある意味で高踏的な作品らしいのだが。
それをいきなり『セックスシーンが繰り返し出てくる』と形容してはばからぬやからの無粋さには、そのまんが読解力がゼロ以下なのを感じないわけにはいかない。
そういえば、われわれが興味をもっている精神分析は、『つまりそれは、性器が、性交が、象徴的に表現されたところです』という言いぐさを得意にしており。で、たまに筆者もそれと似たようなことを申し上げながら、『ちょっと無粋じゃあるまいか』と思わなくはないのだが、しかしいま見られたハイパーな無粋さにはバカ負けの屈辱を大いに味わった、と告白せねばならない。

ところでだが、ちょっとでも『児童ポルノ』に見えるような表現のじっぱひとからげな弾圧が着々ともくろまれているこんにち、われらが話題の「奥サマは小学生」という作品は明らかに、その動きを『逆に』挑撥している部分がある。その創作は明らかに、風俗としての言論弾圧に対する風刺であり、そしておそらく『少子化』に対して無策な政府と社会への風刺であり、よって≪まんが≫の表現としてもっとも正統的なものに属するということは、筆者ごときつまらぬ者が申すのではなく、かの手塚治虫先生がおおせなのだ、と言える。

 ――― 「手塚治虫対談集 第1巻」(MT388), 『マンガは反逆のメッセージ』より ―――
【ジュディ(・オング)】 いまのマンガって、どぎついギャグだったり、すごくエロチックというか破廉恥なものが多いですよネ(中略)。それは“反手塚マンガ”の爆発した形だなんていっている人もいますけれども、いわゆるアンチ・ヒューマニズムのマンガ(中略)、いかが思われますか。
【手塚】 ぼくはマンガは、それが正道だと思うんです。
【ジュディ】 あ、そうですか。
【手塚】 もともとマンガというものは反逆的なものなんですよ(中略)。マンガにはマンガの役割があるのですよね。それは、世の中の道徳とか観念をひっくり返すことなのです。
【ジュディ】 それは、先生のメッセージなのですか。
【手塚】 ぼくのメッセージ。
【ジュディ】 一般の、世間に対しておっしゃっておられるわけなんですね。
【手塚】 そう、マンガというのはそうであるべきだと思うのです。マンガの目的というのは風刺でしょう。風刺というのは批判しなきゃいけないのです。批判して、それで笑いとばすというのが風刺なわけ。それは反逆精神ですよ。だからマンガ家とは常に憎まれっ子なの。その憎まれっ子が描くものが、ヒューマニズムじゃしょうがないじゃない。

そして手塚先生の言われるような≪マンガ家≫の元祖たるオノレ・ドーミエは、当時の仏王ルイ・フィリップへのはげしい風刺への弾圧として、罰金300フラン+禁固6ヶ月の刑をこうむった(1832)。その一方、「奥サマは小学生」の作者はいまだ具体的な刑を受けているわけではないが、その受難めいたものはドーミエ弾圧事件のこんにち的な再現ではあろう。
で、愚鈍をも微力をもかえりみず、こんにちのドーミエ(たち)に対するこんにちのボードレールであろうとしている筆者は、まんがを否定しまんがを軽蔑するやからを否定し軽蔑する。



【余談】 これを書くためにいろいろ調べていたら、Amazonの中古に出ている今作の単行本が『\2,800より』(定価580円)と、法外に高騰しているのでびみょうにうけた。ささやかにも『言論弾圧』と呼べるようなイベントに乗じて、小銭を稼ごうという人間が平気でいてやがる…それが、われらの生きている『この社会』だ。

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