2010/04/03

松林悟「ロリコンフェニックス」 - 悪いロリコン、正義のロリコン(!?)

松林悟「ロリコンフェニックス」第1巻
参考リンク:Wikipedia「ロリコンフェニックス」

月刊ドラゴンエイジという媒体に2006~09年掲載、題名どおりにロリコンであるヒーローが、『悪いロリコンから少女らを守ろう』と、奮闘しているつもりの行動を描くドタバタギャグ。通称「ロリフェ」、単行本は全4巻(角川コミックス ドラゴンJr.)。
全4巻といっても実は構成がまたおかしいのだが、細かいことは参考リンクをご参照。いつも筆者がWikipediaを参考リンクにしているのは、主には書誌情報の補完をそっちにおまかせしたい、との考えによる。その説明は、足りなすぎるかくどいばかりだけど。

で、だ。未知の作家の単行本をいきなり買うような勇気は、ほとんど持ちあわせないチキンな筆者だが。しかしこれは第1巻を見つけた時点で、いかなる予備知識もなしに表紙買いした。
何せ、成年コミックでもないのに『ロリコン』の語が題名に入っているようなまんがの本は、他にない。あえてそんなものを世に出しくさった製作サイドの勇気に、こっちも勇気でこたえたつもりだ。いや別に『ロリコン』というところにフックがあったのではなく、並ぶ用語の『ニート』や『引きこもり』でもよかったし、そして≪ギャグまんが≫らしきものである、ということが最大のポイントだが。

そして、だ。別に製作サイドの意図するところではなくとも、今作には田丸浩史「ラブやん」(2000)の、押しかけ対抗作という風味がある。そのヒーローたちはいずれもロリコン・オタク・ニートという3拍子そろったダメダメ人間で、しかもそれを恥ずるところがあまり、いやほとんど『ない』。
という状態のまま、「ラブやん」のヒーローは、女子小学生に平気で要らざることをする。こちら「ロリコンフェニックス」のヒーローは、独りでかってに『正義のロリコン』としての活動をがんばる。そして後者にいたっては、正義の活動を続けるために自分はニートでなければ(!)…と、とんでもない合理化を自らに行う。

ところでそれぞれのお話が続くにつれて、「ラブやん」のヒーロー≪カズフサ≫が、頼まれもしないのに『緑のおばさん』のふりをして通学路をパトロールし、少女たちの味方を気どるという、逆に後発の「ロリフェ」をまねしたような挙動に出る(アフタヌーンKC, 第11巻, p.130)。ふざけるにもほどがあろうに、そのそうびした旗には『スクールゾーン』ではなく、『ストライクゾーン』という字が書かれている。
しかしそんな行動が社会から歓迎されるわけもなく、追って彼は交番へしょっぴかれて、きっついお説教を喰らうのだが。で、そうしてパトロール中のカズフサ君と、その仲間のロリ道の大先パイとが交わす会話(同書, p.131)。

 『いたいけな子供らを 世の悪意から 守るのだ!!』
 『エエ守って みせます!! あーあ…変質者 現れないかなあ……!』

いや、すでに変質者はそこにいる、2匹もいるとしか、われわれには考ええないわけだが。そしてこいつらの口から『世の悪意』ということばが出ようとは、まったく呆れるばかりだが。
けれども筆者が知っているところによれば、『なぜだかロリコンたちはみな、自分だけは“よいロリコン”だと思い込んでいる』。これがなぜだか普遍的に真なので、ゆえにここらで「ラブやん」と「ロリフェ」の内容がシンクロしていることに、何のふしぎもない。

そして、ここで「ラブやん」のカズフサ君が言っている、『変質者 現れないかなあ』というセリフ。自分だけ正義派を気どるかん違いしたロリコン野郎どもの、そうしたふらちな願望が実現しちゃっているところを描くものが、われらが見ている「ロリフェ」という作品なのだ。
すなわち。その主人公の大輔くん(26歳・無職)は、『少女を守る正義のヒーロー』たるべくして自室でこそこそと体を鍛え、そして『ゴクラクチョウのマスク』と言われるものをかぶって、自ら『フェニックス』と名のる。そして今作の第1話では、敵もいないのに1人の少女を守っているふりで、自作自演の大暴れをしているばかりだが。つまり彼は、少女に迷惑をかける1匹の変質者以外でないのだが…。
けれどもその次の第2話から、彼(ら)が待望している『悪いロリコン』のろこつな変質者どもが登場して、大輔くんの立場を守ってくれるのだ。その悪いロリコンらに今作では、『BL団』という名がついている。BLはボーイズ・ラヴではなく、『ブラック・ロリータ』の略なんだとか。

 ――― 「ロリコンフェニックス」第4話, BL団のボス≪カイザー≫の自己紹介より ―――
 『我々は ブラック・ロリータ団!!
 少女とどうしてもニャンニャン
 したい男たちの血と汗と涙
 その他色々なモノの結晶体だ』(同書, 第1巻, p.61)

あ~あ、な~にがいまどき『ニャンニャン』だか…。

ところで大輔くんがゴクラクチョウの仮面を常用しているように、BL団のやからにも動物のマスクをかぶっているやつらが多し。いつも出てくる3人組が、『カイザー:猫、ダニー:犬、ケロリン:カエル』、のように。ただしBL団の連中について、ほんとうにかぶりものなのかどうかは、分からないが(いちども脱がないので)。
そしてそこへとフェニックスがからんでいく、きてれつなライブアクションぬいぐるみショーが、この作品の実質だとも言えるのだが。

そうとしても、なぜにこのロリコンどもは、見ようによっては『かわいい』と言えなくもないような(?)仮面をそうびし、自分の顔をその背後に隠すのか? BL団の悪党が全編で10何人出てきたか数えていないが、その中で、もろに自前の顔らしきものを出しているのは、≪医者≫と≪イケメン≫の2人しか思い出せない。
恥ずべき行為にふけっているという自覚があるので、顔を隠すのだろうか。それとも、かわいいっぽい仮面をつけていた方が、少女らに近づきやすいからなのだろうか。
(なお特殊なこととして、今作の中で『少女』と呼ばれるのは、小学校の中高学年くらいの女子のこと『だけ』だ。それが、誰かの『ストライクゾーン』なのだろうか?)

あとふしぎなのは、フェニックスをはじめとする作中のロリコンどもが、みんなプロレスラーみたいなガッチリ体型で、フィジカルが異様に強い(これまた例外は、医者とイケメンだけ)。ここで再びなぜなのか、筋肉ムキムキのロリコン君を描く「ラブやん」と今作との方向性がみごとにシンクロしている。

『なぜにロリコンが、マッチョとして描かれているのか?』。いちおう考えられることとして、これをブヨブヨだったりショボショボだったりとして描いては、いくらまんがでも見苦しすぎるということはある。ギャグであってもまんがのヒーローは、『読者がそうでありたい人物』でなければならないし。それこれで、落しどころはマッチョマン、となっているのだろうか。
かつ、見た目がやたらにりっぱな青年や少年が『実は』ロリコンで、言うことがいちいちめめしくもちみっちゃい…という演出は、対比の効果があってグーかもしれない。というわけで、いちおうなっとくがいかないこともないが。
けれど、もう少し何か『心理的』なところに理由があるんじゃないかなぁ…という気がしてならない。仮面の問題もあわせて、そこいらを解明するには、もっと筆者が自らのロリコン観を深めなければならないだろう。

と、そこまで見たところで、まだほとんど今作の内容にふれてないが(!)、この堕文はいったん終わる。ice先生の、次なる「ロリフェ」論にご期待ください! …ごめんなさい。

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