2010/04/02

若杉公徳「デトロイト・メタル・シティ」 - メタルとパンクの、ちょっとやな関係♪

若杉公徳「デトロイト・メタル・シティ」第2巻 
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以前の職場にメタル好きの同僚がいたので、自分はパンクだけれど、よく男子更衣室でロックの話をしていた。で、そのうちに意見の一致を見たことは…。
…パンクとメタルを比べての話、パンクにはある種のユーモア(もしくはウィット)がほとんどあるけれど、メタルにはそれがほとんどない。
だから≪ギャグまんが≫に描きやすいのは、とうぜんメタルの方なのだ。パンクをまんがの題材にするということは、漫才師をヒーローとして描くのと同じことで、逆に笑いが相対的にとりにくくなるのだ。

かつ。メタルの世界には『様式美』というものが存在するようだけど、パンクの世界にそれはない。パンクとはモヒカン刈りのことではなく革ジャンのことでもなく、2分ちょっとで終わる乱暴なポップソングのことでさえもなく、1つのアチチュードだと、われわれは解すので(…そうは言っても、ほんとはオレだってモヒカン刈りにしたいけど!)。
そしてそこらをかん違いしているものを『ファッションパンク』とふつうに呼ぶが、しかしその一方に『ファッションメタル』という語が存在しないことにも、また理由がありげ。すなわち、パンクにおいてはアンチ・ファッションが一種のファッションだと見誤られるのだが、その一方のメタルの世界には、肯定的なものとしての一種のファッションが、さいしょからあるわけだ。

といった違いを確認した上で、もはやおなじみの「デトロイト・メタル・シティ」(DMC)から、メタル対パンクの対決が描かれたエピソードを、以下で見てみる。
そして先廻りして感想を言ってしまえば、本物っぽいメタルにケンカを売ったら根本的に勝ち目がないということを、われわれパンクは憶えとく必要がある、と。同じく悪いと言ったって、悪さのレベルがけたちがいだ。

 『もしオレがけだものだったなら
 オレは≪悪≫ということから自由になれる
 けれど人は、もう少しマシなものだとオレを言う
 だからオレは、何をどうにもできない』(Germs“Manimal”1979)

パンクとはだいたいこういうことなので、『我は地獄の魔王である!』とか言ってるすごい人はもちろんのこと、むしろいかなる相手にも勝ってしまったりする心配が、逆にない。『ロックンロールは敗者の音楽』という名言らしきものがあるが、それをまたく体現しているので、パンクはもっともピュアなロックンロールである、あたりを強弁したいところだ。

ま、そんなことより実作を見ていこう。作中のバンド≪DMC≫のブレイクへの反作用として、同じく乱暴さをウリとするアンダーグラウンドなバンドのいくつかが、彼らにはげしい対抗心をいだく(第2巻, 第14~15話。以下すべて同じ)。
『反男性社会パンクバンド』を名のる≪金玉ガールズ≫も、そのひとつだ。ボーカルの≪ニナ≫を中心とする彼女らは、あてつけてDMCのデビュー曲「SATSUGAI」の替え歌「DMC (デタラメ・マザコン・チェリーボーイ)」をリリースし、シーンの話題を呼ぶ。

 ――― 金玉ガールズ「DMC (デタラメ・マザコン・チェリーボーイ)」(p.21)―――
 『オレ達ただの チェリーボーイ
 昨日はママに 化粧を教わり 明日はパパに 衣装をねだる
 潰せ潰せ潰せ キンタマ潰せ
 キョセイせよ キョセイせよ キョセイせよ キョセイせよ』

何しろ『反男性』をポリシーとする彼女たちには、『女を豚だの レイプだのと歌ってる クソバンド』を攻撃する理由は大いにある。しかもこの『デタラメ・マザコン・チェリーボーイ』という決めつけが、もういきなりDMCの本質をえぐり出している。だから素の状態でその曲のCDを見た根岸くんは、『テハハハ うまい事いうなー ほぼ当ってるし』と、すなおに感心してしまう。
ただし、もしこれがお互いの悪さを競うような勝負だとしたら。その『デタラメ・マザコン・チェリーボーイ』こそが、ほんとうに怖るべきサイアクの≪悪≫なのかもしれない。この認識をわれわれは、キープしとく必要がある。

で、いま見た歌詞に≪去勢≫という超重要キーワードの出ていることが、われわれをはっとさせるところだ。同じ金玉ガールズの別の曲は、こうも言う。

 『ブッ壊せ―― アイツのペニス面
 ブッ壊せ―― アイツのペニス思想
 金玉のみ よこせー』(p.25)

Crass“Penis Envy”ところで『反男性パンク』、『去勢』、と聞いて思い浮かんだのは、英パンクのクラース(Crass)というバンドの「Penis Envy」(1981)というアルバムなのだった。このバンドあまり好きじゃないのだが、にしても≪Penis Envy(ペニス羨望)≫というのがもろにフロイト様の用語なので、多少は気にしないわけにもいかない。
それはどういうアルバムかと言うと、いわゆるダッチワイフをフィーチャーしたスリーブが、まず挑撥的でありつつ。そして音楽的には、あまりパンクじゃないような演劇的なもので。そしてその女ボーカルが唄っている文句が確か、『今夜も私は、彼へとアピールするためにメイクし着飾って出かけ…』とかいったもので。

で、そのアルバムの全般から浮かび上がってくるのは、『男性が支配する社会の中で、女性たちのいだく屈辱感』ということなのではないかと。そして、それを総括することばが『ペニス羨望』だということまでは、分かったような気になる。
しかし筆者は、このクラース一派のコンセプトにはいちおう共感できたとしても、その作品らに創作としてのさえを感じたことがない。それはひょっとしたら、筆者のペニス頭の中身がペニス思想に染まりすぎだから、なのだろうか?

とまでを見てから、作品「DMC」の話に戻り。さてDMCにケンカを売っている金玉ガールズのニナは、人前では『この腐った男共!』か何か言って威勢がいいが…。
けれども彼女のバンドはオカマっぽい男性マネージャーによってコントロールされていて、彼女らが「SATSUGAI」の替え歌をやっているのは彼の発案によるものだ。『私は全部オリジナルでやりたかったんだ』というニナの意向は、なぜか通らない。
そして金玉ガールズというバンドを支持しているのは、ニナを目当ての男客ばかり。かわいい顔して彼女がいろいろと挑撥的なことをしてくれるのを、彼らは楽しみにしているのだ。

 『マネージャーも 客共も
 つまんねぇ 男ばっかりだ』(p.24)

ステージの上から客席を見わたして、ニナはそのようにモノローグする。そこへ客席から『パンツ見せろー』と、ストレートなヤジが飛ぶ。
かくて『腐った男共』を軽蔑しながら、ニナたちはそいつらによって生かされている以外でない。彼女らの挑撥的なパフォーマンスは、『腐った男共』への媚態として消費されている以外でない。その『金玉よこせ!』という挑撥は≪ペニス羨望≫からのかわゆい言表として、『腐った男共』によって、持てるもののよゆうで受けとめられるのだ。

だから。こんなでは…。そうでなくともさいしょから負けているものとしての『パンク』であるニナたちが、現に勝利しているものとしての『ペニス思想』の暴虐によりそうDMCに、ケンカを売って勝つという見込みが、まったくない。
さっきも言ったことだが、DMCが『デタラメ・マザコン・チェリーボーイ』に他ならぬということは、つまりサイテー最悪なのだということを見ておかねばならない。そしてサイテー最悪な相手には、勝てない。いくら腕力の強い不良学生であっても、ヨレヨレのヤクザとケンカして、けっきょくは勝てないように。腐った社会の腐敗を責めるものと、腐った社会の腐敗を体現するものとが、同じレベルでのケンカに及んで、どうして前者の勝利がありうるだろうか。

Sid Vicious“Sid Sings”だから、われわれことパンクの方法論が『最低レベルからの“プロテスト”』だとして、しかしレイプでありファックであるところの『デスメタル』の存在は、われわれのあっぱれな清潔さと正義派気どりを明らかにしてくれやがるのだった。われわれごときが『最低』を語れないことが、ここらでどうにも明らかなのだった。あたりまえだがパンクロックは、レイプと戦争には反対する以外のものでない。
で、ニナが崇拝しているピストルズのシド・ヴィシャスこそ、中途はんぱな気どり屋の負け犬であるところの『パンク』のシンボルに他ならない。そのようなシドという存在を≪反復≫することがニナの目的なのだから、とうぜんのこととしてニナもまた、敵を挑撥しておいてあっさりと負ける。もうかわいそうで詳しくは書けないが、DMCからさんざんに、象徴的なレイプをこうむってしまうのだった。

そしてその象徴的なレイプの大詰めっぽいシーンで、両バンドが対決したライブハウスは、DMCのやりすぎによって炎上してしまう。そこでクラウザーのカツラを取った根岸くんのペニス頭は客席の人々に、炎の中で勃起した巨大なペニスの出現を思わせるのだった(p.45)。かくて、サイテーでありかつ最強なものとしてのペニス思想が、『燃やせ! 犯せ! 殺せ!』というそのスローガンも高らかに、『現に勝利しているもの』として、そこでもまた勝利するのだった。
負け惜しみだが、そこで勝利しているのはペニス思想であって、その勝利に便乗して勝ち誇っているDMCではない、とも言いたいところではありつつ。今作を見ているわれわれには明らかなこととして、DMCのクラウザーを演じている根岸くんもまた、『ペニス思想』によって使われているものでしかない。

なお、ここでの『ペニス思想』というものをわれわれは、≪去勢されざるもの≫と解釈しうる。いさいを略してその特徴を述べてしまえば、それは狂気と暴虐とのきわまりだ。それは≪去勢されたもの≫らによって成り立つノーマルに見えている社会、その背後にあって、人々を去勢しているものだ。
『すべての性交はレイプである』というフェミニズム方面から出た名言があるが、『ペニス思想の支配する社会』というものを見た上で、一定のその正しさを噛みしめなくてはならない。DMCのファンらはクラウザーの(象徴的な)レイプ実践を愉しみ、それを『七転び八レイプだー』、『急がばまわせー』と、面白げにはやしたてる。
そしてシド・ヴィシャスのみごとな最弱の負けっぷりをわれわれが『かわいい』と感じているように、シドを崇拝するニナもまた、そこでかわゆい負け犬になり下がるのだ。ペニス思想の持ち主どもへの去勢を志しつつ、みごとに彼女は自らが去勢されてしまうのだった。

そうして今作の描くこれらのことが、不ゆかい千万でありつつも、むだに正しい。正しいけれど、不ゆかい千万以外でない。このことがあまりにも外傷的なので、ついつい筆者の堕文がくどくなって申しわけなかったが。
そしてその衝撃をわれわれはまともには受けとめかねて、むりにでもそれを≪笑激≫であると再解釈するのだ。あわせてわれわれこと負け犬弱虫気どり屋のパンクどもには、『ケンカを売るにも、相手を選ぶ必要が大いにある』との教訓を残しながら…ッ!
というか、悪魔の手先になって勝つよりも負けることを選ぶ、それがわれわれであり、ゆえにわれわれは最弱だ。勝ったつもりで悪魔の手先になっている方々に、かなうわけがない。だからケンカの相手を選ぶよりも、負けるにしたってその負け方を、われわれは選ばなくてはならない。

かつ、いちばんさいごでさいしょの話に戻ると、パンクであるところのわれわれは、事物に対してユーモアやシニシズムをもって対処すべきかも、ということは思い出さねばならない。だからDMCのようなものを見てしまったら、『すんばらしいギャグ、超うけるネ!』とでも言っておくのが、たぶんいちばん正しい。画面の外側のわれわれが、じっさい今作を≪ギャグ≫だと見ているように。

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