2010/04/25

真城ひな「ややプリ」 - 『かわいい』帝国の専制、あわせて「みつどもえ」と「ロリフェ」

真城ひな「ややプリ」RMC第1巻 
参考リンク:Wikipedia「ややプリ」
関連記事:「ロリコンフェニックス」, 「みつどもえ」

りぼんの4コマ作品で、小学1年生のヒロイン≪やや≫とその家族のストレンジな日常を、やたらにかわゆく描く(掲載:2006-09)。りぼんマスコットコミックス(RMC)版は、第1巻が発売中。

この作品については筆者の中に、印象の分裂がある。掲載誌で見ていたころには、『“かわゆさ”ばかりを売りにするような4コマは、りぼん的にはちょっと』、と感じていた。ところがこのたびRMCで見たら、けっこうストレンジなことが描かれてるので、『りぼん的にはありかもな』と。
けれどそのように、しっかりした印象を作れていないということは、けっきょくのところ今作「ややプリ」のウィークポイントなのやも知れぬ。かわいいと言い切るにはシュールなところが目立ち、シュールかとみればかわいいばかりのような感じもする、と。

そうして。並行してりぼんに載っていた、同じく『やたらかわいい』のような4コマ作品で、園田小波「チョコミミ」(2004)は現在も連載中だが、その一方の今作「ややプリ」は、いつの間にか終わっちゃっている。まあ「チョコミミ」はベテラン作家の心機一転・乾坤一擲の作なので、さすがに企画のところからよくできており、“ひなぽん”先生の本誌初連載の「ややプリ」と、ストレートには比較できないが。

と、そんな情勢論はさておいて、今作の描いているところの一端を見てみると…。

ややの父の≪ひろひこ(裕彦)≫は娘のことが心配で、たぶんサラリーマンのはずなのにろくに会社へも行かず、ほぼ常に娘を見守っている。それも考えて、ややがひじょうに好んでいるアニメのキャラクター≪ペン太ゴン≫の着ぐるみを着て、言い換えれば巨大なペンギンに化けて、娘の通う学校に押しかけるのだった。
そんなエピソードが第1話、ややが入学式に行くの巻に描かれて。それからひろひこが外出する時はペン太ゴンの着ぐるみで、ということが、逆に決まりごと(!?)かのようになっているのだ。ややはペン太ゴンを熱愛して、将来は『ペン太ゴンのおよめさんになるー』などと言ってるので、そのポジションはひろひこにとって、ひじょうにおいしいのだった。

で、そんなことばかりを描いてるとどうなるか? 今作「ややプリ」RMC第1巻のおまけまんがに、作者が教育実習に行ったさいの実話っぽいエピソードあり。そこを見ると。
実習先の中学校の教室で、りぼんのふろくを使っている女の子を見つけたひなぽん先生。そこで喜んで、『ややプリ 読んでるー? どんなマンガー?』と聞いてみる。そうすると女の子はこともなげに(?)、『お父さんが ペンギンのマンガだよー』と答えるのだった(p.144)。

 『おっ おしい!! 父は 人です!!』

というわけで、ひなぽん先生はそこでショックをこうむったらしいのだが。しかしこの事態、『誤読』といえばそうも言えるこの事態、これはむしろ、作品が言外に誘導しているところを、読者がきわめてすなおに受けとめているのだ、と考えられる。
何を言ってんのかってようするに、少女たちから見て父親なんてしろものは、ペンギンであるくらいがちょうどいい、中年男であるよりはよほどまし(!)、というわけだ。ちなみにひろひこは、犬好きな自分の長男の≪七海≫の歓心を買うために、イヌに化けることもする(p.146)。

もはやあんまりくどくどと言いたくないが、少女たちが心に描いている『かわいい』の世界に中年男がもぐりこむには、まずペンギンや犬にでも化けなければならないらしいのだった。言っとくとひろひこは、そんなにオヤジくさい中年ではなくて、つまり桜井のりお「みつどもえ」の描くヒロイン一家のヒゲデブでむさ苦しい父親のようではなくて、むしろ見かけはさわやかな方。それでもだ。
と、そこまでを見てくると。われわれが関連記事で検討したこと、松林悟「ロリコンフェニックス」に登場するロリコンどもが、なぜいちように、かわいいっぽい動物のマスクをかぶっているのか…という問いへの答もまた、出ちゃった気がするのだった。

そういえば、前にどこで聞いたのだったか、少女たちがわりと好むような『テディベア』というしろもの。毛むくじゃらでプクプクしてて、そしてクマであるからには、実は兇暴かもしれないもの。あれはようするに、≪父≫か≪男≫を象徴しているものであろう、という見方があるようだが。
そのように≪父≫や≪男≫が少女らに対して、かわいい動物で表象される、むしろそのように表象され『ねば』ならないという現象を、「ややプリ」はおもしろ戯画として描いている。また、このことを表象化ぬきで描くと「みつどもえ」の長女の、『パパが大好き、でもパパはクマのように見苦しいからキライ』、というジレンマになる。さらに「ロリコンフェニックス」のロリコン野郎どもは、この表象化を悪用して少女たちにつけ込もうとしているのだ。

で、「ややプリ」作中にも明記されていることだが、ひろひこが化けてみせたわんこは、テレビのCMでいちじ人気を呼んだ『ソフトバンクの犬のお父さん』、そのパチモノでありつつ。そうして『父親なんてしろものは、動物であるくらいでちょうどいい』という(無意識の)見方は、すでに世の中に蔓延しているものであるらしいのだった。
そしてその一方の、≪父≫という記号をやたらに高みに見ている、われわれことラカン系のもんとしては、こんな世の中が今後どうなっていくのか、気になるところではありつつ。ただここいらにおいて、『その存在が“外傷”であるところの“父”』というものをいつわりなく描いている桜井のりお「みつどもえ」の株は上がり気味、ではあるかと?

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