2010/03/26
若杉公徳「デトロイト・メタル・シティ」 - レマン湖のほとりにて
参考リンク:Wikipedia「デトロイト・メタル・シティ」
2005年からヤングアニマル連載中の、『史上初のデスメタルギャグ』(ジェッツ・コミックス版 第1巻, オビ)。現在までの21世紀のギャグまんがとして、ゆうに5本の指が入るくらいな大成功作。その、『1秒間に10回のレイプ発言』、『ファックは世界の共通語』、『お前をあの世でまた殺す』、等々という≪ギャグ≫を笑えるか否かで、われら人類を2種類に分断する試金石(!)。
いちおう今作の概要を書いておくと、現代日本のお話で、デトロイト・メタル・シティ(DMC)というデスメタルバンドが、聖飢魔IIやキッスのような扮装と壮絶なパフォーマンスと『殺せ犯せェ~!』みたいな唄、などなどの過激さで、インディーズ界の話題を呼ぶ。ところがそのギター兼ボーカルの≪根岸くん≫(主人公)は、実は、メタルなんかぜんぜん好きじゃない。
彼は大分の山奥出身のいなか者のくせに、スウェディッシュだかシブヤ系だか、オシャレなポップスを歌って人気者になりたい、などとふざけたことを考えてやがるのだ。しかし大分ではオシャレで通っていた彼のセンスが都会ではまったく通用せず、そっちの路線への評価は『キモい』以外でない。
で、そのうちに根岸くんは、とても正気とは思えない事務所の女社長に拾われてDMCのメンバーとなり、素性を隠してメタルの才能を、うかつにも発揮しまくってしまうのだった。彼は一種のジキルとハイドみたいな人間で、スイッチが入ると誰も及ばぬ『メタルモンスター』に変身し、そしてありえざるメタル行為やメタル発言の限りをつくすのだった。
ところでなんだが、≪メタル≫って何だろう? 今作を見ている限りだと、『メタルとはレイプである』、『メタルとはファックである』、のような観測がりっぱに成り立ち、それで筆者はいちおうなっとくしつつ(!)。
作中のあるところで根岸くんは、≪レマン湖≫の風景写真を見て『メタル!』と叫ぶ(第6巻, p.117)。ゆえに念のためわれわれもレマン湖の写真を見ておくと(*)、それがまたどこを切っても絵ハガキみたいなわざとらしい絶景でいやがって、みょうにムカつくッ!
はっきり申すとそれは、レイプ的なマインドを挑撥する眺望ではある。そこでわきあがる『バカにしてんのかッ、ファ~ック!×100』という感情こそが、根岸くんの言っている『メタル!』、なのだろうか? そしてそのレマン湖の、サファイヤのように輝く美しい湖水に、重油か水銀を10トンくらい流し込んだら気持ちいいかも(!)…などという恐ろしい発想が、自分の中のいずこからかわいてくるのを感じて、思わず筆者はさむけを覚えるのだった。
で、やらないんだけど、もしもそんな蛮行をやっちゃったとしたら、きっと自分は後悔して泣くだろう。そしてその後悔の涙にくれることの気持ちよさを思ってこそ(!)、自分はその欲望を放棄しきれないのだ。…こういうことが、ひょっとしたら『メタル!』なのだろうか?
そういえば、と、作品の話に戻り。われらの根岸くんには大学の頃からの友人で、≪相川さん(相川由利)≫という想い人がいる。見た目がさわやかな美人であり、いまは音楽雑誌の編集をしている彼女。そして、別に無理してこじつけてるとは思わないのだが、由利という存在こそが、根岸くんにとっての≪レマン湖≫なのだ。
彼女をあまりにも高みに見ているので、素の状態の根岸くんは、とても由利に告白できない。そこでその代わりに、彼の中のDMCのメンバー≪クラウザーII世≫である部分が、『レイプさせやがれ このメス豚めが!』と、まさにレマン湖に重油を流し込みたいようなことを、彼から由利に告白させているのだ(第1巻, 第3話『SICK MURDERER』)。
で、ある日、運悪く何かのまちがいでDMCのライブ会場に由利が来ちゃっているので、根岸くんはクラウザーが自分であることの露見を恐れ、超テンパる(第1巻, 第7話『PIG』)。そして演奏中にその緊張がきわまったところで、彼はブチ斬れて、逆に『どこに居やがる 出て来やがれ アバズレがぁぁぁ』と叫ぶ。
すると会場のいちばん奥で由利は、なぜかそれを自分のことかと感じて、『ビク』、と大きく身震いする。そうして始まったDMCの新曲『メス豚交響曲』は、『メスは豚だ 下半身さえあればいい 下半身さえ 下半身さえあれば』…と、まったくむざんなリフレインを繰り返すのだった(第1巻, p.104)。
というところで確認すると、身のほど知らずにもオシャレ系ポップスシンガーであろうとしている根岸くんを、誰よりも理解して常にはげましているのが、他ならぬ由利なのだった。かつ彼女は、まずいタイミングで彼がクラウザーの部分を見せてしまっても必ず彼を許してくれる、まるで聖母マリアのような女性(?)なのだった。
そのようなものである由利を、根岸くんの中のクラウザーの部分は、『メス豚、アバズレ、淫乱、肉欲の奴隷』…等々と、最大限に侮辱してやまないのだ。さらには女性に産んでもらったやつが女性を侮蔑しきるということの愚劣さと悲惨さが、『下半身さえ あればいい』というフレーズの繰り返しで埋めつくされたその画面を見ながら、爆笑しつつの落涙という反応を、筆者から引き出すのだった。
まったくどうにもならないことを申すのだが、ここでわれわれが笑いを返すのは、そのような根岸くんの振るまいに対して、共感を拒みつつも共感しているということだ。いや、共感しつつも共感を拒んでいる、と言ってもよいが。
あたりまえだが、牝のブタをつかまえて『このメス豚!』とののしる者はいない。そうではないと知っているからこそ逆に、『メス豚、アバズレ、淫乱、肉欲の奴隷』と、罵倒したいのだ。ここにおいてまさしく『レマン湖はマンコである』に他ならず、その高みにあるもの『こそ』が、われわれの中の下劣さをはげしく挑撥するのだ。そこで対象のイメージが崇高さと汚辱との間をはげしく往復する、その距離の大いさ『こそ』が、われわれの≪享楽≫の大いさを規定するのだ。
で、われらの根岸くんが、あれこれの大蛮行をやっちゃった後で。素に戻るといつも、ものすごい自己嫌悪を感じるのだが。
そしてその自己嫌悪が、何らかの手段で少年らがオーガズムに達した後に感じるそれと、似ていない、とはとても言えない。かの赤塚不二夫「おそ松くん」の描いた『シェー!』に始まって、ギャグまんがの描く≪ギャグ≫には、『オーガズムを婉曲に描くもの』という性格は常にある。
かくて心の中に≪クラウザー≫がひそんでいるのは、何も根岸くんだけではない、という事実を知って、われわれはおののく。そしてその衝撃を無理にでも『笑撃』と再解釈し、笑いという肉体の反応へと受け流し、そしていまわしき≪知≫は再び抑圧をこうむるのだ。
というようなことが、今作「デトロイト・メタル・シティ」が描いているメタル、なのやも知れず。にしてもまだまだ語りきれないので、今作については近くまた!
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