2010/03/02

藤波俊彦「江戸前・あ・めーりかん」 - スカトロとセクハラの堕地獄は、『いや~ん』

 
参考リンク:Wikipedia「藤波俊彦」

Mid 1990'sのスピリッツ掲載のギャグまんがで、この作者の作品系列の原点にありそうな創作。で、これは、『スピリッツ UNKO-DAISUKI コミックス』(全2巻)という異常な叢書名で刊行されており。
…その作品内容がウンコまみれなだけでは、誰かが満足できなかったらしい。かつ、これの第2巻がめっからなくて1年半くらい捜していたような気がするが、買えてみたら『何これ…』と感じたことも、別に隠す気はない。

で、これをどのように見るか、なんて視点を外して、『客観的』にどのようなことが、アメコミを模した濃ゅすぎな絵柄で描かれているかを申せば。
なにわの短大を出た後、特に目的もなく東京へやってきたヒロイン≪音子(おとこ)≫は、イトコの≪のりあき≫が管理するアパート『飴痢館(あめりかん)』へと下宿することに。すると玄関に彼女を迎えたのりあきは、アメコミのヒーロー風のマスクをつけたマッチョマン…というだけでもびっくりだが。
しかもよく見ればその服装が、名前の入った白ブリーフいっちょに、家の中でもブーツ着用。さらにその頭髪のあるべき部分に、要するに頭のてっぺんに、とぐろ条のウンコらしきモノが乗っかッている…というたいへんなしろものだった。
そして音子が『音子です』と自己紹介すれば、『オトコだとー!?』と叫んでのりあきは、何かを確認すべく彼女の胸をわしづかみにするのだった(第1巻, p.8)。

さァ~てこの、『音子です→オトコだとォ!?→パイづかみ』、というセクハラ3段活用のシーケンスは今作にやたら頻出するものなので、憶えとく必要がある。いや…ないな…。

ここまで書いたらもう十分なような気もしてきたが、もうちょっとご紹介しとこうか。これに続いても常人ならざるキャラクターらが続々と登場し、われらのヒロインはセクハラとスカトロとイカモノ喰いの堕地獄を味わいまくる…というのが今作の『ストーリー』、というか作品の骨子だが。
そしてそれらの異常さを音子が指摘すると、のりあきたちは逆に得意げに、『コレが 江戸前でース』、『「江戸っ子気質」 ってやつでース』…などと言い張りくさるのだった。
いやはやだぜ…。いま見直してみて、今作の内容をへんに詳細に書いとくと、無実の筆者が社会的なアレをこうむりそうな気がしてきた。

じゃまあ、いくぶんでもあたりさわりなさそうな話で〆れば。物語のテンポがそんなに上がってないときにへんなものが出てくると、真っ白な背景の手前で音子が状況に対してヒキの表情で、モノローグとして『いやーん』と言う…この場面が好きだ。
さいしょ彼女が『飴痢館』の異様なる外観を見て、『いやーん ボロぉ…』と言った、それを皮切りに。そして彼女ののりあきへの第一印象がまた、『いやーん 何こいつぅ…?』なのだった。
この、音子が『いやーん』…とつぶやいて展開のテンポが落ちる、その局面がまるで、ハードトランスの楽曲のなかばのおきまりのブレイクのようで、みょうにきもちがよい。これがなかったら、いくらなんでも今作は≪狂気≫しかない作品になりすぎでは、と。

と、ここまでを昨2009年の夏に書いていたのだが、いま少し補足。あまり筆者の得意な見方ではないが、今作は自称の江戸っ子らがなにわのギャルを凌辱しまくるようなお話であるとは見れる。どういうわけだか江戸方面から見て、なにわは『正気』と『美』とのありどころだ。そしてそれを、江戸っ子のわれわれが収奪したいのだ。
これってあれですか、ポスト・コロニアリズム的な読解が求められるところですか? けれどもそのような読み方は、オレじゃない方におまかせしたい。

それと、もうひとつ。むかしの筆者の勤務先のお客さまで、『芝区』出身のホンモノの江戸っ子さまがおわした(戦前の東京には『芝区』があったらしい)。ただこのヒトが、『オレは江戸っ子だから!』とそればっかしうるさくって、同僚たちの評判はよろしくなかった。
で、あるとき、この方が『オレは江戸っ子だから気が短けェんだ!』と言いつのられるので、『江戸っ子だから気が短いとは、それはどうして自慢になるのですか?』と、よけいなことを言って相手をへこませてしまったことは後悔している。ったく、江戸っ子なんてそんなもんなのかね…。

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