2010/03/23

ひぐちアサ「おおきく振りかぶって」 - ≪明子ねえちゃん≫を泣かさない野球

 
参考リンク:Wikipedia「おおきく振りかぶって」
関連記事:寺嶋裕二「ダイヤのA」 - もはや巨乳は単なる巨乳ではない

現実の野球にはほとんど興味がないのに、むしろサッカー(浦和レッズ)が好きなのに、なぜか野球まんがのレビューを繰り返す筆者。まあ、サッカーに比べたら野球の方が、まんがに描きやすいようだ…ということは思うけれど。
そして以下で話題になる「おおきく振りかぶって」は2003年からアフタヌーン掲載中、『日本のサッカーどころ』埼玉が舞台なのに高校野球を描く、とんでもない作品。それをアフタヌーンKC版の第7巻くらいまで見たところで、ちょっとひとこと。

まず。今作「おおきく振りかぶって」が野球を描いている部分の特徴はというと、バッテリーと打者、および双方のベンチが、互いの出方をしつようかつ精細に分析し推理しあう、というところにアクセントがある。だから今作は、スポ根まんがとしてはずいぶん字が多い。しかも『神の視点』的な描き方もいいところで、その場のキャラクター全員の思わくが、モノローグで完全に透けて見えている。
またその『推理合戦』という様相から今作を、おなじみの少年ジャンプの「DEATH NOTE デス・ノート」以降の野球まんがである…と言いたい気もしてくるが。けれど連載のスタートがほとんど同じ時期なので、別にどっちがどっちに影響したのでもなさそう。こういうことを描くのが、いま全般的に好まれるのかもしれない。ちょっとそれは、考える必要ありそうなポイントだが。

ただ、そういう知的な面白さみたいなところをおいて、筆者的な観点から今作の特徴を抜き書きしてみれば。

 1) 主人公がたいそうめめしい男の子
 2) BLチックなふんいき
 3) マネージャー(監督)が女性で巨乳

というわけで、前にわれわれが見たこんにちの高校野球まんが、寺嶋裕二「ダイヤのA」(*)と、その特徴がずいぶんかぶっている。

まず、ヒーロー像について。「ダイヤのA」のヒーローは、山ザルのわりにはよく見ると、あまり男っぽくない、というキャラクターだったが。さらに今作のヒーロー三橋くんはあからさまにめめしく気弱で頼りない少年なので、彼とバッテリーを組むキャッチャーの阿部くんは、いちいち彼を『だいじょうぶ、オマエならやれる』、『オマエがエースなんだ、信頼してるから!』等々とはげまして、その心理的なマネージメントをがんばらなければならない。
かつよく見たら、三橋くんは『ボクなんか、ボクなんか…』とは言いながら、しかしめちゃくちゃ人々に世話を焼かせ、しかもぜったいに自分の我を通している。こういう主人公のあり方は、筆者のよく知っているところだ。
つまり少女まんがの『乙女チック』部門のヒロインに、その分野のあまり名作でもないところに、よくこういう人たちがいる。『わたしなんか』と言いながら、その種のヒロインたちは自己チューの限りをつくして作中の幸せを独占する。まあそれは、見ているわれわれがそのようにしたいのだ、ということなのだが。

そんなだから、この少年たちのネチネチベタベタとしたふれあいは『BLチック』に見える、というよりもそうしか見えない。「ダイヤのA」については腐女子チックなイマジネーションをもってすれば『BL的』、だったものが、今作についてはあからさますぎ。そっちの世界の格言に『バンドはボーカルの“総受け”が大基本』だそうだが(ミキマキ「少年よ耽美を描け」より)、並び立つこととして『野球はピッチャーの総受け』なのだろうか?

そして、彼らのチームのコーチが巨乳女子。この人が、どうして自分のバイト代までつぎ込んでコーチに打ち込んでいるのか、そもそもどこで野球をおぼえたのか、そこらが既読分では描かれていない。
『なぜ野球部のコーチが女性なのか?』。そこがおかしくもないにしろ、少々ふしぎだし珍しいのでは、というありそうな問いかけが、『逆に』作中にまったくないということは、それこそが実は最大のポイントであることの裏返しだ。
そして一方の「ダイヤのA」のヒーローは、東京の名門野球部の副部長の巨乳へと大いに注目するが、しかし今作「おおきく振りかぶって」に描かれた少年たちは、コーチの巨乳をまったく気にしていない。『逆に』ないということは、それこそが実は(略)。

で、このことを『お話のBL度が昂進している』とも言えながら。しかしヤキュー少年であれば巨乳ではなく白球を見なければならない、そのすり替えを促す仕組みがここにある。筆者が「ダイヤのA」について書いたことは、ここでもまったく妥当する。すなわち、『おっぱいに対する飢えを、(無意識の過程で)白球に対する飢えへとすり換えること』、『野球少年らの白球に対するあこがれや思慕を表す記号で、それらはある』…うんぬんと。
そうしてここまでを見てくれば、今作の題名「おおきく振りかぶって」という語に、巨乳にからめての性的なほのめかしが付随していること、それはきっぱりと明らかだ。ただし今作は単なる巨乳讃歌を歌いあげているものではなく、そこでまた巨乳のイメージを白球へ、主人公らが野球に打ち込むということへ、たくみにすり替えているのだ。
またそのBLチックなふんいきの濃さにしても、つまり作中の少年らが無名校から甲子園まで行こうとすれば、ふつうの性交や恋愛をしている場合ではない。そこでなされている≪昇華≫という現象の表れとして、彼らはBLっぽくふるまっているのだ。

よって皆さまにはご退屈であろうけど、まったく同じフレーズでこの堕文を〆ることを、そんなには手抜きでもないかなと、筆者はかん違いいたす。すなわち。
この地点において、もはや巨乳は単なる巨乳ではない。そしてわれわれはここで、ジャック・ラカンによるテーゼ『“昇華”は対象を、“もの”の尊厳へと高める』とはこのことか、と知るのだ。

が、異なる点はある。『巨乳BL野球まんが』と呼べるものとして、2006年の「ダイヤのA」に対し、2003年の「おおきく振りかぶって」の方が、はるかに先行してスタートしている。ゆえにその『巨乳BL』レベルは、きわめてピュアであり高い。その一方の「ダイヤのA」は、わりとそれらを挿話的に使っているだけで、お話の中心は名門校の“シビアな”野球実践を描くこと、かと見られる。
それに対しての「おおきく振りかぶって」は、甘ったれで泣き虫のヒーローでも甲子園にまで行けるかもしれない、というまったく夢みたいなことを描いている作品であり、そのふんいきが全般的にひじょうに甘い。かつ、お姉さん的なコーチと選手のママさんたちの力によって、少年たちを甲子園という高みにまで押し上げよう、ということが描かれているのは、かなり珍しい感じ。

それではまるで、野球とは、少年たちをプレーさせて女性たちが愉しむものだとか、そのような? かつそういうところから見ると、今作の描く少年たちは過剰にいい子でかわいい子ばかり、ということには気がつく。それがまた、お姉さんやママさんたちの嗜好に応じているところなのでは? タメ年や年下の少女たちは、もうちょっとツッパリ気味な少年像を好むかもしれないけれど、それがここにはない。
そうこうとすると、「巨人の星」でなくとも野球というものを、≪父-子≫関係にかかわることかと見るのがふつうの行き方であるに対して、ここにはそれへのアンチテーゼが描かれている。お姉さんおよびママさんたちから見て、高校野球はこういうものであってほしい、ということが、「おおきく振りかぶって」には描かれているのだ。そして、もしも野球がこういうものであったならば、もはや、かの≪星明子≫姉さんがめそめそと涙を流す必要はない…そこなのだ。

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