2010/03/13

≪初音ミク≫ - 矢野顕子、戸川純、越美晴、そしてミク(…!?)

 
参考リンク:YouTube「2.5次元 - ミクFES'09(夏)」

以下はまったくの雑文でしょうがない、ということをまずお断りしつつ。というか参考リンクとやらの先の動画が“すべて”で、筆者の堕文がひじょうに蛇足なように思いつつ。

見れば分かることでもいちおう説明すると、動画は「ミクFES '09(夏)」という一種のコンサートの中の10分間で、ご覧のように会場はたいへんな大盛況だ。どんだけの人がいるのかと調べてみたら、このべニュー(新木場“STUDIO COAST”)のキャパシティは2400人だとか。
で、このコンサートらしきイベントの主役として青少年たちを熱狂させているのが、皆さまもご存じの『バーチャル・ボーカロイド』こと≪初音ミク≫なのだった。

たまたま見たどこかの掲示板に、この動画へのリンクが張ってあって、うかつに見に行った筆者をずいぶんびっくりさせてくれた。そのショックのあまりに、ついついこんな堕文を書いているけれど。そこで調べてみると、このようなミクのパフォーマンスをフィーチャーしたコンサートは、現在からわずか数日前の3月9日(=ミクの日!)にも大盛況裡に行われたばかり(参考リンク:毎日.jp「ミクの日のコンサートに2500人」)。
それも1日2回興行、というので大変だが(?)。しかし生身の歌手とは違って疲れない壊れないというところで、『バーチャル』のメリットは最大限に発揮されている(!)。ようし!

ところでミクの『半機械的』ともいうべき歌声が筆者には、テクノポップが流行っていた時代(Late 1970's~Mid 1980's)の、矢野顕子、戸川純、越美晴、といったテクノ系ディーヴァたちの系統にしか聞こえないのだった。で、ひじょうに、『いちおういい意味で』のノスタルジーがあってならないのだった。
昨2009年には≪HMO(初音ミク・オーケストラ)≫を名のったユニットによるYMOカバー集CDがちょっとしたヒット作になったようだが、聞いてみて筆者には『それはとうぜん、合いすぎだってば(笑)』という感想があった。ついでに申すと、そこで自分の大好きな細野晴臣の曲「Lotus Love」の、歌はいいけどオケの聞こえ方が、原曲に比べてずいぶんフラットだと感じた。むしろ原曲のあまりにも立体的な音像感が異常なのだが、しかしミク版のフラットさこそが、21世紀の音というものかも知れない。

で、リンク先の動画の2曲目「ロミオとシンデレラ」の出だし。その過剰にひねくったメカニカルなメロディがどうにもYMOチックで、しかもそれを歌っているミクの声の≪非情さ≫が、筆者にはほんとうに何かが蘇ってくる感じでショッキングなのだった。
だいたいこの楽曲は、明らかに人間が歌うようにはできていない。メロディもそうだが、ブレスが少なすぎて≪非情≫。
まじめに聞いていれば『何だかすごい』と思うばかりだが、他のことをしながら聞き流していると逆に、『それはおかしい!』と思わず口走ってしまうような不自然さがある。ここらはミクが明らかに、旧世代のテクノ・ディーヴァらを『追い越して』いるところだ。

そうして筆者の察するに、さきの動画でミクの歌声に熱狂していた青少年たちは、だいたいがYMO世代のジュニアなのでは。と、こんなことを申している筆者も、いちおうYMO世代だけど。
かくて、何がどうしてかは分からないが、こうしたサイクルで一周おきに伝承される嗜好や趣向みたいなものはある。またミクをプロデュースしているスタッフサイドにも、とうぜんYMO世代のオッサンらはいると思われつつ。

これらのことによって、ボーカロイド初音ミクの活動のもとに、ノスタルジーをもともないながら、『人工的なエロス』のイメージが集約されつつあるのだった。一部で『テクノ系』と見られているギャグまんが家・江口寿史の描く、人工的もきわまった人格性のないエロス的イメージがあるが、ミクにはびみょうにそれを継いでいるようなところもある。
かつ『イメージよりも音声を、人は真実に近いと感じる』というウィリアム・バロウズのテーゼにより、これは単にリアルなCGの背後で声優さんが歌ったりしゃべったりしているものとは、何かのレベルが一段ほど異なる。そのいわゆる『中の人』がまったくいないとも言えないのだが、しかしかなり『いない』に近づいている…そこがよくて。
しかもミクは、可能性としては誰にでも操作できるようなキャラクターではある。とりあえずDTM的な操作で歌わせることができるわけだし、実態は知らないが映像を動かすこともまた、可能性としては“誰にでも”できよう。この『オペレーショナル』なキャラクターであるところがまた、『だから いいんですよ これが! ハハハハハ』、と。

だいたいキャラクターとしてのミクのイメージのベースが、ヤマハの往年の超名機シンセサイザー『DX-7』というのが、本気で憎たらしいところだ。そんなんではある世代の音楽ファンには、『いつの間にかできていたわれわれの娘』、母なくして生まれたオレらの娘、というミクへの見方にならざるをえない。
よって言いたくはないことだが、筆者がもしもミクに対して欲情するとしたなら、それは≪近親相姦≫の欲望の等価物であるに他ならない。…『萌え』と呼ばれる感情は、ぜんぶそれだが。ところがいちおう『こんなイロ気のねえモンに』という感じ方なので、自分の思ったよりも反応がノーマル気味かも知れぬ。

で、この堕文は何しろ堕文だけに、そんな大したさいごの結論などはない。いや、まったくめんぼくない。
そうして筆者は、人々の『これ』への熱狂について大いに共感もしつつ、またこれは初代のロボットアイドル(?)を描いたフリッツ・ラングの「メトロポリス」(1926)チックな≪未来≫だな、とも感じつつ。『だがこれはありなのか』…とついでに小首をかしげ、ほんっっとに煮えきらぬ限りの反応を返すのだった。

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