2010/03/17

山口舞子「もうすこしがんばりましょう」 - ちょんまげを、ゆわせてちょんまげ!

 
参考リンク:Wikipedia「山口舞子」

2002年からわりとさいきんまでの『花とゆめ』掲載作、『脱力女子高生三人衆の ホンワカSCHOOLライフ』を描く4コマ(花とゆめコミックススペシャル, 全5巻)。つまり、少女まんがのギャグ作品らしいものなんだが。
だが筆者においては『少女まんがのギャグ』というと、何といってもりぼん系のあれで。1970'sには土田よしこ大先生が「きみどりみどろあおみどろ」や「わたしはしじみ!」という大輪の毒花を咲かせ、1980'sには岡田あーみん「お父さんは心配症」や「こいつら100%伝説」が続き、そして1990'sには「まゆみ!」(*)、「へそで茶をわかす」(*)、「赤ずきんチャチャ」、「HIGH SCORE」(*)らが、という系譜…。
何を言ってんのかって要するにりぼん系を筆頭に、少女まんがといえどもギャグ作品であれば、『ホンワカ』じゃなくてパワフルかつ毒々しいものが多い、というか。そもそもそうじゃない作品を、≪ギャグまんが≫とまでは言わないし。さもなくばひじょうに古いところを見て、倉金良行「あんみつ姫」(1949)にしても、かなりダイナミックでテンションの高い作品だったわけだし。

また1990's以降、ギャグにおいてあまりふるわなかった他の少女誌からも、別コミの新井理恵「× -ペケ-」、LaLaのにざかな「B.B.Joker」と、すばらしい作品らが出ている。2作の共通点は、Late 1980'sの青年誌の≪不条理4コマ≫のインパクトが少女まんが的に消化されているものであることと、ひとまず見ておく。
(付言、さらに追って登場してきた別フレの美川べるの「青春ばくはつ劇場」もまた、その系列でありつつ。かつご存じのことだろうけど、「ペケ」・「BBJ」・「青ばく」と、いずれも4コマ作品)

だから…とも言いきれないが、その2作ともテンションの高さより、むしろシニカル(冷笑的)なふんいきがフィーチャーされている。そして現在までの21世紀のりぼんを代表するギャグまんが、前川涼「アニマル横町」もまた(ドタバタ要素もありつつ)、≪不条理≫とシニカルな感覚をフィーチャーした作品になっている。
さらにそこから≪不条理≫をもシニシズムをもマイナスしたとすると、テンションが低まったままに、お互いがお互いを『かわいい、かわいい』と言ってなぐさめあうような作品が、できなくもなさげ。そして今作「もうすこしがんばりましょう」を、そのようなものと見ることが、まったく不可能でもない。

で、筆者が、その『脱力女子高生三人衆』とやらのじゃれあいを描いた今作を見ていると、『もう分かったよ、君たちは“かわいい”から!』…という気分にならないこともない。がしかし、そのようなシニシズムに終始していても何なので、わりに自分がうけたところをご紹介しておく。

 ――― 山口舞子「もうすこしがんばりましょう」(第1巻, p.52)より ―――
教室でボブカットの少女≪ひよ≫が、ロングヘアの少女の髪をすきながら、『ふみちゃんくらい 髪が長かったら ちょんまげ 結えちゃうね』と言う。と聞いてふみは、『結いたいの?』と返す。
そうするとひよは、『結わない よ~』と言って手のひらを左右に『パタ パタ』と振る。だが、それから彼女はその手を振り続けながら、中空に視線を泳がせ、しばし『―――…』と何やらを考え込む。
やがてひよは意を決し、てれ笑いを浮かべながら『だめ! やっぱり結い ませんっ』と言い、さらに手のひらを『バタタタタ』と激しく振りまくる。これらのことを見ていたふみは、『……… 迷ったの? まさか』と、声低く静かにツッコむ。

これが一種の≪不条理ギャグ≫で、その内容に『まさか』もへったくれもない。そして別に申したくはないことだが、作中の『ちょんまげ』こそはフェティッシュであり、すなわちわれわれの言う≪ファルスのシニフィアン≫(勃起したペニスを象徴するもの)である以外にない。

そういえば。すごくむかしの話だが、あずまきよひこ「あずまんが大王」(1999)についての世間の評判を聞いて、筆者は女子校のお話なのかと思い込んでいた。しかしご存じのように実作を見れば、超わき役のモッブだけど男子らは登場している。
で、こちらの「もうすこしがんばりましょう」という作品の、第1巻を読んだ限りで。こちらには本当にオスが1匹もぜんぜん出ていないので、『今度こそは!?』と思ったのだが。
ところが巻末近くのバレンタイン話で、ふみが大量のチョコをゲットして、という場面で『女子校か ここはっ』というセリフが出ており、これに筆者はびっくりしたのだった(p.109)。

びっくりしてからこの第1巻を見直すと、ひじょうに何げなすみっこに1ヶ所だけ、校内の男子が描かれているのだった(p.30)。にしてもこの学校の男女比は、氏家ト全「生徒会役員共」(2007)のガッコと同じくらい(およそ1対18)だってのだろうか? まさかねえ。
では、どうして今作の中では男性の存在が≪抑圧≫されているのだろうか? それは筆者の言い方だと、『性交は不可能であり、かつ不可避でもある』というテーゼの前半の実現だ。

ではその『性交は不可能であり、かつ不可避でもある』とはどういうことか? それはもう、あらゆる意味で『そうである』としか言いようのないものなのだが、特に≪少女≫ということばの出ているところで問題になるテーゼではある。
そして、われわれがご紹介のエピソードで見たところ。作中の少女の想念、『ちょんまげを、結いたいような気もするが、しかし結えない』とは、『性交は不可能であり、かつ不可避でもある』というテーゼの言い換え、変奏、バリエーションに他ならない。

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