2010/03/07
施川ユウキ「がんばれ酢めし疑獄!!」 - グッド・バイブレ~ションな、不安・不安・不安(!?)
参考リンク:Wikipedia「がんばれ酢めし疑獄!!」
言語センスにきわめてすぐれた作者、または作画においてあまりちょっとアレな作者、である施川ユウキ先生のデビュー作(少年チャンピオンコミックス, 全5巻)、である今作「がんばれ酢めし疑獄!!」は、吉田戦車「伝染るんです。」(1989)以後の≪不条理4コマ≫として、1コのピークを作っている作品かと思う。
補足して申せば。「酢めし疑獄」を追って出た4コマの傑作シリーズ2つ、氏家ト全「妹は思春期」と倉島圭「メグミックス」らがその追求の方向性を変えているのに対し、「酢めし疑獄」は「伝染るんです。」へと、わりとダイレクトで張り合っているようなところがある。そのような勇敢なる創作として、これが筆者にはひじょうにすごいように感じられる。
そのどういうところが斬新だったかは、今作の第1巻のカバーへと大っぴらに出ている作例に、すでに表れているかと。さっきも申したが、その創作のキーは、画面の超シンプルさを補って大いにあまりある卓抜な言語センスだ。なので、まずそこから見ておくと。
――― 施川ユウキ「がんばれ酢めし疑獄!!」, 第1巻(2000)カバーより ―――
晴天の北極上空に、赤いUFOが浮いている。以下、図柄は4コマすべて同じで、空中に浮いた吹き出しだけ異なる。また同書のp.97の同じ作品には、「侵略者」とサブタイトルあり。
…そのUFOの中の侵略者たちは待機中でヒマなので、『なんか 面白い話 ない?』などとおきらくなことを言っている。すると宇宙人の1匹が、『そーいや オレ最近 ヘンな所に ホクロできちゃってさー』と言う。
そこで『なんかの病気 じゃねーのか?』などと言いながら、そのホクロをチェキった他の2匹は、『ハハハハハ!!』と、大爆笑の発作に襲われまくる。ホクロのできている1匹が『笑うな!!』と抗議しても『ハハハハハ!!』と、いっこうに収まらない。
そしてその爆笑にまぎれて1匹が、『これで地球は 我々のモノ だぁ!!』と叫ぶ。ホクロの1匹はそれに、『関係 ねぇ!!』とツッコむ(完)。
と、その『ホクロ』というものが何かをきざしていそうな≪シニフィアン≫だということだけが確かで、他にはまったく、何もはっきりしない(…ラカン用語の≪シニフィアン≫とは、『意味ありげだが意味不明な記号』)。つまりそのホクロが≪何≫であるのか、かつ、なぜに彼らはそれを戦勝の予兆と見たのか。
かくしてわけの分からない、だが見たら爆笑必至らしきその≪シニフィアン≫の意味が、へんなところをふらふらと浮遊している。かつわれわれは地球人だから(あなたもですよね?)、エイリアンらによる地球侵略という話題には、多少ともいやな感じを覚える。
それこれのかきたてる≪不安≫が、読者においては受けとめようもなくて、もし可能ならば≪笑い≫へと変換されるのだ。という、『≪不安≫からの笑い』。
なお。今作についての堕文を書こうとしていた昨2009年の7月、筆者は≪不安≫から来ていそうな息苦しさの発作に襲われ、たまらず、午前2時に歩いて近くの総合病院を受診した。すると案の定レントゲンにも心電図にも異状がなくて、医師とナースから『この夜中に何もの?』みたいな目で見られたのはつらかった。
そこで筆者は、『何かこういうヒステリー系の、心身症状があるらしいじゃないですか?』…などと弁明してみたのだが、まったくむなしかった。ともかくも睡眠薬と精神安定剤を2日分処方されて帰り、さいわいそれきり症状はなくなった(薬も呑んでいない)。
そして数日後、その診療費を精算しに行ったら、支払いがぜんぶで5千円くらいにのぼったのだが。しかし『むしろ安かったな!』と感じたので、筆者の≪病≫はあったことだと思う。かつ、こんなにすなおなクライアントばかりだったら、病院はある意味で大助かりだろう…とまで言う気はないけれど!
で、その受診の直後に書いていた自分の文章から、あまり重くないところを引用しておくと。次のパラグラフから。
…こんなことらが、『喜劇』と見れるうちは幸いだ。別に筆者が申す『外傷的ギャグ』ではなくたって、笑いとは実は、命カラガラの実践なのではないか?
深夜の受診を決意する前、気がまぎれるかと思って、その前日の昼間に図書館から借りた長谷川町子「サザエさん」をパラ見してみた。するとその作者から『読者のみなさまへ』として、こんなことが書かれていた。
――― 長谷川町子「サザエさん」, 姉妹社版 第3巻へのまえがきより ―――
『(大いに笑える作品、という自負を込めて、)画きながら自分でふき出して了(しま)います。よろしい、これなら、お通夜の晩でもきっと笑って頂けます』
(朝日新聞社版「サザエさん」第2巻, 1994, p.49。掲載は、おそらく1947年)
…『火葬場の炎でイモを焼く』、とゆうよーな≪ギャグ≫かYO! わりに誰もが『健全なユーモア』があるかのよーに見てる「サザエさん」の方から、こンなドス黒いモノを喰らうなンて…。われわれは、地獄の門の扉を開けてしまったのかッ? 健全なユーモアじゃなく、『心身が健全でなきゃ笑えないもの』としての≪ギャグ≫がある。
自己引用、終わり。自己引用に続いては自己肯定で、『まったくそうだなあ』…と、いま見た引用文に思う。そのうち筆者がほんとうにおかしくなったら、ギャグまんがを読んで『オレのことをかってに描くな!』と、出版社に抗議し始めるかも知れない。そして、そんなことをしてないうちは大丈夫、と考えたいが。
だが、そんな≪自己≫のことなんかを書いててもしょうがないので、「酢めし」からもういくつか作例をご紹介しておけば。
――― 施川ユウキ「がんばれ酢めし疑獄!!」, 第1巻よりの作例 ―――
題して、『スズメ』(p.86)。若夫婦らしき2人が、家の窓から庭先の1羽のスズメを見ている。かってその家のおばあちゃんが、存命中にえづけしたものらしい。
そして『あのスズメ 名前つけてあげない?』と女性が言うので男性は、『じゃあ 死んだ おばあちゃんに ちなんで……… 「死亡」!!』と、命名を行う。そこで女性は『「死」に ちなむな!!!』とはげしくツッコむが、しかし男性は上きげんで『待てよ 死亡!!』と、飛び立ったスズメを追いかけている。
題して、『しびれ薬』(p.111)。若いようだが属性不明な男女が、路上にて。メガネのあたりをキラリと輝かせた男が、西部劇で金貨を入れるような袋を手にして、『しびれ薬を 飲まないか?』と、女性に話しかける。
すると女性はびっくりして、『嫌よ! だいたい何で そんなモノ 持ってるの?』と、まったくもっともなことを言う。しかし男はその問いをはぐらかしつつ、『キミ子さんも 持ってみる かい?』と、女性にへんなことを持ちかける。
そうして女性は『じゃあ持つ だけなら……』と、その、しびれ薬が入っているらしい袋を、男からその両手に受け取る。すると彼女は、『!!』と表情を輝かせて、『コレは かなりの ずっしり感ね!』と言う。そこで男はわが意を得たりと、『かなりの ずっしり感 だろ?』と言い、またメガネのあたりをキラリ輝かせる。
題して、『特訓』(p.142)。学生らしき男2人が、学内の裏庭のような場所で、その『特訓』を行っている。顔をへんな色にしてダラダラと汗をかいている1人が、『オレの性欲は すごいが オマエ程では ない!』と叫ぶと、指導役のメガネの男が『もう一度!』と、反復を命じる。そのまったく同じ絵図とセリフを、4コマなので4回繰り返し。
題して、『日本陸上選手権』(p.132)。会社の会議で、『来年度の日本 陸上選手権の キャッチコピー について』という議題が出る。そこで目つきのするどい男が、自信ありげに次のような案を提示する。
『関係ないヤツラが 走り出した!! ―― 日本陸上選手権 ――』
すると席上のお歴々はしばらく『ざわ ざわ ざわ』と相談し、そして『一応 走ってる ヤツラは 全員 関係者だ そうだが』と言って、あえなくその案を却下する。
ご紹介、終わり。こんなような≪不安≫をあおっているネタたちが、この本の1巻あたりにたぶん300個くらいずつ出ているってわけだが(!)。そしていま見たさいごの作例は、ちょっと軽みがあって筆者のお気に入りだ。
すなわち、『関係ないと言明すること』は『関係がある』ことの証左であり、かつまた『意味がないと言明すること』は『意味がある』ことの証左に他ならない。だがしかし、エラい人にはそれが分からんのですよっと。そしてこの会議の席に描かれているエラい人ら、なぜかその3人全員の頭がモジャモジャであることが、何かまた意味ありげ。
そうしてモジャモジャつながりで、さいごに筆者がいちばんうけたネタをご紹介して、この堕文を終わろうかと。
題して、『風船』(第1巻, p.164)。板塀の向こうから路上に突き出た樹木の高い枝に、糸のついた風船が引っかかっている。若いらしい男2人が肩車の体勢で、その風船を取ろうと試みている。上のツッパリ風な男はリーゼントっぽい頭、下のメガネでおたく風なデブ男は天パーっぽい頭、と、なぜか2人とも髪がモジャモジャだ。
そして上の男が、『まったく オマエが ちゃんと風船持って ないからだぞ!!』とたしなめると、下の男は『ス…… スマねぇ』とあやまる。そうして風船を取ろうと肩車でがんばっているうち、下のデブ男は『………… なあ』と前置きを入れて、へんなことを言い出す。
すなわち下の男が、『性の話でも しないか?』と言い出す。すると上の男は、『こんな状態でか?』と返す。
このように説明した中の、いかなる要素が、作中のおデブ君に『性の話』ということを思いつかせたのだろうか? さもなければ、『どういう局面からも“性の話”を始めたがる』という点で、ふらちにも彼はわれらが精神分析のパロディを敢行しているのだろうか? こいつめぇ~!
なんてオチがついたところで、今作についても施川センセについても、もっと多くを語りたい…と予告して、いまはいったん終わる。
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