2010/03/16

亜樹直+オキモト・シュウ「サイコドクター 楷恭介」 - 無意識世界の出来事を引きずり出…さない!

 
参考リンク:Wikipedia「サイコドクター 楷恭介」

『モーニング』誌掲載の心理サスペンス(KCモーニング, 全4巻)。もとはMid 1990'sに「サイコドクター」として出ていた作品が、びみょうにもようがえして21世紀に復活したものらしい。その間の事情がよくわからないが、別にあまり深入りしなくてもよい感じ。

これは何か精神分析にかかわりあるお話かと思って見てみたのだが、結果的にはかん違いでした。そのかん違いの過程を、ごくごく手短に説明すると。
さいしょのエピソードでおかしな身体症状に悩むクライアントが登場し、そこでドクターはブロイアー+フロイト「ヒステリー研究」(1895)をひいて、『その症状がヒステリーからのものということは、大いにありうる』、と説明する。『ほほう』と思って見ているとドクターは、

 『ブロイエル(ブロイアー)はアンナを 催眠状態にして
 隠された本音を 引き出した』(第1巻, p.30)

と言い、催眠術療法にとりかかるのだった。

…ところが催眠術療法は『症例アンナ・O』の治療に役立ってないし、そこから催眠術を否定しての≪精神分析≫が始まっていることは、こんにち「ヒス研」を読もうという人間には分かっていることであろう。

 『抑圧された 本音……』
 『そうです ただ こうして 会話しているだけでは
 それはなかなか 見えてこない』(同)

わざわざブロイアーの名前を出してまで、そうも精神分析を侮辱する理由はないはずだ。そうではなくて。アンナ・Oの自発性から、催眠術を用いない『談話療法 talking cure』が始まったということに、われわれはその永遠の価値を見出しているのだが。
だいたいのところ、実はブロイアー医師はアンナ・Oの治療において大失敗しているという、後に明らかになった有名な事実がある。そのかっこ悪い事実を含めつついろいろ考えるべきことがあるが、しかし今作の水準が低すぎて、『それにからめての話』など展開できはしない。

まあ出だしがこんなんだから、すぐに続いてこの作品が『多重人格』という面白トピックを取り上げるにいたっていることには、『やっぱりね』という感じしかなかった。興味本位。面白半分。クライアントに対する操作的態度、その尊厳に対する尊敬のなさ。

 『彼に施した(中略)無意識世界の 出来事を 引きずり出す 方法』(第4巻, p.55)

だ~から! それをむりに操作として引き出すことは≪治療≫として成り立っていない、ということを、フロイト様がその出発点で明らかにしているので! 『出てくるのを待つ』ということと『引きずり出す』ということの違いも分からないような鈍感人間が、おろかにも『心理』とやらをおもちゃにしているのだ。
またどうでもいいけどその第1巻のカバー画で、クライアントを座らすような長いすに主人公がどっかりと座って安楽にしていることは、『逆だろ! わきまえろ!』というツッコミを誘発している。

…運が悪くもこの記事を見てしまっている皆さまよ、転んでもただでは起きないというスピリットによって、ぜひこれだけは憶えて帰っていただきたい。『精神分析=フロイトの方法』は、その大前提として『催眠術否定』なのだ。なぜならばクライアントの自発によるのでなければ≪治療≫がありえないような病を、専門にそれは診ているのだから。
とりあえずこの作品は、『無意識』とか『トラウマ(外傷)』とかいう語を使うことを、止めたらよかろうと思う。近ごろメディアミックスに関連して『原作レイプ』というイヤなことばを聞くことがあるが、この主人公もまた作中のクライアントらの『心理』をレイプし、かつわれわれの理論をレイプしている以外でないので。

ただしエンターテインメントとしてのまんがにおいては、これもありかも知れない。そもそも分析家の実践なんて、これっぽっちもかっこいいところがないし。じっさいのところその役まわりは、たんつぼとそんなに変わりがないのだから。
そうではなくて『カウンセラー』とやらを名のる主人公が、操作的な態度でかっこよく(?)、猟奇的殺人犯とかをビシビシ摘発するようなお話になっていることは、商品としての今作の必然なのやも知れぬ。

けれど、こんなものしかないんだとしたら、筆者がいい年齢して≪まんが≫ごとき読んでいる理由はない。追ってわれわれは山上たつひこ「喜劇新思想大系」(1972)を見ることになるだろうが、正しい理解にもとづいて≪精神分析≫を描いているのはとうぜんそちらの大名作に他ならない。
いやむしろ。精神分析の考え方、そのポイントを深くえぐったところを描くことは、ギャグまんが以外では不可能なのかなあ…と、近ごろ筆者は考えるのだった。

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