2010/03/17

ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」 - バスルームから自己愛をこめて

 
参考リンク:Wikipedia「テルマエ・ロマエ」, Yomiuri Online「マンガ大賞に『テルマエ・ロマエ』」

ついさっきのニュースから。参考リンクの読売オンラインの記事を引用すると、
『書店員らの投票でお薦めの漫画を選ぶ「マンガ大賞2010」(同賞実行委員会主催)が17日発表され、古代ローマの浴場の建築技師の男が現代日本の風呂にタイムスリップする、ヤマザキマリさんの「テルマエ・ロマエ」(エンターブレイン)が選ばれた』
…とのこと。

ところでだ。まったくもって情報にうとい自分が、どうしてそんなことを早々と知ったかというと。
世間で話題のTwitterというものをきのうくらいから始めてみたのだが、まったくもってすることを思いつかない。筆者は有名人に興味がないし、こんなことをやっていそうな知り合いもいないので。
しょうがないので『ギャグマンガ』をキーワードにツイートを検索していたら、この話題が引っかかったのだった。これはまあ、さっそくツイッターがニュースゲットの役に立った、と言えることなのだろうか。

で、ことのなりゆきからして、世には今作をギャグまんがだと考えているお方がいそうなのだが。Wikipediaの説明でも、今作は『ギャグ漫画』のカテゴリーに入ってはいるのだが。…どうかな?
専門家としての筆者は、懐疑的だ(すみません)。古代ローマ人が銭湯のフルーツ牛乳を飲んだり、温泉卵を喰ったりして、やたら美味いと感心する、そんなふざけたお話ではあるようだけど。

今作についてすなおに申したら、ギャグじゃないにしてもコメディではあろうけど、その既刊の第1巻には、とくに笑える個所もなく。そうしてこれには、ふかしぎな高尚みを感じるというか、自分のようなおバカさん向きではなさそう、というか。
公衆浴場の文化をキーとして、古代ローマと日本とを結びつける。それは分かるんだけど、その発想がトータルふつうぎみで驚きに乏しいと、筆者には思われる。つまり、高尚さがから廻りしている。で、『ともあれニッポン人らのナルシシズムを満たすような、そんな内容ではあるようだな』と、そのくらいのことしか感じなかった。

そうしてここに表れているナルシシズムを、とくべつにいいとも悪いとも思わず。そして『誰かにとって“使える”作品ならば、それはあってもよかろう』と、筆者はあたりまえすぎることをここにてつぶやくのだった。

ただし。『マンガ大賞20xx』というものの趣旨を、筆者はまったく知らないのだが。にしても巨視的に正しい意見として、まんがの世界はお子さま中心で廻っていなければならないものだ。子どもたちに先んじておとながそれを愉しむのは、ほめられたことでない。
送り手の側にしてみても、おとな相手の商売の方が、相対的にかんたんなのだが。何しろいまは子どもが少ないし、おとなの方が当然サイフのヒモがゆるいので。だから『書店員らのお薦め』として、この「テルマエ・ロマエ」というひじょうにおとな的な作品が選定されたこともまた、そこらをねらってのことかと。

がしかしそんなビジネスに終始していたら、この業界には未来がなくなる。『ノーフューチャー!』という語は好きとか嫌いじゃなくて筆者につきまとっているものなんだが、こんなところでもそれを言わねばならなくなる。
だからことさらまんがに対して賞なんてものを授けるなら、小中学生による人気投票か何かで決めたらよかろうと思う。たぶん自分もそれなのだろうが、くろうと気取りのまんが読みらが持ち上げる作品とか、あまり。もはや老いていく一方のこの社会で、再び子どもらがまんが消費の中心に返り咲く見通しはひじょうにない、けれどもそれは目ざされなければならないのでは。

ところでナルシシズムというところに話を戻すと、われわれが(自分の)子どもたちを愛することはナルシシズムの延長であると、フロイト様は教えている。他ならぬ筆者が『まんがは第一に子どものために!』などときれいげなことを申すのも、かっての『まんがっ子だった自分』をいつくしんで言っているのだとは認める。
だがそうとしても、『その程度にさえも自分を殺せない』ということは、そこまでのむき出しなナルシシズムにおぼれることは、おとなげないにもほどがあろう。

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