2010/10/31

「増田こうすけ劇場ギャグマンガ日和」 - A面で恋をして、そしてB面でアレを。

「増田こうすけ劇場ギャグマンガ日和」第11巻 
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皆さまご存じ、「ギャグマンガ日和」。その最新刊の第11巻から、ほんのささやかなお話を。
その巻頭の『第195幕 恋のラブソングを君に』は、1970'sの少女まんがをなぞったような物語(p.7)。乙女チック系もどき、とでもいうか。シンガーソングライターの≪聖斗君≫が、ヒット曲をとばした勢いで、彼女の≪麻理亜≫にプロポーズをしたけれど…と始まるお話。

1. ところかまわず、わがもの顔で

さてその、聖斗君が大ヒットさせたデビューCD。タイトル曲の『君のために今…』は、『いとしい人(麻理亜)に 気持ちを伝えたいけど 勇気が出ない切なさ』を唄ったものだそうで、その評価はひじょうに高い。
だがしかし、そのCDのカップリング曲の評判が、目もくらむほど、ド肝を抜かれそうなほどに悪い。どれだけまずいものなのか、人々の評言をご紹介すると。

【マネージャー】 (歌詞が)薄気味悪くて一晩中 吐いちゃった
【事務所の社長】 胸クソ悪くて蕁麻疹と 血尿が出た
【麻理亜】 ヒキガエルの下痢のような曲, 生ゴミ みたいな曲で 聴いてたら ひどい吐き気と 頭痛と痙攣に 見舞われて 入院することに なっちゃった

そういうわけなのでお話の初め、聖斗君がプロポーズする場面で、麻理亜は入院中(!)。『音楽は人を殺れる』とは「デトロイト・メタル・シティ」作中のメイ言だが、こちら「日和」もまた、人を入院にまで追い込む音楽という、とほうもないものを描くのだった。
で、その他大勢らの評価はどうでもいいとして…。この物語のコアは、結ばれようとしている麻理亜と聖斗君との間に、その腐れきった曲が割り込んでくる、そのことかと思われる。

やがてお話が進むと、そのヤバい曲の、タイトルは『握りすぎ寿司』。それは聖斗君が、『屋根裏部屋で お寿司のことを考えてて できた曲』、などと明らかになってくる。
そして麻理亜にとって、それがどれだけ悪夢的、≪外傷≫的なものかというと。それから1ヶ月間の入院中、

『ところかまわず我が物顔で 吐いてばっかり』
『夜中はどうしても 2曲目の“握りすぎ寿司”を 思い出しちゃって叫びながら 病院中走り回っちゃう』

…などと、たいへんな猛威をふるっていたそうで(p.10)。

で、お話の大詰め。何か誤解して走り去る麻理亜を捕まえるために、ついに聖斗君は、その問題の曲をCDラジカセで爆音再生。それが『ゾアアアアア』…と鳴り響くと、麻理亜はその場に倒れ、『ウギャアアア その音をやめろオオオオ オエエエエッ いっそ殺してぇええ!』と、絶叫しながら激しくのたうち廻って嘔吐する(p.12)。
ところでその場面で聖斗君が、『作戦成功ってね』とうそぶき、まったくいい気分ですましているのが、ひじょうにふしぎなところだ。すなわち、さいしょからさいごまで彼は、そのカップリング曲の評判が激烈によくないことを、ぜんぜん気にしていない(!)。
そして、しょうもない誤解が解けたところで、ハッピーエンドを示唆してエピソードは完。で、一編のギャグまんがでございました…と言って終わった方がよさそうなのだが。

2. ぼくのおしりに はさまれたものは みんな不幸に

だがしかし、よけいなことのきわみのようだが。そんなにまでも胸くそ悪く、そして破滅的で外傷的な『握りすぎ寿司』という曲、それはいったい≪何≫なのか?…と、考えてみると。

山上たつひこ「がきデカ」第1巻ここで筆者が思い出したのは、また古いことを申し上げるけれど、かの「がきデカ」のヒーローこまわり君の、『生まれてから 一度も洗った ことがない』おしり、というもの(少年チャンピオン・コミックス版, 第1巻, p.43)。それがあまりに壮絶に汚くて臭いので、それを目の前につきつけられると、人々は嘔吐や失神にまで追い込まれる(p.88)。

…ただし、「がきデカ」のどこに出ていた話だったか。お尻に比べて、こまわり君の≪タマキン≫(ペニス)の方は、まだしもきれいであるらしい。意図的にタマキンを優遇し、それとのコントラストで、お尻の方をことさら汚くしているとか、そんなお話だったような?
そしてさらに、こんなことを言っていたはずだ。『ぼくのタマキンに はさまれたものは しあわせに… だが ぼくのおしりに はさまれたものは みんな不幸に!』。

と、このように、前はきれいでハッピーで、しかし後ろは気絶するほど汚辱的で不ケツな不幸のもと。これがすなわち聖斗君の出したCDであり、そしてそれは『彼自身』そのものなのだ。
だからこのお話は、A面とB面のあるアナログレコードの時代のものだったら、もっとすっきりしていたのでは。A面はきれい、B面はゲロカス的に汚い、と。
で、聖斗君は、彼の『B面』にめっちゃくちゃ汚い部分があることを、なぜなのかまったく恥じず、むしろ機会があれば誇示するという、こまわり君ばりの態度に出ているのだ。そしてその汚すぎるもの、きわめて外傷的な“もの”を、あわせてググッと押しつけられ呑まされそうなので、麻理亜はひじょうにたまらないわけだ!

そこまでを言えば、いちおう何かが分かった感じ。あえてさらに申すなら、『握りすぎ寿司』はペニスか糞便(ウンコ)を象徴する記号でありそう。またその『握りすぎ』とは、マスターベーションのことやも知れぬ。…といった気もするけれど、でも別に強くは言い張らない。

3. レッドホットで、ビッグラージな天狗さま~♪

あと、このエピソードの終盤に、『歯が抜ける』というモチーフの浮上がある。別に言い張らないんだけれど、それはふつうに≪去勢≫ということを示す。
そしてラカン的な見方として≪去勢≫は、『社会への順応』みたいなことをも表す。まだしも一般的な言い方に換えると、キバを抜かれて社会の飼い犬になる、ということ。
そしてそのままで、聖斗君の歯が抜けた(去勢された)ことが、彼のわがまま放題の矯正あたりを示唆し。それがさいごの、とってつけ風なハッピーエンドを導き出している、とも読めそうなのだった。

といったところで話は終わりだが、ついでのひとこと。
誰かの説によると、世に言われる≪不条理ギャグ≫とは、こんなものだそうだ。それは「がきデカ」のような、≪不条理≫以前のギャグまんがとの対比の上で、言われたことだが。

『タマキン等を出したい的な傾きが、ひじょうに強くありながら、あえてがまんして(?)、何かその代わりのものを出す』

「増田こうすけ劇場ギャグマンガ日和」第11巻 カバー部分ひじょうにすみません、オレが書いたことだけど(*)。そして筆者はこの「ギャグマンガ日和」について、その『タマキン的な記号』(ファルスのシニフィアン)が出すぎということに、いつもたまらない目まいとショックを感じ続けている。
内容がもちろんそうだが、その歴代の単行本らのカバー画が、それを端的に描いている。すなわちわれわれが見てきた第11巻、その表紙にドカンと出ている、巨大で真っ赤な天狗さまのお面…それが何を意味しているか、ということ。

さらにこの第11巻のカバーに描かれた、もろもろのアイテムたち。黒電話の受話器・ボール&バットの柄のTシャツ・よだれをこいている犬・UFO・枠の中に収まった北条氏直・バラの花・ワイングラス…。
ぜんぶそう、そのぜんぶが≪ファルスのシニフィアン≫だと言ったら、『こいつはアホか!』とも思われそうだが。…でもそうなので、仕方がない。筆者がりっぱなアホウでもありつつ、かつまた、その記号らがファルスのシニフィアンでもあるのだ。

いや別に、そういう風に考えなくてもよいわけだが。しかしそれでは、『なぜそれらがギャグを構成できているのか?』、ということを説明できない。
そこで筆者は、『それらは≪外傷≫的なシニフィアンであり、主体はその外傷的な“意味”を見て見ぬために、それらに対して“笑い”という反応を返す』、という珍説をひねくり出しているのだ(…シニフィアンとは、みょうに意味ありげな記号)。

というか、『なぜそのギャグがうけるのか?』、ということが、別に説明されなくともよい。受け手はそれへと、面白い、とだけ言って終わってよい。
それは、まったくそうだが。しかし筆者くらいのひねたまんが読みになってくると、『面白れェ、うけたぜ!』とだけ言って終わっては、いくら何でもなので。
そこで、『それはなぜか、なぜ笑えるのか?』、ということを、ちょっとは考えてみたくもなるのだった。そしてよろしかったら、このゲーム的おたわむれ遊びへと、ぜひぜひ皆さまのおつきあいをお願いしたいのだ! プリィ~ズ、シクヨロ!

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