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「もうスンゴイ!!!」と呼ばれるスンゴいショート作品は、かの悠久の名作「漢魂(メンソウル)!!!」に先だった、南ひろたつ先生の初連載。週刊少年サンデー1997年4号~48号に掲載、単行本は少年サンデーコミックス全1巻。
そして筆者にも文意がよく分からないが、出たころの宣伝文らしきものをご紹介いたしとく。
『恋するモアイ。アンラッキー上田。そして海パンヤクゥザ。キラ星のように輝く、もうスンゴイ漢たちの伝説を新鋭・南ひろたつが贈る!!!』
さて自分の存じ上げる南センセのお作は、これおよび「漢魂!!!」全3巻だけだが。この両作にて超あからさまに貫徹されたそのテーマ性は、≪漢(おとこ)≫、郎(おとこ)、男、オトコ!…まったくもって、それ以外ではろこつになさすぎる。
こんなんだと、『南ひろたつは、≪漢≫を描いたまんが家である』…という1センテンスを見さえすれば、もはやご本人は、この世に何ら想い残すことがないのでは?…と、要らぬことを考えたりもする。
どういう調子、かというと。全11章で構成されている今作の、第1章がまさしく≪漢の章≫。そのチャプターのトビラのあおり文を引用いたせば…(p.5)。
『漢(おとこ)とは強き生き物。
漢(おとこ)とは愛を知る者。
今、真の漢(おとこ)たちのストーリーが始まる!!! 』
と、いうわけだ。
しかし思うのだが、本宮ひろしや宮下あきら等のセンセらも(おそらく)オトコを描いたまんが家だとして。
一方のわれらが南センセは、≪ギャグまんが≫としてオトコを描いておられるわけだ。筆者においては超とうぜんながら、その≪差異≫が死ぬほど重要だ。というところで、その≪漢の章≫から、実作の様相をちょいと見とくと。
…イガグリ頭で学生服のサエなそうな少年が、便意をこらえながら、『くぅう』…と廊下を歩いている。ソコへ背後から『待ちたまえ!! そこのキミ!!』と声をカケたのは、サブタイトルに名前が出ている『超人 Mr.トト』だ。
そのMr.トト様の顔は和式の便器になっており(ベンキマンか)、オデコには誇らしげに『TOTO』のブランドネームが。そして彼は少年に、その顔面の使用をうながす(p.13)。
――― 南ひろたつ「もうスンゴイ!!!」, ≪漢の章≫より ―――
【Mr.トト】 ワタシのを 使いたまえ!!
【少年】 (…びっくりしてるばかり)
【Mr.トト】 キミの魂の叫びが ワタシを呼んだ!! さぁ!
何を ためらってるんだ!! もれそうなんだろ!! 使え!!
(廊下に這いつくばって、『使用』をしやすいようにして、)早く!! 合体だ!!
(ビシィ!とガッツの握りこぶしを示し、)『勇気を出すんだ!!』
【少年】 いや…でっ …でも…(身悶えしているばかり)
これはちょっとよすぎる気がしたので、愛とリスペクトをこめて、もういちど引用。
『さあ! 何を ためらってるんだ!! もれそうなんだろ!! 使え!! 早く!!
合体だ!!』
というこのエピソードに、南センセの描かれた荘重にして雄渾なる≪漢節(おとこぶし)≫の一典型が、いきなりある。われらのヒーローたる≪Mr.トト≫がいま魅せてくれたように、オトコは≪真の漢≫としてマスラオ的に振るまうのだが。
しかしその≪漢ブリ≫が周りには、ただ単にウザいとか濃すぎとかありがたメーワクだとか…そのくらいに受けとられがち。つまり≪漢ブリ≫は、基本的に理解されぬ…という嘆かわしき状況がある。
とまでを見てきたらわかることだが、たとえば≪応援団≫チックなオトコの示し方なんてのも、こんにちではひじょうに理解しがたくなっている。ゆえに、どおくまん「嗚呼!! 花の応援団」(1976)というむかしのまんが作品は、少なくとも半分くらいはギャグかと受けとめられている。そこまで歴史をさかのぼらないでも、「魁!!男塾」(1986)にしたって、ギャグっぽいところは大いにありげ。
かくてオトコたちが≪漢≫を貫くさまが、何かのまちがいで(?)むざんにも≪ギャグ≫に見える…という一般状況があり。それを逆にして南センセは、≪ギャグまんが≫によってオトコを描く、という方法に進まれたのでは?…と、これらを見て考えたのだった。
そうして筆者も男のはしくれみたいなので、よって≪漢道≫の追求は、生命(いのち)ある限りのタスク。自分が≪漢≫というものを考えるとき、南ひろたつ先生の崇高なる創作群を思い出さないことはないだろう。よってわれわれの論考も永遠(とわ)に続く、≪漢道≫の絶えざる限りにおいて!
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