2010/10/01
亜太川ふみひろ「フルパワーMONKEY」 - ナンセンス4コマのカフカ or B.シュルツ!
参考リンク:作品データベース「フルパワーMONKEY」
公式略称「フルモン」こと「フルパワーMONKEY」は、1997-2001年にヤングジャンプ掲載のナンセンス&超おげれつな4コマ作品。単行本は、ヤングジャンプ・コミックス全7巻(ワイド版)。
さいしょにはっきり結論を申し上げてしまえば、これはきっぱりと大傑作(=大ケッ作)。それも、いろいろな意味で孤立した傑作であり、ふんいき的には東欧文学の、カフカでなければブルーノ・シュルツって感じ。孤絶的なシチュエーションにおいて、自縄自縛や自業自得チックな災難が、おげれつナンセンスな悪夢の連鎖として延々と続く。
具体的にどういうものか、まずアマゾンに出ていた宣伝文を引用しておくと。
『誰もが考えてはいるんだけど、口には出せない、実にくだらないギャグの数々。便器がボクサーだったら、ピノキオがウソばかりついていたら…。そんなアイディアを無謀かつ大胆に4コママンガ化!』
つても、『便器がボクサーだったら?』という意味が分かりにくいかと思うので、ついつい『説明』しちゃえば。
これは、男性用の『あさがお』についてのお話。その一見はふつうな『ボクサー便所』とやらは、まずスウェーイングを駆使してこっちの尿をよける(!)。狙いすまして何とか尿を命中させると、今度は『クリンチ』と称して体当たりしてきやがる(!)。出ている最中に便器に組みつかれて、こっちはたまらず『おいっ!!』と言うしかない(第1巻, p.13)。
流れからして次に、『ピノキオがウソばかりついていたら?』とは、どういうお話かについて、ちょっと見ておくと。
実作「フルパワーMONKEY」には、≪ピノッチオ≫という名前の人形と、その作り手のおじいさんを描くシリーズあり。で、『ウソをつくと鼻が伸びる』という設定は、原作のコッローディ「ピノッキオの冒険」(1883)と同じ。そして、その『ピノッチオ』シリーズ第1弾のエピソードが、このような(第1巻, p.5)。
…どういう悪人に捕まったのか、ピノッチオとおじいさんは密室にしばり上げられていて、ダイナマイトの導火線が燃えている。危機一髪っ! そこでおじいさんはピノッチオに、『ウソをついて 鼻を伸ばし それで 火を消す んだ』と命じる。
するとピノッチオは、『そっか よーし』といい返事をして、彼のとっさに考えた『ウソ』をついてみる。
【ピノッチオ】 ケツ毛 ケツ毛 ギョウ虫 ギョウ虫
(…そのワードを連呼しながら、どんどん目つきがおかしくなって…)
うへへっ ぐへっ ぐへへへっ もへっ
ケツ毛 ケツ毛 ギョウ虫 ギョウ虫
そこでおじいさんは、へんな汗をダラダラとかきながら、『ピノッチオ… それは ウソじゃ ないんだよ…』と、内心でツッコむのだった。
と、こんなでは、『ピノキオがウソばかりついていたら?』という触れ込みがウソになってしまうけど。まあそれはいいとして(?)、続いた4コマもご紹介しとくと。
『それは、“ウソ”じゃないから!』と、おじいさんに教えられたピノッチオ。そこで、『よーし 今度こそ!!』と、気合いを入れなおして言うには…!
【ピノッチオ】 おじいさんは オカマ
おじいさんは オカマ
(…そのワードを連呼しながら、どんどん目つきがおかしくなって…)
うへへっ うへへへっ ぐへっ ぐへっ
するとおじいさんは、哀しみに涙とハナ水をたれ流しながら、『それも… ウソじゃないんだよ』…とつぶやく。力が抜けたせいか、おじいさんの服がはだけ、彼がブラジャーを着用しているのが分かる。そして、マイトが爆発してしまい…!(完)
とは、いったいどういうことだろうかッ? ピノッチオはウソをつく気マンマンなのに、だが結果的にはウソをつけない、とはッ?
別に『解釈』なんて要らないのだが、でもそれを、あえて解釈すれば。『ケツ毛・ギョウ虫』にしろ『おじいさんはオカマ』にしろ、ウソではないけど『ウソであってほしいこと』なのだ。
すなわち、『ケツ毛・ギョウ虫』の存在を必要としている人が、この世のどこにいるのだろうか? また『おじいさんはオカマ』であったとして、それがいわゆる『誰得』なのだろうか?
だからそれらを『ウソであるべき』と考えて、ピノッチオはそれらの≪外傷的≫なワードらを言う。…ところがどっこい、『ウソであるべき』ことらがウソでないのだ。
そして、ピノッチオの狂気めいた表情。いつも彼はそうだがそれは、『意識における否定が無意識においては肯定されていること』、そのジレンマが顔に出てしまっているものかと思える。『ケツ毛・ギョウ虫の存在は“ウソ”である』、という彼のはかない主張を、まず彼の表情や態度が打ち消してしまっているのだ。
そしてこのようなこと、『ことばの偽りを身体症状の発生があばく』とは、フロイト起源の分析の大原点なのであ~るッ!←ドヤ顔で。
なお、同じようなエピソードが、連載に先立った初期版の「フルモン」にも描かれている(p.88)。そちらでは、おじいさんが『お前はウソをつくと 鼻がのびるんだよ』と言うので、実証のためにとピノッチオが『ウソ』発言をこころみる。
【ピノッチオ】 チンコ ウンコ!! チンコ ウンコ!!
うひっ うへへっ
チンコ ウンコ!! チンコ ウンコ!!
【おじいさん】 (しのび泣きながら、)それは ウソじゃないんだよ ピノッチオ…
…かしこくもレヴィ-ストロース様やロラン・バルト様がおおせだったように、『お話を分析しようとすれば、“類話”をさがせ』! つまりピノッチオは、≪外傷的ワード≫と『ウソ』とを取り違えているのだということが、これではっきりしてくる。
ちなみに続いた4コマでは、仕切りなおしてピノッチオが、『おじいさんは へんたい! へんたい へんたい!』と言いつのる。するとなぜかブラジャーが透けて見えて、『それも ウソじゃないんだよ』…という流れまでは、本編「フルモン」と同じ。
ところでなんだが初期版のお話の『チンコ・ウンコ』とは、≪外傷的≫なワードというにも、あまりにストレート核心をつきすぎ! そのそれぞれをラカン用語で言い換えると、≪ファルス≫および≪対象a≫という超決定的なキーワード、なんてことは前にも書いた気がするが。
そうして本編版の「フルモン」は、その『チンコ・ウンコ』を、『ケツ毛・ギョウ虫』と婉曲化している。どっちがどっちに対応とか、そんなことはどうでもいいけど。しかも、分析的には『婉曲化』しているのに、おげれつワードとしてはむしろ格が上がっている(!?)…そこがまたゆかいでありつつ。
それこれを見てくれば、さいしょに引用した宣伝文、『誰もが考えてはいるんだけど、口には出せない』とは、どういう意味かも分かってこよう。
誰もが(無意識には)考えている『そのこと』ら、誰もが(それを意識化して)口には出せない『そのこと』ら。それらをわれらの「フルモン」は、『無謀かつ大胆に4コママンガ化!』してみせているのだ。
とまでを見て、いっぺん話を区切ることにして、いまここでの結語を申し上げておくと。このように「フルパワーMONKEY」をしさいに見てくると、ギャグまんが史上におけるそれのユニークさが見えてくる気が。
すなわち。これに先立った吉田戦車「伝染るんです。」(1989)は、まったくわけのわからないものとしての≪外傷的なシニフィアン≫や、ふかしぎきわまる強迫的行為ら、その突発的な現前を描いた(…シニフィアンとは、意味不明だが意味ありげな記号)。それをわれわれは、『ギャグまんが第3世代』の誕生、と呼んでいるわけだが。
それに対して「フルモン」は、びみょうにも合理的そうな行動が、1つのしかけを介して、≪外傷的≫な何かを現前させる、ということを描く。『ボクサー便器』や『ピノッチオ』らは、それを(要らんのに!)現前させるための『しかけ』だ。
ちょっと言い換えて。次の記事で見るだろうけれど、今作「フルモン」は、便器でなければ自動販売機、ピノッチオでなければもろもろのロボットや新発明のマシーンといった『しかけ』らを、超強迫的に描きまくる。
そしてその『しかけ』らに対し、主体がいちおう『自発的に』何かをすると、思わぬことになる。さもなくば、主体自身がおかしい『しかけ』として、思わぬ機能を果たす。そして、≪外傷的≫な何かがそこへ現前する(=ギャグの発生)…というのが、おきまりのパターンだ。
そしてその『しかけ』らの主な機能とは、言ってみれば≪自爆≫だ。ここまでに見た作例でも、ボクサー便器の使用者は、自分の出したものの汚れを自分がくらう。ピノッチオのおじいさんは、自分のこさえた人形のデキの悪さで自分が苦しむ。
かくてそのような、『自爆する機械』や『自爆させる機械』らを超しつように描いた作品が、この「フルパワーMONKEY」なのだ。それをあまりにも集中的に描いているのが、「フルモン」のユニークさというか異様なところなのだ。それと似たようなエピソードが「伝染るんです。」にもないわけではないが、何せ「フルモン」のしつような集中ぶりはすご~い!
それを思わず見習ってか、筆者も態度が粘着的になってスマンが。その「フルパワーMONKEY」のしつようさがどれだけかは、続く記事で軽~くねちねちと見るだろう。ではまた皆さま、オ・ルヴォワ~ル!
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