2010/10/15

21世紀のまんが出版は? - 媒体・作品・作家、そして読者

この記事はまんが界についての、いわゆる『情勢論』。これから近い未来のまんが出版は、そしてその周辺は、どうなっていくだろうか、というお話。

が実は、めったに自分はそういうことを考えなくて、基本的には目の前の作品たちを見ていきたいだけだ。それが少々興味が出てきたのは、先月の記事『佐藤秀峰「海猿」 - パンチラと…エトセトラ』(*)の前半に書いたようなこと、佐藤秀峰先生の考え方と実践にふれたからで。

で、それから、またさいきんすぐれた方々のご教示にふれたので、このさい自分の考えを、暫定的にでも整理しておきたいと感じた。
つまりこの記事は、先達たちによるリソースを用いつつ、けっきょくいま時点の自分の見方を訴えるものになる。中立的なまとめでは、ない。まず、それらをおことわりして。

まず自分は、日付が10月15日になった未明、ブログ『クレイジーワールド2nd』(*)のナデガタさんがツイッターで(*)、toldo13さんによるブログ『無駄話』の最新記事を紹介しておられるのを見た。

≪無駄話: 漫画の売れ方に正解はないけれど…ちょっと不安になってきた≫(*
【要約】 別冊少年マガジンの愛読者として、その掲載作「進撃の巨人」の大ヒットはひじょうに嬉しい。ところが報道で、その単行本が50万部も売れているに対し、掲載誌の発行部数はわずか6万部と聞いた。ショック!
むしろ、ショックがまさった。別冊少年マガジンの掲載作すべてについて、「進撃の巨人」に劣らないものと考えるのに、しかし現況はそう。しかも、「進撃」が引っぱって別マガ自体の評判が上がる、という気配がない。
かつ、「進撃の巨人」にあわせてイーノ誌の「ホームセンターてんこ」の売れ方を考えると、ネットでの評判が先導して、となる。そのこと自体は悪くはないが、しかし掲載誌自体が話題を作って広めていく、という現象が起きていない。作品の存在感に対して、掲載誌のそれがあまりにも薄い。
人々は、掲載誌の熱さに触れる機会、そこでダイレクトにすぐれた作品に触れる機会を、自ら捨てているのではないだろうか? 『雑誌を多くの人が読んで、話題作がどんどん出てくる世の中が健全だと思えて仕方ありません』。

リンク先の(見ればすぐわかる的な)内容を要約いたして載せているのは、これが自分用のノートだから、といったことで。さて、このお話だが。
toldo13さんの感じられたさみしさには大いに共感しつつ、しかし、『いまのまんが界の構造はそう』、ということも感じたのだった。もう4~5年前に聞いたことだと、矢沢あい「NANA」単行本の発行部数が初版でいきなり70万、しかし掲載誌Cookieの発行部数はたったの10万部、といった話もあり(数字は当時)。

が、いま調べたら、追って現在、Cookieの発行部数は16万5千になっている。以下すべて、雑誌の部数データは日本雑誌協会のサイトより(*)。
すると。この21世紀に部数を伸ばしたまんが誌というのはめったにないので、ちゃおに続いてCookieは、すぐれた例外になったようだ。よって別マガも、「進撃の巨人」の好調があと3年くらいも続き、初版がいきなり50万部くらいのタイトルになれば、また何かあるやもしれない。

と、そのような希望もありつつ、しかし筆者はいまあるようなまんが誌の将来に、あまり楽観的にはなれないのだった。それは、佐藤秀峰先生が『漫画 on Web』で掲出されていたデータを見ていたせい(*)。

それも見たままだが、いちおうご説明いたすと。全まんが誌の総販売額は、1995年をピークに、以後だだ下がり。ピーク時の3,400億円が、2009年では2,100億円にも満たない。それも、みょうにきれいなカーブを描いてまっしぐらに下降中、と読める。
一方、まんが単行本はというと、1995年にの総販売額は2,500億円、それが2009年には2,400億円よりやや上…と、売り上げ額で、雑誌との間に逆転が生じている。かつ、2006年には2,600億円に近い売り上げを記録するなど、雑誌に比べたら相対的に堅調だ。
ただし、その間に単行本のタイトル数は2倍ほどにも増えているので、1点あたりの売り上げは半減しているとも言える。だが、そうにしたって、同じくタイトルが大いに増えているのに総販売額が下がりまくりの雑誌の方は、あまりなる惨状と言えそう。

そして、この佐藤秀峰先生によるエッセイ『電子書籍予想図』は未完結なのだが。しかし、そのようなことから、単行本を紙で出すのはまだしも、紙の雑誌に未来があまりにもない、よって電子出版へ移行すべき…という結論になりそうなことは、ひじょうに明らかだ。
かつ筆者に印象的なのは佐藤先生が、まんがメディアの生き残りについて、『読者らの存在が最前提』と、さいさい強調されていることだ。細かいことはともかくも、そこに自分はもうれつに共感している。詳しくは、『漫画 on Web』の該当のページをご参照(*)。

で、それに関連して、ツイッターで次のようなお話をさせていただいた(アイスマンは筆者)。

【icenerv(アイスマン)】 @nadegata ご存じのお話とは思うのですが、佐藤秀峰先生などは、もはや雑誌→単行本というビジネスは成り立たないものと、きっぱり見切りをつけておられるようですね。私も紙の本が好きなんですが、しかし『こうして漫画雑誌を復興させる』というビジョンが出てきません。 10/15 2:23:46

【nadegata(プラズマ団の王、Nadegata)】 @icenerv 佐藤先生は、私はどちらかと言えば否定的な立場ですが、その才能・技術・人気その他何をとってもずば抜けた漫画家だと思います。だからこそ雑誌に頼らないでいける、裏をかえせば、佐藤氏の域には達していない大多数の漫画家には彼のやり方はそれもまたきついものがと思います。 10/15 2:26:41

【nadegata(プラズマ団の王、Nadegata)】 @icenerv  正直、自分も雑誌の復興など考えが至らず。「好きな雑誌はなるべく買おう」位には思ってますが、そこまでの危機感やある種の責任感のようなものは持てないなぁと。 10/15 2:28:20

【icenerv(アイスマン)】 @nadegata それはまさに同意で、佐藤先生1人はともかく、あのビジネスの方向性で成功する作品が出てきそうな感じもしません。出てきたらすごいですが。 10/15 2:32:36

これではまるで自分が言を左右にしているような感じもあり、まったくお恥ずかしい限りだ。いやどうにも自分は、スピーディ&簡潔に『言う』ということが、ぜんぜんできない仔なのだった。そこでたいへん申しわけないが、すんだお話だけれど補足させていただきたくて。

独断的にまとめれば、佐藤秀峰先生のご主張のメインには、『読者と作品との直結』ということがありそう。だからその間の媒体は、フラットで透明なものであるほどいい。
かつ佐藤先生は、編集者というものの介在について、まったくいい思い出がない。なのでご主張として、編集者も編集行為も必要ない(!)。『読者が作品にふれられる場=作家が作品を提示できる場』さえが、あればよい。そこで作品らは、それぞれにふさわしい支持と評価を受けられるだろう。
そして佐藤先生の主宰される『漫画 on Web』は、そのようなフラットで透明な媒体として設計されたものと、筆者には思える。

だがしかし、われわれの知っていることとして、媒体はとうぜん掲載作らを押し上げるし、そしていい作品は媒体を熱くする。ここで正のフィードバックが生じれば、すばらしいことになる。そして、まれにしてもそのような現象がたびたび生じた結果として、まんがというメディアの興隆がここまでにあった。
さきに見たtoldo13さんのお話にしても、『別マガという媒体の熱さがあってこそ初めて、「進撃の巨人」のような作品が生まれたのだ!』、という含意がありげ。そのことを筆者は(無知にして)実感できないが、『そういうこともありそう』とまでは考える。

かつまた、佐藤秀峰先生の『編集者不要論』について。参考になりそうなページとして、『漫画街: プロの漫画家さんに聞く30の質問箱』という記事を見ると(*)。
それは主としてデビュー当時の思い出や意気込みを聞くというシリーズで、現在までに80名の先生方がご登場。その30ヶ条の質問のうち、第19~23条が、次のようなものになっている。

19. デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
20. その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
21. 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
22. 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
23. 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください

で、筆者も80名さまの半分くらいまでは見てみたが、『こう』ということは言いがたいのだった。編集者たちのとのかかわりについて、『たいへんありがたくためになった』から『ただ迷惑でうるさいだけ』まで、議論百出で賛否両論のきわみ!
かつ、これらは作家サイドの一方的な意見なので。作家にしてみれば大いに不快だったとしても、あるときの編集者の強硬なディレクション(方向付け)が、創作に対してほんとうに有害だったのかどうかはわかりがたい。
同様に。作家の側が『まったく放任された!』という風に感じていても、作家の向いている方向が正しいと判断すれば、編集者はそうするかもしれないわけで。だからそれを、編集者ごときいなくても同じ、という一般論にはできない。
それこれによって、まんが家に対して編集者はどうなのかというと、『ひじょうに重要だが、ケースバイケースで人それぞれ。相性のよしあしも当たり外れもあるらしい』、くらいのことしか言えないのだった。

で、佐藤秀峰先生のご主張に戻ると。編集者の介在に関し、先生はそのデメリットをたいへん大きく見て、メリットの存在についてはほとんど顧慮されないわけなのだった。

ここで逆に、編集者から見てのまんが家、というものを考えると。ケアしてあげてこそいい創作をする作家と、放っておいてもぜんぜん大丈夫な作家、というタイプ別はまずありそう。そしてそれぞれに、逆な対応をするような編集者はいかぬ、ということになりそう。
で、佐藤秀峰先生は後者の『自律型』なのに、あたかも前者の『依存型』かのように見られて過剰なケアを受けた、このことを根にもっておられそうな気がする。そのお怒りは、いちおうごもっともだと考えて(…そんなことだけではなく、編集部の全般的な不誠実さに怒っておられそうなのだが)。

ただ、そこで編集者の存在を全否定してしまっては、『依存型』の作家たちがどうにかなる機会がなくなるように思える。かつ、新人作家らは、基本的にはみな『依存型』だと考えられもする(→追って『自律型』への移行はありうる)。
極端な話、ディレクションどころか原案とプロットまでを編集者が考えて、それでヒットになる作品も少なくはないらしいのだ。そしてそのような完全に編集主導の作品にしても、それがヒットして読者が楽しんでいるならば、その存在はまんが界全般にとっての善と考えられる。

【nadegata(プラズマ団の王、Nadegata)】 @icenerv (補足・佐藤秀峰先生が提示されているシステムは、)今現在実力ある漫画家ならどうかはわかりませんが、少なくとも発展途上な漫画家には厳しいと思います。そういう受け皿になって育てて元とるってするためにも雑誌の存在意義はまだ揺るがないと思います。意義はあっても、という思いもありますが。 10/15 2:36:11

というナデガタさんのご発言は、いままで筆者がくどくど申し上げてきたことを、たいへん簡潔で明快に表現されているかと、自分は思うのだった。

ここで考えると、編集者は媒体の編集という仕事をしているわけで、そして作品は雑誌の中のパーツだ。そこに完全フリーダムな創作などが、あるわけはない。
掲載誌のテイストに合わせた、掲載誌の中で生きるような作品こそを、編集者は作家に求める。媒体をひとつの建物と見ると、その床と壁と柱、窓と天井と屋根、それぞれの施工がいろいろな作家に発注されているわけだ。

で、折り返し地点のMid 1990'sまでは、媒体と作品との共存共栄ということが大いにあった。雑誌が大いに売れていることを背景に、まず媒体の中で生きる作品こそが、単行本としてもヒットしていた。
それがいまでは、分化してしまっている。まず、単行本が売れても掲載誌が売れないという現象が目立っており、佐藤先生のご主張はそれを背景にしていそう。このようなご時世に、ろくに売れてもいない媒体に奉仕するための創作などはばかばかしい、くらいなことで。

ところで筆者は後から調べて、オヤジ系のまんが雑誌の意外な堅調、ということを知ったのだった。週刊漫画Times、漫画ゴラク、ビッグコミック系列、ビジネスジャンプ、さらにはリイド社の『コミック乱』らについて。
さいごのものなど、筆者はさっき初めてその存在を知った。これが時代劇画に特化した月刊誌で、社会的プレゼンスがあまりないわりには、21万部も出ているのはりっぱな感じ。大したことなさそうにも思えるが、まず別マガが6万部、という前提を考える必要がある。

【icenerv(アイスマン)】 たったいま雑誌協会のサイトを見て、シリウスは1万7千、サンデーGXは2万7千、IKKIは1万3千、ドラゴンエイジは2万8千、コミックビームは2万5千。アフタヌーンでさえ11万、ウルトラジャンプが7万。この発行部数を見たら、『(そんなでも)メジャー(な媒体と言えるもの)なの?』という気がしてきました(泣) 10/15 3:15:11

わりとまんが界でプレゼンスのある媒体らが、数字的にはこんな! それらに対して、オヤジまんが誌らの相対的な堅調を言いたいわけだが。
けれども業態が異なっていて、最大手の版元から出ているのではないオヤジ誌については、そんなには単行本が出ていないわけだ。部数的にも、点数的にも。そもそも(まんがファンとして)、ちゃんとページ数がある作品ならば必ず単行本が出るような気がしているけれど、それはあくまでも業界の一部のことだ。

そして大まかに見て、オヤジ誌については、『媒体が堅調で単行本は低調』。少年誌やヤング誌については、『媒体が低調で単行本は堅調』。…と、傾向が分かれている。特に後者で新しめの雑誌において、『媒体が低調で単行本は堅調』の傾向が強いようだ。
ただし読者らは年齢を重ねていくわけだから、少年誌方面の傾向こそが先駆的であり、いずれはオヤジ誌にも波及しそうな感じがある。少なくとも、その逆の動きはないだろう。

で、現在のオヤジ誌とその読者層のあり方について、わりとむかしのまま、ある意味『健全』、という気が筆者はするのだった。ところが現在、そうした『素朴な読者』的な方々が少なくなりつつあるような感じが、大いにある。

――― 佐藤秀峰『電子書籍予想図 その5』より(*) ―――
雑誌の読者と単行本の読者は、読者層が異なります。
雑誌の読者は、雑誌で1度読んだ漫画を、単行本化された際に必ずしも購入はしません。
逆に単行本を集めている読者は、毎週、雑誌をチェックする人ばかりではありません。
それと同じように、中古で単行本を集める読者は、新刊を常にチェックしているわけではなく、新刊や中古にこだわらず、漫画を安価に楽しんでいる層とも言えます。

すぐおわかりのこととは思うが、オヤジ誌の読者層は『雑誌の読者』がメイン。その一方の少年・少女&青年向けコミックについて、『単行本の読者』が増えつつある。
そして佐藤秀峰先生は、このような読者層の細分化を見た上でのソリューションとして、Webコミックに代表されるような電子出版、というものを提示しておられそう。コスト的にも、ブックオフや漫画喫茶に対抗できるようなものとして。
で、筆者は小さくない説得力を、お説のその部分に感じるのだった。

ところで『読者層の細分化』というと、筆者には思い出したことがあった。

【icenerv(アイスマン)】 @nadegata …そういえばレディコミの世界は、2流3流へ行くとどんどん細分化されていて、ヒロインがお母さん・ナース・ヘルパー(・OL)と、それぞれ専門誌が出ているようです。『嫁姑特集』で、まるごと1冊とか。このへんに多少ヒントがありそうな気もします。 10/15 2:39:01

ここまでにあまり少女誌・女性誌の話題が出なかったが、しかしどっちかというと自分は、そちらがもともとの専門だ(一時、りぼんのマニアックな読者だったから)。で、補足いたすと。

基本的に少女誌・女性誌の世界は、系統樹のようなもので。まずは根もとの児童向け少女誌、なかよし・りぼん・ちゃおのところで、もっとも幹が太い。
それがだんだんと、対象年齢が高くなるにつれ、枝分かれしながら先細りになっている。たとえばりぼんから始めて集英社コースまっしぐらでも、YOU系に行く読者とコーラスに行く読者が分化するわけだ。
さらにそこから、レディースコミックに行ったところで、またまた大きな分化が生じる。筆者の発言に出たような、『ナースヒロイン専門誌』とか、別にへんな興味じゃないわけで、それはもちろんナース様たちが主に読むものだ。

女性読者の特徴として『身の丈ヒロイン』というものを好む傾向が大いにあり、それに応じるものとして、『○○ヒロイン専門誌』というものがいろいろと出ているのだ。で、びっくりいたすのは、それらが各そうとうマイナーそうなのに、何とか成り立っていることだが。
またそこから逆算して、『少女誌・女性誌の系統樹は、根もとがいちばん太い』が説明される。いや、あたりまえのことなんだけど。
すなわち、いかなる女性もさいしょは単なる少女だが、それが年齢を重ねるにつれて、同じでなくなってくる。それがかなりストレートに、まんがの嗜好にも表れるのだ。
(そういうことについて、男性読者にもあるけれど、そんなには顕著でないと筆者は感じている)

で、そこらから考えたのだが…。

【icenerv(アイスマン)】 @nadegata つまり(これからまんが誌が生き残るために)、ごく少数の総合的な雑誌と、超ニッチをねらう多数の零細誌、という分極化があるのではと。『戦うヒロイン』専門、『男の娘』専門、などという雑誌もあるような話を聞くと、そんな気がしてきますが(笑) 10/15 2:41:58

いまこれを見ると気がつくことだが、マイナーレディコミ誌の分化が対象読者層の『現の姿』に応じたものであるのに対して、超ニッチな男性誌らは、読者層の『求める対象』に応じたものになっている(…かつ、前者は生活者によりそうものであり、一方の後者はマニアックな嗜好、としても対照的)。
ただし実は同じこととも言えて(!)、『戦うヒロイン』や『男の娘』などは、それを愛好する読者さまたちのひそやかなる自己イメージだ。…が、それはまあいいとして。

【nadegata(プラズマ団の王、Nadegata)】 @icenerv  ほんの一時期書店員だったので、ああいう分厚い雑誌で、コンセプト絞った漫画雑誌が結構あるとそこで知りました。細分化は表現を狭めもしますが、読者にとっては分かりやすくてありがたいと思います。 10/15 2:42:16

【nadegata(プラズマ団の王、Nadegata)】 @icenerv  四コマ専門誌・麻雀漫画など、一定のファンを手堅く確保できるという強みがありますよね。ただ、それらの雑誌が先細っているという話も聞いたりするなど。それに、10万100万売るのが前提なメジャー誌では取りづらい戦略というのもあると思います。 10/15 2:44:40

ここで、ナデガタさんと筆者とのお話に、げウ R35さん(*)のご参加があった。

【gekigavvolf(げウ R35)】 横から割り込みますが、以前白取千夏雄氏と飯食った時に同じ話題になりまして、結論としては「『雑』だから雑誌だろう」と。 細分化大いに結構ですが、「ジャンルを越えた意外性」に出会う機会が減ってしまうのはいかがなものか、とかいう話。 @nadegata @icenerv 10/15 2:49:48

ご説明いたすまでもなくげウさんは、いつも筆者がその面白さに嫉妬しているエロバカ劇画系ブログ『なめくじ長屋奇考録』(*)のホスト。白取千夏雄さんは、元ガロの副編集長(*)。

【icenerv(アイスマン)】 @nadegata @gekigavvolf 私としても、『そうなればよい』という主張ではないのです。(しかし、)雑誌の売上は95年からだだ下がり、単行本は売上額で横ばいだが、しかし出版点数がほぼ倍増。すなわち、需要の細分化。この状況でどうすれば…というと、そのくらいしか考えつかないという。 10/15 2:57:06

で、そこから、いちおうメジャーらしきまんが誌たちの発行部数が、調べてみたらさんざん、というさきの話が出た上で。

【icenerv(アイスマン)】 逆に考えて、1万3千部しか刷っていないIKKIを維持できることが、小学館が大メジャーである証しなのかも? 10/15 3:20:56

【icenerv(アイスマン)】 見当もつかないけど『男の娘』専門誌でさえ、たぶん2~3万部は刷っているのでは? そうするとやっぱり、『雑なので雑誌』という本来のコンセプトを貫けるのは、『ごくごく少数のきわめて魅力ある媒体』、さもなくば『やたら体力のある版元の刊行物』、これだけになってしまいそう。 10/15 3:32:34

で、この夜半のお話は、ギャグまんマニアの筆者が、きわめてセルフィッシュな意見をツイートしたところで終わったのだった。

【icenerv(アイスマン)】 ところで商売の話は無視すれば、自分は媒体がやたら多いことに賛成。なぜならば、そうじゃないと、世に出るギャグ漫画が少なくなっちゃうから。いかなる雑誌にもそれぞれ小さなギャグ枠が『あらかじめ』存在し、その枠は増えないので。よってギャグ漫画振興のためには、媒体は多いほどよし。 10/15 3:40:55



明けて次の日、自分は、soorceさん(*)による次のような記事を見つけた。

≪情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明: 1970年代からの漫画雑誌・コミックスの数の変化と、販売額の変化から見えてくるもの≫(*

これがひじょうにすばらしいものであって、ぜひにご閲覧をおすすめとしか言いようがない。だがいちおうご説明いたすと、佐藤秀峰先生が『電子書籍予想図 その3』(*)で書かれていたまんが市場の状況を、ひじょうに詳細かつグラフィックにわかりやすく示されているものだ。

で、そちらの記事には、ここまでの話をくつがえすような情報は見あたらない。そのテキストの、超かんじんな部分を引用いたすと。

【簡単なまとめ】
漫画雑誌の数は、増えてる。1年に出版されるコミックスの点数も、増えてる。
しかし、雑誌の販売総額は減っている。コミックスの販売総額も減っている。
結果、1雑誌あたり・コミックス1点あたりの販売金額はさらに下がってる。このままだと…。

【漫画と漫画雑誌のあしたはどっちだ。】(結び)
状況から言えば、漫画雑誌の数も、印刷・出版という形態もこれ以上の拡大は多分無い…いや、これ以降は縮小の一途を辿る可能性が高い。
漫画雑誌の数は今後、淘汰が進むか、WEBへの移転が進むか、とにかく減少して行くと私は考えています。
(中略)
一作品の部数に関しては、多いものと少ないものの両極化というか、ピラミッド化、とも違うな。
漏斗を逆さに立てたような分布に現在でもなっていると思うのですが、それがさらに格差を広げていくのは確かだと思います。

引用のさいごの、ピラミッド型とも異なる、『漏斗を逆さに立てたような分布』という表現。それは筆者が示した、『ごく少数(で部数が大)の総合的な雑誌と、超ニッチをねらう多数の零細誌』、という業界の未来予想図をも、みごとに形容するものになっている。

かつ、さいごに、いままでとは少し異なったことを申し上げると。

まんが誌の世界に、『一軍誌と二軍誌』の階層構造をなしているものがある。典型的には、週刊少年マガジンとマガジンSPECIAL、りぼんとりぼんオリジナルのような関係を想定して(…ただし、りぼんオリジナルは2006年に休刊)。これらは実質的に、同じひとつの編集部が作っているものだ。
(一方、週刊少年マガジンと月刊少年マガジンとの関係は、独立していて階層的ではない。月マガとマガスペは、同じマガジンとつく月刊誌だが、立場がぜんぜん異なる)

この階層構造のもとでは、二軍誌でうけている作品(作家)を一軍誌に引き上げる、またはその逆、ということが自在。だからシステムとしては、よさそうな感じだが。
ところがりぼんオリジナルの休刊が示すように、まず一軍誌が大きく部数を落してしまったのでは、そんな構造は維持できない。一方のマガスペは、まだ大丈夫かと見ているけれど。

で、この二軍誌的な部分が、まずはWeb掲載に移行しつつあり、この流れはどんどん続きそう。そしてよかった作品なら単行本も出るし、印刷物の一軍誌への進出もある。…といったことで、とうぶんは推移するのでは?
じっさいのところ、売れないものを刷り続けるよりは、Webに移行して広告収入(&自社広告)でもねらった方がましな気がする。無料のWebで見せたほうが、まだしも赤字が少ない場合が、大いにあるのでは?

で、Web掲載に関して課金がうんぬんといった話は、ずいぶん前からの話題であり。筆者には分からないけれど、そこがもっとイージーになれば、さらにWeb出版への移行が進むだろう。
筆者は見ないものだが『ケータイコミック』は、すでにちゃんとしたビジネスになっているようだ。これは、コンテンツに対する課金のしくみが整っているからだ。そして、ここまでにはそんなにすごい作品もないようだが、いずれはそこからの名作が出てくるやも知れず。

このように、見通しとしては、従来からの出版社も、どんどん電子出版に移行したり進出したりしそうな感じとして…。

そして彼らの課題は、かってすぐれた媒体らが示した育成・プロデュース能力を、電子出版で今後も発揮できるか、ということになるのでは? また、紙を離れての自由を活かした新しい表現の開発、これは作家たちの課題でもありつつ。
そして、『これは熱い!』と感じさせてくれるようなWebまんが誌というものは、たぶんいまだない感じ。これから! 作品レベルでは、すでに濃いものが存在するけれど(*)。
そのまた一方、佐藤秀峰先生に続き、自己プロデュース能力にたけた作家たちは出版社を離れて、何らかの自主出版に移行(紙と電子とを問わず)、ということもありそう。当節は同人活動だけで生活している作家さん方もおられるそうなので、能力と努力しだいでは、まったく夢物語ではない。

すると。いまはまんが界と言ってもひじょうに広いので、いちがいには言えないが…。
にしても全般的には、まず紙のまんがの減少ということが必ずあり(特に雑誌について)。そして出版の形態が、ひじょうに多様化していきそうな見込みがある。
おそらく、最大にポピュラーな頂点の部分はあまり変わらないが、すそ野の部分がどんどん細分化してマイナー化していくのでは、と。媒体も細分化し、ジャンルも細分化するだろう。そこで、超ニッチなところを攻めて突き抜けるような媒体が出てくることもありうる。

そうこうとして、おそらく今21世紀の中盤くらいまでは、われわれのイメージするような『まんが』は、どうにか生き残っていくのでは?

かつまた、冒頭でご紹介した『無駄話』の記事で、『作品を世に出す』という機能が、媒体それ自身から、ネット上の大小のジャーナリズムへと移行している、ということ。これを『媒体の弱体化』と見れば少々残念なようでもあるが、しかしそれをネガティブなだけの現象、とも考えにくい。
とは。かってまんが界のヒエラルキーは、媒体や版元が主導して作るものだった。もちろん、読者受けのない作品(作家)を上に置き続けることはできなかったとしても。
ところがいまは、読者サイドのジャーナリズムが、マイナーに終わりそうな作品らに光を当てることもできる。このことをわれわれ読者は、ひとつのチャンスと見てもよいのでは?

『作者は死んだ。われわれ読者の誕生をあがなうために』 by ロラン・バルト

まあそんな、バルト様の出番があるほどの話をしている気はしないが。かつ『作者の死』ということはいちおう別として、いまは媒体が死につつある感じとしても。そうしてこの状況下、また少々新しい『読者』として行動できることを、われわれは楽しんでよい気がする。

ここで思い出話をすると、日本のまんが出版史の経済的なピークだったMid 1990's。当時の筆者は逆にとんでもないクレイジーなアニメっ仔で、こんなことを考えていた。

『いまどきさァ、色もなければ音楽も鳴らない紙のまんがとか、誰が見るの? いや、それは超ローコストな媒体だから、アニメ制作の下請け的な存在としては、あってもいいけど!』

…それがいまではアニメを見ない仔になって、しかも逆に、色もなく音も出ないまんが作品らを、みょうに熱心に眺めている。たぶん生きている限り、この習慣がやみそうにない。
ローコストと言ったが、まんがというメディアが弱者によりそうもの、貧者のエンターテインメントであることは、終戦直後の赤本ブームのころからいっこうに変わりがない。そこを現在の自分は、ほんとうに尊いしありがたいと思う。

それを一種の『矛(ほこ)』と思う人もいるだろうが、しかし大多数の弱いものたちにとって、それは『盾』だ。あまり楽ではない生活の中、心の自由をしばし取り戻すための(…まんがの機能として最重要な『風刺』というものも、単に攻撃的なものとばかりは考えられない)。
だからそういうものとして、せめて自分の存命中、ともにありたい、あってほしい…とは願うのだった。かつ、けっきょく自分は自分が愉しむことしか考えてないなァ、とも痛感はしつつ!



あとがき。まずこの堕文には、先月の記事『佐藤秀峰「海猿」 - パンチラと…エトセトラ』(*)で、少々ぼかしていた自分の見解をはっきりと書いているもの、という性格がある。これは、いつかはやろうと思っていたことだった。
また。21世紀のまんがは?…というここまでの堕文に、BLまんがや同人作品らの話題を含めることができなかった。もともと筆者があまり知らない分野、ということもあり。さらには、『ここをおさえていない』と意識できていない分野もありそう。まったくいたらずして、諸姉兄にはおわびを申し上げます。
そして、ここまで筆者が利用してきたリソースをご提供の方々に、深く深く感謝。文中のお名前の登場順に、佐藤秀峰さん、ナデガタさん、toldo13さん、げウさん、白取千夏雄さん、soorceさん、ありがとうございました!

追記、2010/10/16。『売れていないのに、なぜ雑誌がすごく増え続けるのか?』という疑問について、もっともらしい説明がいまだ見つからない。
探していたら、2ちゃんねるに『売れていない漫画誌』うんぬん、というスレッド発見。すると多くの情報が出ており、『売れてなさ』はひじょうによくわかるが、しかし上記の疑問への答がない。
どうにか考えると、『実は』目的は単行本の素材を作ることで、そこから『逆に』掲載誌が必要なのだ…という気もするが。しかし、もうひとつなっとくがいききらない。これは佐藤秀峰先生がしばしば指摘される、既存出版社の戦略の不合理性なのだろうか?

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