参考リンク:Wikipedia「波打際のむろみさん」
関連記事:名島啓二「聖☆ピスタチオ学園」 - 重力の虹(二次)
今や人呼んで『ギャグまんが王子』こと名島啓二先生の、週刊少年マガジン初連載作にしてブレイク作「波打際のむろみさん」。2009年より掲載中のショートギャグ、単行本はKC少年マガジンより第2巻まで既発。
ブレイクと言ったが、今作「波打際のむろみさん」が、どれほどにブレイクしちゃってるかというと? 名島先生の前シリーズ「聖☆ピスタチオ学園」単行本の、帯の宣伝文によれば。
累計10万部突破「波打際のむろみさん」の名島啓二プレゼンツ!
累計って、その「ピス学」と「むろみさん」第2巻が同発(2010年6月17日)だったので、たぶん2巻の数字は初版の部数。ストーリーものだったらまず出さないような数字だが、しかしこれから、もっともっといくんだぜ~!!
で、これがどういったお話かというと、版元の宣伝文によれば。
ある日突然、むろみさんが釣れた!! フィッシング部の向島拓朗が釣ったのは‥‥なんと人魚!? 「ミミズうまかっちゃん、喰らいついてしもたら、なんや釣り鉤やったんやね」‥‥こいつ、博多弁話すしー! なぜか博多弁を話す人魚のむろみさんと、釣り好き少年・拓朗の異生物交流コメディ♪
あおりとしたら少々キレてない、すべり気味な気もするが。しかしこれでどういう作品か、よくわかったはずだ。あとこの作品は、コメディではない≪ギャグまんが≫。
そして今作について、前シリーズ「ピス学」からの変化をまとめると、次のようになろうかと。
1. ≪不条理ギャグ≫の乱射
2. 北九州の方言を大々フィーチャー
3. 非人類キャラクターいっぱい(主に女性)
4. ファンタジー(神話)要素満載
5. 社会風刺要素の後退
6. 舞台が学園から、基本アウトドアへ
7. 4コマ→ショートという形式の違い
8. 群像劇から、明快なヒロイン/ヒーロー中心のお話に
とまあ、違う作品にしたって、いろいろなところがずいぶん変わっている。
けれども変わっていない、継承され、さらに発展したりしているかと見られるのが、筆者が関連記事で述べた、『女性というものの妖しさと危うさを描き、そこから外傷的ギャグを展開』という方法なのでは?
――― ▽ 1. 環形動物をナマで喰った口で! △ ―――
さてこの作品は当初、短期集中連載・全5回として週マガに掲載されたもので、そこで基本的な要素、というか決定的な要素らは、ほぼ出そろっている。そこのあたりを、この記事では見たい。
その第1話、のちに拓朗という名が明らかになる少年が突堤で釣りに興じていて、大物かと思って引き上げたのが、なんと人魚っぽい生物だった(以下すべて第1巻より, p.3)。痛がっているので釣り針を取ってあげると、それは、
『えーらい たまげたわぁ
ひだるかったけん 思わず喰らいついて しもたら
なんや 釣り鉤やったんやね』
と、なぜか流暢な博多弁をあやつりやがる。
そこで少年は、意外に動じないが、にしてもびっくりしながら、『ええっと‥ あんたは?』と、そのふしぎな生き物にたずねる。するとそれは、『あたし? あたし むろみ!』と答え、くねっとしたポーズを取る。
少年は『“何者”なのか?』ということをたずねたのに、しかしそれの方は、『私はむろみという“私”である』、と答えているのだ。むしろそうとしか答えようがない、彼女は自分が『何者か』を知らないのだから! …というお話は、今エピソードのさいごに続くことになるが。
それからむろみを名のるものは、『そっか あたしあんたに 釣られたっちゃんね どげんすっと?』と、何だか意味深くさいことを言う。…言いながら、少年が用意した釣り餌のゴカイを、むしゃむしゃと食べてしまう(!)。
少年があわてて制止するも、むろみは箱いっぱいのゴカイをあっさり完食。そして、
『釣った魚には 餌やっとかな 逃げてしまうって よー言うやん?』
と、またも意味深なことを言いやがる。
何かそこらで、むろみの態度に性的なふんいきがない、とはとても言えない。だがしかし、ゴカイを喰うようなお方と性的にどうしろというのか? 環形動物をナマで喰った口に、誰が口づけ等々をするというのだろうかっ!?
と、これはまた、久々のあっぱれショッキングなギャグのばくはつなのだった。かつ、『ゴカイは、何らかの“誤解”に通じていそう』、ということも指摘しておきながら。
ちょっと間を飛ばして、さきの『何者なのか?』というお話の続き。この第1話の終り近く、むろみが『あたし魚類 やもん』と言い出す(p.8)。そこで少年が、しかしいま陸上で肺呼吸してるじゃん、とツッコむ。するとむろみは、『それってつまり 両生類ってことじゃ‥ そこんとこどげん!?』、と言って苦悩し始める。
彼女は自分を、カエルの仲間とは考えたくないようなのだった。そこで少年が、あなたは≪人魚≫なんじゃないの?のように言うと、『なるほどそれなら 合点がいくたい♪』と、むろみはその見方を、喜んで受け容れる。
わりとよく見る人魚のイメージそのものなのに、むろみには『人魚である』という自覚がなかったらしいのだった。いやじっさいのところ、≪人魚≫なのかどうか、よく分からないのだが。誰にそんなことが断言できるのだろうか?
けれどもむろみは、『人類と魚類のハーフ』という語感を気に入ってか、あるいは目の前の少年がそうだと言うならそれでいいと思ってか、その表現を受け容れるのだ。
さてこの問答は、いったい何なのだろうか? むろみはそんなことを聞いて来ないけれど、もしも彼女が『あんたは何ね?』とでも逆に聞いてきたら、少年はどう答えるのだろうか?
『人間である』、というのはひとつの答だ。けれども『人間とは?』と聞かれたら、次にはどう答えるのだろうか? 霊長類のホモ・サピエンスだとか、そういう答え方はあるけれど。
しかし、『ではその霊長類のホモ・サピエンスであるものが、“あなた”なのか?』とまでツッコまれたら、さすがにいやになるはずだ。わかっている気が、しなくなってくるはずだ。ジャック・ラカンと呼ばれる人によると、『私は○○である』という言表は、実は何をも意味しないらしい。その外傷的な認識を(受け手の無意識に向かって)返しているので、さきの問答が≪ギャグ≫として機能する。
だからむろみが、少年から『あなたは人魚である』という認識を受けとって歓ぶ、そのことにも理由がある。主体とは、人からそうだと見られているものだからだ。
で、歓んだところで、次にむろみは『お礼ばせないかんね』と言い、自分の下半身のウロコを1枚はぎとって、それをくれようとするのだった(この行為は2回目)。だが、いまいちそれをありがたいと思わず、少年は『いらんって!』と、受け取りを拒む。
筆者にもよう説明しきらんが、この『人魚が現れてウロコをくれたがる』というお話が、わけのわからないほど≪外傷≫的だ。そこに何らかの意味がびっしりとつまっている気がするのに、それが何なのか言いにくい。
それがいわゆる≪フェティッシュ≫であり、よって『ファルスのシニフィアン』、ひいては『去勢のシニフィアン』である、ということまでは確か(…シニフィアンとは、たぶん意味深な記号のようなもの。ファルスは、勃起したペニスを示す記号)。しかしここでは、『逆にそれが押しつけられてくる』、というところがショッキングなのだろうか?
つまり。スケベな少年が≪ギャルのパンティ≫的なものを欲しがるようなお話は、さんざんに見てきたところだが。裏返して、とつぜん現れた女性が、なぜか少年にパンツを渡して、『大切にしてね♪』と言いやがる…といった≪外傷的ギャグ≫も考えられる。それの変奏を、ここでわれわれは見せられているのだろうか?
かつ、人魚のウロコというものが、いかにもファンタジーな無限の『何か』でもありそうだが、しかしなまぐさく不潔な感じもしないではない。この両義性が、やはりギャルパンに通じつつ。
で、ここまで見てきたら。つまらないことを申し上げるようだが、少年にとってむろみが『異生物』であるということは、彼にとっての≪異性≫を象徴的に描いている、とは読める。ゆえにこの作品で、『異生物』ならざるノーマルな人類の女性は、既刊分ではほぼ登場していない。
そしてその『異生物』としての≪異性≫は、潜在的に『私は何?』と、ひじょうに答えにくい問いかけをしてくるやっかいなしろものなのだ。それはそのつど、『お互いを定義しあう』ことを求めてくるものなのだった。
だから一般に人間のカップルで、女性が男性に、『私のことをどう思ってる?』と聞く。それは彼女が、相手からそう見えているところの何かだからだ。
ここが分かっているだけ、一般に女性の方がかしこいと考えられる。かといって、そこで男性がどのように答えても、実は彼女はなっとくしはしない。せいぜい、『そのつど』のなっとくがあるばかりだ。
だからむろみが、さいしょ『私は“むろみ”という私である』と主張したように、男は女性に対して、『あなたは“X子”という他にないあなたである』、とでも答えるのは、ひとつの手だ。むしろそれで正しいのだが、それにしたって相手をなっとくさせられるとは、まったく限らない。
――― ▽ 2. メドゥーサ、スフィンクス、そしてセイレーン △ ―――
では、実作の「波打際のむろみさん」の話に戻って。それから初期版の第2~4話では、このなぞすぎるヒロインの習性やら履歴やらが、少々ずつ紹介される。
[第2話] マグロなみの泳力を言い張るが、へぼくて海流を押し戻されるの巻
[第3話] ローレライ的な魔力をもつむろみ、元寇の船団を沈めた前歴あり
[第4話] むろみの知り合いの1人は、川の上流に住むカッパの≪川端くん≫
第3話での情報を真に受けると、『歌えばすぐ船が沈む』というのもすごいが。しかもむろみの年齢は、1000歳かそのくらいなのか(!?)、ということにもなる(参考・第1回の元寇襲来は1274年)。
けれどむろみは『女の子の秘密!』的なことを言って、年齢を明らかにはしない。というかおそらく、彼女は自分の実年齢など知ってはいない。
それと。ここまでに出てきた情報で、この≪むろみさん≫というキャラクターについて、明らかに、安部真弘「侵略!イカ娘」のヒロインとかぶっているところがある。それぞれが、海の底からやってきた『不条理のヒロイン』という部分で。
ところが対照的なのは、≪イカ娘≫は、自分が何であるのかを自分で定義できている。つまり『侵略者』であり、その定義付けを、他に求めることはしない。しかし彼女は、一般的なことについてはまったく無知だ。むしろ、海の中のことさえもよく知らないようなふしがあるのが、また不条理なところだ。
その一方のむろみは逆に、地上の一般的なことも海の中のさまざまな神秘をも、みょうによく知っている。ところが『自分が何であるか』ということだけは知らず、その定義付けを、ヒーローたる少年に求めてくるのだ。
するとだ。かってわれわれはイカ娘について、それがどう見ても≪メドゥーサ≫の一族であることを知った(*)。しかしてむろみは、それとは違った≪セイレーン≫の一族であると、ここまでに分かった気がしないだろうか?
(ただしギリシャ神話のセイレーンは、下半身が鳥。それが時代を下り、人魚としてもイメージされるようになっている)
そしてその美しくも狂おしい歌声とはつまり、『“私は何”? 私に対して、あなたは何を求めるの?』という問いかけなのだ。これに対する適切な答を見つけえずして、船乗りたちはわれを見失い死んでいくのだ。
するとセイレーンたるむろみに対しつつも正気でいる、平凡のような非凡のような少年たるヒーロー君。彼は、自らをどこかに縛りつけたオデュセウスなのだろうか、それとも耳に栓をしたその部下の船員なのだろうか?
そしてここまでを見てくるとわれわれは、『名前を言い当てると退散する』というタイプの妖怪や悪魔、というものをも思い出す。たとえばグリム童話の、KHM55「ルンペルシュチルツヒェン」(*)。そのまた一方、かの≪オイディプス≫らに対し、間接的にだが『汝は“何”であるのか?』というなぞをかけてきた≪スフィンクス≫もいる。
まとめれば。メドゥーサ、スフィンクス、そしてセイレーン、これら3種の女性型モンスターは、それぞれに人(man, 男)らの≪外傷≫をつついて害をなすものだと知れてくる。
まずメドゥーサは比較的シンプルかつ強力に、≪去勢コンプレックス≫というところを攻めてくる。次にスフィンクスは、遠廻しに『汝は“何”であるのか?』というところをつついて、『外傷を仮に埋めている表面的な≪知≫』からの自滅をうながす。さいごにセイレーンは、わりと性的ニュアンスあるところから(男女的な含みを込めて)『私は何?』と問いかけ、まともな答ができない者の理性を奪う。
…そういえば。たまには筆者もエロまんがの類を見ることがある、あくまでもまんが表現の研究のためだが(!)。するとそこに出てくるバカでスケベな男らが、女性をつかまえて『汝は○○である』と、いろいろしっけいなことを言いやがる。
ここは桜井のりお「みつどもえ」に出ていることばを借りて、『変態!雌豚!痴女!』くらいに言ったのだとする。すなわちこれは、セイレーンの問いかけに対しての、ひとつの答に他ならない。
で、そんな答は超0点以下だ。それを言った男が、もし発狂も破滅もしないですんでいるとすればそれは、その作品が一方的で根も葉もない『想像』だからにすぎぬ(…以上は、「みつどもえ」についての評言ではない)。
――― ▽ 3. あんたになら、食べられてもよかよ? △ ―――
さて、ここらが話の大詰めで、われわれは決定的と言えそうなもの、「波打際のむろみさん」初期版のフィナーレ第5話を見る(p.29)。
この回は、イントロからして、そこまでと少々違っている。いつも偶然っぽく出遭(いそこな)っていた2人だが、このお話では、少年がよく釣りに来る突堤で、むろみが先に待ち構えている。しかも浜っぽい料理などを用意して、少年をもてなそうとしながら。
何だかいろいろと気になるところだが、しかしむろみは『細かいことは気にせんで』と言い、そして、
『男の子ならいっぱい 食べて精つけりー』
と、何か焼き魚をすすめてくる。
そこで少年は、おそらく初めて、むろみに対してちょっと気をよくする。それを見てとったむろみは、『ちょっと あんたに お願いがあると』と、本題を切りだしてくる。そしてうかつにも少年は、『俺で できることなら』…などと答えてしまう。
ご存じの諸姉兄も多いと思うので、さっさと申し上げれば。それからむろみは、かなり大きめのスジコかイクラのようなものを出してきて、『あたしの卵』と言う(!)。そしてそれへと少年に、『精子かけて♥』と、かんじんのお願いを打ち明けるのだった。
ここにおいて、さきの『精つけりー』などというせりふもまた生きてくるわけだが…。
まったくどうとも、これに対して≪外傷的ギャグ≫とかいうことばをかぶせようとしている自分がバカでバカでしょうがない、それほどの外傷的ギャグのきわまり、これはその大ばくはつなのだった。もはや爆笑を通り越して、脈拍がへんになるまでのインパクトを、これに筆者は感じ続けている。
で、『後々面倒なことは 一切ないけん』、『あたしのこと 好かんと?』、等々と言ってそれを懇願し哀願してやまぬむろみを突き放し、『それぞれ以前の問題である』と、少年はだんこその行為を拒否る。
それもひじょうにもっともなのだが、しかし一方のむろみはかわいそうに、『うううう~‥ また母親に なれんかった~』と言って泣く。
そこで少年は、『男の人魚に頼めばいいじゃないか』的なことを言い、またそれももっともだ。がしかし、むろみによると彼女の同族は『雌的な存在』ばかりで、雄がいないらしい。それどころか、同族において生殖がなされた、という知らせをまったく聞かないという。
【むろみ】(推理のポーズで、)んん!? じゃあなんで?
なんであたしら 定期的に卵 産むと?
それがなぞであり、そしてそれに関連し。追ってのお話でもそうなっていたはずだが、むろみは親という存在をまったく知らない。『自分は何』ということを知らないむろみは、『自己の起源』ということもまた、とうぜんのように知ってはいない。
で、むろみの存在はもちろんフィクションではありながら。けれどもわれわれは、その次々と提示してくるなぞと不条理に、『自分を知らず、他者を知らず、とうぜん“自己の起源”も知らぬ』、そのような自分を(無意識に)知らされ、それに対してけいれん的で≪外傷≫的な笑いを返すのだ。
さらにおまけとしてむろみは、無精卵に終わったそれらについて。魚の餌になるよりは、『あんたになら 食べられても よかよ』、イクラ丼に見立てて(!)…などと、またまたショッキングなことを少年に言ってきやがる。
【少年】(あぶら汗をかきながら、)精子かけろって 言ったり
喰えって言ったり‥‥ とにかくいらないよ そんなの‥‥
なお、続くお話らでむろみは、自分自身についてさえ、『あんたになら 食べられても よかよ』という態度を示してくる…っ!
とまできては、いくら鈍感な筆者でも。これらについて、『分析すれば』どうこう…などとへりくつをこね続けることの本格的な無意味さが、感じられてきてやまない。一連のこれらは、ひそやかに≪外傷≫をかすっているところのギャグ、という騒ぎを通りこしすぎだ。
で、その『衝撃=笑撃』的にもほどがあるエピソード、そのすぐ次のページ(p.35)で作者さまが、『おかげ様で「むろみさん」の人気は(、短期集中連載の)回を追うごとに増え』…と述懐しておられるのが、あたりまえの妥当なリターンなのか、またはありえないふしぎな現象なのか、筆者にはどうとも言いかねてくるのだった。
いや、もちろん、タテマエとしては前者だと見ているけれど! タテマエで!
――― ▽ 4. 『波打際』は、ヤバい場所…!! △ ―――
ところで、ここまでにもちらほらと出ているが。むろみの態度として、わりに目の前の少年(等々)へと、いろいろなことを投げ出している。
『私が“何”であるかを決定するのはあなた♥』、という態度に出ているのだ。われらのヒーローは慎重に接していてつまづかないが、しかしそれまた、彼女がセイレーンとしてしかけているわなだと見うる。
投げ出した態度といえば、追ってのお話で(p.50)。むろみはマグロ漁船の網にかかって水揚げされても、まったくあわてずにマグロらと一緒に魚市場でゴロゴロしている(!)。そうして海に生きる人々はいろいろ分かっているらしく、別に彼女をどうともせずに、『非売』という札をつけて転がしているばかりだ。
似たようなこととして、本格連載・第3話のとびら絵的な場所では(p.54)、
[まな板の上のむろみさん] 危機的状況を まるで理解していない
ということわざ事典的なキャプションを付されてむろみは、大きなまな板の上で『固いベッドやねえ』と言いながら、のんきに寝そべっているのだった。その真上から、これも大きな包丁が迫っていることには気づかずに。
で、これ的なことをさすがに言い飽きてはきたが。それからたいへんなことになってしまいそうな彼女が、その場を『ベッド』と呼んでいることに、性的な含みがない…とまで偽善的なことは申し上げようもない。
そしてそこまでに無防備なむろみについて、だからこそヤバげ、と理解しているヒーロー君について、『ずいぶんかしこいなあ』と、筆者はみょうに感心するのだった。まるで彼は、『女性というものの妖しさと危うさを描き、そこから外傷的ギャグを展開』、という作者・名島啓二センセの手口は分かっているし…とでも言わんばかりだ!
なお。「侵略!イカ娘」にしてもそうなのだが、あらかたの物語において海っぽく水っぽい記号らの頻出は、たいがいを通り越して性的な意味作用を(無意識に)なしている。
読んでおられる方々はご存じのように、ルイス・キャロル「ふしぎの国のアリス」にも海産物(英 fish)らのイメージが超頻出しているが、それがまたそれだし。
かつ「サザエさん」という例にしても、性的な機能を名前らが示しているわけで。空洞・包摂・扁平を表すサザエ・フネ・ワカメ・タイ子らに対する、出っ張りを表したマスオ・カツオ・タラ・アナゴ、という記号らの含みの違いを見よう(…ただし≪波平≫だけが、この対になる群の外部にいてる。これまた意味のあること)。
そして、この時点で、いったんの議論のしめくくりとして。
よくも名づけたもので、今作の題名は「波打際のむろみさん」。その『波打際』とは、もちろん海と陸との境であり、そして人の世と人外らの世界との境であり、またたぶん両サイドの性らが出遭いそこなうところでもあり。
…さらにおそらく、生と死の境たる場所でもあるのだろう。その場所でむろみは、われわれを待つ。『私は何?』という問いかけへの答を、その場所で彼女は、すでに一千年ほども待ち続けているのだ。
そしてその答を保留し続けているのは、ヒーローのかしこさだが。けれどその態度は、未成熟な少年たるものの特権行使かも知れないのだ。別のお話で言ったら、ラフカディオ・ハーンの描いた雪女が『まだ若いから』と言ってヒーローを殺さなかったことは、たぶん彼女の気まぐれでも何でもない。
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