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いわずと知れたMid 1990'sの大傑作、うすた京介「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」。これをジャンル史的に見ると、自分としては、『第3世代的なギャグまんが』として、初期のきわ立ったもの、などと呼びたいのだった。
…筆者の考えた史観として、ギャグまんが史に3つのエポックとなる作品あり。それは赤塚不二夫「おそ松くん」、山上たつひこ「がきデカ」、そして吉田戦車「伝染るんです。」。これらそれぞれを、第1・第2・第3世代のギャグまんがの始まりとする。
そして第3世代的なギャグまんが、言い換えて≪不条理ギャグ≫みたいなものが、まずは青年誌の4コマやショートで展開されていたとして。それを少年誌で、レギュラーサイズの作品として展開し、しかも大成功したものとして、この「すごいよ!!マサルさん」は第1号、ということになるかと。
1. ≪不条理ギャグ≫とは何か?
さて、筆者が申し上げている『ギャグまんが第3世代』というもの。その主な方法とはどんなものかというと、端的に言ったら『タマキン(ペニス)を出さない』。
前のジェネレーションを代表する「がきデカ」らの偉業が示すように、タマキン等の≪外傷≫的なアイテムらをストレートに誇示しまくるのが、第2世代ギャグまんがの特徴だったとして。しかし第3世代的な作品らは、基本的にそれをしない。
ただし、ただ単にそうしない、ということではない。『タマキン等を出したい的な傾きが、ひじょうに強くありながら、あえてがまんして(?)、何かその代わりのものを出す』。単純化しきったところで、≪不条理ギャグ≫とはそういうものだ。
タマキンに並びそうなモチーフとしてはウンコや死体らがあるが、しかしタマキンが超圧倒的。かつ、こっちの用語の『不条理』ギャグと、いわゆる思想の用語の『不条理』、大きな違いがある感じだが、それはいつかまた別のところで見よう。
と、それらを言ったら。ずいぶん後の作品になるが、「妹は思春期」に始まる氏家ト全の作品系列が、典型的な≪不条理ギャグ≫でもないけれど、しかし第3世代としての優等生である、なぜか?…ということも説明されよう。
すなわち。4コマ部門で「伝染るんです。」以降のイノヴェーションとして注目される、「妹は思春期」と倉島圭「メグミックス」。両作のどこに新しさがあったかというと、それぞれ女性を主人公としており、ゆえに出すタマキンがないところで、その代わりに≪パロール(おしゃべり)≫が提示されている。どちらもそのヒロインらが、ただ下劣なことらを『言うだけ』、みたいな作品になっていることは、偶然でも何でもない。
2. マサルさん vs.こまわり君!
やっとここまできて、この記事のメインの題材である「すごいよ!!マサルさん」を見ると。その歴史的なる第1話『マサルとヒゲ』は、何と不敵にも(?)、かの「がきデカ」の第1話『少年警察官登場の巻』を、なぞって展開している感じがある。
冒頭まず、後に言われる≪フーミン≫こと藤田くんが、『逆向小学校』ならぬ『わかめ高校』に転入してくる。で、クラスに溶け込めそうかと思って安心したのに。そこへとんでもないヤツ、すなわちマサル君が出てきて、いろいろなことが台無しになってしまう…。
ここで「がきデカ」第1話の方を見返すと、転校じゃないけど新学期のスタートという場面で、わざとこまわり君は遅れて教室に入ってきて、そしてでんぐり返しで注目を奪う。一方のマサル君は、『いなきゃいいのに』と思われているところで(!)、遅れて窓から入ってきて、人々をげんなりさせる(第1巻, p.12)。
続いた展開、こまわり君は、『少年警察官として、新学期とやらを取り締まりに来たのだ!』などとわけの分からぬことを言い、そして『仕事ですから』とセクハラを敢行したりしつつ、一同のド肝をぬく。しかしマサル君はとりあえず、へんにホットに藤田くんを見つめながらも、おとなしく授業に入る。
それからマサル君は、藤田くんひとりを相手にこそこそと、彼のセクハラ実践を始めるのだ。まずは机イスが足りないのをいいことに(?)、1人分の席へ彼ら2人が座って、超密着プレイの開始…ッ!
さらにマサル君は、藤田くんの教科書に≪ヒゲ≫の落描きを見つけ、そこから何かを独り合点して、きっぱりと彼に惚れ込んでしまう。そして、あったか~い目をしながら『ポン』と藤田くんの肩をたたき、さらには『ウォンチュッ!!』と叫んで、超決定的なセクハラを断行…!
で、それからのお話の流れを、さっさと追ってしまえば。続く場面、授業の後で、こまわり君にしろマサル君にしろ、クラスメイトに武勇伝やフィロソフィーらのご披露に及ぶ。
それから続いてバトルのシーンになり、そこでそれぞれのヒーローが『奥の手』を出す。そして、こまわり君はイヌに敗れて逆にタイホされてしまうが、しかしマサル君の方はまんまと大勝利し、何よりも重要な藤田くん(=フーミン)のリスペクトを勝ちとる。すなわち、『すごいよ マサルさん!!』というせりふの出る場面になるのだ(p.40)。
3. ティッシュとうまい棒へ、ラヴ・ミー・ドゥー!!
でまあ、「マサルさん」と「がきデカ」それぞれの第1話、結末以外はわりと流れが似ていることは、確認できたとして。
しかし異なるのは、まず語り方の違い。「がきデカ」に対して「マサルさん」は語り手の第2ヒーローを設定し、その読者に近い視点から、超越的なヒーローを眺める、という形式。
そこを注目すると、「マサルさん」にすぐ先だった少年ジャンプ掲載作、高橋ゆたか「ボンボン坂高校演劇部」(1992)の形式もそれ的。なので、その「ボンボン坂」をもあわせて比較対象にして(…ややこしい!)。
で、こまわり君は、クラスの女子や先生らにセクハラをはたらく。「ボンボン坂」の語り手の正太郎くんは、演劇部のヒロミ部長(女装ホモの人)からセクハラをこうむる。そしてわれらのフーミンは、マサル君からひじょうにわけのわからないことをされ続ける。
そしてその『わけのわからないこと』を、われわれは隠微(=淫び)さもきわまったセクハラだと解釈する。
次にうわさの、タマキンの出方についてチェキると。
まずこまわり君はケンカの場面、警察手帳を示してもイヌがかしこまらないので『奥の手を出すぞっ!』と叫んで、それを出す。ところが向こうも同じものを出すので、そこでは勝負がつかない。
「ボンボン坂」のヒーローたちはどうするか。その第1話、まずは正太郎くんが、女装している部長の性別を確かめようと、そのパンツの中を『じぃ~』と熱烈に覗き込む。次には部長が、正太郎くんの弱みを握ろうとして、彼をひんむいてそれを写真に撮る。…ただし、そんなにはっきりとタマキンが描かれてはいない。
そして「マサルさん」では、ついにタマキンがまったく出ない。ブツが出ないどころか、それをストレートに示すような語さえも出ない。
ところがマサル君は、『逆に』! タマキン的なもの、それを指し示す記号、われわれの用語で≪ファルスのシニフィアン≫と呼ばれるものを、さいしょからさいごまでぞんぶんに誇示しまくるのだ。
それはまず、マサル君本人が登場する前に目撃された、彼の机の落描きに始まって。そして≪ヒゲ≫という記号を明らかなコアとしつつ、彼の出っぱりすぎな前髪、彼が両肩にはめている奇妙な輪っか、弁当箱の中に1つだけのゆで玉子、回想中に登場する捨てエロ本、『セクシーコマンドー』や『げろしゃぶ』といった奇怪な語ら、そして彼が人につけたアダ名の『ティッシュ』と『うまい棒』…等々々と展開され。
そしてケンカのシーンにて、ついにマサル君は、ズボンをおろしてパンツを丸出しに…! ここでもっとも描写がタマキンへと肉薄し、そしてお話もまた、そこで一大ピークを迎えているのだ。
そしてマサル君は必殺技の名前として、『ラヴ・ミー・ドゥー!!』と叫ぶ(p.34)。ここにそういう言い方が出ているのも、決して単なるナンセンスではない。それはタマキンの使い方の、ひとつの言い方なのだ。
そしてこの第1話、さいごにショッキングなのはマサル君が、やっつけた不良の顔にヒゲを描き込み、そして満足げに、『フウー いいヒゲ かいた!』と言う。すると彼にとって≪ヒゲ≫は、カッコよさでもありつつ同時に、敗者のらく印でもある(!)。
そしてわれわれの申している≪ファルス≫なる記号もまた、一方で性欲とパワーと男性らしさを示すものでありつつ、そのまた一方で同時に≪去勢≫を示唆する。このこととマサル君の認識とが、みょうにこの場面で、ぴたり一致してしまうのだった。
4. 誇示したくないが機能しまくっている、それ
こうして見てくると、何かが分かったのでは? まず「がきデカ」のヒーローこまわり君は、彼による『第2世代ギャグまんが』の誕生をことほぐように、そのタマキンを誇示しまくる。追ってずいぶん後だが、第2.5世代くらいの「ボンボン坂」は、それを出すにしても出し方が控えめになっている。
そして第3世代の初期のきわだった創作「すごいよ!!マサルさん」のヒーローは、もはやタマキンをまったく出さない。しかしその代わりに、その代わりの記号≪ファルスのシニフィアン≫らを出す。メリハリをつけつつ、思わぬところのあちこちからそれを、出して出して出しまくるのだ。
かつ、第2.5世代のギャグ作品「ボンボン坂」の描き方の、ちょっとユニークなところを見ると。タマキンを誇示する「がきデカ」と、タマキン的な記号らを誇示する「マサルさん」との間で、それはタマキンの扱い方に困っている感じがある。
部長にはタマキンが要らないものだし、また正太郎くんはそれを『誇示』したくはない。そして、彼の想い人のヒロインが重度の男性恐怖症なので、あわや正太郎くんにとってさえも、タマキンが要らないものになってしまいそう。…とはまた!
で、『要らなそうなタマキンが機能しているお話』として「ボンボン坂」は、こちらもジャンプの掲載作、江口寿史「ストップ!!ひばりくん!」(1981)を、反復している感じあり。かの≪ひばりくん≫が超ハイパーな『ヒロイン』であれるのは、『逆に』それがついているからだ。
ついてなかったら、何もかもが成り立たない(「ボンボン坂」も同じ)。このように、『誇示したくないが機能しまくっているタマキン』というものが現れた時点で、ギャグまんがの第2.5くらいの世代が生まれたものかと見られるが。
そしてさらに言えば、「ひばりくん」における≪ひばり&耕作くん≫の関係と、こっちの作品のマサル君&フーミンの関係。どこが異なるというのだろうか? …とはおかしなことを申し上げているようだが、フラットに考えたらご理解可能なはず。
つまりここでも「マサルさん」の描き方は、『隠微=淫び』がきわまっている、ということだ。そしてそれが、第3世代ギャグまんが特有のやり口なのだ。
でまあ、拡げすぎちゃった感が大いにありながら! ともかく急いで、話をまとめると。
やたらタマキンが誇示されるギャグまんがに続いて現れたのが、第3世代のもの。『誇示したくないが機能しまくっているタマキン』を、もはや誇示はしないという方法。だからそれではなくて、『タマキン的な記号』(ファルスのシニフィアン)を誇示しまくるギャグまんが。
けれども人はそれをそうとは思わず、ただ意味ありげなもの(シニフィアン)として受けとめ、そしてその出没を『不条理』と呼ぶ。そして、≪ファルス≫の意味するところがあまりにも両義的であるゆえのとまどいを、読者は笑いによって『受け-流す』。
そうして第3世代のギャグまんがとして、「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」は、わりとその特徴が見やすいというわけで、この堕文になっているのだ。何しろ作中の少年たちがはげんでいる武術は、『“セクシー”コマンドー』!
…そこにきっぱりと込められた性的ニュアンスを、読者は見ながら見ずして、無意識へと『受け-流す』。かくて、タマキンをやたら誇示するようなギャグまんがとは、また異なったテイストがそこに生まれたのだった。
ところでさいごに、課題を提出しておこう。「がきデカ」と「マサルさん」、それぞれの第1話の結末で、こまわり君はケンカに敗れ、マサル君は勝つ。
マサル君に続いて「ピューと吹く!ジャガー」でも、『常に勝ち、勝ち誇る変質者』というものを描いているのは、うすた作品の珍しいところなのでは? うすた先生に続いた「増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和」(2000)でも、変態ヒーローがさいごに勝ち誇るようなお話は、そうそうはない。
そのポイントを、広く検討してみてはどうだろう? そこらに新たな問題意識をいだきながら、この堕文はいったん終わる。
それと、ここまでを書いてきて思ったが。すでに早くも1980年のとり・みき「るんるんカンパニー」は、第3世代的な≪不条理ギャグまんが≫の先駆と見てまちがいない。作者さまらの言い分を直で真には受けないが、確か「The Very Best of るんるんカンパニー」の解説文で、吉田戦車先生がそれの愛読者だったと打ち明けていたし。
しかし惜しくもポピュラリティの不足により、明らかな傑作「るんカン」を、『ギャグまんが史上のエポック』とは言いえない(!)。何とも歴史とは残酷なもので、1959年の石森章太郎「テレビ小僧」が、1962年の「おそ松くん」によって『ギャグまんが第1号』の栄誉を奪われた悲劇、それがそこで反復されているのだった。
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