2010/10/03
渡辺航「弱虫ペダル」(vs.「魁!! クロマティ高校」) - ≪猛者≫が、異様にいっぱい!
参考リンク:Wikipedia「弱虫ペダル」
「弱虫ペダル」は2008年から週刊少年チャンピオン掲載中の、『王道的スポ根』とも言えそうな自転車まんが。単行本は、現在13巻まで既刊(少年チャンピオン・コミックス)。
それをざざっと見て筆者が感じたこととして、王道的でなければアナクロ的に、ハイパーな≪猛者≫たちがやたらに登場する。で、そこからちょこっとムダ話もさせていただくと。
かって小学生のころ、やたらまんがばかりを読んでる子どもだった自分。びみょうにもその内容を真に受けて、中学や高校へ進んだら、どんなものすごい≪猛者≫たちに出くわすのか、と期待や不安をいだいていたけれど…。
けれど、よくも悪くも≪猛者≫などに出くわす機会がないまま、いつの間にかガッコを卒業してしまっていた。エスパーや宇宙人に出くわすことまでは期待してなかったが、都内20校を仕切る大番長や、何かすごい必殺技をもつスポーツマンにさえも、ぜんぜん出遭うことができなかった。これにがっかりしなかった、とは言えない。
で、あまりはっきりも言いたくないが、自分がそんなような幻滅をきたしていた1980'sの前半という時代には、お話の世界全般に、『反・ヒーロー / 反・物語』というふんいきが、だいぶあったような気がしているのだが? かわいたムードとアンチ・クライマックスのお話、または『感情移入』を拒んでいるような作品らが、当時のまんが・映画等で目立っていたと思うのだが?
そして『感情移入』を拒むというお話の方向性を、ブレヒトは『非アリストテレス的』と呼んだ。人類史上の『文芸批評』第1号とみられるアリストテレス「詩学」に、よくできた悲劇は『感情移入』をさせて受け手を『カタルシス』にみちびくもの、などと書かれている。そしてブレヒトの唱導した作劇法は、そこを否定している。
そうしたふんいきを先取りしていた作品として思い出せるのが、高野文子のデビュー作「絶対安全剃刀」(1978)。これは、『どうにも万事が面白くない!』と言いはる少年が、せめてヒロイックなポーズをキメながら自殺しようとして、それもまた失敗するというショート作品。
これには大いに『共感』したものなので、感情移入がぜんぜんできないような作風ではないが。しかし、そんな時代の『反・ヒーロー / 反・物語』というふんいきが、リリカルな筆致でかつみみっちく描かれたものかと。
ところが、人間たちはどうしても≪ヒーロー≫や『物語』というものらを好むと見えて、Mid 1980'sあたりから1990年ごろにかけて、それらがきっちりと復権してしまっている。あまりマイナーな例らを挙げてても何なので、大友克洋の作品系列を見とくと分かりやすいだろうか?
まず大友先生の初期作品らが、あまりヒーローらしい人物も登場せず、人間の行為らを『風景』として描くような、そして開いたまんまの叙述に終始する『物語性』に乏しいものだったとして。それが、「AKIRA」(1982)の途中から変わっているかと自分は感じる。
むしろ、その叙述の仕方の変化こそが、「AKIRA」に内包された『もうひとつのドラマ』なのだ、と言いはりたいくらいだ。その主人公の≪金田くん≫が、手のつけられない無軌道な悪童でアンチヒーローっぽく登場したのが、やがてわりと品行方正な『少年まんがのヒーロー』へと変化していく…そこを最大の徴候として。
それからたいへんな年月が流れて、そしていまなお『初期・大友的』なかわいたまんがの創作がなくもないようではあるけれど。しかしとっさに『これだ』というのが出てこないのは、筆者の無知と、その傾向自体の低迷と…理由は、たぶん両方だろう。
で、はっきり申せば時代的で世代的なアレとして、筆者(=アイスマン)はいまのおまんが作品らのねちねちした熱血ぶりを、見る目が少々引き気味なのだった。何か、感じ方の根本が『非アリストテレス的』っぽいのだった。このことを皆さまは、オレっちの人格的な欠点につながるものとも受けとられてよくて。
そしてここからやっと、「弱虫ペダル」の話に戻るのだが。あらためてご紹介すれば、これは≪猛者≫らが異様にいっぱい出てくる超ヒロイックな高校生活を描く、自転車ロードレースのスポ根まんが。
またその特徴としては、以前われわれが「おおきく振りかぶって」にも見たような、『かなり女々しいヒーロー像』と『BLっぽいふんいきの濃さ』。もうひとつ申しておくと両作は、常人からは遠いような『熱血』の世界が、意外とすぐそこにあるかのように描いている。その、『カジュアル-と-熱血』の混在、というところがうまいと感じられる。
(別にこういう見方はしたくないが、今作の主人公は確かにがんばっているにしろ、しかし競技を始めて半年もしないのにインターハイに出るってのは、ちょっとお話が軽い感じだ。ただし「弱虫ペダル」に限らず、いまのまんが全般の傾向がそう、という気がする)
そして「弱虫ペダル」の、『≪猛者≫が異様にいっぱい出てくる』、という特徴について。すまないけれどもおかしいと思うのは、その自転車競技の猛者たちが、いちいち『オレ様は…っ!』と言って名のりを上げる、その『またの名』や『人呼んで』の部分。
どんな『またの名』が出ていたかな…って、ちょっと調べてご紹介いたせば。
主人公らの『総北高校』のメンバーから見ると、まずはたんじゅんに関西人なので『浪花のスピードマン』、または『ロケットマン』。次にやたらとゴツいので『肉弾列車』、または肺活量がすごいので『酸素音速肉弾頭』。そしてトリッキーなフォームで登りが得意なので、『頂上の蜘蛛男(ピークスパイダー)』。
続いてライバル校『箱根学園』から登場、山道が得意なナルシストの≪東堂くん≫はきょくたんな例で、『箱根の山神(やまがみ)』、『美形クライマー』、『眠れる森の美形(スリーピング・ビューティー)』と、少なくとも3つもの『人呼んで』を自ら言いはる(!)。ただし、彼のライバルの蜘蛛男≪巻島くん≫によると、東堂くんのほんとうの通り名は『森の忍者』と、びみょうにカッコよくないものらしい。
あとはかんたんなご紹介にとどめると、『箱根の直線鬼』、『神奈川の最速屋』、『北陸の疾風』、『アルプスの山守 または 鉄壁の館(たて)』…といったまたの名を持つ猛者たちが、「弱虫ペダル」には次々と登場しているのだった。たぶんこれから、もっとあるだろう…と予想されながら。
ところで叙述論的に見ると、『またの名』の名のりは、その彼が活躍するエピソードの始まりだ。だから重要人物ではあっても、本格的な活躍がこれからである総北と箱根の両キャプテン、この2人の『またの名』は、いまだ明らかでないのだった。
で、まんがだから別にいいんだけれど、しかし、いまの高校生の発想ってこうかなあと、見ていて筆者は少々疑問に思っ…。というか、いちいち吹き出しているのだが。
そこで『またの名』ということから考えると、かの崇高なる大傑作、野中英次「魁!! クロマティ高校」(2000)に、こんなエピソードがあり(第1巻, 第2話『ワル自慢だよ人生は』)。…入学直後のワルどもが、不敵にも教室でたばこふかしながら、その『ワル自慢』にふけっている。
【不良A】 オレは 中学ん時から 悪かったなあ~(中略)
「二中の火の玉」って 呼ばれてたぜ
【不良B】 オレは 一度キレると 相手を血ダルマに するまで止まらねえ‥‥‥
通り名は 「三中の病院送り」‥‥‥(あまりカッコよくねえぞ、とヤジが飛ぶ)
【不良C】 オレ 見た目がゴツイから 相手が勝手にビビッて ケンカ売ってこねえんだ
それで 付いたアダ名が 「不戦勝のマサ」
(すげえのかすごくないのか、よく分からん、との声あり)
というところへ、後に大活躍するクールな風貌の≪前田くん≫がワルどもの話に割り込んで、彼の華麗なるケンカ戦歴を披露する。ところが、『で アダ名は 何だったんだ?』と聞かれて、前田くんは返事に困ってしまう。
【前田】 ‥‥特に アダ名は 無かったなあ‥‥
【不良D】 (そこで一同、ふいにしらけて)‥‥じゃ ダメだ‥‥
【前田】 ちょっと 待てよオイ! 別にアダ名なんて 無くたっていい だろうが!
【不良E】 「二中の火の玉」とか 「三中のモンスター」 とかがなきゃ 意味ねえだろ!
【不良F】 そりゃそーだ! 四中の鈴木とか 佐藤じゃ全然 怖くねえし
と、こういう不良界のシステムがあったので、ケンカには絶対の自信をもっていた前田くんなのに、その学園をシメるどころか! それからずっと、唯一の(相対的な)常識人として、おバカさんどものお守りに明け暮れるハメになってしまうのだ。
というわけで、『アダ名・通り名・またの名は、≪猛者≫の世界において超重要!』、という「クロ高」の教訓的な記述を活かして、「弱虫ペダル」の成功が現にある、のではなかろうか? そこで自分もこんどから、『足立のギャグまん鬼』くらいを名のっ…。あ、いや、そんな≪猛者≫じゃないからやめときます!
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