2010/10/08

ミキマキ「少年よ耽美を描け」 - 『体に』きっちり、教え込んであげちゃえっ!

ミキマキ「少年よ耽美を描け」第1巻 
参考リンク:Wikipedia「少年よ耽美を描け」, 新書館「ウェブマガジンウィングス」

こちら「少年よ耽美を描け」の作者たるミキマキ先生は、2001年にりぼんからデビューの双子合作女流まんが家。まあ別に『双子』とか『女流』とかは見たわけじゃないので、どうでもいい要素だが。
ともかく筆者としては、そのデビュー作からのファンなので、けっこう長いおつきあいになっている。そして、いつまでも何となく『新鋭』っぽさが抜けないのに、この先生らもそろそろデビュー10年目だなんて…。どおりでオレも年を取っているわけだし!

で、りぼん時代のミキマキ先生について、かの岡田あーみん様くらいの巨匠になろうかと期待しつつ見ていたが、それが惜しくもなっていない。そもそもりぼんがお先生らに、あまりギャグに徹した作品を描かせていない。そこが大いに問題だったような気がするが、いまさらそれを言っても仕方がない。
そうして『近ごろりぼんで見ねえなあ』と思っていたら、いつのまにか他誌に進出しておられたミキマキ先生。それから、2005年にウンポコ誌の今作、2006年にコミック・ハイ!の「アリーナ!」、といった創作があったのだ。
が、自マンじゃないけどウンポコなんて雑誌は、見たことさえもない。そして今作「少年よ耽美を描け」の単行本・第1巻(ウンポココミックス)が出たのが2007年、よろず『情報』にうとすぎる自分はいきなりそれを見て『あら!?』と、嬉しい驚きを味わったのではあった。

で、ウンポコとかいう媒体はすでに休刊しちゃったそうだが、今作はカグヤ誌およびウェブマガジンウィングス(*)にて掲載が続行中。そして単行本も第3巻まで刊行され、ミキマキ作品としては最大のロングランとなり、よってここまでの代表作になっているのだった。

ここであらためてご紹介すれば、「少年よ耽美を描け」、または「Boys be 耽美シャス」、それを略して「耽美シャス」などと呼ばれる今作は、ミキマキとしては初の4コマ作品。そしてその題材は、例の≪ボーイズラブ, BL≫と呼ばれるもの。
しかしストレートなBL作品ではなくて、作中の『ストレートな』(ゲイじゃない)少年らがなぜか、BLまんがを描いてその世界のてっぺんをめざす(!)、というお話。『なぜか』というにもふしぎすぎだし、そして少年らはいまいちBLをつかめていないので、まいどとんでもハップンな展開にしかならぬ…というギャグ作品。

そして。BLを知らない少年たちが、1からBLを学んでいくぜ!という今作は、ひとまずBLというものを外から眺めているわけだから、読者に対しての『BL入門』としても機能しそうな感じがある。少なくとも、筆者が今作をそんな風に見ているということはある。
ただしこれが、ほんとうにBLにひたりきっているような『ホモのお姉さま』(!)からはどう見えるのか、そこは見当がつかぬ。もしもそれ的な諸姉がここをご覧だったら、ぜひともご意見をたまわりたくある。

話は戻るが、なぜに作中の少年たちがBLまんがの追求にまい進するハメになったのか…。その理由は、もちろんだがいちおうある。

今作のヒーローたる高校生≪新葉芹(あらは・せり)≫くんは、脳天気なバカだがイケメンで超モテモテ、という初期設定。そんな彼が冒頭のエピソードで、そのときの彼女から別れを宣告される。自分から別れたことはあっても、女子から別れを切り出されたのは初めてで、彼は大ショックをこうむる。
そのさいに女子が言った理由が何と、『BLマンガにハマっちゃって…』そっちの追求に専念したいので、というものだった。するとおバカな芹くんは、『そもそもBLって何っ!?』、といったところからぜんぜん意味が分からない。
そこで彼は、秀才な親友で生徒会長の≪嶺良(ねら)くん≫に聞いてみて、それがどういうものかを知る。そして、いまそれがひそかにも女性らに大人気らしい、というよけいな知識をも得る。

ちなみに芹くんはいっとうさいしょ、BLを『バナナ・ラビリンス』のイニシャルではなかろうか、などと言う。合ってないけど、しかしまったく合っている。さすがは後に、BLの神の子か何か自称し出すおバカさんだけはある。

で、やがて芹くんの頭の中で。『このオレよりも魅力的というなら、よっぽどBLはすごいものに違いない!』、『それが“女性らに大人気”なら、自分のモテ道追求のこやしにもなりそう!』、『男同士のそれとはいえど、恋愛のことならまかしとけっ!』…といった計算が、うっかりと働いてしまった!
そこで彼は嶺良くんたちをも巻き込んで、ペンネーム≪アラ・パセリ≫先生として、BLの研究と創作にはげみ始めてしまうのだった。言い換えて、バナナ・ラビリンスに迷い込んでしまうのだった。『これやってればモテるぜ!』などと、でたらめなことを仲間に吹き込みながら。ただしパセリ先生の才能やセンスがゼロ以下なので、何だかどうにもならなそうな感じなのだが!

◇作例1◇ 異様に落描きっぽく描かれた、胸に『ハンド』とあるユニフォームの少年2人。その一方が、『おまえが好きだ ハンドボール部に入れてくれ』と言うので、もう一方の少年が『えっ!?』と驚いている。

これがわれらの芹くんの、言わば『初期作品』(第3巻, p.4)。そして、当時は未熟で手探り状態だったな…などと懐かしげに回想する芹くんの、近作はこうだ。

◇作例2◇ 異様に落描きっぽく描かれた、胸に『ハンド』とあるユニフォームの少年2人。その一方が≪M字開脚≫の体勢で顔を赤らめながら、『おまえが好きだ ハンドボールを入れてくれ オレに』と言うので、もう一方の少年が『えっ!?』と大ショックをこうむっている。

…あ…。もはや、この続きを書く気がしなくなった。

ところで芹くん(ら)が分かっていないのは、女性らにとってのBLの追求なんて、一種の『男よけ』だということだ。芹くんの元カノは、『BLにハマったので交際をやめたい』と言ったわけだが、それは実態としては逆だ。『現実の男女交際などをやめたいという心理をベースとしてこそ、BLにハマった』のだ。
だから、まんがいち芹くんが『BLマンガ界の神』に!…という彼の野望を実現できたとしても、彼がモテモテになる可能性はない。少なくとも、いわゆる≪腐女子≫さまらにモテモテ、ということはないはずだ。
ところが! まったくひじょうに正しくも、自らがBLの深みにハマった芹くんは、もはや現実の男女交際など、ぜんぜんどうでもよくなっているのだ。彼が頭では理解しきっていないことを、『彼の体が』、きっちりと理解しているのだ(!)。のちにも口先ではときたま『これでモテる!』などと言うが、もはや彼自身はそれを欲しておらず、『まっ、そんなことよりBLの追求!』…という具合いなのだ。

また、かといって芹くんたちは、自分らがゲイになるような『あやまち』もしない。ゲイになることがあやまちなのではなくて、BL追求の向こうに現実の同性愛を見ることがあやまちであり、それをしない。
そこを筆者は、ひじょうにえらいと思う! BLなんてのは紙の上だけのことであると、なぜかそこらをあらかじめ、ちゃんと『体で』(!?)理解しているのだ(…ただし、芹くんグループのちょっと外側に、ゲイになってしまう男子らも登場する)。
つまり、ふつうのBLファンらがそれを『男よけ』として利用しているように、芹くんたちもまたそれを、有効な『女よけ』として利用できているのだ。ただし、彼のファミリーの一部の分子は、けっして女性をよけたくはないようなのだが!

で、『別に女性をよけたくない派』の1匹が嶺良くんだ。芹くんの強引さに巻き込まれ、持ち前の探究心で知的にBLを追求してしまう彼だが、本人はゲイでも耽美でもない。
そして第1巻の巻末あたり、そのような嶺良くんに、後輩の女生徒≪石川≫が接近してくる。ルックスがまともでものごしがまとも、むしろ全部がふつう以上にまともそうな彼女だったが、これが実はとんでもない≪腐≫。『嶺良会長は、私の理想の“眼鏡受け”なんです!』などと、めまいがするようなことを言いくさる。
とにかく石川のマニアックすぎなメガネ談議がものすごく、とどまるところがまったくない。それから石川が申し出て、2人は1日のデートに及ぶ。しかしそれだけで、まったく彼女らはどうともならない。『今日は、とてもいい“妄想材料”をいただきました!』などと石川はお礼を述べて去り、残された嶺良くんはひじょうに“何か”がふに落ちないのだった。

…なんて、石川に負けずに筆者のBL談議も長くなっているので、ここらでいちど区切るとして。

そもそもだ、筆者ごときがBLについて、何か知っていると言ってはおこがましいが。けれども今作がでたらめそのものでありながら、しかしまったく偽りが描かれていない…そこへと筆者はむしょうに感動しているのだった。
だいたいわれらの芹くんは、『耽美』なんてものは、まずはとりあえず表面的な≪美≫であった方が…ということさえを分かっていない。というかわれわれ一般人とは≪美≫の感じ方が異なっているようなのだが、しかし彼はアチチュードとしてのBLというものは、頭ではなくその『体で』、しっかりと分かっているのだ。
その一方の嶺良くんは、BLがどんなものかを『頭では』、わりと理解している。けれども、アチチュードとしてのBLをほとんど分かっていないのだ。それはいつか、この受けメガネの『体に』、きっちりと教え込んでやる必要があるな…ぐへへへっ…なんてことを言っている場合だし。

というあざやかな対照性をもって、われらがミキマキ先生は、『BLに没頭する少年たち』というありもしないものを、かなりな説得力をもって描いておられるのだった。そしてそのフィクションなりの説得力の背後に、一定の正しい人間理解が存在している、と筆者は主張する。

そこらを当座のケツ論…あ、結論として、われわれは今作「少年よ耽美を描け」については、ねちねちと今後もキチク的に眺めていくだろう。ではまた! by あなたのヘタレ受けアイスマン。



大島弓子「四月怪談」余談ぎみだが、ちょっと思い出したことを書いておく。大島弓子の名作中編「四月怪談」(1979)で、ご存じのお話とは思うが…。
常人らに不可視の幽霊になってしまったヒロインは、それをいいことにどうするかというと、かねてから興味しんしんだったゲイ映画を見に行く。そして、たいへんなショックと失望をこうむる。
いまの≪腐女子≫の方々だったら、おそらくそんなあやまちはしないだろう。ただし、それをいちがいに『進歩である!』と言い切ることにも、少々ためらいはありながら。

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