2010/10/18

名島啓二「聖☆ピスタチオ学園」 - 重力の虹(二次)

名島啓二「聖☆ピスタチオ学園」第1巻 
参考リンク:Wikipedia「名島啓二」

福岡出身、めんたいギャグまんが家の超新星・名島啓二先生。そして今作「聖☆ピスタチオ学園」は、名島先生が2008年から1年間あまり、マガジンSPECIALに掲載していた4コマ基調のシリーズ作。定まった略称がない感じなので、ここでは「ピス学」としておく。
それはもちろん、品のなさをねらって。「聖ピス」とでも言うと、さらによいかも?(英piss=おしっこ) かつまた、カバーそでに実物ピスタチオの写真が出ているが、その意味するところを自分では言いたくないし。

さてその「ピス学」の単行本は、KC少年マガジン『全1巻』。…といっても、表紙にも奥付にも『1』としっかり刷ってあるのは、何かの場合には続刊するかも?という布石らしい。
どういうことかって今作は、作者が2009年から週刊少年マガジンに連載中のショートギャグ「波打際のむろみさん」に専念するため『休載中』というていさいなので。よって「むろみさん」がどうにかなれば、「ピス学」のリスタートはありうるらしい。

前にこの記事(*)で見たけど、これの掲載誌マガスペの存在が、週刊のマガジンに対する保険のようなもので。そして「むろみさん」についての保険として、いまだこの「ピス学」がひそやかにキープされているわけだ。なかなか、ご念の入ったことだ。

で、これの内容はというと、校名からして絶望的な『聖☆ピスタチオ学園』の、おかしい学生と教師たちを描くオムニバス作品。
で、オムニバスだからって、やたら多くの人物たちが登場し、正直なところ憶えきれない。むしろ、憶えられるようには描かれていない。
この特徴は、あまりいいこととは思えない。ちょっとこの作品は、群像劇にしたって中心がなさすぎる感じ。時期&形式が「ピス学」とかぶる作品でいうと、大江慎一郎「私立ポセイドン学園高等部」(2008)の方が読みやすいぞ!…とも言いたいぐらいな?

ただ、精読(!)してみて筆者的には、わりといつも出ている少年たち3匹、そのふしぎなからみあい方とカラ元気が心に残った。

 ≪大橋≫ メガネの秀才だが、実はむっつりスケベでマヌケ気味
 ≪徹≫ 見た目ツッパリ気味だがクールでモテる。いちばん常識的
 ≪須藤≫ 茶パツにピアスの不良、そして脳天バカ。さわやかに開放的なバカ

こいつらがまいど校舎の屋上で、わかるようなわからないような会話をするエピソードが恒例。ある回の冒頭、夏の盛りの超ホットな屋上で、大橋と須藤は上半身はだかになって、そしてペットボトルの水を体にぶっかけながら、怒りの表情で空へと叫ぶ(p.59)。

『あと何人の ○○王子を 創り出せば 気が済むんだ!?』

あったなあ…○○王子。じゃあ、名島先生を『ギャグまんが王子』に認定して、それで打ち止めにしようぜ! どんだけのイケメンかは知らないけど!

それから、もうひとつ(p.25)。

【大橋】 (屋上から遠くを眺めながら、)コナン君が扱う 殺人事件被害者が
いつか日本人口を 超える気がする
【徹】 金田一君のと合わせれば すでに村一つが 消滅する数には なってるはずだよ

…と、つまらんことを言いながらこいつらが、みょうにカッコつけてるのがいい感じ。さらに政治・経済のネタをもあわせ、背伸びしつつの風刺をこいつらが敢行するのだった。



ところでこの作品について、巻中の作者からのメッセージで、『打倒!ユル系4コマの心意気』、『少年誌における 表現の限界との格闘』、などとあるのがイカすッ。
そして見た限り、いちばん『格闘』しているところは、カバー下の表紙。まずは作中のエキセントリックな女の子≪ちえり≫が、バズーカで都庁を攻撃している。
『何で都庁を?』って思ったら、同じく裏表紙では大橋くんが、怒りで自分の着衣をズタボロに吹き飛ばしながら、

『かかってこいや しんたろ――!!』

と叫んでいる。その絵の上に書き込まれた文字が、不敵にも『望 不健全図書指定!!』。
そっちまでを見てやっと、ニブい筆者にも、バズーカをぶっぱなしている≪ちえり≫が、

『だって あたし達 非実在青少年 ですもの』

と、ふしぎな正当化をしている意味が分かったのだった。この新進の作家がわれわれの先頭に立って、この腐った社会の腐った体制、そのまんがに対する迫害へと立ち向かおうとしているのだ。そのパンク的スピリットには、ほんとうにしびれたが!

だが、しかしだ! ちえりが攻撃している都庁の描写は、シルエットであることをはじめに、きわめて婉曲的。また大橋くんの裸体は、股間どころか乳首までもが修正をこうむっていて、こんなでは『不健全図書指定』がしてもらえそうもない!
だからこの絵らを見て、一瞬では意味がよく分からなかった理由を、自分のニブさだけとも思わないのだった。『やりきって、こんなもんか』という気さえもするのだった。

そしてこの作品には、ちょっと全般的にそういうところがありげ。『打倒!ユル系4コマの心意気』をいだく作者が、硬派・社会派に行って通せんぼを喰らい、エロや下ネタに行ってもストップを命じられた、そんな苦闘の結果を見ている気がする。
同じマガスペ掲載作でも、やきうどん「主将!! 地院家若美」の方は、エロに風刺にやりたい放題している感じだが。また氏家ト全「生徒会役員共」も、初期はマガスペだったし。…あれらは表現の仕方がうまいのかもしれないけれど、ちょっとこの「ピス学」の苦闘ぶりには、ふしぎな感じさえ受けた。

そこで考えると、歴史的観点からは、まんがなんてそんなに自由に描けると思ったら大まちがいだ。19世紀のオノレ・ドーミエは禁固&罰金の迫害を受け、手塚先生だって悪書追放運動のやりだまに上がったのだ、ということは知ってかからねばならない。≪体制≫なんてものは腐っている状態が基本だし(!)、まんがごときに『表現の自由』もクソもない、とぬかすカスどもは常にいる。じっさい、そんな自由が存在しはしない。
さらにそこから考えると、まんが特有の象徴的な表現とか不条理ギャグとか、そんなものも、単にいい意味での『表現』ではない。必要があって、追求されてきたものでもあったのだ。それこれの参考記事はこちらに(*)。



でまあ、そういうことはともかくとしてだ。今作について、さっき筆者は少年たちという部分に注目してみせたが。その、カッコつけて『そそり立って』みせているところを見たが。
しかしその一方の、やたら目がでかくてたれ気味な女の子たち、何となくゆるそうな女の子たちの描き方にもまた、作品のアクセントがありそう。

『打倒!ユル系4コマの心意気』をかかげた創作なのに、じっさいは少なからずユルくなっている部分があり、そこに読者はひかれている気がする。この「ピス学」の女の子たちの描き方を見ると、筆者はそこに≪重力≫の存在を感じる。目がそれぞれたれ気味なのを筆頭に、ポーズ・体型・着衣の描き方、あわせて態度まで、ひじょうに『重力ってものはあるな』…と感じるのだ。
で、この少女たちは、それぞれに≪何か≫を求めてはおりつつ、それが何かを知らない。そしてもしも知ったなら、その重力だか引力だかに逆らわず、まっしぐらに堕ちていきそうな危うさがある。

すると、けがれを知らない(らしき)少女たちが、意識よりも先に、その体が≪重力≫へと屈服している、というギャグ(=外傷的ギャグ!)が、この「ピス学」には潜在している。風紀委員会の少女たちは、その思考においてはまっすぐでキリッとしているのに、しかし体が超ひ弱だったり、体が徹くんに魅きつけられたり。また、たまに出てくる危ない女の子は、葉桜の下、毛虫らとたわむれながら(!)、『這う感触が きもちいい♥』などと言いやがる(p.132)。

そしてそのような、この「ピス学」にてチラ見えしている、女性というものの妖しさと危うさ、そこからの≪外傷的ギャグ≫。それを集中的に描いたものが、名島先生の現シリーズ「波打際のむろみさん」になっているのでは…と、そちらへ話はつながるのだった。
何しろそっちのヒロインのむろみさんは(人魚だから)、まずはすっくと直立もできないくらいに、重力ってものには弱いのだった。そしてその話は、「波打際のむろみさん」の記事へと続くとして…。
(かつここいらで、別の意味、さきに見た社会の重圧みたいなものが、また≪重力≫の遍在として、われわれにのしかかっている感じもしてくる)

しかし筆者としては今作「聖☆ピスタチオ学園」で、もろもろの重力に逆らおうとしてカッコつけてようとしている少年たち3匹、その姿が忘れがたいのだった。ゆえにいつか名島啓二先生から、再びそういう方向性の作品があることをも願いながら!

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