参考リンク:Wikipedia「林家志弦」
懐かしいので、思わず取り上げてみた「ひまわり地獄」。これはMid 1990'sのゲーム誌に載っていた業界風刺的(?)4コマシリーズで、単行本は全1巻(電撃コミックス)。まんがとしてのタッチは、わりと新井理恵「× -ペケ-」(1990)に近いもの。
で、その単行本が、いまではブックオフの105円コーナーでよく見るものになっている。『タイトルがすてきだし、その値段なら、ちょっとひまつぶし用に』…と思って買っちゃって、そんで見てみたら、何とこれの一部を掲載誌で読んだメモリーがよみがえってきた!
けれどもスマンが、林家志弦「ひまわり地獄」という作家名や題名は忘れていたのだった。いやそれどころか、掲載誌が何だったかも思い出せない…!
その掲載誌という点について自分は、『電撃コミックスで出てるからには、電撃何とかに載ってたのカナ?』、くらいに考えてすましていた(単行本には初出データがなさげ)。ところがさっき調べてみたら、「ゲーム批評」誌に1994年の創刊号から、97年まで出ていたと分かった。
そういえば、そのころ自分がゲーム関係の人のお手伝いをちょっとしてて。そしてひまなとき、その人が買ったりもらったりした雑誌を見てたっけ…。その中に、ゲーム批評の何冊かがあったくさい。開いて、それを見ていた記憶はある。
ところで筆者は、大して熱心なゲーマーだったことがないばかりか。ゲームの雑誌を読んで面白いと思ったことも、あまりない。
だからゲーム誌を見るたって、まんがっぽいところを拾い読みしているばかりだった。で、『ここはちょっとうけるな』と感じたのが、今作「ひまわり地獄」の一部分らしかった。
そして、だ。この単行本の巻末あたりに、あとがきっぽいまんがが載っていて…。
その中で、『題材とした数々のゲームらを、ほとんど買ってないし遊んでもいない』というぶっちゃけも、ちょっとはどうかと思うが…(p.78の記述だと、『その約80%のタイトルを、一回もプレイしていない』)。
が、そこまではまだしも? さらに筆者がグッときたのは、連載中に作者さまが、身内から受けとった応援メッセージのご紹介(p.128, “”内は、傍点等で大強調された個所)。
【知人A】 (掲載誌の中で、)ひまわり地獄“だけ”は 読んでますよ
【知人B】 同じく毎号 ひまわり地獄 “のみ”読んでまし た――
【知人C】 立ち読みで ひまわり “だけ”は
うわっ! と言っても、筆者の感じ方もほぼ同じだったわけで、『わかるな』という気は大いにしつつ。しかしこういったことを、ふつうのまんが家さま方は堂々とは書かないのでは、と?
まあその、どうにも。ゲーム批評それ自体がたぶん、『手かげんなしのぶっちゃけで』ゲーム作品と業界を斬る、くらいなことを目ざしていたように聞くけれど。そしてここでは、その執筆者が媒体に対して、手かげんなしのぶっちゃけを敢行しておられる感じなのだった。
とはまた、ごくごく一部の人にしか分かりがたい、しかも年代もののネタではあるが。しかしこのとほうもなきアイロニーこそが、いちばん印象に残った個所なのだった…現在に筆者が、この本を読んでみて。
またちょっと、別なことを申し上げると。『散漫な読者は、へんなところしか憶えていない』(ギク!)、ということの証明として、みょうに自分が憶えていたエピソードのひとつをご紹介。ただしそんな散漫な読みこそが『素の読者の読み』であり、むずかしいけど送り手が、できるだけ意識せねばならないものでありつつ。
――― 「ひまわり地獄」, 明記されてないが「卒業麻雀」の巻(p.12) ―――
セーラー服の女子たちが口々に、『先生!麻雀しよっ』と言っているイメージ映像。
3コマめ、むっさいオヤジらがたむろする雀荘を、入り口から覗き込んでいる少年。
『もう半荘! もー半荘な!!』
『うわあ カンベンしてくれよ』
『満貫 満貫 二酸化マンガン!』
これらを見て、胸に『ラムちゃん』と書かれたトレーナーの少年は号泣しつつ駆け出す。
『嘘つきィ――!!! 女子高生なんていやしねえぞ!』
この作例について、筆者は初見のころから、『そのたいへんなそらぞらしさ』というところが逆に面白い、と感じていた気がする。つまり作者の視点らしきものが、作品の中にはない。
「卒業番外編 ねぇ麻雀しよ!」を遊んでいないどころか、麻雀をもあまり知らない人が描いている、そんな感じさえもする。『満貫 満貫 二酸化マンガン!』なんて、逆に出てこないギャグという気がするのだが。
しかも作中の、七三メガネのおたく少年にも、一方のオヤジ連にも、描いているお人の共感はないっぽい。でもまあ、どっちかといったらオヤジかな…と思うのは、今作が全般的に、なぜかオヤジっぽい方々を過剰っぽくフィーチャーしてるからだが。
(はなはだしいオヤジの例。「ひまわり地獄」という題名にそって、股間を大きなひまわりの花で隠した全裸のオヤジ連が、この本のさいしょとさいごに描かれている…っ!)
あたりまえすぎなことも確認すると、この作例は、『「卒業麻雀」の設定等がファンタスティックすぎる』、ということを風刺しているはずだ。それでいちおう、成り立ってはおりつつ。
で、風刺というのは、もともとクールな描き方になるものだが。にしてもこの突き放し方は、もはや『形式的な風刺』、と呼べるもののような気がする。シニカルというにも、きわめてずいぶんなシニカルさ。
その一方で、筆者のイメージするギャグまんがというのは、もっともっと『斬れば血がでる』ようなもの。描いてる人が、われとわが身を刻んで紙にたたきつけるようなもので…。
言い換えると、筆者の感じるギャグまんがには、たいへん遠まわしな表現になっていても、どこかに作者の自虐という風味がある。『自虐は、ギャグである』。くだらないギャグを描いている人はくだらない人間ではない、けれども『自分の中にもあるくだらなさ』として、それを描いているように推察しているが。
…で、この場合は、遊んでないどころかほんとうは興味もないようなゲームタイトルについて、ともかくもおまんがを描かねばならないタスクという、作品内容の外側のところに『作者の自虐』の要素があるのだろうか?
そうして筆者は、すでに申したように、これのやけっぱち気味な『そらぞらしさ』がきらいでない。ただしそんなそらぞらしさの面白さは、ねらって描けるものではないようだ。
かつまた、そらぞらしいにしたって、この本に併録のシリーズ「プレイステーション学園」(p.115)のそらぞらしさは、あまりにも超えきったものがありげ。何せヒロインのプレステ子ちゃんが、セガサターンはあってもPSを持っていないのに、それをCMしまくるおまんがだなんて…ッ!
(みょうに細かいことを言うと、「プレイステーション学園」の題名について、なぜかもくじと本編で、表記がやや異なる。ここでは、もくじの方を採用)
まったくこれらは、ゲーム業界がまだ多少若く、かつ大いに意気さかんだった時代のどさくさ…それの産物であるっぽい。そして、そんな時代に自分も業界の超はしっこに生きていて、そこから今作と出遭(いそこな)っていたのだった。
で、別にいいけど林家先生もまた、その後のびみょうなご出世にともなって、ギャグっぽい作品などは描かれなくなっているごようす。どうにもいろいろ、『どさくさの時代』は過ぎ去ってしまっているようなのだった。
そうしてさいごに、筆者は失敬しごくだが、『ひまわり地獄“だけ”は読んでます!』ということばを、この地点でお先生にお返ししたい感じ。…この場合に限っては、そんなアイロニーも許されるような気がするので。
以下、おわび&余談。上の文中に「卒業番外編 ねぇ麻雀しよ!」(ケイエスエス, 1994)というレトロゲームの題名が出てるけど、申し訳ないがその題名等々をさっぱり忘れてて…。
で、『あれは、「同級生麻雀」だったっけ?』とかん違いしたまま、いっぺん記事をポストしていた(修正ずみ)。ごみんなさい。
調べていたら、ほぼ同じ時代、さらにまた「麻雀同級生」というゲームもあったそうで。そんなの、いちいち憶えきれるわけが…いや、そうでもないか!
何せ林家先生とは異なり(?)、筆者は「卒業番外編 ねぇ麻雀しよ!」を、当時いちおう遊んだことがあるのだ。5~6時間はプレイしたのではないだろうか? これもまた、業界のあれで流れてきた、箱なしの試遊用ROMという形態で。
ただ、遊んではみたけど、『女の子たちに勝てばいい、単にトップであがればいい、というものではない感じ?』…とまで気がついたところで飽きた。スーファミ用ソフトなんで、別に服なんか脱がないし。と、いまいちその『ゲーム性』がつかめないまま、それは1990'sのメモリーになってしまった。
そしてそうした1990'sメモリーズを現在に掘り起こしてくれるのが、いままで見てきた「ひまわり地獄」という作品なのだ。その発掘を、ありがたいと思うかどうかは別にして。
で、このまんがについては、レトロゲーマー的な視点で見ると、またちょっと別の面白みが、現在に出てくるような気もいたす。しかし自分が、なまはんかなゲーム談議などしたくない。はずいから。
などと申し上げたら、この作品の内容もまた、まさしく『なまはんかなゲーム談議』。わりと誰もが高価なゲームを『積んでいる』ような現在とは異なり、32ビット時代初頭の当時、ダメそうなゲームでもけっこう希少であり、そして人々のそれを語ることばは熱かった…ような。そしてそんな熱さに乗じて、このような創作もあった…ような気がする。
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