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前シリーズの大好評にこたえて、あの太眉ヒーローが帰ってきた! スケールアップで再登場、無印「河原崎超一郎」の続編、「新・河原崎超一郎」!
…な~んて面白くもないウソをタレ流してはよくなくて、いままで「河原崎超一郎」には、『新』しかないはずだ。『ケンちゃんラーメン“新”発売!』かのごとく、『新』しかない。
では無印版で初代の「超一郎」は、いったいどうしたのか? どこでお目にかかれるのか?
おおひなたごう先生のいままでのやり方から推測すると、たぶんそれは遡及的に、いつか未来に描かれるんじゃないかと思う。いつになるのか、その日を待って、われわれはこの堕文を終わろう。
と、終わった方が明らかによさそうなのに、うっかりと続けてしまう。今作こと「新・河原崎超一郎」は、月刊少年チャンピオン掲載のショートギャグまんが。1994~2000年あたりに出ていたもので、単行本は少年チャンピオン・コミックス全2巻。
そのヒーローの≪超一郎≫が、太眉もりりしい1970's劇画タッチのヒーロー。まず彼が、多種多様なスポーツで活躍するようなお話で始まり、それからいきなり小学生に若返って、夏休みの工作やママのおつかいをがんばるお話になったり。
かと思うと木こりになったり協会理事長になったり、はてはアウトローに転じて銀行強盗をしでかしたり。『横恋慕が苦手』(第1巻, カバーそで)という以外は万能(?)のヒーローが、ありとあらゆる局面で不条理を巻き起こすのだ。
で、具体的に機能はしないのだが、今シリーズ中でへんに目立っているのが、≪花嫁≫という単語。
まず第2話で、超一郎をエースとする野球チームの名が『花嫁』と、スコアボードに書かれてあり。追って第3話ではプロサッカーの『花嫁ウェディングス』に所属、第4話では強盗として『はなよめ銀行』に押し入り、第5話では『県立花嫁中学校』の生徒としてクラスでイジメられ(?)…等々々。
では、どうして強迫的に≪花嫁≫の頻出なのかって、別にはっきりした答も存ぜぬけれど。しかし何となくばくぜんとそれが、まったくお色気要素などありはしない今シリーズの背後に、動因としての性的なモヤモヤが存在することを匂わせている。
――― 「新・河原崎超一郎」, 第18話『駅伝 その2』 ―――
【実況アナ】 トップは 花嫁中の 河原崎
【監督】 さすが 河原崎 よのう(…超一郎の姿をよ~く見て、)
ムッ 河原崎の タスキが ねじれている! “メビウスの タスキ”だ!
【関係者】 (中略)それは駅伝と 関係あるのですか?
【監督】 ない! ない…が!
(メビウスだけに、)河原崎は表裏のない ナイスガイだってことよ
これがどういう『意味』かって、筆者も知りはしないが! 『んだそりゃ!』と言って、笑ってしまえばすむだけのギャグだが!(第1巻, p.95)
だがしかし、ことさらに誇示されたメビウスの輪には、まったくふつうに≪ファルス≫(勃起したペニスを表す記号)っぽいニュアンスがある。そしてそれが、超一郎の着けたユニフォームの『花嫁』というロゴに、からみあいたわむれかけているのだ。
そしてラカンの理論だと『メビウスの輪』は、≪主体≫の構造を表すメタファーでもある。むずかしいけど人間の心とは、その内面を探っていると外面に出てしまう、といったこと。
さらに、よく見ると今作中での『花嫁』の語はいずれも、社会の側のもの、いわゆる『体制』、形のある組織の名前、として用いられている。それこれを考えあわせれば≪花嫁≫という語は、社会の許容する≪享楽≫をさし示している。『横恋慕』が苦手なので、彼はそれを追い求める。
しかし超一郎は、決してその≪花嫁(ら)≫とひとつにはなれずに、≪享楽≫へとかすりながら出遭い(そこね)続け、そしてさまざまなシーンとさまざまな役割を遍歴し続けるのだ。そして何ら不可能はなさげな超一郎は、逆に言えば≪何≫でもない器用貧乏な人物でもあるわけだ。
と、この物語のあらましを、いちおう説明できたような気分になったところで。次の機会には、またちょっと別なところを見ていきたい! ではまた。
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