2010/10/06

地獄のミサワ「女に惚れさす名言集」 - 『ウザっ』ときて『イラッ』!

地獄のミサワ「女に惚れさす名言集」, 278『不動』 
参考リンク:地獄のミサワの「女に惚れさす名言集」

『情報』なんてものは、求めないヤツのところにはぜんぜん届かない。自主的にセッティングされた情報過疎地帯での痴態を生きている自分が、地獄のミサワ先生のご創作「カッコカワイイ宣言!」第1巻の刊行(ジャンプ・コミックス, 10月4日発)を知ったのは、ツイッター等であれしているササナミさんのブログ『漫画脳』の記事によってだった(*)。

で、そのご評言が、『イラッとする!本当にイラッとする!!』というので、そんなものに対しておカネを出させるなんて快挙じゃなイカ、とすなおに感じた。筆者もまんがとか読んでちょっと長いけど、『とにかくイラッとする!』という作風で成功した例はあまり存じ上げぬ。

…と、いま筆者が言いかけた、『オレもまあ、まんがとか読んでわりかし長いけどネ!』というおかしげな自マン口調には注意したい。さもなくば、『…ギャグまんが。ふっ、ギャグまんがか…』(とつぶやいて視線を遠くへ)、などと超へなちょこでしかない『もの』をふりかざして、人をびみょうにも圧倒したろうかという、そうしたムリのある所業らに対して意識的でありたい。

そういうわけで地獄のミサワ先生に興味をいだいて、検索したら当たったものが、題名に出ている「女に惚れさす名言集」(*)。ついさっき知ったものをオレが皆さまに説明いたすもおかしいが、これはとりあえず1コマまんがのシリーズがいっぱい掲載されているブログかと思う。
でもう、まったく見たままだが、そこでは『かっこいい男子達がかっこいい名言ばっかり言う』(ブログより)。言い換えて、超へなちょこでしかない『もの』たちをふりかざして人をびみょうにも圧倒しようというムリな所業らが、延々~とあり続けている。

地獄のミサワ「女に惚れさす名言集」, 440『ほんとな~んにも』ところで『惚れさせ』という概念についてちょっと考えたいが、これをラカンちっくに言い換えると、『“対象a”の敷設』、ともなるんだけどね…フフフ。あっ、イラッとさせちゃったカナ? メンゴメンゴ~♪
その≪対象a≫とは『何かを知っていると想定された存在』であり、『あなたの中にあって、あなた以上の何か』、などと言い換えられる。どういうことかというと、これはまず分析治療の局面に出てくることだ。

クライアントたる分析主体は、分析家が、自分に関して必ず『何か』を知っているに違いない、と思い込む。そして分析家がいずれ、彼自身をさしおいて主体が『何』であるかを教えてくれるだろう、と期待する。
あわせて主体は、分析家である小さな人間1ピキの向こう側に、何かむちゃくちゃに大きなものの存在を想定するのだ。これは治療の初期においてはなければならないことであり、そして主体がそれらの幻想を『ちゃんと』破棄できたときに治療は終わる(はずである)。

これが分析の局面から見た『惚れ込み』、または『転移』という現象だ。そして惚れ込む主体が(無意識に)問題としているのは、相手そのものよりも、その中とか背後とかにあると想定された『何か』なのだ。
だから、目の前の相手や物体が何でもない、むしろみすぼらしい、といったことは問題にならない。むしろ『まったく何でもなさそう』ということが、主体の想像力を刺激する場合がある。そうした『もの』らにラカンは、≪対象a≫という名前を付けたのだった。だから≪対象a≫とは、『黄金=ウンコ』のようなあり方のものと言いうる。

地獄のミサワ「女に惚れさす名言集」, 371『席』で、これを裏返したものが『惚れさせ』だと考えられよう。逆に主体は≪対象a≫であろうとして、『まったく何でもなさそうなもの』を、さりげなく大げさにふりかざす。そのことによって、相手の想像力を大いに刺激しようとする。
が、作例らでも明らかなように、あまりにもその意図が見えすいていて、『ウザっ』とか『イラッとする』とかいう反応を引き出すばかり! つまり、本人が黄金と信じてチラ見せしている『もの』が、惚れ込んでいないこっちからはウンコにしか見えない。

さらにだ。仮に相手が『オレ様はビッグなんだぜ!』とでもストレートに言ってくるなら、こっちは『はいはい』、と聞いていればいいわけだが…。
しかし『惚れさせ』を意図するヤローどもの多くは、それをことさらにもって廻りきった表現を示して、こっちに『想像』を強いてくるのだ。この、『想像という“労力”を強いてきやがる』というポイントが、まさしく『ウザっ』であり『イラッとする』!

シリーズ中に≪桜井≫という男が登場し、これは彼が『ジョニー・デップに激似』ということを死ぬほど言い立て、そこで『惚れさせ』をはかる。が、筆者みたいにものを知らず頭を使わない人間は、仮にデップとやら本人が目の前をウロウロしてたとしても、まったくどうもない。
それを桜井は、彼の中や背後にデップを想像させて、さらにはそのデップの中や背後の巨大な『もの』をさえも想像させて、それによる『惚れさせ』をはかっているのだ。そのプランの壮大さには恐れいるが、にしても『ウザっ』であり『イラッとする』!

地獄のミサワ「女に惚れさす名言集」, 229『計算通りにいけば』そして作例らを見ていけば、その惚れさせボーイズが嬉々としてふりかざしている『もの』ら、そのほとんどが≪ファルスのシニフィアン≫(勃起したペニスを象徴するもの)であるなんて、言うも超ことさらではありすぎる。
この惚れさせガイズは、『オレは去勢されていない、オレは“去勢するもの”である』とレペゼンすべく、その証しであるはずの≪シニフィアン≫(おかしな記号)らをニョッキリと誇示する。それはまあ、男子に限らぬ“誰も”が多少はやっていることではありつつも。
そしてこの惚れさせメンらのルックスに、『みょうに何かが(不自然に)出っ張った』…という特徴の多さを見ておこう。それらの出っ張りがまたいちいち≪ファルスのシニフィアン≫であり、だいたいヤツらの風貌が、いちいち『ペニス面』であり『ペニス頭』だし。さらにはいっきなりその『お宝』をモロ出しにしてるやからさえも、作中に少なくはない。

で、だ。筆者にしたって≪パンク≫だからほんとうは頭をモヒカンにしたいとか、そういうの大いにある。ところが社会人的なアレで、そうはできないわけで。
すなわちみごとに『去勢されている』ということを思い知らされ、そこでまたこのクソ社会に対してムカつくのだが…。
地獄のミサワ「女に惚れさす名言集」, 395『その問題』そしてこの地獄のミサワ「女に惚れさす名言集」とやらいうシリーズ作は、そのモヒカン的な『もの』たちを、超ことさらに誇示しているヤローどもを描く。それでそいつらは王さま気取りだが、しかし作品はわれわれに、『モヒカンにしたって王さまになれるわけじゃない』という正しい認識を還している。

けれどもわれわれは、その『ウザっ』ときて『イラッとする』ヤローどもを全身全霊では否定しきれず、どこかでそのおろかさへと≪共感≫している。われわれ“誰も”が、髪や体毛らをどうこうしたり、スカートやズボンを長く短く太く細くしたり、体の匂いをつけたり抜いたりして、まれにそこらを『おしゃれじゃん?』とでも指摘されたら、『ハハハ、身だしなみですヨ!』などと大悦びで答えたりもする、その限りで。
そしてその感情らの矛盾葛藤が、≪笑い≫という身体の反応に流されることによって、とりあえずは解消されるのだ。でま、そういうものをボクとしては≪ギャグまんが≫、とでも呼びたいワケなんだけどネ…(うざっ!!)。

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