2010/02/10

横山光輝「三国志」 - 「三国志」関係のまんが その1

 
参考リンク:Wikipedia「三国志(横山光輝)」

ひじょうに何度も何度も再話されてやまない物語…というものが、いろいろとある。それらの中でも中国起源の説話2つ、「西遊記」と「三国志」は、特に目立っている例ではないかと思う。われわれこと、日本のまんが読者が見ている限りでは。

まずは、西遊記をまんが化したものというと…。おっと、Wikipediaの記述を参考にすれば、それは少なくとも48個あるらしく(数え違えているかも)。
その中から、わりと名のある作家のまとまった作品だけ挙げておけば、手塚治虫「ぼくの孫悟空」、吾妻ひでお「きまぐれ悟空」、小池一夫+小島剛夕「孫悟空」、諸星大二郎「西遊妖猿伝」、鳥山明「DRAGON BALL」、寺沢武一「ゴクウ」、山口貴由「悟空道」、峰倉かずや「最遊記」シリーズ…といったところか(順不同)。
と、こうして題名を挙げてみると、自分があまり読んでいないことに気づいてがっかりしたが。しかし筆者としてはこれらの中で、諸星大二郎「西遊妖猿伝」(1983)が、もっとも自分のメモリーに強い。そして現在のギャグ作品の古賀亮一「電撃テンジカーズ」(2006)の盛り上がりにも、大いに期待しつつ。

しかしいまここでは、「西遊記」ではなくて「三国志」ベースのまんが(たち)の話をしようとしているのだった。なぜにそっちかというと、たいへんかってながら『自分の中での新鮮味』があるからだ。
つまり、不勉強にして自分はいままで、「三国志」のお話については、ほとんど何も知らなかった。それが近ごろ、まんがを媒体にしても『少し』知ったので、ついついその話がしたくて…というわけ。

かつ、まんが界のトレンドを見ると。1990's以降の動向として、「西遊記」のプレゼンスが後退しているということは別になかろうが、しかし「三国志」系の作品らのプレゼンスは明らかに大きく増している。
その系列の作品として、1980'sには本宮ひろし「天地を喰らう」があったくらいだったが、1990'sには李學仁+王欣太「蒼天航路」や山原義人「龍狼伝」などの大作が登場。そして2000年の塩崎雄二「一騎当千」によって何だか異なった方向性が開かれ、そして現在まで、その勢いが下がっている感じがしない…といった観測がありうる。
かつ「三国志」には現在、『層』としてのファンが存在する。総合的なポピュラリティでは「西遊記」が上だろうが、「三国志」固定ファン層の熱烈さは見逃せない要素だ。
(あと、日本のまんが界の1980'sに中国武侠系の一大ブームがあり、つまり前出の「DRAGON BALL」にプラス、「らんま 1/2」や「北斗の拳」らの大ヒットがあった。そして「三国志」系列のまんが作品でも、「龍狼伝」や「一騎当千」らには、その流れの合流が見られる。うける要素が二倍と見れば、それはおいしいかも?)

そして、どうしてこの時代に「三国志」がささやかにもブームっぽくあるのか? 有名なコンピューター・シミュレーションゲームの影響とかありそうだが、しかしそこを追求しようとは別に思わない。自分がただいま「三国志」を面白いと思っているわけで、そして自分にとっての「三国志」であるまんが作品らを見ていくことにより、その感じ方の根拠が見えてくるかも?…くらいの気持ちで始めてみる。

そうしてわれわれが「三国志」ベースのまんがたちを順ぐりに眺めようとしているとき、まずは横山光輝「三国志」(1971)から…というこの選択が、あまりにもオーソドックスっぽい? 何せ筆者は「三国志」について、これ以上のリファレンスらしきものを持たないのだ。
ゆえに、『他とは異なる今作の特徴』ということを述べにくい。むしろ今後見ていく作品たちについて、『横山「三国志」と比べ、こう異なる』のように言おうとしているのだから。
ところで「三国志」に限らず、横山光輝の中国史ものについて一般に。…いくら武人でも、食事どきや宴席にてもよろいかぶとをつけたまま…という絵図がおかしいような気がするが、まあそれはまんがなのでよいのかも。

ではこの堕文の残りを、『「三国志」という物語、それ自体をどう見るか?』…という話で埋めようか。それを筆者がひとことで申せば、『戦争ばかりを、ずいぶんしているなあ』…となる。
別に冗談は言ってなくて、素朴かつすなおな感想として、『もう少しでも戦争をひかえてはどうか?』と、感じないではいられない。はっきり申して何をかくそう、筆者は戦争というものが大嫌いなのだ。

で、その観点から。「三国志」というお話の序盤には、誰もが引き込まれそうな要素がある。それは志ある青年たちが、意を決し命をかけて『戦争に対する戦争』を闘おうとすることだ。もしもそういう始まり方でなかったら、これが現状ほどの多くの読者を得ていないはずだ、と考える。
ところが彼らの闘いについて、物語の進行につれて、『戦争に対する戦争』という性格が薄れていることは明らかだろう。いちばん遅い段階を見ておけば、『魏-呉-蜀』の三国体制ができてしまったあたりから、もはや『平和のための闘い』という感じがぜんぜんしない。
そしてこの横山光輝「三国志」全60巻を読了したとき、筆者の心には、『劉備玄徳は、ほんとうに名君なのだろうか? 諸葛孔明は、ほんとうに名宰相なのだろうか?』…という疑問が残ったのだった。正義か否か…などという観点を、また別としてさえも。

それこれにより、「三国志」の再話ものが数ある中で、おなじみのプロローグ『桃園の誓い』あたりを描いてないものはごくまれであり、かつ蜀漢の滅亡までを描いたものも『また』まれである、という事実がある。
要するにこのお話は、明らかに後半がいまいち面白くないのだが(!)。それでもきりのついたところまで描きぬいた数少ない例、すなわち横山「三国志」は、明らかなる偉業に他ならない…とは確認しつつ。

だいたいのところ戦争というものについて、『それはむだ遣いすぎる』と筆者は考える。ちょっと筆者の感じ方を説明すれば…。
「三国志」に限らず古代や中世の戦記ものには、次のような記述がままある。『攻撃側のA将軍は、1万の軍勢をもって敵の城砦を包囲した。そして総攻撃の機をうかがいながら、その包囲が1ヶ月にも及んだころ…』
その1万の軍勢を維持するのに必要な費用が、1人あたり1日に…たとえば1000円だったとしよう。するとたったの1日で、いきなり1千万円の費用がかかる。1ヶ月では、3億円。1000円という数字を半分にしても、1.5億円だ。
どういう根性で、そのような乱費ができるのだろうか? 戦争をしないで、そのお金をましなことに使ってはどうなのだろうか?
何だか戦争をしたがる人々のりくつは、重度のギャンブラーのりくつのようだ。勝てば確かに投資以上のものが得られようけれど、負けたらという考えが彼らにはないし、過去についても勝ったときのことしか憶えていない。

で、そんな無謀なギャンブラーたちを支配者としていても、人民ぜんぶが滅んだりはしない…ということが『逆に』ふしぎだ。とまでを見たら筆者は、ジョルジュ・バタイユの異端の経済学説を思い出したのだ。
その言うによれば、『欠乏』や『不足』という問題を強調する一般の経済学理論はまちがっている。むしろ自然の生産力は人口を養ってあまりあるのが常態なので(!)、むしろ問題は『いかに大きく消費するか?』なのだとか(!)。そしてその過剰をどうにか処理するために人々は、過剰なものとしての儀礼・祭礼、そして戦争などなどをがんばるのだとか。

そんな処理にも困るような『過剰』などをかかえた覚えに乏しい筆者には、そうしたバタイユの説が、いまいち心に響かないのだが。けれど戦争を一種の『祭』だと考えている人々もいるそうなので、あながち根拠なきことでもないのやも。
そしてオリンピックやサッカーのW杯などは、『本来は戦争だったものが“祭”に変換されたもの』、と見れそうだ。確かコンラート・ローレンツの名著「攻撃」にも、『戦争の代わりとして、そうしたことをがんばろう』と書いてあったし。

かつ、われわれが戦争を描いた物語らを消費することが、それまた戦争自体の代替行為として役立ったり、しているのだろうか…? そこがちょっと分からないところで、戦争や暴力の悲惨さをはっきりと描いた作品にしても、それにふれた者に厭戦気分を必ずかき立てるとは限らないようだ。
だいたい戦争をしている国のアメリカで、かの「鉄腕アトム」が暴力的すぎる、と叱られたのでは、わけがわからなすぎる。が、そうかといってもそこまで大きく話を広げるつもりもなく、これからシリーズで1つずつ、「三国志」ベースのまんがを見ていこう、と考えるのだった。

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