2010/02/13

喜国雅彦「月光の囁き」 - 『変態記念日』のダイアリーから

 
参考リンク:Wikipedia「月光の囁き」

Yahooメールの『迷惑メール』フォルダをおもしろ半分に眺めていたら、次のようなサブジェクトが目についたのだった。

 『安心して。貴方が変態だってのは知ってますので。』

…まったく安心できませんってば! どうしてそれを…じゃなくて、根拠もないのに何を言われますのやら! あっはっはっ!
というわけであまりにもあせったので(!?)、そのメールは反射的にソッコーで削除してしまった。ゆえにその本文の内容は見ていないということが、ちと惜しかったような、別にそうでもないような…。

かくしてこの日が『変態記念日』となったので、そこでわれわれは変態ギャグまんがの第一人者こと、喜国雅彦センセのお作品を眺めようとしている。この作家サマの創作は、その初単行本「傷だらけの天使たち」(1987)の第1巻が出たころから見ているのだが…。
するとずいぶん長いつき合いになっているが、しかしいま話題にしようとしている「月光の囁き(ささやき)」(1994, 小学館文庫版・全4巻)は、ごくさいきん初めて読んだものだ。どうしてこれを放っておいたのか、という理由は特にないが、『あの喜国センセがシリアス作品なんて』、という気持ちがなかったような気はしない。

そう。今作こと「月光の囁き」は、喜国センセのお作としては唯一、ギャグではなくて『シリアス』な作品だとされているのだ。どういうものかというと、中学生という幼さでありながら早くも根っからの変質者として自覚し、そして『その道』をまっしぐらに突き進むヒーローの雄姿を描く。
ところが筆者は今作を見ていてしばしば、爆笑という反応を禁じえなかった、ということはお伝えしておこう。そしてその笑いとは、『たまにシリアスぶっても、まったくまいどの変態バナシしか描けてねーじゃねーか!』という、そのポイントをゆかいに感じてのものではある。

 『安心して。貴方が変態だってのは知ってますので。』

そういえば≪露出症≫というタイプの変質者に出くわしたときの対処として、『せせら笑ってあげるのが、よいのでは?』という意見も聞く。少なくとも、それを見せられた女性たちがすくみ上がったり『キャーッ!』と叫んだりしたのでは、彼らの期待を満たすことにはなろう。
そこで気の毒だが…というほど気の毒でもないが、彼たちの悦ぶことを阻止した方が、その後のためにはなるかも知れない。そして今作を眺めての筆者の笑いが、そうした笑いに似ていないとは思わない。

話を、今作の方に戻して。一般に男子中学生たるものとして、もしも『機会があれば』、今作に描かれているように、好きな女子のブルマーの匂いをかぐくらいの変態行為に出ることはあるのやも知れぬ(…筆者はやってません!)。

 『誰も知らない 僕と彼女の秘密。
 秘密の匂い、天使の聖なる芳香。』(第1巻, p.20-21の見開き大ゴマより)

けれどもびっくりなことに今作のヒーロー≪日高くん≫は、決して出来心でそんな挙に出ているのではない。彼はりっぱな確信犯、いわゆるところの≪真性≫なのだ。その若さにして、変態道いちずでまっしぐらなのだ。
『ノーマル』らしき異性間の交際が、彼にはまったく遂行しえない。それを愉しめない。ゆえにブルマーの持ち主の美少女≪紗月≫が向こうから告白してきたときに、彼は少なくともすぐには喜ばず、逆にそのとまどいの表情に、『レンブラント・ライティング』のドラマチックな陰影がかかる(!)。
しかもそのとき彼のポケットの中には、学校のトイレに細工して採取した紗月の尿(!)、それを詰めた小ビンが収まっておりつつ(第1巻, p.56)。という描写がりっぱなアイロニーでないとは思えなくて、またも筆者を大爆笑させながら。

とまでを見てから付言いたせば、のちの喜国センセに「日本一の男の魂」(1997)というギャグ作品があり。ボリューム的には、その諸作品の中で最大のものだが。
そこに登場する≪0013≫という諜報部員のキャラクターが、まるで日高くんの後日の姿のような超変質者なのだ。そしてその0013のキモすぎる言動を笑うという回路が脳内にできていれば、日高くんの挙動らもまた、笑いのネタにしか思えないのだった。

そうしてここらでつい思い出したのは、≪キャプテン翼≫とかその手のジャンプのヒーローたちがまた、『おれはサッカー(等)で死ねればそれでいいんだ!』などと、小中学生の若さにして覚悟しきったことを平気で申される。それらに並んでわれらの日高くんもまた、その道の早熟の英才として、猛然と活躍しておられるような。
で、このような日高くんにつきあってしまったために、やがて紗月も、りっぱな変質者になってしまう。いわゆる『Sの女王様』になってしまって、まともらしき性愛がまったくできなくなる…という風に、そのお話は運ぶ。紆余曲折はありながら、それで2人はうまくやっていくのだ。

 『安心して。貴方が変態だってのは知ってますので。』

ところで今作「月光の囁き」の発想のもとが谷崎潤一郎の、『耽美と悪魔主義』と形容された系列の作品だとは、作家サマの後書きにあることで(第4巻, p.308)。そして文庫版の解説を書いておられる先生方もまた、その『告白』をわりと素直に受けとっておられるようだが。
けれども筆者は谷崎研究が足りないせいなのだろうか(?)、むしろ今作について、それをザッヘル-マゾッホ「毛皮を着たヴィーナス」(1871)のパロディかのように受けとめた。そうしてそれを言い出すと、そもそも谷崎のそっち方面の創作からして、マゾッホ作品のパロディなのだ、という気もしてくる(!)。
そして。≪マゾヒズム≫の語源ともなった19世紀の文豪マゾッホ、彼が正しく描いてそのパロディ作品らが描いていないことは、『そんな変質者どものドリ~夢の実現はない』、ということだ。谷崎文学で言ったら「痴人の愛」が、わりと正しくそのへんを描いているように。
とはいえ「毛皮を着たヴィーナス」のヒロイン≪ワンダ≫の示したほどの残虐さ…真の残虐さとその崇高味を、追随者らの作品に見ることはできない。そのお話の結末、彼女がヒーローの≪ゼヴェリーン≫を徹底的に裏切って、結果的には彼を更生させた後、数年後にゼヴェリーンが受け取った手紙の結びを引用しておく。

 『あなたは私の鞭の下で健康を恢復(かいふく)したのではないかと思います。
 療法は残酷だけれど徹底的だったのです』(訳・種村季弘, 1983, 河出文庫, p.224)

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