2010/02/25

Hello World - 皆さまへのごあいさつ など

ご来訪の皆さま! ようこそおいでくださいました、ありがとうございます! ほんとうに感謝のいたりです!
と、ごあいさつ申し上げているわたしは(もちろん)当家のホストでございます。こちらではicenervを名のっております。
さてこの2010年2月になってから、わりと更新させていただいておりますが。どうしていまごろのごあいさつか、と申しますと…いやその。ろくにコンテンツのないブログに『まえがき』などを付けるのは、あまりにもおもはゆかったので…!

それはさておき、このブログについて、いくつか。

●このブログ『Witzkrieg boP - ギャグまんが研究』は、≪ギャグまんが≫についての何かであろうとする場所です。それはギャグまんがを愛する皆さまの、よき下僕(しもべ)たるべきものです。
●ここに関して、格別の変わったルールはありません。コメント・リアクション・被リンクなどを歓迎いたします。あとよく分かりませんが、トラックバックやRSSなどもふつうに。
●ここに掲出している堕文には『精神分析』の用語がよく出ていますが、あんまり気にしないでかまいません。別に、その道の制度的な専門家が書いているわけではありません。なのですが、しかしそれなしで≪何か≫を考えることがひじょうに困難…という理由で出ている限りです。

と、ひじょうに万事がかんたんです。おきらくにまいりましょう!

なお、『絶対に』というほど確認できていませんが、しかしギャグまんが全般を専門とするレビューサイトは全世界に当家だけのような感じなので(?)、そこらでぜひがんばっていきたいと存じます。
目ざすはとうぜん、かの孤高すぎる大名著、米沢嘉博「戦後ギャグマンガ史」に≪何か≫を付け加えることです。その本が1981年あたりの記述で終わっておられますので、それから約30年間の穴を埋めようとすることです。ただ、わたしにおいては『ジャンル史』よりも『作品論』が、もっぱらの興味の対象でございますけれども。

とは、いやはや! わたしめごときがあまり大きなことを考えてもいけませんが、しかし当面のタスクと考えていることがございます。えーとまず、昨2009年の夏から作りかけで放置しているリストがございまして。それは1989年「伝染るんです。」以降の、わたしが読んでみて『これは』と感じたギャグまんがをリストアップしたものですが…(↓外部リンク)。

 ≪外傷的≫ギャグまんが, 致命的総進撃 (ミラー)

ブラウザが自動的にカウントしてくれるところで、リスト中に作家名が122個。作品数は、もう少し多いです。それは別に『名作づくし』というものでもありませんが、ともあれこれらについて、できるなら少なくとも1つずつの記事を提供していきたいのです。
しかし3日に1本の記事を書いても1年ちょっとで終わるとすれば、よく考えたら大した仕事でもございません、です、が…っ!?

かつ。現在のギャグまんがシーンをどう見るか、ということですが。わたしはそれを、けっこう盛況だと見てよろしいのではないかと存じます。
いや、このあたりから、話は余談になり気味ですが。つまり、ここからちょっと『ギャグまんが論』になり、あわせて『媒体論』にもなりますが。
まず、いかなるまんが誌にも必ず、多少はギャグっぽい作品が掲載されています。まんが誌どころか、ほとんどあらゆる雑誌に、多少は笑いを求めているようなまんがが掲載されています。政治・経済・宗教の専門誌にさえもそれはあるようですが、いまはまんが誌に限って検討することにいたしまして。
そうしてそれは、大いに理由のあることです。

なぜならば非ギャグのまんが作品らがあまりにも『想像』なので、そこにギャグ作品が≪正気≫をさし向けて中和しないと、読者がふつうの精神状態で媒体を離れることができなくなってしまうからです。非ギャグだけでは、バランスよくないのです。
つまり。むかしわたしが1970'sの『りぼん』について申したことだと、狂気と非日常に満ちあふれた一条ゆかり先生の作品に対し、土田よしこ先生のギャグ作品が対峙し拮抗し、それで媒体のバランスがとれていた。…というわけです。
ですから土田先生がその名作「きみどりみどろあおみどろ」や「わたしはしじみ!」で、同じりぼん掲載の「アラベスク」や「デザイナー」に対してひじょうに毒々しいパロディ攻撃をしかけたことを、悪意のしわざとはまったく申せません。むしろそれは、媒体の要請するところでありました。そのときりぼんは、最高レベルの作品同士が激突しあう至高の戦場でありました。真にすぐれた媒体とは、おそらくそうしたものでございましょう。

そうとしまして、その一方。21世紀初頭という現在のまんが出版界について、ともかくも媒体の数がひじょうに増えている、ということは確かそうです。そして媒体の数が増えるということは、ギャグまんがにとってのチャンスも自動的かつ形式的に増える、ということです。『いかなる媒体にも必ず』、それふうなものの存在が要請されますので。
そしてわたしの感じですとじっさいに、この当代にギャグまんがの盛り上がりはある、という気がいたします。めんどうなのでわたしは数えておりませんが(!)、1970's、80's、90's、2000's…と時期を区切ってみて、注目すべきギャグ作品のタイトル数は、たぶん下るにつれて増えているのではないでしょうか? しかし、すごい大物のタイトルが増えている、という気がしない感じもございますが(…このことについては、またいつかふれます)。

かつまた。わたしの申しております≪ギャグまんが≫とはどのようなものか、ということに、多少のご説明が必要やも知れませぬ。
それはまず、米沢嘉博「戦後ギャグマンガ史」の史観に従いまして、赤塚不二夫「おそ松くん」(1962)という大ブレイクスルー以降の作品ではございます。ただしその名著は、『なぜそれが大ブレイクスルーなのか?』を、かんたんにひとことで記述してはおられぬようにお見うけいたします。

補足いたしますとその名著は、『ギャグマンガ』なる語を、広義と狭義で意識的かつ自在に使い分けておられるようです。何せ本来まんがとは、『笑い』を主眼にしたポピュラー・アートです。そういうところからして、意図的に笑いがとれていそうな作品らすべてを、広義の『ギャグまんが』と見ることは可能でございましょう。
ですが、「おそ松くん」とそれ以降の流れの中には、そうしたものとは異なる≪ギャグまんが≫のコアが存在する。…と、たぶんそうした見方がその書に潜在するかと、愚考いたしますが。
しかしそのコアとは≪何か≫が、著述中で明示されきってはいないように存じますのです。諸賢は、いかがお考えであられましょうや?

で、そこをわたしめが独自に補完いたしますと、『“外傷”的なものの提示による笑い』という意味での≪ギャグ≫が初めて集中的に描かれた、そのことによって「おそ松くん」の登場は、超画期的なブレイクスルーだったのです。よって狭義の≪ギャグまんが≫とは、『“外傷”的なものの提示による笑い』をクリエイトしている作品です。関連する記事として[こちら]、『小此木啓吾…赤塚不二夫「おそ松くん」…etc.』をご参照あらばさいわいです。
かつ、その「おそ松くん」を『ギャグまんが第1世代の登場』といたしまして、続いた1974年の山上たつひこ「がきデカ」を第2世代、そして1989年の吉田戦車「伝染るんです。」を第3世代の登場と、わたしはその後の時代を区切っております。

ですので、わたしがたまに申しますところの『外傷的ギャグまんが』ということばが自分ではおかしくて、それはリダンダンシー(冗語法、『まっすぐ直進!』)です。しかしその場合、『外傷的』の語にくっついている『ギャグまんが』の語は広義のそれであり、あわせて狭義の≪ギャグまんが≫を示しているのです。
そうして≪ギャグまんが≫というものを研究しているうちにわたしが知ったのは、けっきょく広義の『ギャグまんが』は排除できかねる、ということです。なぜならばコアな≪ギャグまんが≫の中にも、スタイルとして古典的な笑いが、楽勝で並存しうるからでございます。

1つの作例として、前にもわれわれが見ました野中英次「魁!! クロマティ高校」(2000)。それは全体が不良まんがのパロディでありつつ、その中に≪不条理ギャグ≫、古典落語の『与太郎』チックなコント、そしてシチュエーション・コメディや社会風刺やドタバタなどが平気で並存する…と、たいへん複雑なものになっております。
その中にはわれわれの考える≪ギャグまんが≫のコア(=外傷的なものの提示)が存在しますが、しかし「クロ高」をそれだけに徹した作品と述べては、大うそになってしまいます。で、これに限らず、全般にそういう感じなのです。

つまり。狭義の≪ギャグまんが≫を論じようとしても必ず、内在的にも広義の『ギャグまんが』を相手にせざるをえないのです。そもそも古い古い「サザエさん」を見ていてさえ『外傷的なものの提示』がそこになくないですから、潜在的・先駆的にはひじょうにむかしから≪ギャグまんが≫は存在したのです。
ですがゆえ、また。第1世代「おそ松くん」(1962)→第2世代「がきデカ」(1974)→第3世代「伝染るんです。」(1989)…などと申しておりますが、その間に直線的な≪進化≫があったなどとは、とても申せませぬ。それ以前にはまったくなかったものが、それぞれの時点で現れた…とは見ておりませぬ。
それはただ単に、流れの中のエポックとなるような作品で区切っているばかりなのです。ただしその区切りが必要かつ適切なものである、とは考えておりますが。

…おやっ? ほんの手短にごあいさつを、というつもりで始めた堕文が、いつしかたいへんなことになってしまいました!
たいへん失礼をばいたしました、このようなことはこのくらいで。かくのごとくいたらぬものではございますが、どうかひき続き、皆さまにはよろしくお願い申し上げます! ご高覧、まことにありがとうございました!

なお、以上の文章は、ボードレール「悪の華」(1857)の巻頭詩『読者へ』のパロディのような気もいたします。『偽善の読者よ! わが同胞よ!』…という低劣なメイ文句、あれでございます。
かつまた近ごろ≪執事≫という用語が流行り気味でございますので、わたしめをそのくらいの皆さまのしもべとお考えくだされば、実にありがたき倖せとも存じます。ここまでをこういう調子で書いてきましたら、何か自分でそういう気がしてまいりました。
あ、いや…。現実世界でのわたしめのランクからいたしますと、≪執事≫などという呼称はりっぱすぎではございますが…っ!

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