2010/02/13

片山まさゆき「SWEET三国志」 - 「三国志」関係のまんが その3

 
参考リンク:Wikipedia「SWEET三国志」

『酒池肉林』とは殷代に関することばだが、それを『キャバクラ&焼き肉』に置き換えて、三国のヒーローたる漢(おとこ)らが野望(欲望)へと疾(はし)る! おなじみ「三国志演義」のストーリーと、毎日のスポーツ紙上のにぎわい的な下世話なネタらがこんぜん一体となった、これぞ一代の奇作・怪作・快作。はっきり申して、いままでに読んだ「三国志」関係のまんがの中で、筆者はこれがいちばん好き!

…とまで言ったらほんとうに十分で、この後は超蛇足なことしか書けないような気が、大いにしつつ。でも、ちょっとだけ補足すれば。
さて麻雀まんがのギャグ部門で、文句なしの第一人者と目されるこの作者だが。その作風で特筆すべきは、全般にいいかげんそうに見えておりながら(?)、しかし麻雀の細かいところを意外にちゃんと描いていることだそうだ。
ついさっき調べていて、初めてそれを知った。大まかなルールくらいしか麻雀が分からない自分は、『麻雀まんがの細かいところ』などを味わうだけのリテラシーをそなえないので…むねん。

そしてそれを聞いたから言うのではないが、今作もまた、その語り口の軽妙さで笑わせてくれながら、しかも物語のエッセンスをひじょうにきちっと伝えてくれている。しかもたったの全5巻(ヤンマガKC)で、桃園の誓いから孔明の死までを描いている、そのコンパクトさがすごい!
さいしょ一読したときには『ちょっと描写が急ぎ足かなあ』と思ったが、こんど再読してみたらそのスピード感にすっかり感心したのだった。とはいえ筆者は『コンパクトな作品を特に好む』、というただし書きも付きながら。

ところで言ってから自分で思ったのだが、『三国志物語のエッセンス』とはいったい何なのだろうか? 一般的かどうかは別として、筆者が今作「SWEET三国志」から受けとったのは、次のようなものだ。
…対呉攻略に大失敗し、得意の逃げ足で戦死はまぬがれた劉備だったが、いまや臨終の床についている。ちなみに今作の描く劉備はちんちくりんの小心者で、毛並みのよさとお人よし以外にとりえがない。そして彼は枕頭の孔明に、『なんで 俺なんかに ついてきて くれたんだ?』との問いを発する。
すると孔明は…。今作では『鼻の穴からふしぎなピロピロを吹き出しているおどけ者』として描かれた孔明は、他の主君に仕えていれば天下ゲットは容易だったろうが、それでは意味がなかったのだ、と劉備に答えるのだった。

 『私は あなたの 治める国が つくりたかった
 あなたのような お人よしの 治める
 お人よし 王国を つくって みたかったっ ス―――』(by 孔明。第5巻, p.163)

ところが劉備は、これに続くやりとりでの孔明のボケを完全にスルーして、はかなくなってしまう。しかし、『お人よし王国』を作るための孔明の闘いは終わらない。
そうしてご存じ『孔明ワンマンショー in 西城』を経て、街亭で大ポカかました馬謖を彼は、いやだが斬らなくてはならない(同書, p.214)。彼が望んでいる『お人よし王国』、すなわち『なあなあで いいかげんな 甘ったれワールド』、それを作るためにこそ、非情にならねばならない…というジレンマを、そこで孔明はかみしめるのだ。

などと、ギャグまんがの感想らしくないことを述べてしまったので、この堕文はここらで終わる。近ごろ今作は文庫版として再刊されたそうなので、それであらためてその評価の高まることを信じつつ。
とは申しながら、さいごに1つだけ申しておきたいことが…。

それは。「三国志」物語のあらゆるキャラクターを超デフォルメして描く今作「SWEET三国志」だが、しかしただひとり、例の『できすぎ君』こと趙雲子龍に関しては、その描写にキレが乏しい。『まるまると太った体に超ベビーフェイス』という、相撲の新弟子クンみたいな姿で描かれつつも、笑えるようなことを1つもしでかしてくれないのは、いつもの趙雲と同じだ。
片山まさゆきをしても戯画化しきれなかった、この≪趙雲≫という人物をどう見るか? ただ単に有能かつ忠実な、頼れるやつ…とだけ見ておけばいい、ってものなのだろうか? しかし、そんなやつが乱世のきわまりの中に、特に理由も『なく』いるものなのだろうか?
という、そのような筆者の疑問に1つの答を提示してくれたのが、武論尊+池上遼一「覇 -LORD-」という、また別の三国志まんがなのだった。これは重要かも…とまでを述べて、いずれ書かれる「覇 -LORD-」のレビューの予告編としたい!

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